敗残兵、剣闘士になる 072 藁をも掴む思い
笛と太鼓、拍手にいつになく大きな声援を浴びて闘技場を歩く
外はもう暗く肌寒い風が抜ける、観客席にも闘技場内にもパチパチと音を立てて松明が焚かれており熱気と松明の明るさで気分は高まっていく
向かいからはムルミッロ(魚兜闘士)が観客に手を振りながら歩いてくる、事前情報ではこの界隈でテルティウスパロス(3番目)なのだそうだ
身長は170センチくらいと自分より少し大きい、分厚い胸板に太い足、腕なんて瓢箪みたいになってるじゃない
赤く大きいスクトゥム、グラディウス型の木剣
マニカとオクレア、兜も含め防具は白で統一されている明らかに強い人だ
白に塗ったところに攻撃を受ければ痕跡が残るが僅かにマニカに擦った程度の傷で盾には攻撃を受けた傷が残っているが「盾に」でしかない
体表面を見ての傷らしい傷がない、これは頂けない、絶対に強い帰りたい
審判に呼ばれ中央に行く
「出場者の一人が山火事で到着できなかった
急遽代わりに同じファミリアから出場することになった
お互い了承しているね?」
「はいー」
「田舎の筆頭じゃな、どうせ怖くて来られなかったんだろ?誰だって構いやしないさ」
なんかムカつく野郎だな
しっかり顔を上げて見てみると堂々とはしているがカヒーム程の謎な魅力というか危なそうな雰囲気はない
強いのは間違いなさそう、身体的な強さで言えばカヒームより強いのだろうけどなんだろうな奥深さというかなんというか恐れるほどではなさそうな感じがする
心臓はドッキドキだけど怒りとムカつきからかな、ちょっと締めてやりたい気持ちが強くなってきた
「では、最初はお互い体を温めるところからね
始め!」
基本的な構えはどこまで登り詰めようが変わらない、変わるのは安定感と付け入る隙の無さだ
流石に大きな都市の3番目だけあって隙などないし常にこちらを狙っているのが分かる
動き出しはゆっくりと牽制するように横へ回り込みながら様子を窺う
息を飲むとはこういうことだろうか、あっ!一つ忘れてた
「キェエエエエエエエ!」
これだけで強張らせている緊張が飛び、体の底から何かが体の外まで湧き出し槍の先の数センチ先まで感覚が延び研ぎ澄まされる、という感じがする
「相手は田舎猿だったか?」
猿に翻弄されればいいさ
あんまり何もしてこないからこっちからやらせてもらおうか
スッと摺り足で間合いに入れて棒で盾の上から裏側の手を狙って突く
『ズゴンッ!』
表情は見えないがあんまりダメージは無さそうだうまくいなされている感じがする
『ドンッ!』『ドドンッ!』『ドンッ!ドンッ!ドンッ!』
とりあえずウォーミングアップがてら盾を壊す勢いで叩きつけておく、丁度いい立木だ
微妙に中心をずらしていなそうとしているようだが関係ない、それに合わせて突く位置を変えるだけだ
突きの方向を変えるのは手でなく腰肩股関節あたりで微調整をかけるだけ、上半身はまだ動かしていない
『ズドン!』『ドドン!』『ドンッ!』『ドン!カッ』
何回目かの攻撃で何かが欠けたような音がした、何枚か重ねてある盾の素材の一部にヒビでも入ったか?盾の裏に何か付いているのか?その可能性あるかも、投擲武器か?
「止め!」
審判の止めが入った
結局1度も攻撃してこなかったし攻撃しないことを審判も咎めなかった、何か隠し事があるな
本番用の武器が試し切りされる、闘技場内に白い板と木の板が回っているのが見える
木の板の方が観客席に回るとそこから大きな歓声が上がり名前が呼ばれる
「マツオーー!」
「頑張れー!」
「フォオーーーー!」
何か書いてあるんだろうな〜と思いながら相手の武器を見るとグラディウスにしては細いしスパタにしては短い
鍔がほぼ無い槍の穂先みたいな形だ、組み立て式の槍とか?投擲にしろ組み立て式にしろ厄介だけど正々堂々感は無いな
槍を受け取り棒と交換する
チラッと相手に視線を向けたとき盾のド真ん中に小さいが凹みが出来ているのか小さく影が見えた
本気で打ち込んでいたか木の板が一部凹んだか割れたかな、チャンスかもしれない
「両者構えて、始め!」
槍を構えて相手の動きを伺う
相手はあんな短い武器なのに何故か間合いを詰めようとしない
観客の声援でも相手の名前を呼ばれることが無い、なんなら一部ヤジ(ブーイング)が雑るくらいだ
「(あいつやっぱり人気ないな、悪いことしてんだな)」
摺り足で横に回り込みながら間合いを少しずつ詰めて敵の手の動きを肩の動きで確認していく
地面を摺り足で進むとたまに小石が当たるので足の指でいくつか握って拾っておいた、牽制のためだ
間合いは5メートルくらいから3メートルくらいまで縮まったが盾の裏で何かやっているのが分かる程度で何をしているのかまでは分からない
怪しいので普通には近付きたくないし止まるのも何か危ない感じがする
現在の闘技場内の位置を確認して小石を離す
