敗残兵、剣闘士になる 027 勝負あり
ギリフォスは体を温めるための時間なのに全力で殺しに来ている、いくら木の槍だからと言っても先が尖っていれば刺さるし叩かれれば痛いはず
とまあ、そんなことを言っても武術的にはそれほどでもなくがむしゃらに振り回しているという方が合っている
槍は体を入れ替える瞬間を股関節で動きを作ることで速度が出て後ろ足と腰で伸びと引きの粘り(根張り)を担うのだ
彼はどうだろうか、殆どが腕と肩甲骨、いいとこ上半身の回旋くらいしか乗せられていない
槍も直線的に伸びてこないので刀を使って空間に障害物を作ればそこで『パシッ!』と止まってしまう
木刀を弾き飛ばすほどの速度も重さも槍先に乗っていない、ブレッブレの攻撃だ
盾は槍を出すときに大きく左へズラす癖がある、あれが【懸】なのであればそのあとに興味があるがなんともお粗末に見える
なまじ体格が良い事で力が上から掛けられるから同じ位の新人が相手なら負けることも無いのだろうな
それにしても歓声が凄い、向こうが一方的に打ち負かしているように見えているのか?ちょっと攻撃に転じようか
お粗末な槍の引きの瞬間を狙って盾を前蹴りで押し込む、盾の持ち手を緩く持っていたのか『ゴツ』と拳に当たったような感覚があった
当然槍は出してくるが腰の回転も左手の痛みで頭が引けてしまいヘロヘロ、力で押しているだけあって速度はまあまあ出ている
蹴って下げた右足に掛かる重心を抜いて倒れ込む力を使って右へサイドステップして槍を躱し今度は左足で盾を下から蹴り上げる
物を握るというのは殆どが薬指と小指で行われており親指と母指球で支えるように掴んでいるのだ
最初の前蹴りで拳が痛んだのは恐らく人差し指と中指で二本も抑えが軽くなった分蹴り上げでの薬指と小指への攻撃は効くだろう
それから執拗に盾を攻める、観客は盾で全てを防いでいるように見えるだろうが段々握りが甘くなってきて盾が攻撃するたびに振られているのがよく分かる
「そろそろかな」
正眼に構えた剣を相手の顔に向って少しだけ動かして動きを誘う
ギリフォスの盾を持つ左手が限界に近いからだろう左足を軸に右肩を引くような動きを見せた
軸になっている左下腿に右足のローキックを全力で斜め上から叩き込む
『バヂンッ!』といい音が鳴り左へフラつくギリフォスには追い打ちは掛けられなかった
「そこまで!体が温まったところで真剣を使う」
審判が良いところで止めてくれた
木刀と木の槍が取り上げられ刀と相手の長槍が届けられた
試し切りするのはくじ引きしたときに居たヒゲだるまだった
「いい槍だ、チロには勿体ないな」
菱形の穂先は付いた木に何か塗られて黒く補強された長槍だ、突くのはベニヤ板みたいな薄い板だ
軽い一突きで貫通すると「オオオオオオ」と会場から歓声が上がる
「ヒーヒヒヒ、お前なぞこれで串刺しだ
お前の剣はどうだ?…あ?なんだこれ刃が逆じゃないか?ハーッハハッハッハー」
嫌な顔をしたヒゲだるま槍をギリフォスに渡し鞘から刀を抜いて峰の方でベニヤ板を叩くと『バン』と音がなり切れなかった
「「「アーハハハハハハ!」」」
と観客からも嘲笑だ
そりゃそうだろうよ
笑いながら投げて渡そうとしたように見えた
奪い取るように取り上げその勢いのままベニヤ板を袈裟斬りで右上から左下へ切り落としベニヤの下半分が地面につく前に切り上げて更に真っ二つにしてやった
「こうやって使うんだよ」
刃先を首スレスレに持っていこうかとも思ったがおしっこチビッてるみたいだし赦してやろう
佐々木小次郎の燕返しの模倣だぞ?三尺刀ならそこそこ簡単だが物干し竿のような五尺刀でやるのは無理よ?
