敗残兵、剣闘士になる 060 乗馬の英雄
荷物を置いて練習場に走りたいところだが早足で歩いていく、馬を刺激しない為だ
おそらくマギステル(教練士)さんであろう腕組みをしている人に声を掛けてみた
この地に来て始めての黒髪直毛の角刈りさん、身長は170くらいで細いが腕と腿はごっつい太さがある
「訓練中すみません、本日お世話になっているハルゲニスファミリアのグラディアトルのマツオと申します」
「何だ?」
彫りの深い顔から見下ろす睨みが心臓に痛い
「マクシミヌスから馬の調教中だろうと伺いまして、見させていただきたいのと出来れば馬に乗れるようになりたいなと思っていまして図々しいお願いですが基礎から教えていただけないでしょうか!」
眼光の鋭さからなんとなく土下座してしまった
多分だけどこの人めちゃくちゃ強いと思う、顔からして
「ああ、いいぞ」
「…え?良いんですか?」
ビックリして顔を上げたら首痛めそうな角度で見下されていた
「今なんとか乗ってる馬な、まだ拾ってきたばかりで馬の調整も出来ていない暴れ馬なんだ
乗り手も少なくてな乗ってくれればありがたい
あんなんで良ければ是非とも乗ってくれ、ただし落馬して怪我しても踏まれて蹴られて死んでも知らんぞ」
恐ろしや〜だが言ってしまった手前引くわけにもいかない
「はい、基礎からお願いします」
「まずはアレに乗ってこい」
指の先には首から先が動く本当の木馬があり3人が交代で練習しているのが見える、見えるが皆青アザや骨折したのか腕を吊っているのもいる
物凄い不安になってきた
「い、行ってきます」
「おう」
木馬の方にもちゃんとドクトレ(訓練士)がいる、ちょっと細身で如何にも騎手という感じだ
「本日お世話になっているハルゲニスファミリアのグラディアトル、マツオです
基礎から教えていただいて暴れ馬なら乗っていいという御指示を頂きました、お願いします」
「そうか、なら早速それに乗ってくれ」
「はい!」
直前に乗っていた青アザのあるグラディアトルと身長は変わらない
しかし!ここで今まで見て、感じて、目を逸らしていた認めたくない現実に直面した
認めざるを得ないことだが認めたくないと心は反発している…でもこれじゃあダメなんだ!頑張れマツオ!
「足が届きません!どうしたら宜しいでしょうか!?」
鐙に足を掛けようとしても片方だけしか掛からず鞍に腰を下ろせば爪先すら着かないプラップラだ、、、、、泣きたい
「一度降りて紐を締め直せ」
「はい!」
さっさと降りて鐙の高さ整える革紐を調整する
腰を据えて乗るよりも競馬場で見たような前屈みの格好いい乗り方がいい(当時の日本は半モンキーという騎乗スタイルでした、現代の競馬レース後のウイニングランのときのような少し上半身を起こした乗り方です)
20センチくらい鐙の位置を上げる、ボソッとそんなに足が短いのかと揶揄する声が聞こえる
ええ!短いですとも!
視線と呟きに耐えながら再び乗って鐙に足をかけて鞍に座ると便所(和式トイレ)のウンチングスタイルのようだ
腰を鞍から上げ膝下で鞍を挟むように中腰になりきっちりと絞って手綱を掴む
木馬の頭は太い木の幹を吊ってあるだけの赤ベコ状態だ
「乗れたな?じゃあ最初はこの頭を上下させるからしっかり掴まって乗ってろよ、姿勢整えろよ!いくぞ」
ドクトレは木馬の頭をリズムよく上下させる
頭が下がる時には腕で押すように頭が上がるときには手綱を引いてアシストする
重心はしっかりと足と下腿で木馬の上で安定させるように意識だ、流石に木馬の胴体が揺れないので自分が安定すれば問題ない
「今度は曲がる時だ右の綱を引けば右へ左を引けば左へ行く、やってみろ」
ドクトレが木馬の頭を右へ傾ける体幹の正中は保ったまま右足方向へ上半身を平行移動させるような格好で重心移動、反対側の下腿はしっかり押し付けて自分を安定させるのと重心のかかる方向を伝えるように意識してみる、重心移動が右へゆっくりとかかるため自然と手綱は右が強くなり右へ向いた
左も同様にやれた
「本当初めてか?上手いぞ!最後は止まるときだ
手綱を後ろに引くんだ」
「はい!」
綱を引こうと思い重心を後ろへ引いてしまったらドクトレの操作で首が下がる瞬間に引っ張られて落馬しそうになってしまった、なんとなく引く方向が分かったぞ
「すみません!もう一度お願いします」
「いいぞ!どんどんやれ!」
「はい!ありがとうございます」
今度はしっかりと膝を曲げて重心を下ろし下へ手綱を下げ引くようにすると首を下げられても馬の顎を引く格好になり動きを制御できた