これ以上動かないのも意味がない、盾の窪みをやってみよう
「キェエエエエエエエ!」
一歩踏み込むようなフリを入れた
一瞬盾の横から手が出て飛んできたのは細いナイフだ、十分に避けられる体勢だったので横にステップを踏んで避け盾の窪みに狙いを定めて槍先を盾の10センチ奥目掛けて突く
『バギィ!』
「イギィイアアアアア」
上手い具合に貫通し、穂先が半分の7センチくらいまで入ったし指か手首かに当たった感触は伝わった
これからもう一突き入れるのだが0距離から引かずに突き出し引き抜く荒業だ
体の使い方的には簡単だが上半身の使い方が上手くできるかがポイントだ
半歩踏み出して左肩を相手に向けた横向きの状態から腰を押し出すように右の股関節を内側に畳むように操作する、手は握った所からほんの少し力を抜いた状態で体の向きが変わる瞬間に雑巾を絞るように力を入れるだけだ
やってみよう、せーのっと
『ッギィニィッ』
「ギギギギ」
硬い木に鉄が引っ掻くような軋む音がして槍の刺さった穴から血が流れてきた…あれ?槍の先の盾が重たい
槍を引き抜こうと数歩後ろにと一歩だけ引いたらゴリゴリ地面を引き摺りながら盾がついてきて槍が抜けて倒れた
やはり裏側に投げナイフが仕込まれていた
ハッと顔を上げると顔に投げナイフが飛んできていた全力で顔を右へ向け下に落ちるように重心を下げた
『カン!』
鈍い音を鳴らして兜で弾いたが左眉毛の下を少し切ったらしい、ジワジワ痛むし徐々に腫れてくるのがわかる
なんとか避けられたので後ろへ走る、横目でチラッと確認するとまだ右手に一本ナイフがあるのが見えた
「チッ」
相手の舌打ちが聞こえる
取った距離は4メートルで真ん中に盾が裏を見せて倒れている
ナイフを投げて避けてしまえば槍が先に届くし、相手が半歩でも動けば何処かにナイフを刺されるが槍の一撃必殺の間合いに入るため互いに硬直した
考えろ
どうする?
左目が腫れて重くなってきているがまだ数分は大丈夫だ
投げナイフでも2センチ刺されば結構痛いというか十分に危ない
槍を投げるのはどうか?ニゲルみたいに?
いい案かもしれない
右手で槍の真ん中を持ち、耳の横に持ち上げる
半歩下がり上半身のバネを最大限に使って投げ、そのまま左斜め前に一回転
ナイフが背中を掠め、切られた感触があるが浅い
一回転した先に2センチ大の石ころ、右手で掴み盾のナイフを掴もうとしている手に投げた
『ベキッ!』
という音と共に運良く人差し指に当たった、間髪容れずにもう一個手に向かって投げて前に走る
2個目は牽制でしかない
外れても一度手を引っ込めてくれるだけでいい
一歩分の時間を稼げた、届く!
左足の趾を握り尾骨を狙って中段蹴りを振り抜く
「うぅりゃっ!」『ビチッ!』「いヒィあア」
左目の距離感のズレとちょっと避けられた分の僅かなズレで斜め下に入ってしまった、いやホントに悪かったと思うが中々な感触である
タマタマの片方を蹴り抜いた感触があった
盾の上に突っ伏し前のめりで倒れ、痙攣し始めた
「それまで!勝者マツオ!」
「「「ウオオオオオオオオオ!」」」
「「「マッツオ!」」」
「「「マッツオ!」」」
名前を連呼されているが段々マッツォになってきている気がする
観客席に手を振って応えていると審判に肩を叩かれ、主催者のところへ向うとトーガこそ来ているが軍人さんだろうガタイがいい人が居た
シュロの枝かと思ったら月桂冠を頂いた、ついで後で何か良い物をくれるんだそうだ
「助命は?」
「片方無くなったから十分だろう?」
審判に聞いてみたら辛辣な言葉を返してきた
ナイフのことを聞くと貴族の家系らしく裏で金を貰ってるんだとか、サラッと言っちゃうあたり儲けてるよね
手を振りながら歩き、闘技場から一直線に治療所に向う
もはや腫れた左目開いていない、お岩さん状態になっている、背中はヒリヒリだ
微温湯を貰い塩を入れて舐めちょっと塩っぱいくらいので背中を洗ってもらい、目は自分で洗った
「あ痛ぇ」「あ痛ぇ」「あーててて、ちょあーて」
瞼の下は縫って貰うことにして茹でた髪の毛で5針、背中はヌワンゴ特製軟膏をこれでもか!と親の仇並みに塗ったくって貰って終了
卑怯男はうつ伏せのまま運ばれて寝かされたままで放置されていた
試合中はよく見ていなかったが左手は親指を残して手の甲の半分より先を切り落としていたらしい
メディケもあんまり好きじゃなさそうだったが皮膚を引っ張って骨の上で縫い合わせて治療は終わり、盾ごとお帰り願った
「今日はもう無理です、あとお願いします」
「良いよ、あと1試合と模擬戦争だから」
「模擬戦争って?」
「あ〜今回は陸戦でたしか、あ〜ゲルマンの捕虜を投げ槍や弓矢で射殺すんじゃなかったか」
さらっとそんなことを言えることも、公開処刑みたいなこともショックで口が塞がらない
「今日は帰ります、ありがとうございました」
「おう、早く治れよ!」




