敗残兵、剣闘士になる 035 ニゲルの幸運
仕合を終えて戻ってきたオココは普通っぽく見えたがちょっと違和感がある
「オココお疲れ様」
「マツオ〜、怖かったよ〜
あの矢使っちゃったよ〜」
「予定外のあれは怖いな、あの矢を使ってくれて良かったよ
あんな重装備の敵に攻撃されてたと思うとそっちの方が怖いな、良くやったオココ、怪我もなく無事で何よりだ」
「あれで良かったのかなぁ」
「大丈夫だ、十分に盛り上がった
会場の観客の度肝抜いてやったさ」
「よかった、よがっだーいぎででよがっだぁ」
安心したのか泣き崩れて抱きつかれた、他の皆もワラワラと集まって来て囲んで折り重なりキャベツになってオココはクシャクシャに撫でられた
「次は俺だ!やるぞ!俺もやるぞー!」
奮い立ったニゲルの顔が緊張しすぎて能面みたいになってる
「顔、顔!緊張しすぎて顔が固まってるぞ」
イフラースの突っ込みが入ると皆笑顔になり、泣いていたオココも笑顔が見られ、カチンコチンのニゲルも緊張が解れてきたのか気持ち悪い笑顔を貼り付けていた
「気持ち悪いなー!」
誰が言ったか皆同じ意見だ、ちょっと細すぎるがカッコいい顔してるのに残念な顔だな
「精一杯気合入れてるのにそりゃ無いでしょ」
「じゃあ治療所に行くんで後はよろしく」
「ええええ」
ニゲルを放置して治療所へ行くとグラウクスが不貞腐れて待っていた
「なんですぐこないんだ〜
俺は今日の仕事があるのによ」
「ハルゲニスに呼ばれて奴隷を買わされたんだ
あとはオココが大丈夫かと聞かれてさ、大丈夫って答えたその直後にやっちゃったんだよね」
「オココは無事か!?」
「無事も何も無傷だし、矢も2本しか使ってないくらい余裕の勝利だったよ」
「そうか、良かった〜
じゃあ今度はニゲルのところに行くから宜しくな、今日は手伝えないから」
「分かったありがとう」
買った奴隷をメディケにするのも有りだな、マギステルのように指導しながら骨接医(ほねつぎい≒整形外科医)の仕事も教えこむのがいいか
なんてことをフムフムと考えながら待っていると歓声があがり2回戦が終わったようだ、今回はまだ患者は来ないだろうと思う
あんまり歓声が大きくなかったので盛り上がりに欠けた闘いだったのか、虐殺と言えるような罪人処刑の問題があったのかと思うが気にしないでおいた
案の定2人運ばれてきたが自分のところには来なかった
暇な時間が過ぎていく、昨日はグラウクスが居たおかげで何ら暇は感じなかったが今日は暇だ、何をしようにも何もない
衛兵に仕合を見に行くのは可能か聞くと次の待機が済んでいるだろうから駄目だとことだ、同じ理由で武器漁りも禁止だ
本格的にすることがない
骨折の添え木に使う木の棒で素振りをしたりすり足やなんば歩法、ジグザグ歩きでの重心移動練習をしてみたりしたがまあ長くは続かない
暇を持て余しながら待つと歓声が聞こえた、ニゲルの仕合が終わったのだ
ディニトリアスの武器の改造が上手くいって無事でいてくれればいいなと祈りながら待つ
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闘技場ではニゲルが四角の小さい木の盾と木の槍を持って敵と対していた
相手はプロウォーカトル、四角で角が丸い大きめの木の盾にグラディウス型の木剣を持ち兜と鎖骨周りを覆う三日月型の鎧、右腕はマニカ(腕鎧)の代わりに襦袢を巻き着けている
相手はチロ(新人)にしては豪華な鎧だ、ニゲルは兜こそ被っているものの、なんの装飾もない真鍮製で鼻を守る部分があるだけのサイズの合わない被り物でしかない(ギリギリ倉庫で発見した借り物)
木槍と木剣の闘いは萎縮しているニゲルによってトントンの滑り出しとも行かず、ややニゲルが引け腰になっている分で劣勢に見えなくもない
ニゲルは必死に相手の木剣を盾で弾く、盾の部分が空いていると大きい盾で視界を塞がれ、ニゲルの足を狙って叩きつけるように盾が振り下ろされる
なんとか一歩足を下げて窮地を脱すが追撃は止まらず木剣が飛び出てくるように左腕を狙ってくる
ニゲルは腕に何の防具も装備していない
そう、ハルゲニスのところでは武具の支給はされず自分で揃えなければ着ける物など無いのだ
木剣と言えど当たれば痛い、既に何発か貰っていて青アザが出来ている
「またか!」
左の上腕の外側を打たれ腕がシビれる
練習のときも皆が左腕を攻めてくる、何が悪いのかマクシミヌスに聞いてもマツオに聞いても左の盾が動くからという
(そういえば腋を締めろって言われたな)
マツオと練習しているときに何度も「肘が盾の外に見えている」と何度も構えを窮屈な形に直された
マクシミヌスにも同じく槍の間合いでしっかり相手を見ろと構えを直され盾を押さえつけられて練習させられた
左腕が痛いが相手の盾の方へ回り込んで少し距離を取った
窮屈に左の腋を締めマクシミヌスに習った盾を少し前に出した姿勢で顔半分を隠し、槍先も盾に隠すように右の腋も絞めて槍の真ん中よりも少し後ろを持つ
その構えだけで相手は攻めてこなくなった
窮屈な姿勢を維持すると足が上手く動かせないが、地を這うマツオの足捌きを意識して真似る
ニゲルは練習中にもほとんど勝ったことがない
大振りになったところを避けられて捌かれて痛い目にあう
