敗残兵、剣闘士になる 042 鬼の目
グラウクスと話すこと数時間、セバロスの目が覚めた
「ここは?」
ほとんど声になっていないカスレ声だ、首の創部が腫れて圧迫しているんだろう
ちなみに切れた頸動脈の近くに糸を束ねたまま血抜きの管として挿したままにしてある
「おー起きたな、良かった〜
ここは治療所だぞ」
グラウクスが半笑いで顔を上から覗かせて答えた
「首痛え、そうだ切られたんだ、負けたのか」
「負けた、死んだんだよ」
「生きてるが?」
「今はな、マツオが生かしたんだよ」
「あ?」
グラウクスの言葉でセバロスは周囲を見渡し自分と目があった
「一回心臓止まったのは本当、今生きてるのも本当、なんとか生きてるくらいだ
ちなみにこれから死んでもおかしくないぞ」
「おう、体はどうせ動かねえから」
「手足動かせるか感覚あるか?」
「手足は動くし感覚もある、怠いばっかりだ」
「意識は戻っても歩けないとは思っていたがやっぱりだな、あとは帰りどうやって運ぶかか」
「ハルゲニスと相談だな」
身長こそそれほど無いが体重はかなりある、大八車に乗せていくしかないかな
そんな会話をしていると、歓声が一際大きくなり1個室での会話が聞こえなくなる程の大歓声が上がった
オニシフォロスの出番だ
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オニシフォロスは剣闘士だが自由民である
会場入りも金色の槍と金色の円盾を持っての入場だ
黒髪オールバック、赤茶けた肌、眉まで整えてあり、彫りの深い二重瞼で鼻が高く下唇と白い齒が特徴的な色男だ
180センチと長身で逆三角形の上半身、黒い短パンから出ている大腿は筋肉のスジが見えるほどに脂肪が少ない
金色の円盾は青銅半分内張り一部に革、穂先30センチ柄2メートルの槍、右腕のマニカはあまり光沢の無い黒、両足に金色のグリーヴ、兜は今日は被っておらず持ってもいない
大声援に答えるように手を振りながら中央へ向かう
反対側からはプロウォーカトル、横一本線のスリットが入った銀のフリフェイスマスクで耳の上あたりに青い鳥の羽根が着いている
左スネに青いオクレアと、右腕には肩から手首までの青いマニカ、四角い大盾も青銅製の特徴的な輝くような薄い青色、少し長めのグラディウスを持って登場だ
両者とも名の知れた強者のためか会場は大盛り上がり、さらにオニシフォロスが素顔のままという挑発とも取れる行為に今まで兜で隠されていた素顔が露わとなり上段からの黄色い悲鳴が上がった
その上段に向かって微笑むと更に悲鳴のような声が聞こえ下段の男共からは軽いブーイングが飛び始める
相手のプロウォーカトルは肩を振りながら自分大きく見せようと歩いてくるがオニシフォロスへの悲鳴とブーイング以外には聞こえてこないことに早くも苛立ちを隠せないようだ
「中央へ」
審判の掛け声とともに顔が見える距離まで来る
「互いに命懸けだが二人共客席を沸かせる人気者でもある、助命を嘆願したら間違えても止めを刺さないように、いいね?」
二人共頷いて見せるが、互いにヤル気満々で審判の顔は痙攣するほどに右頬が引き攣っている
観念した審判は木の棒を高く掲げ顔を左右、主催者と目を配り振り下ろした
「始め!」
オニシフォロスは距離が開いているのでまだ構えない
相手がジリジリと大盾をスライドさせるようにしながら近づいて来るのをのんびり待っている、が若干イライラもしている
ディニトリアスが新たに作った槍の刺した感触を味わいたい
チロの二人は木の盾だがそれをチーズよりも容易く斬った、イフラースの剣も波のような刃文の剣で骨を首を抵抗なく切ったという
このハスタ(槍)ならどうなるのか
オニシフォロスは登場の時からずっと楽しみで仕方なかったのだ
間合いに入る手前でオニシフォロスも盾を前に少し身を屈めて槍を隠すように構える
特徴的には体の捻じれが殆ど入っておらず腋を締めたコンパクトなスタイルであること、脂肪が少ないことで上裸の背筋や腿の筋肉の躍動が観客から目に見えて分かることだ
お互いの武器の方に回り込むように動きながら攻撃の一手を探る
動く度にオニシフォロスが背中を向けたほうの観客から黄色い悲鳴が上がる
敵はボクシングのジャブのようにオニシフォロスの盾を少し外して顔を狙って抉るように突きを出してくるがオニシフォロスは盾を最小限に動かし、いなし、捌く
細かい突きが繰り出されるタイミングを測り相手の盾の真ん中を少し外したところにオニシフォロスがカウンターの突きを打った
『ギィイィィィィン!』
金属同士が擦れ合う嫌な音が聞こえる
敵は咄嗟の判断で盾で槍を防いだ
ただオニシフォロスは菱形の穂先の半分まで盾を貫通し腕を切りつけた確かな感触を得ており、少しだけ右の口角を上げた
