敗残兵、剣闘士になる 084 正月は正直に
1月1日
新年の祝いはどこも変わらない、母屋に全員が集まって酒だ
ヴィヌムと皆が呼ぶワインは一般のローマの民が飲むもので、それ以下はグラッパというワインの絞りカスを蒸して作った蒸留酒でこれがアルコール分が高く安い意外と旨い
さらに安いのは蒸した終えたカスを大量に集めて水を掛けもう一度蒸留して作ったリークワとかスピーリトゥスという酒の総称で売られている水にアルコール混ぜたような酒だ
これを普段は消毒用に使ったり、ニゲルが持ってきたハッカみたいな葉っぱを漬け込んだ解熱薬(放熱薬)にしたりしている
そんな酒だが、古都ローマでは人の欲求や本音を引き出す薬としても広く知られている物で…
「マヅオー、俺なんでこんな弱いんだー強くしてくれ〜嫁も貰わずに死にたくねえよ〜」
セバロスが泣き上戸で愚痴る
「先生、行かないで下さいよ〜もっと教えて下さいよ〜頼みますよ〜」
服にしがみついてゴネる同じく泣き上戸のマシュアル、お前飲んで良いのか?
「俺はちょっと泳いでくる」
「バカ、こんな時期の海なんぞ飲まれて死ぬぞ」
「大丈夫だ、普段湖に入っていたからな」
バシャーッと飛び込んで命からがら帰ってくる馬鹿なハーランドと冷静なビョルカン、このうるさい中でずっと眠っているアルティマタス
「盾も武器だ、如何に攻撃の手を緩めず」「そうだ、だが攻め続けては決定打が難しい適度にだな」「適度など生ぬるい、心をへし折る攻撃こそ至上」「その一発が当たらないなら意味がないだろう」「当てるためのクラブだ」「あれなら当たるか」etc.〜
イフラースとルクマーンはずっと闘技談義花を咲かせている
「マツオがよ、技を教えるようになってから皆の動きが変わってきてるのが目に見えて分かるんだ
そりゃそういうところに生まれて扱かれて来たのは分かるが、何というかな
自分がいる意味っていうかな?なんというかよ?マクシミヌスも分かるだろ?」
「まあな、俺なんて下手クソ呼ばわりだぜ
そりゃ専門のメディケに聞けば解剖学なんてのは間違いねえさ
でもよ?剣の技の冴えじゃあまだ負けないぜ
教えるのが得意かと言われれば首は縦に振れないけど、上手い奴がいるってのはマギステルにとっちゃ楽だよな」
「まあな〜、俺も今は体作りに専念させて貰えてるから感謝だな
本当のこといえば俺もあんまり教えるのは上手くねえからよ」
「だろー?まああとはそれぞれが教え合えるだろうから見てるだけでいいな」
「そうだな」
マクシミヌスとドライオスらしい会話だ、ワザと聴こえるように喋ってくれているようにも聴こえたくらいだ
なんとも照れ屋な二人だ
「マツオ〜つまみに鰻が食いてえ」
「今は時期じゃないから取れないって言っただろう」
「じゃあ何か違うのでもいいからさ〜旨いものが食いてえな」
カヒームは酔うと大食漢になる、さっきも魚と大麦飯をたらふく食ったばかりだというのに
「マツオ、手伝います」
カスタノスは酒の臭いを受け付けず飲めないそうだ
冬のローマには驚きの食材が幾つかある
中でも驚きなのがバナナだ
誰かが植えたのか分からないが海岸線沿いに自生しているのだ
勝手に取って食べていいそうで青い物を取って皮を剥きオリーブオイルで炒めて塩を振るだけで美味しい、芋に近いバナナだ
塩のタイプは作ったので今度は芋けんぴのように低温でカリカリにしてハチミツ醤油で和えて出した(大量)
「ウメェな〜マツオ居なくなったらこれも食えないのか〜残念だな〜(チラッ、チラッ)」
カヒームは残念そうだが先に居なくなる予定のやつが何言ってるんだかね〜
「カヒームの帰郷には付いて行かないぞ」
「それはそうなんだけどな?マツオはメディケにしておくのも勿体ないというか何というかな
グラディアトルでも十分に人気が出るだろうにな〜勿体ないんだよ」
「死の危険には近付きたくないからなカヒームみたいに強い相手に当たらないだけ良いんだけど
戦場も戦場で対して変わらないよな〜」
「だろ?だったら戦場なんて行かずに俺と一緒にガラティアへ行こうぜ〜」
「飯炊き係はゴメンだな〜」
「何だよ〜畑のやり方とか知ってるんだろう?