オココの矢は全く避けられず急所に直撃を許し、マツオには全く刃が立たず軽くあしらわれ闘っている最中に教えられたりする、セバロス相手でも剣のときにも全く打ち込めず槍になってなんとか体に当てたことがある程度、ババンギは基本的に目で追うのが精一杯、マリーカにはダメ出ししかされなかった
打ち込めるのはひたすら立木の棒のみ、人間を打った記憶は数えるほどしかない
今度は攻め方が分からないことで拮抗した闘いに変わっていく
構えがしっかりしたことで相手は容易に打ち込めなくなり槍の間合いに入れなくなりニゲルの盾を打つしかなくなったのだ
「止め!木剣と木槍を置いて」
木槍を回収され、初めての真剣勝負になる
お互いの武器が持ち込まれる
相手はグラディウスより少し長いくらいのスパタと呼ばれる武器だ
試し切りでは木の板を「ドゴッ」とちょっと怪しいが貫通していた
「こりゃ珍しい、ほぉ~」
剣を渡し腹の出ているヒゲダルマが持ち上げたのは
「ロンパイアとな」
両手で持って押し薙ぐように木の板を紙のように切り裂いた
「この切れ味は…」
ヒゲダルマの顔がちょっと青くなったがニゲルには意味が分かっていない
手放さないオッサンからニゲルが武器を引ったくり右手に持つ
「気を引き締めて闘え!始め!」
ロンパイアは日本で言えば長巻の刃が逆についているような武器だ
普通なら両手で使う武器だが高身長であり柄石に錘を着けてバランスを取ったロンパイアは片手でも振れる
それもディニトリアス特製の鋼と軟鉄で鍛造された逸品は切れ味が違う
ニゲルはまた窮屈な格好で構え、相手も真剣を持ったことで少し緊張しているのが分かる
先ずは牽制と振る練習がてら盾に向かってスナップを利かせて振り切る
相手が盾で構えるが相手から見て盾の右上が切り取られる
「は?」
突然に相手の顔が全部見えて動揺し構えが崩れたニゲルをスパタの突きが襲いかかる
また左の肘の上を切られたがまだ皮膚だけだった
痛みで飛んだ緊張感を戻し構え直す
(左腕が重たい)
繰り返し打たれてきた痛みと切られたことで左腕が重たく感じる
(左の盾は生命線だ、マツオみたいに盾なしとかアホなことはできない、無理!)
重たい腕を持ち上げ相手を見る
今まで相手の武器と盾に気を取られていたが顔が見えるようになったことで相手の動きがよく見えるようになった
(相手の動きを見ろってそういうことかよ)
今になってようやく、相手を見ることの意味を知った
全体を見て動きを予測し予定調和で防御もしくは回避できた時にカウンターが決められるのだ
相手が大盾を少し左に動かすその数瞬前に上体が右へ少し動き右肩甲骨が動き始めて突きが来る
見えていればこそ対処は簡単だ
盾の上を滑らせて払い体の動きに合わせてロンパイアを突きだすだけ
(盾が欠けたから分かるものの盾の上からこの動きが分かる奴等なんて化け物だろ、マクシミヌスもマリーカもマツオも!)
ロンパイアが相手の右股を刺した感触が伝わる
血が滴って見える、明らかに機動力が落ちた
普通ならここを見逃さず止めに入るのだが、ニゲルは追い込みをかけたことが無かったため頭に「?」を付けたまま全く動けない
歓声が上がる
明らかに挑発行為だからだ
格下に対する挑発だ、新人同士なのに
相手の怒りのボルテージ上がる
大盾に隠れて突進、シールドチャージだ
ニゲル少し怯むも相手は見えていない
握りが甘くなったニゲルの盾に大盾がぶつかり払われ盾が弾かれて飛ばされ、のけ反った拍子に右手が持ち上がる
(マズイ!)
と心では思ったが掴む物を無くした左手は自然とロンパイアの柄へ伸び両手持ちになりなんとか踏ん張った左足を軸に体を左へ回旋させながら斜めに切り落とす動きを偶然に起こす
大盾から怪我をしていない左足でジャンプして跳び出てきた相手のスパタに切り落としが直撃、スパタの刀身を根本から切り落とした
振り切った位置から戻す際にロンパイアの峰で相手の右腕を殴打し決定打となった
敵は左の親指を挙げ助命を願った
観客からは「よくやったー!」という声とともに下段の観客からは白いハンカチが振られ上段の観客からは親指を上に向けたままで維持され助命とされた
「それまで!」
ニゲル、生涯で初めての勝利だった
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マツオの居る治療所に片足を引き摺る音が聞こえてきた
ニゲルにしては一歩ずつの歩幅が狭いように思う、時間的には恐らくは敗者だからニゲルは勝ったらしい
少し気を落ち着かせて待つと敗者は向かいの部屋に入っていった
「(イィ良ぉしゃー!)」
なんとなくガッツポーズが出た
※この時代にガッツポーズという言葉ありません、英語でもvictory poseです、ガッツ石松さんが語源です
「マツオ、やったよ!勝ったんだ!」
「ニゲル良くやった!凄いぞ!」
ニゲルは一ヶ所の切り傷のみで深い傷もなく完勝と呼べる状態だった
傷は塩水でキレイに洗い流しミツロウの入ったワックスを塗って終了だ
傷薬みたいなものらしい、ヌワンゴ特製で昨日の飲み会後にそっとプレゼントしてくれたの逸品だ
止血を終えたニゲルは待機所へ駆けていった
さあ、最後はカスタノスだ