「そのまま綱を引いておいて馬が止まったら降りれば良いんだ
陸でやるのはこの辺までだあとは日が落ちるまで実践行って来い」
「はい!」
ドクトレから送り出されマギステルの元に戻った
「もう良いのか?」
「はい!実践行って来いと言われました」
「はぁ?」
マギステルが少し離れたドクトレにガンを飛ばすと引き攣った顔で繰り返し頭を下げていた
「ちっ、じゃあ乗ってみろ死んでも知らねえぞ
おい!降りていいぞ!コイツを乗せてやれ」
「はい!」
小柄なグラディアトルがゆっくりと馬を御して止まり鞍から降りた
馬はサラブレッドよりも一回り小さいが蹄は大きく輓馬を小さくしたような品種だ
色は赤茶けた艶のある長い毛、少しウェーブの掛かったような長い鬣が格好いい
鐙の位置を変更している最中も不機嫌で口に食ませた手綱を何度も引っ張って逃げようとしている
先程と同じように鐙は短めに締め直して暴れが落ち着いた瞬間に鐙に足をかけて上に乗った、すかさず手綱を取り頭を引かせて落ち着けようとするが前足を振り上げ立ち上がってしまった
「ブッフルルル」
馬は顔を右に向け白目を剥いてこちらを見た
何故かコチラに「挨拶しろや!」と恫喝したようなそんな感じがした
「分かったよ、一度降ります!」
前脚が降りたところで下馬し顔の方に回った
先程の騎手が手綱を取ってくれたが宥めても全く言うことを聞かず、相変わらず白目を剥いて前脚で蹴るかのような威嚇を続けている
3歩分くらい離れて正面を向き、足を肩幅に開いて向き直る
息を吐いて集中を正面の馬に向ける
しっかり息を吸い込んだが大声を出す訳ではなく声に力を乗せるように日本語で挨拶する
「サンーアから来たマツオだ
今日は宜しくお願いします、押忍!」
腕を前でクロスさせてから肘を引いて体の前面に気合という名の筋緊張を高めて視線を合わせる
「ブルルル、フーフーフー」
暴れはしなくなったがまだ興奮が納まらない
ゆっくりと距離を詰めて首を優しく抱きしめる、決して強くなく布団を優しく包み込むように面と面を合わせるようにだ
段々と興奮が落ち着いて来たように思う、首にギュッと掛けていた力が段々と抜けてきたのだ
しっかり力が抜けて顔が下がってきた
「背中に乗せてもらうぞ」
「ブルフフフ」
返事をしたような気がした、首をゆっくりと離れると前脚の前蹴りが飛んでくる気配がして馬の左側へ体を反しながら避けた
歯茎を剥き出しにして挑戦的な表情をしている
全然興奮が収まってなかった
なんとか手綱を取り鞍を掴んで飛び乗り足を鐙にかける
今度は最初から体勢を決めふくらはぎでしっかりと背中を挟み込み中腰で安定した姿勢を取った
それが分かったのかタイミングが良かったのか足が擦りそうなほど壁に近付いて突然に全力疾走し始めた
振り落とされないように先ずは重心を落とし膝で上下動を吸収し曲がるときには頭と首の動きに合わせて重心を移動させる
数回ルドゥスを周回すると段々勝手が分かったきた
今度は頭と首の上下をアシストし押し引きしながら一体となるようにこちらから働きかける
するとどうだ、ドンドン速度を上げていくではないか
「(かなり怖い)」
内心である
ただ馬の方のストレスをまだ感じる、走るのが楽しい、そんな感じだ
日が落ちそうな赤から藍に変わる時間、体感では1時間以上全力で走っていたような覚えがする
何周走ったか分からないが馬の首も背中も汗をかき毛の輝きが増したような感じがする
最後の1周の間は息を切らしながら流すように走り、マギステルのいる場所に戻ってきた
「ブルルルッ」
馬はマギステルの眼光に傅く(かしずく)ように腕を組む角刈りヤクザの前に止まり頭を垂れた
それに合わせて馬から降りて自然と膝を着いてオデコを地面に擦り付けた
「御迷惑おかけしまして大変申し訳ございませんでしたー!」
全力疾走あとの全力土下座だ、土下座の格好が腿も腰楽な感じがする、立てないかもしれない
「バッカモーン!と言いたい所だが初めてで良く落ちずに乗ったな、合格!
あの疾走は誰にも止められないんだ、今までも何回かやっちまってるけどあんなに気持ちよさそうに走っているのは初めてだった、礼を言う
あとは汗を流して休め、テルマエもあるからな」
「ああ、ありがとうございました」
なんとか立ち上がり、フラフラの足で編んで作った垢すりを持って風呂に行くと「リズカーレ!」と皆に背や肩を叩かれ、掴まれて連行されて夕食まで囲ませて貰ってちょっとした英雄気分だった
部屋に戻ったあとに皆に尋問されなかなか寝かせて貰えなかったが良い気分で1日を終えられた