何でもいいよ手伝ってくれよ〜」
「そうしたいのは山々だけど皇帝の追手に見つかって殺されるのは嫌だぞ」
「まあな〜、はぁ〜面倒くせえな戦争なんかクソ喰らえだな!」
「本当にな〜」
「ムーサ(バナナ)うめえなぁ〜」
涙を溢しながら別れを惜しんでいてくれているように、そんな風に見えてしまった
相変わらずオニシフォロスとマリーカは見えない、これからももしかしたら接点は無いかもしれないな
「マツオ!」
歯を紫色に染めるほどワインを流し込んでいたハルゲニスに手招きされたので寝ている人を踏まないようにホイホイと爪先歩きで向かう、自分は全然飲めてない
「はい」
「お前が来てから半年、まだ半年だぞ?半年!?そうだ半年だ
今思えば賭けに出た安い買い物だった
意識の朦朧としたお前を檻で見たときすぐ死ぬんだろうなと思ったんだ、でもな、何故だか買っておかなきゃいけない気がしたんだ」
チビチビワインを飲みながら半分寝ながら喋っているみたいだ
「金貨1枚で始まってすぐに15枚と声を出したら誰も手を挙げなかったんだ
なのにあの奴隷商人の野郎、グラディアトルなら闘わせてなんぼだ、こんなの戦えるわけがないと抜かしやがって買い取る前にウェテラヌスに相手をさせると言い出しやがった」
チラッとこっちをみて舌打ちしたハルゲニスは左の口角を釣り上げた
「だからよ、生き残ったら金貨10枚で売れって言ったらよ、あの顔今でも思い出すぜ
糞を見るような目をしくさりやがって」
木のコップを握る右手のスジが浮かび上がりギチギチ言うほど絞めつけている
「俺に良い奴隷を買う金が無いことなど分かっているだろうに、買うと言った奴隷をウェテラヌスの相手をさせるだ?殺してやろうかと思う程腹が立った
だがその後に突然覚醒したお前の蹴りが全てを変えたのさ
周りにいたラニスタ全員が奴隷商人に抗議してな、足元ばかり見ていた奴に天罰を落としたのさ
それからは新たな剣闘士奴隷が買いやすくなった、今までのように扱いが悪くて買ってもすぐ死んでしまうなんていうこともなくなった」
今度は笑いながらコップを煽り手酌でワインを注ぐ、ハルゲニスの感情の起伏を初めて見た気がする
「カヒームも死なずに済んだ、お前がメディケだと知って驚いた、それも腕が良い、判断も早い
数年前にメディケが居たんだが突然どこかに行ってしまった、そんな奴の残した古い手術道具で完璧にやってのけたのさ
泣きながら笑ったよ、訳がわからなくてよ
言葉の通じない猿みたいな顔の安く拾った男がグラディアトルとしてもメディケとしても一流だったんだ、嘘みたいだろ」
どんどん酒が進む、ワインの匂いも華やかに変わってきて美味しさ倍増だ
「ディニトリアスまで巻き込んで武器にまで口を挟んで来やがったが出来上がった武器は今までにない切れ味だった
盾を切り裂き、傷口は切ったのに塞がるんだ!それが皇帝陛下に献上されるなんてな!ディニトリアスの鍛冶の熱まで火を付けやがった」
ワインの面を揺さぶりながら眺めている
「闘技会でも稼ぐ、怪我をせず裏に回りメディケとしても稼ぐ、セイント・レムスのファミリアのヤブなメディケを叩きのめして横取りする最高だよ、笑ったよ!うちのグラディアトルが何度も泣かされ死んでいったんだ、スカッとしたさ!」
色々やらかした過去を掘り起こされて若干恥ずかしい
ワイン煽り過ぎじゃないですか!?ハルゲニス大丈夫か
「ドクトレとしても才を発揮した
ニゲルとセバロスが戦士になった
新たに加わったスエビの戦士のハーランドとビョルカンが増長することなく馴染んだ
伸び悩んでいたルクマーンが振り切れた」
ずっと笑顔で涙ぐんでいる、おい爺さん大丈夫か?情緒不安定だぞ
「マクシミヌスが中心となり皇帝主催の闘技会をやりきった
もう、次の波に任せてもいいかなと本気で思ったところで皇帝の書簡一つでマツオが奪われる
ただマシュアルという後進が育っているしマツオの教えも皆に浸透した、ただあと3ヶ月というのはな、寂しいな〜、もっと盛り立ててくれると思ったのにな〜、グゥ」
喋るだけ喋って怒って泣いて笑って寝たよ
でも、自分がここに来たことで喜んでくれていて少しでも役にたったことは嬉しく思う
ハルゲニスが寝てから気付いたが母屋に集まった全員では無いが皆無防備に眠っている
それぞれに毛皮を掛けて回る
この毛皮も皆で狩ってきた獲物の皮だ、毎日ノミ取りをして焼いて天日干しをして衛生的に保っている
なんと幸せなことだろう
掛け替えの無い仲間とよく見て分かって任せてくれている上司達、そして骨接ぎ医としての技術を継承してくれている弟子に感謝しかない
外に出ると満点の星空が拡がっていた
「残り3ヶ月、宜しくお願いします!」
母屋にいた全員に感謝の礼を捧げた
目にはうっすら水が滴っていたのは見なかったことにして欲しい
でも任期1年なんですけどね




