敗残兵、剣闘士になる 061 アレラーテにて
翌朝になっても筋肉痛は治っておらず、ちょっと重怠い動かしにくい足を引き摺りながら歩き始める
大分街道を外れているが幾つか小さくもない湖の間の湿地帯には刈り取られた稲とわずかに鳥が食んだ米のカスが残っていた
「黒米?赤米?」
「オリザだ、アエギュプトゥスから持ってきて試験的に作っているんだろうな
こっちではなかなか育たないって聞いたことがあるぞ」
「マクシミヌスは物知りだな
これが俺の国の主食だ、こっちのとは違って白いがな」
「そうか、陸では麦の方が出来やすいからな
こういう湿地で米が作れるらしいがそんなに水が多いのか?」
「水は多いな、川から水を引いて平地を湿地に変えて植えるのさ
毎年栄養は川からやってくるし土も上と下を入れ替えるようにかき混ぜるから肥料も少なくていいから丁度いいんだ」
「なるほどな、アレラーテに着いたら食えるかもしれないぞ」
「いや、赤いオリザはあんまり旨くないし何より大麦の旨さに慣れたら戻れないよ」
「あんなのの何が美味いんかねえ、俺はパンを食いたいよ」
「そういうもんか」
「そんなもんだ」
笑いながら旅を続ける
次第に小さい集落が増え、道もしっかりした石畳になり街に近付いていく
2階建ての家や教会、トーガを着た人を良く見るようになり道端で物を売る人、水を売る人が出てきた
この時代に来て初めて見る大きな街だ
完全にお上りさんになって上ばかり見ていると後ろからマクシミヌスに小突かれちょっと恥ずかしかった
石造りの家は表面を漆喰やローマンコンクリートで固められておりオフホワイトからベージュくらいの色で屋根がオレンジに近いレンガ色をしており少し見下ろせる坂の上から振り向くとキレイに放射状の街並みが広がっていた
街の中心に向かって行くと川が見えた
滔滔と流れる川には石の橋が何箇所か掛かっているのが見える
紀元後2世紀でよくもまあそんなものを作っていた物だと感心する
街並みも景観も整っており、大河に橋が掛かりそれ以外のところにも渡し船や漁船が何艘も浮いている
車やバイクは無いにしても戦争前の日本より余程キレイな街に見え、ただただ眺めていられる程だ
「マツオー行くぞー」
マクシミヌスに声をかけられ服を引っ張られた
「ゴメン街並みに見とれてた」
「確かにここはキレイだな〜
でもここで驚いてたらロマレスとかメディオラヌムなんかに行くとビックリして立てなくなるぞ」
「そんなにすごいのか!行って見たいもんだな〜」
「いずれ生きていれば行ってもらうさ、楽しみにしておけよ
今日はアレラーテのテルマエだ!行くぞ」
「おお!」
マクシミヌスは30うん歳まで生き残ったグラディアトルで経験豊富な知識人だ、人に教えるのは下手だがよく人に気を使う面倒見の良い苦労人気質だな
テルマエを上がって気付けば11/12、合流予定日だった
しかしテルマエで待っていてもハルゲニスやカヒーム達の姿は見えない、マクシミヌスは恐らく山火事で通れないんだろうと言っていた
彼等が間に合わなければ皆の武器が無い
もしものときのためにアレラーテのアンフィテアトルム(円形闘技場)の中の倉庫に入ってそれぞれ使えそうな物を漁ることにした
大きなアンフィテアトルムのため倉庫中には物がいっぱいだ
大盾もルクマーンとハーランド、ビョルカンの3人分あったし、ニゲルの四角い小盾、ハーランドの斧、ビョルカンとニゲルの槍も順当に揃った
無かったのはルクマーンのハンマーだ
大抵の物が柄が折れているか朽ちているしヘッドは錆びついており耐久性が心配になる程だ
「木槌じゃ物足りない、斧にするか」
「ルクマーンは斧も使えるのか?」
「いや初めてだ」
「じゃあ棍棒の方が良いんじゃないか?」
ルクマーンと共にハンマーを探していると横からハーランドが棍棒を取り出しルクマーンに渡した
所謂釘バットと呼ばれる物だ、形もまんまバットで鋲がスパイクのように打たれており鬼の金棒見たいな感じだ
「悪くない、寧ろ取り回しが良いかもしれないな」
「練習は必要そうだね」
「少しな、マツオはどうするんだ?」
