敗残兵、剣闘士になる 058 道中
出発の前日、大麦の藁を軽く煮て乾かし水でふやかしておいたひよこ豆を茹でて柔らかくし藁に包んで壺に入れて火の近くだが熱くなりすぎないところに置いておいた
昼飯用に大麦の塩おにぎりをなんかの葉っぱに包んで受け取り藁に包んだ芳醇な香りを放つ豆を持って出発した
荷物は少ない、狩りで取った獲物の膀胱で作った水筒、下着とアカスリ用の手ぬぐい(ボロ布を編んだ自家製)、毛布替わりのコートと鹿革、着流しも持っていく、あとはテントというか雨避けの布だけだ
それにおにぎりと香り放つ豆が加わっている
歩き始めて数分でマクシミヌスに声をかけられた
「マツオはウンコでも漏らしたのか?」
「漏らしてないが何かあったが?」
「腐ったような臭いがする、マツオの後ろを歩くと分かる」
ルクマーンを先頭にニゲル、ハーランド、ビョルカン、自分、マクシミヌスと並んで歩いていた
「なんの臭いだろうな、臭いが出るというと豆くらいなもんだが昼に食うぞ?」
藁に包んだ豆をマクシミヌスに差し出すと鼻をつまんで横に飛んだ
「そんな腐ったような豆食えん、早めに捨てていけ」
「食えば分かる、旨いぞ〜」
「マツオは最後尾に回れ!いいな?」
「はいはい」
11月の寒空の薄暗い時間に出発するときはまだ太陽は出ておらず寒い風が吹き付けていた
そこからほんの1時間程で太陽が出てくると遮るものがなく直射日光が低い癖にこれでもか!と背中を照らし続ける
「暑いな」
誰かが言った、聞きたくなかった一言だ
「ああ!コートなど羽織って居られん」
マクシミヌスがボソボソと漏らしコートを脱ぎ始めると皆も脱ぎ始める、ハーランドだけは最初から上裸のままで「軟弱者め!」と言いたげな表情をしていた
着替え中に豆が臭うのかエッヂの効いた睨みを皆から受けたときは本当に殺されるような殺気が臭いとともに漂っていた
移動再開して数時間、徐々にマクシミヌスが遅れてきた、前を見るとルクマーンも何だか疲れていそうな雰囲気だ
他の3人はひたすら砂浜を重心を傾けるだけの歩行練習をしていたので全く疲れの表情は見えない
「皆休もう」
ルクマーンから声が掛かった
まだマイルストーン10本程度しか見ていない、到達目標の3分の1程度ではまだまだ先は長い
「分かった」
ビョルカンからマクシミヌスまで20メートル以上は開いていたように思う、追い付いてから一緒に休憩するがマクシミヌスの水の減りが早い
「何でお前らそんなに疲れてなさそうなんだ?」
マクシミヌスがなんの疲れも見せないニゲル達に息を切らしながらも声をかけ、ハーランドが答えた
「マツオに散々になるまで砂の上歩かされたからな」
「そういうトレーニングなん(なの)だから仕方ない、おかげで無駄な疲れは無いだろう?」
「確かに全くないな、道がいいこともあるが足が疲れない、こんなに歩いているのに不思議だ」
「訓練が身に付いている証拠だ」
「俺にも教えてくれ、この疲れじゃ闘技会に間に合わない」
ルクマーンが話に入ってきた
「良いよ、ハーランドに教えてもらって」
「あ?俺でいいのか?」
「ハーランドが一番悩んでたから教えるのには丁度いいと思うよ」
「じゃあマクシミヌス大先生も一緒にどうだ?」
「ちっ!やるよ!やるやる」
重い腰を上げてハーランドに教えを請う、マクシミヌスは何回か砂浜で見ているし試してもいるが身に付くほどしていない
最初は無駄な力が股関節に入ってしまい疲れやすいが動きに体が慣れてくるとこれ程疲れない動きは少ない
「ん?ああ、こうか、そうか、習熟に少し時間が必要だな」
ルクマーンが早くも感覚を掴んだらしい
踏み込まず体を前に倒した重心を足で越えていくだけのことだ、足の重心も前に傾けるのがコツであり骨の重心捉える練習になる
全体であり個別でもあるのが人間の体だ、如何に無理な動きをしないようにするかだ
「なんとなく出来ているときがあるような…ないような…?疲れてる体だからいいのか?」
マクシミヌスも含めて随分と前に進んでいる
歩きの重心移動も出来ていることがあるらしい
「そのまま進もう!マツオ、マクシミヌスの荷物を頼む」
「あいよ!」
ハーランドが仕切り始めた、が確かにマクシミヌスも動きがいいそのまま止めるのは勿体無い
ルクマーンとマクシミヌスの荷物をニゲルとビョルカンとで手分けして抱えて進む、結構な距離が開いているが急いで行かなくても2人の動きも無駄がなく荷物を背負っていても大きく変わらない、いつもの歩きでも十分に追いつける
中天に至る頃、小高い丘の上から遠くに見える街を眺めながら昼ご飯を食べることにした
パッサパサの大麦ご飯を無理やり固めたオニギリ
「こんなんじゃ物足りないんだ!
