敗残兵、剣闘士になる 083 葛藤
1月の闘技会にマシュアルは出れなくなったと伝えると半泣きになり、悔しいのかと聞いたら
「人を治す勉強をしているのに怪我をさせる側になるのは辛かったんです」
と嗚咽を堪らえながら大泣きしてしまった、なんとも優しい子である
一頻り泣いたあとに今後の予定を伝えた
4月のメディオラヌムの闘技会後に出征し、ガレノスについて勉強をしてくること、4月からハルゲニスのファミリアのメディケはマシュアルだけになることを伝えた
「マツオは出世するんですね」
どこで覚えたのかそんなことを言ってくれた
日本では一度たりとも出世などしたことはない、なんなら日本のために死んでこいと命を投げ出された人間だ
なぜだか今度は自分の涙が止まらなかった
戦争でも必要とされていたのかも知れないが、人を殺してまで生きたいとは正直思っていなかったし変な洗脳下でやらされていただけのことだった
それがどうだろうか、1800年近くも舞い戻って田舎で出世を喜んでくれる仲間がいて、命を預けてくれる立場に置いていてくれるなどなんとも喜ばしい環境に置いていて貰ったのだと改めて感じた
「よし!やることも教えることもまだまだある
肉を買いに行くぞ」
「はい!今日は肉料理ですね!」
「縫う練習だ」
「最後は食べるんですよね?」
「まあな、新鮮な肉を買うぞ!」
「おう!」
皮付きのヤギの肉を購入、筋線維の大きさや筋肉の大きさ動く方向、皮と肉の間の膜、その中にある動脈と静脈と透明で見えにくいリンパ管、そして神経をそれぞれ縫う練習を数日置きに繰り返し練習、勿論皮を縫うことも忘れずに行った
最終的には闇醤油とハチミツや水飴なんかで照り焼きにしたりして美味しく頂いた
日常の怪我はローマでも日本と変わらず起こっている
傷しか診られないと宣言したことで怪我の人も骨折も来るようになってしまった
道の水溜りで滑った
足がもつれて転んだ
人とぶつかった
階段で滑った
それらの治療を基本的にはマシュアルにさせた、問診から評価、徒手的な検査、治療まで全てだ
階段で滑った人一番重症で骨折した足の骨が飛び出た状態で荷車に載せられてきた
「コレはひどいですね」
「痛い〜痛い〜」
「先ずは洗って整復してみます」
患者は50代男性、家を作っている途中で荷物を持ったまま10段目からの転落
右脛骨骨折、骨はいくつかのパーツに分かれた粉砕で皮膚からは開放されている骨折で血管も一部筋肉も切れちゃってる可能性があり出血もそこそこ続いている
「時間はどれくらい経っていますか?」
「半刻くらいだ(1時間)」
「出血量は多そうですね
先ずは洗い流します、骨の状態を確認してから戻せそうなら戻して副え木で固定、縫い合わせられるものは縫います、良いですね?」
「痛い、のが、なんとかなるなら」
「何か噛ませて、ベッドに移します」
口に木を噛ませてコンクリートベッドに乗せ折れてる右膝から下だけをベッドから下ろす
「マツオも少し手伝ってください」
「分かった」
「足に添え木を当てて縄を巻きます、踏み伸ばして骨の位置を整えますので縄踏みを代わってください」
「了解だ、これから痛いですので生きていて下さいね」
「へ?はも、へ?『ギヂィィィ』はあああああああああああ」
足首に左右副え木を当てて動かないように縄で固定、足首の縄をマシュアルは自分の右足に掛けて踏み込んで足を伸ばした
足を交代して踏み込んでおく、連れてきた男たちにも体を押さえさせる
煮沸済の生理食塩水(1%食塩水、本来は0.9%が良い面倒なので)を掛けて血餅を洗い流し患部を確認していく
患者は失神したが呼吸はしているのでとりあえずは問題ない、後で叩き起こせばいい
「脛骨は3パーツ、筋損傷は一部挫滅のみ、血管は前から見る分には大丈夫そうです」
「骨の裏は?」
「鈎を差し込みましたが出血なしです」
「神経は確認無理か?」
「無理です」
「よし、しっかり固定して閉創しよう」
「はい」
固定は大麦縄なので少し面倒だが縛り方さえ決めておけば問題ない、微小出血も分かるところは焼いて止血してある
現代ならイリザロフという三日月型の創外固定器具で骨の位置を整え繋がるまで非荷重、傷口は塞がればドレーンチューブを入れて、予防投与で抗菌薬3日で血液検査とドレーン先を培養検査というところだ、勿論のこと手術は麻酔下だね
マシュアルは閉創も煮沸した髪の毛で皮膚を縫い合わせて終わりとほぼ完璧な対応だ、しかしドレーンは入れていない、返ってくるかどうかは分からないからだ
「終わりました、明日以降両手に杖を付いて動いていいですが右足は1ヶ月地面に足を付かないことが絶対です
そして寝たままはダメ、ある程度動くことが必要です
食事と水分摂取はしっかり摂って、塩は一日一回舐めさせてください」
「はい」
「縫った髪の毛は10日で切って抜いてください
膿んだら膝から切断です、膿まなければ足は動きますが元通りにはなりません、よく言い伝えてください」
「はい」
また荷車に積み直してご帰宅願った
代金は30セステルティウス黄銅貨(現代では9000円くらいかな?)として、死んだら不要、生きていたら後で支払うということにして名前と居所だけ壁に書き残してある
「そろそろ壁に書き込める量が限界ですね」
「そうだな、それにしてもやればやるほど出来るようになっていくな〜」
「ありがとうございます」
「素晴らしいよ、これなら手足と皮膚くらいならなんとかなるな
グラディアトル達は脂肪が厚いからもう少し治療し易いんだ、十分にやれるだろう
後は内臓の方だな、コレばっかりは刺し傷切り傷が深くないとどうにもならないからな」
「はい!」
12月中は日に2人くらいずつ骨折や創傷、火傷の治療を指導しながら実践していった
今度はドクトレの方だ、カヒームとイフラース、アルティマタスにもしっかりと摺り足の動き、重心移動と物の重心位置の扱いを教え込んだ
代わりにカヒームからは認識の外側という技術を教わったが体現が難しい、線を重ねるとか言われても全くわからん
「視線というと難しいが利き目に向けて剣先を合わせると距離感掴みにくくなるだろ?」
「確かに、刀を向けるときはそう意識している」
「それと一緒だ、見えない訳じゃない、見えにくい位置の問題なんだ」
「うーん、難しい」
「この前マツオが俺の銛を巻き上げただろう?」
「ああ、上手く行ったな」
「あの瞬間、上手く行き過ぎて目が銛に行かなかったか?」
「行った、えっ?あれワザとなのか?」
驚いた、めちゃくちゃ気持ちよかったのに
気分は一気に萎びたぜ
「当たり前だろう?布石だよ、あれだけ目線が引っ張れたらやりたい放題さ」
「まさかだったな」
「まあそんなもんだ、マツオはしっかりと相手を見て攻め込めるとき攻めて、受けるときにはしっかりと受けて虚を突く攻撃でいいと思うぞ
掛け引きが下手くそ過ぎるからな」
「グゥの音も出ねえ」
歯を食いしばっても何も出ない『ぷ〜ぅ〜う、プ!』オナラだけ出ました
「ハッハ〜ヒッヒッ」
余りの真剣なところに気の抜けた屁の音で一気に緊張が崩れた
そろそろ皆と笑える最後が近づいてきているなと妙な感情が燻る一日だった




