敗残兵、剣闘士になる 040 死に体
午前の熊さんがあっけなく終わり、オココの足の治療も巻き締めてあった包帯のおかげで大した治療も要らず洗って包帯を巻き直して終了した
まだ歩きにくそうだが腐らなければ大丈夫だろう
時間が余ったとのことでパエグニアリウス(前座闘士)の試合が行われた
クッションというか襦袢でグルグル巻きにされた剣闘士が木剣で叩き合うのだが、最低限のルールの説明も一緒に行われる
・背中を向けて走って逃げてはいけない
・観客席に登ってはいけない、登ってきたときには蹴ったり押したりして落として良い
・ミッスス(助命)を嘆願した場合、結果が出るまで殺してはいけない
・剣闘士同士で談合してはいけない(分からないようにやるのは良い)
・悪口は言ってはいけない
・裏取引が発覚した場合、素っ裸で罪人として処刑される
これが意外に面白いらしく治療所にまで笑い声が聞こえていた
まるで相撲の巡業で行う反則行為をお披露目する余興みたいな感じなのだろう
ちなみに金的は有りっちゃぁ有り、でも男としてどうなのよ?という倫理的なところで暗黙の了解なのだそうだ
女性の剣闘士では乳房を始めから露出していたりするのは有りらしいがこれも暗黙の了解で皆やらないのだそうだ
と、そんなこんなで午後になりマリディアーンの闘いが始まった
最終日だけあって会場の熱気も一層強くなっているらしく声が飛び交っている
1回戦、2回戦ともに自分のところに患者は運ばれてこず、3回戦になってしまった
「セバロス頑張れぇ!」
頑張れと言いながらも治療用具を煮沸消毒して待っているのはなんだか申し訳ない
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セバロスは緊張している
びっくりするほど体がカチンコチンだ
真ん中の足は体の中に逃げ込んでしまったらしくほぼ無いくらい縮み上がってしまっている
最初の木剣と木槍での叩き合いもほとんど動けず、直撃こそ無いものの体が腫れ上がるほど木剣で叩かれたが痛みは感じていない
「心臓が胸から飛び出てきそうだ」
一度下がってから武器の切れ味確認だ
セバロスが選んだのは昔々にマクシミヌスが使っていた長槍がなんかの拍子に折れてしまって短くなった槍だ
長さは150センチ程度、身長より5センチ程度短いくらいの取り回しの良い長さの槍、マクシミヌスが大事に保管していたらしく穂先も研いであり接合部の締め付けも良い
試し切りでも木の板に抵抗少なく穴が開けられるほど使われている素材も作った人間の腕も良い業物だ
盾は倉庫で見つけた拾い物、朱の塗装が剥げて地が見える程だが十分に使えるレベルの物、兜は買えず練習で使っている木の仮面、槍は借り物だ
当然観客からはクスクスと笑いが溢れる
「だってお金がないんだから仕方ないじゃないか」
俯いて誰にも聞こえないように小さくグチる
これでも一応セクトール(追撃闘士)という分類に入り技術的にも魅せる闘いをしなければならない
相手はトゥラクス、兜は安物で顔が丸見え鼻当てもない
盾は小さい四角で赤塗、剣は磨きたてのキンキラキン、右のマニカこそ襦袢の巻き付けだが両足のオクレアも含め統一感がある
「いいとこのファミリアか、ぶっ殺してやる」
緊張でガチガチだった体が嘘のように軽くなるが怒りでトンネルヴィジョンになっている、兜(仮面?)も小さい穴しか空いてないので仕方ないけど
「始め!」
セバロスが槍を持つのはカッコよさからではなく実用的だからだ
まずリーチが長いこと、2つ目に刺すことに特化しているため振り回さなくてもよく、3つ目に盾を開かなくても攻撃できるという点が一番のメリットだと言える
剣を突きだすときには盾を少し外にずらすか意図的に少し開かないと短いリーチでは相手の体に届かない
槍であれば盾はそのまま下からも上からも突き出せてジワジワ攻撃を重ねていける、ただしダメージは小さい
日本なら両手で槍を持つため高威力で当たれば即死に近いダメージを与えられるだろうが、剣闘士の使う片手槍ではそこまでの威力は出ないし巧みに角度を微調整して振るえば威力も自ずと落ちる
ただ、地味なダメージの蓄積は疲労を増加させ動きを鈍らせることに繋がるのだ
セバロスは地味な足への攻撃が大好きだ、盾の下から相手の左足をチクチク刺すのだ
木槍でも地味に痛いのに刃物ならどんなに痛いことか
セバロスのゲスな爪先チクチクで一度左の親趾を傷付けられた敵は踏み込みが甘くなり少し距離が開いてしまう
小柄なセバロス盾に隠れてジワジワ距離を詰めてくると、相手は回りながら少しずつ下がっていってしまうのも仕方ない
「闘え!」
審判が細い木の棒でトゥラクスを叩く
ピシッと背中を叩かれるとのけ反るくらい痛い
仕方なく半歩足を出した瞬間に狙っていたセバロスのゲスな一突きが同じ左足の親趾と人差し趾の間に滑り込んで間の水かき部分を深く抉った