カタカナのレを書くように意識して切り下げ(袈裟斬りもOK)て右の股間節に何かを挟むようにペタッと閉じると勝手に切り上げが発生するのだ
基本的な動きは杖術の回転させる動きから生まれる切り上げの動きに酷似しているが、またそれは別の話で…
さぁてと、ギリフォスに向き合うと審判も含めて驚愕の表情で青い顔してますけどどうかされたので?
「審判、始めませんか?」
「あ、あぁそうだな、ギリフォス大丈夫か?」
「あ、はい、やります」
「では無理せず、始め!」
ギリフォスは構えるが震えているように見える、今のうちに斬って終わりにしよう
正眼から八相に構えを変え、3歩分先へ摺り足で滑るように前に出て盾を袈裟斬りで両断、手は斬っていない
切り返しで槍の穂先を刎ねた
一歩の踏み込みを少し浅くして相手の胸の皮一枚だけを心掛けて袈裟斬り、ピッと赤い血が飛び散るも量は多くない
「よし!」
薄皮一枚だけを切っただけだが、きれいに左鎖骨の真ん中くらいから右の腰にかけて斜めの赤い線が入っている
仰向けで失神して倒れたように演技してくれておりパッ見て重症感が溢れている
「それまで!」
両手を上げてアピールするが観客があんまりのってこない
審判を見るとギリフォスの胸を触って死んでいるかを確かめている、生きている筈だが?
「脈がない」
「え?」
審判がどこかに手を振ると、白い赤い模様の入った頭巾を被った男達が二人走ってくる
片方は木槌を持っており、片方は手ぶらだ
何をするのか見ているとギリフォスの頭元に木槌を持ってしゃがみ木槌を振り下ろそうとしていた
「止めろ!何してんだ死ぬじゃないか!」
「死んでるんだ、死んだことを確認するために叩くんだ」
「だから死んでるかどうかの確認が早いって言ってるんだ!メディケとしてそれはやらせない
そもそも殺してないからな!」
「どういう…?」
刀を審判に預けて白頭巾の二人を引き剥がしてギリフォスの胸の左側に座る
胸に耳を当てて心音を確認、呼吸も止まっている、頸動脈も触れない
やばい、死んでる
ただのショックで心停止だとしたら蘇生の可能性がある
戦争の40年前に伝わってきた方法だが試してみるいい機会だ
「フリードリヒ先生、見ていてください(あっ179年なら生まれてないか!)」
胸骨(胸の前面中央にある縦長の骨)の下半分に左手の付け根辺りを合わせ起き重ねるように右手を乗せる
膝立ちになり垂直5センチ、分間120回の頻度で圧迫する(1945年ではまだ口対口の呼吸法は提唱されていませんでした)
そして2分が経った頃…
「ウッヘ、ゴッゴホッ」
ギリフォスの意識が戻った、良かったフリードリヒ・マース先生やりましたよ!(まだ生まれてないけどね)
「ギリフォス大丈夫か!」
「ああ」
目はまだ開かないが腕は動いたし声も出る、応答も可能だ!大成功だ!
「よし!うらの治療室に運ぼう、手伝ってくれ」
白頭巾の二人が手足を抱えて治療所へ走る
「生き返った…奇跡が…奇跡が起きた、いや蘇らせた?神の手が?」
審判はちょっとおバカさんになっているらしい
「審判、ギリフォスは生きてたぞ!宣言しろ」
「え?生きてたのか!?いや死んでた、あれは死んでいたぞ、魂引き戻したのか!」
「だから最初から死んでないんだ!ショックで意識を飛ばしただけだ!早く治療に行きたいから頼むよ!勝利宣言してくれ」
「あ、ああ、勝者マツオ!敗者のギリフォスは蘇り治療に向かった!マツオの奇跡だ!」
「「「マーツーオ!マーツーオ!マーツーオ!オオオオオオオオ!」」」
手を振りながら大歓声の中を刀を持って歩く、勿論鞘も有るが刃が錆びないかが心配だ、後で灰を使って磨いておこう