これを食べないか?美味いんだぞ?」
「マツオの飯は美味いがそれはちょっとな」
「俺もだ」
「…」
マクシミヌスとニゲルはかなり嫌がっているがルクマーンはチラチラとこちらを見ているしハーランドとビョルカンはと言うと
「マツオ、独り占めはしないよな?」
「俺にも食わせろよ」
ノリノリだった
大麦藁に巻いたひよこ豆はいい具合に糸を引き濃厚な香りを放つ納豆になっていた
藁の中で塩と混ぜ合わせて一包分ずつ渡した
「こんなに食べていいのか?」
「食っちまうぞ?」
「良いよ、明日には食べられるか分からないし」
「マツオ、俺にも」
ルクマーンがおずおずと声を出した
「ぉお!ルクマーンもどうぞ」
初ひよこ豆納豆だが結構な糸を引いており十分に菌が回っている状態で美味そうだ、醤油でないことが残念ではあるが通は塩で食べる人もいるそうだから美味しいのだろう
「んわ〜、臭え!たまらねえなぁ」
「ズレより臭いな!」
「ズレってなんだ?」
「大麦を水に漬けて発酵させたものさ、スープにすると少しトロミがついて甘くてちょっと酸っぱくて臭いんだ」
「うちのは臭かったぜ〜!」
「食べてみたいな〜」
「すまん、作ったことは無いんだ
あれは母の味だからな」
「そうか、残念だな」
「俺達も残念だ、残念だがこれは臭くて美味いなー!もっと作ってくれよな!」
「おう」
麦味噌みたいに食べられるかと思ったけどダメだった、だが諦めてたまるものか!味噌が欲しいんじゃ!
息を吐くごとに納豆の臭いを撒き散らすためマクシミヌスを先頭にニゲル、ビョルカン、自分ハーランド、ルクマーンという順番に替わって歩き始めた
「今日はどこまで行くんだ?」
ニゲルがマクシミヌスに聞いた
「アルビンガウヌム(現アルベンガ)だ、さっき見えていただろう?海岸沿いの連なった丘の上の街で今日は早めに宿を取る
明日は40マイル近く歩くからしっかり休むんだ」
「「「はい」」」
今思うとなぜルクマーンが歩かされているんだろうか?マシュアルを歩かせた方が良さそうなんだが何かハルゲニスに思惑があるような気がしてならないが考えても分からず早めに諦めて頭の片隅に仕舞い、そして忘れた
アルビンガウヌムは海岸はあるが海岸沿いには漁船あるのみで家は少しあがった丘の上にあった
マクシミヌスが宿ではなく村で空き家を借りてきたので今日はそこで寝泊まりとなる
白い壁でオレンジ色の屋根の空き家、中を掃除してから使う
食事は買い出しして自分たちで料理だ
茶色い大きな硬いパンとクズ野菜を購入、マクシミヌスが持ってきてくれていた小さい鍋にこっそり忍ばせてきた塩っぱい干し肉で出汁を取って野菜スープを作りパンを浸して食べた
久し振りに食べたパンは茶色く酸っぱいものだったが甘みもあり満たされすぐ眠りについた
朝は流石に海岸沿い、市場には鮮魚も多く果物も各種揃う
ナッツ類とレモン、オレンジ、ブドウ、大きなカツオみたいなのを三枚におろしてもらって購入、大麦の藁を購入して戻った
「さて、炙るか」
刺し身でも行けそうな脂が乗ったイイ赤みの魚だ
塩を振り臭みを取り半身は藁で軽く炙ったタタキを摘みながらパンを食べ茹でたクズ菜っ葉を噛んで白湯で流し込む
もう半分の魚は残りの藁で表面が焦げるまで焼いてぶら下げて持っていく
パンはまだ3分の1残してあるし果物も持った
川で水を汲んで沸かしてあるものを少量の塩とともに皆の水筒に入れて出発だ
「目標はセイントレムス(現サンレモ)だ、到着は夕方になるだろうが頑張って歩くぞ」
「「「おう」」」
1日目は約40キロ少々だが2日目は50キロを超え且つ海岸線ながらも起伏の激しい道が続く
1つ2つと穀倉地帯の村を通り過ぎ3つ目はインペロという川の河口に出来た小さい街だった
その街の外れで腰を下ろして昼飯だ
魚の炭化した表面を削り落としてスライスすると薄ピンクに中までギリギリ火が通ったくらいのわずかに生の食感を残す最高の状態、ニゲルの取ってきた香草を散らし直搾りレモン汁と塩で舌鼓をうった
歩いている最中はブドウとナッツで栄養補給と糖分と水分を補給、水を飲んで塩分も補給しており体調は万全だ
「マツオがいるだけでこんなにも旅が違うとはな」
「ルクマーン、改まってどうした?」
「2年前の同じ時期にもここを歩いたのさ、その時はマクシミヌスも居なくてな
もう居なくなった先輩グラディアトルも一緒だったが誰も食事と寝床の管理をしなかったしなにより歩くだけでも精一杯だったんだ
アレラーテのちょっと先のネマウススに着いた時には体は痩せて力は出ない、歩き疲れて足も動かない最悪な状態だった
勿論仕合には負けたし一緒に歩いてきた7人の中で生き残ったのは若かった俺だけだ
それが今回はどうだ?マツオが食事を管理してマクシミヌスが寝床もしっかりとってくれている、歩くにも技術を教わり脚だけが疲れるなんてことも無い
まだ2日目だがこれは素晴らしい、体の使い方の訓練にもなっている、到着したらもっと強くなっているんじゃないだろうか」
「多分なるだろうな、ただ傍から見ていると地味な動きになるぞ〜コイツら強くなってるけど見てても全然面白くねえんだわ」
「マクシミヌス、まずは生きるところからだ
死んだらそれまでだ、強いことは結構なことじゃないか!」
「そうだな、よし!しんみりしたが進むぞ」
「「「あい!」」」
海塩を少々補充して街を出発、相変わらず起伏の激しい道が続くが石畳が延々と続いており崩れていたり穴の空いているような場所も無い
途中、波飛沫が上がっている場所もあったが水捌けがとても良く道が濡れたままには絶対にならない、なんと素晴らしい舗装技術だろう
そんなことを考えながら一行はアレラーテに向けて話をしながら進んでいった