「ウギィ!」
趾の間にある足底神経まで刺さったらしく趾を踏ん張ると痛みが走る
セバロスは相手が踏み込めないことをいいことに盾で防がれようとも構わず大盾を横振りして叩いて見たり、槍を振って叩いて見たり、突いてみたりと猛攻を仕掛ける
『ガン!ゴ!ガンガン!ゴインッ!』
「あああああ!りゃりゃりゃりゃ!」
…工夫のない力だけで振り回す武器は意外と捌けてしまい、相手は徐々に冷静に反撃の機会を窺い始める
そんなことを知らないセバロスは力任せに槍も大盾も振り続ける
隙の見えるタイミングを測り始めたトゥラクスは大盾のぶん回しを上体を反らして避け、槍は右手のシーカで叩いて弾き右足を踏み込んでセバロスの顔目掛けて左の盾をストレートに叩き込んだ
『バカッ』
コーティングされたベースが木の盾と木の仮面がぶつかり情けない音が響き、仮面が割れた
衝撃で目を回すセバロスは盾も剣も上がりきらない、そこを攻めないわけがない
シーカが勢いよく首を薙ぎ左側から血が噴き出した
ほぼ失神同然で仰向けに倒れたセバロスだが意識的か無意識か右手は首を上から押さえていた
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「セバロス大丈夫かな〜」
マツオの貧乏揺すりが止まらない、貧乏だったので誰も止めなかった貧乏揺すりはまるでアスリートが自転車を漕ぐようだ
「マツオ!助けてくれ!」
最初一声はグラウクスだった
「どう…セバロス!台へ寝かせてくれ、おい!生きてるか!」
グラウクスの声とともに治療部屋の入り口を見るとグラウクスが泣きそうな顔でセバロスの首を押さえながら二人の兵士がセバロスの手足を持って運んできた
「敵に首を切られた、肉があったから深いが動脈の傷は浅いと思う」
「わかった、すぐ治療しよう」
台へ横たえられたセバロスの手足をベッドから下ろす、少しでも出血量を減らすためだ
普通なら輸血がいる状況で出来ないなら精一杯血を温存してギリギリを保つしかない
「先ずは傷の確認、左の“頸動脈”の縫合から開始する、傷を見るからグラウクスが塩水かけてくれ」
「分かった」
指で左頸動脈の創の上下を圧迫しながら洗浄して傷を見る
「頸動脈に2センチの創あり、絹糸で縫合する
押さえる手を変わってくれ」
「おう」
切られた肉が腫れてきているので時間がない
頸動脈の壁が重なるように絹糸で縫う、2センチだが針の数は6本と少ない針数にして焼き止める方を多くした
「マツオ、拍動がない」
「分かってる、多分“心室粗動”だ
あとでなんとかする、良し出来た!
小さい出血は後だ今度は蘇生するぞ足を上げて、手はグラウクスが持ち上げててくれ」
「おう!頼むぞ!」
「2割くらいかな」
「死ぬのが?」
「生きる方だ」
「おい、冗談でもやめてくれよー!」
「本気、だっ!」
セバロスの頭の方に立ち、握った手の小指側分厚い肉の部分で垂直に心臓を叩く
一回毎に右の頸動脈で拍動を確認、まだ震えた感じが出ているときにはもう一度と繰り返す
心臓に耳を着けて完全に止まったことを確認し胸骨圧迫を開始する
※1945年頃には人工呼吸は発見されていますが蘇生治療として確立されていません
「グラウクス、辛いけど腕持っててくれよ」
「おう、おう、ジェバロスゥ頑張れー」
グラウクスは涙と鼻水と涎でグシャグシャだ
繰り返し胸骨圧迫を続けること数分
「ゴッホ、ゲフッ」
「よぉし!やったぞグラウクス!」
「ふおおおおおおん!」
グラウクスの顔が汚え、窓枠掃除した雑巾を絞ったような顔だな
セバロスのまだ弱いが橈骨動脈(手首親指側の動脈)が触れる、呼吸は若干浅く遅い
肋骨を下げるように補助して呼気を促す、繰り返していくと少しずつ呼吸が安定していくのが分かる
「あとはセバロス次第だな、目を覚ますかどうか、このあと生きられるかどうか」
「出来るのはここまでなのか」
「そうだな、出来るとしても手足を上げたままにして体温めておくくらいかな」
「そうか、そのくらいはやってやろう」
「マリーカとオニシフォロスはいいのか?」
「あそこは大丈夫だろう、緊張するなんてことは無いし、体の調整も上手くできる2人だ、下手に手を出さないほうがいいんだ」
「怪我とかするのか?」
「二人共生まれながらに戦士だからな細かい傷はいっぱいあるけど最近の怪我なんて無いんじゃないか?」
「心配無用か」
「そうだな、特にオニシフォロスなんて2回もルディス(解放の証の木剣)貰っていながらずっとグラディアトル続けてるくらいだからな、闘いに生きて闘いに死ぬんだとよ」
「へえ、じゃあとりあえず準備しておいて心配は不要だね」
「ちょっとの怪我なら自分で治すだろうよ」
マリーカとオニシフォロスの二人に信頼を置くというか呆れ半分なのかグラウクスは気に留めていないらしい
本当に何もなければ良いけどな…