「どうしようかな、これなんかいいかな」
見つけたのは鳶口だ
150センチほどの硬い木の棒の先に鳥の嘴見たいな引っ掛けが付いているものだ、用途としては建材に叩きつけて引っ掛けて引っ張って運んだり、延焼防止のため隣の家の壁や柱を安全な距離を保って引い倒したり、ドザえもんを引き上げたりする道具だ
「多分それ斧が朽ちて金具部分だけ残っただけだと思うぞ」
「そう言われると柄がそうだな」
柄を見ると僅かなS字カーブを描いていて柄の尻が少し太いし、鳶口の先が蜘蛛の巣状に錆が入っており触るとボロボロ崩れていく
「ダメだな」
「これはどうだ?」
ビョルカンが持ってきたのは穂先の無くなった槍、割り込みの入った6尺(180センチ)くらい棒だ
コンクリートの地面を叩くと『カン、カン』といい音がなるシナリの少ない硬い素材で太さも3センチくらいあり握りもいい
「いいね〜」
「穂先だけ格好として付けとく?」
ニゲルが持ってきたのは柄の木材が朽ちたフルタング(刃先から柄まで金属が入る物)のナイフ、刃渡り10センチに足りないくらいだ
穂先の割り込み部分に入れてみると1センチくらい空いている程度で巻きつける物があれば使えそうだ
そんな槍の話をしていると怪訝な顔でルクマーンが口を開いた
「マツオはいつの間に槍を使うようになったんだ?」
「元々は長物の方が基本で刀はこっちに来てから初めて本物を使ったんだ」
「は?あれで初めて?」
「木刀では練習したことあるけど実戦は無かったし、木刀自体も数ヶ月ぶり、相手ありで振ったのなんて10年以上前だしな〜
兄弟のなかでも弱い方だったから」
「…」
ルクマーンの口が開いたまま塞がらないし他の3人の口も半開きのまま動きを止めている
「仕方ないんだよ、7人兄弟で男5人の内の5番目なんだから負けるだろう?そんな可哀想な顔しないでよ」
「イヤイヤイヤイヤ、そこじゃないから!
ブランクが10年あってあんなに強いのかよ」
「上の兄はもっと強いぞ」
「そのお兄さんは今どこで?」
「国で人に教えてるんじゃないかな」
「マギステルなのか?」
「そんなもんだな、一手も入れたことないんだ
ローマに来てグラディアトルになって思い出したんだ、子供の頃になんとか追い付きたくてがむしゃらに棒を振っていた感じさ
今ならあの強さの一端にでも髪の毛の先なら触れられるんじゃないかって...」
昔の修行を思い返して考える
万に一つも勝てる気はしない
髪の毛に触れられる?入れたときには兄の棒が自分の首を貫いていそうな錯覚を見て鳥肌と脚の震えが出てきた
「思えんわ〜まだまだだ〜
棒の先を当てたときには自分が既に死んでるイメージしか浮かばない」
思い出しただけ、錯覚を見ただけなのに震えが止まらない
記憶の中の長兄の動きはまだまだ追えないし、自らを重ねてなぞることもまだ不十分だ
「マツオが震えるって、絶対会いたくないな」
「絶対に会うことはないから大丈夫」
「本当か?」
「絶対にない」
「なら良かった〜」
ニゲルは撫で肩が二等辺三角形になるくらい肩を下げて溜息を吐いた
ハーランドもビョルカンも強張っていた顔を和らげたがルクマーンだけは最後まで顔を顰めていた
その後革紐や煮皮(膠)を買って槍を補修、短いナイフを挿し込んで固定しておいた、抜けても棒として使うからなんの問題もない
マクシミヌスが武具を預かるところに申請を出して来たので全てを預けてアンフィテアトルムを出た
今日泊まるところは勿論ルドゥスで川を渡った対岸の建物だった
比較的新しい建物でキレイだ、水浴びもし放題だが川の水はそのまんまでは飲めないほど濁っているため支流の方まで行かなければダメなんだそうだ
そんなところで数日間だけお世話になりながらルクマーンに請われ武術の重心移動と回旋は腰より股関節の力が出易いこと、体の入替え操作等の基礎を教え込んだ
なんだか只でさえ強いルクマーンに手の内を明かし、且つ教えることで動きを洗練していくなんてもう勝てる気がしないんだが…
そんな数日を過ごした後、ハルゲニスの居ない中で開会式を迎えることになった