腕を切られている敵は歴戦の闘士、怪我を全く感じさせない動きを持続させている
観客は盾を突いた程度しか見えておらず、よく反応したことで盛り上がる
盾を持つ力が心許ないのか相手は積極的に左右へと回り込む足捌きと横薙ぎのフェイントを織り交ぜた動きに変えてきた
オニシフォロスは難なく対応し余裕を持って動きについていき槍を出す
流石に真っ直ぐ盾では受けてはくれずに盾で払われたりグラディウスで叩き落とされそうになるがグラディウスで払われる時だけオニシフォロスは槍可愛さからか引っ込めた
違和感からか相手も気付き槍を攻撃し始めた
槍の穂先を守るために槍を引っ込めて大盾を蹴たぐったり盾で剣を払ってみたりするも執拗に槍を狙われオニシフォロスも嫌気が差してきた
オニシフォロスは相手の大盾を蹴り踏み込んで後方に跳び少し距離を取って構え直す
遊ぶような雰囲気はもうない、敵の体の動き全てを視界に入れて反応速度を上げるために体の力を抜いた
マスクの横一本線の中から相手の息遣いまで視えるくらいの集中だが一箇所への集中ではなく、一挙手一投足全てを視る
ジリジリと槍が相手の体に届く間合いに近付く、相手も勿論大盾を前に出しながらも身構える
グラディウスの剣先が微妙に上がる予備動作が見えたときにオニシフォロスは盾を軽く振って牽制、目の動きが盾に移った瞬間を狙って槍を突き出した
槍の速度は体の反応を超える速度、穂先の滑り込む先は一度半分だけ通した盾の穴
先と全く同じ角度で侵入し穴を拡げて腕を掠め左胸に刺さったが肋骨で止めて相手の降伏促すように目を合わせた
『ギリィ、ゴンッ』
プロウォーカトルは槍が抜けた盾を下ろして左手を挙げた
何が起きたのかよく分かっていない観客にオニシフォロスは槍を置き、大盾を持ち上げつつ歩いて回り貫いてあけた穴を見せつけた
軽く一周回ったあとに盾を投げて両手を上げるとざわつきから一転、大歓声と拍手に変わった
相手は白いハンカチが振られて助命が成立し治療所に運ばれ、オニシフォロスは月桂冠を被り場内を練り歩いて退場した
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左腕と左の乳頭横を刺された厳つい顔のおじさんが歩いて入って来た
アラブ系、面長で緩フワカーブの長髪、目は細い、筋肉の付きが良く脂肪も柔らかい
傷があっても重心位置を保てており表情にも出てこない
この人は十分強いはずだ
「すまん、よろしく頼む」
「はい、まず洗って損傷具合を見ますね」
「ああ」
セバロスは地面に下ろされておりベッドには今来たばかりのグラディアトルが腰掛けている
もう他のメディケは出払い、残っているのが自分1人だけだったらしい
左の乳頭横は刺創のみで深くはないため髪で二針縫って軟膏処置
肘から下、前腕背側(肘から下の手の甲の側)にど真ん中に刺創とその少し上に切創がある
切創は浅く、筋肉にも少し入っているが処置は不要そう、髪で一針入れて終わり
問題は刺創だ
穴は深く指伸筋(指を伸ばす筋肉)の半断裂、骨間膜(二本の骨の間の膜)の一部破損、もしかしたら手の平側まで貫いて指を握る筋肉も損傷しているかもしれない
「指握れますか?」
「力を入れる分には問題ない」
「伸ばす筋肉は半分切れてます、中指伸びにくいかもしれないですね」
「確かに中指伸びにくいな」
「大丈夫そうですけど縫っておきます」
「頼む」
筋肉は筋線維は縫わず筋内腱(例:鳥のササミについてくる白いヤツ)を単純な端端縫合で押さえた、切れても大丈夫なように切れていない腱に寄せるように8の字に寄せるように縫い付け皮膚も同じく縫縮して終了だ
終始痛み止めなく縫われ我慢はしていたようだが無理に力を入れずに我慢してくれた、我慢強さに脱帽だ
「終わりました、なるべく20日間くらいは力を入れて盾を持たないほうが後の調子がいいと思います
皮膚を縫った髪は7日経ったら抜いてください」
「分かった、腕のいいメディケはどこのファミリアだ?」
「ハルゲニスだ」
「またか、オニシフォロスにお目溢しを貰ったのにグラディアトルの命を繋いで貰うとはな
今日は散々な一日だった、ありがとうよ」
そう言って出ていったと裏腹にその背中は少し嬉しそうに見えた
「さて、セバロス運ばれてくれ」
「まだ苦しいぞ」
「無理だ、帰るぞ」
「仕方ねえ」
格子戸の上に藁とシーツを巻いた簡易のベッドを衛兵に用意して貰ってセバロスを乗せグラウクスと二人でヒイヒイ言いながら闘技場から連れ出し宿舎へ帰った
数時間後に帰舎したハルゲニスが横たわるセバロスを見つけて膝をついて目を閉じ祈りを捧げていたが目を開けたときセバロスと目が合い卒倒した
ハルゲニスを看病し始めると日が暮れ眠りについたようなのでカスタノスとカヒームの寝る横でで眠りについた




