敗残兵、剣闘士になる 012 ストレス障害
あの日、どうやって待機場所に戻ったのかどうやってルドゥス(訓練所)に戻ってきたのか全く記憶にない
人を殺したことで何かがおかしくなったのは戦争が始まってアメリカ人の捕虜を銃剣で刺したときに十分に体感している
それに近いがあの時はタガが外れた感じで何かが溢れて何かに蝕まれて新たな枠組みが徐々に出来ていったイメージだった
今回は歪な何かが覆い尽くしていたのが突然に気持ち悪く感じて剥がして元に戻ったというような感覚だ
いつもより何だか清々しい、風の音も波の音も自然に聞こえてくる
今まで瞑想していなかったら感じられなかったことが素直に入ってくる、そんな当たり前のことがやっと当たり前になったようなそんな自然さだ
戦時中は日本政府、情報機関(新聞・ラヂオ)すらも軍に情報統制されており天皇(現人神)を崇拝するような内容しか伝えられてなかった
いつの間にかそれが当たり前になっていたのが心理操作だったわけだ、取り分け徴兵された若者達に多く、子供の頃から刷り込まれている部分であったりもする
現代ではマインドコントロールという言い方をする、繰り返し刷り込まれてきた強いマインドコントロールを一発で切れてしまった場合の喪失感は凄まじい
自殺するものが多々、廃人になることもままあるし、立ち直るには再学習からの再構築が必要でかなり時間がかかるのが常だ
しかし稀にすぐ立ち直れることがある
正しくは立ち直っているわけではないのだが他の何かが壊れることで立ち直れたように見えるのだ
この時はまだ、自分の何が壊れたのか考えも気付きもしていなかった
ドライオスに心配されながらも朝の訓練を始めた
今日からはベスティアリウス(野獣と闘う剣闘士)の練習が組まれている
獣側と剣闘士側で別れての練習で今日はオココと行う
牛の頭の骨のついた一輪車を押して砂浜を走る側と、槍を持って一輪車に刺す側に別れて行う
「マツオが先に槍、オココが牛だ」
「「はい」」
「マツオは横に避けて一輪車の赤い線のところに槍を当てる
1本当てる毎に槍が投入される3か4本刺して4か5本目で止めだ、いいな?」
「はい、1本目でやってはいけない?」
「そんなんじゃ盛り上がらないだろ?観客はお前が牛に跳ねられてボロボロになった姿が見たいんだよ、上手く避けたり無様に走り回って逃げたりそんなのがいいのさ
昔は牛を投げ飛ばして足四本を縛り上げた強者もいたけどな
あとは槍だけどな、細くて柔くてそんなに刺さらんから安心しろ」
「わかった」
「じゃあ始めて~、オココやってやれ」
これは闘牛と一緒で魅せる競技だな
「マツオ!ブルルルル」
オココが一輪車を持って砂を蹴っている、そこまで演技をするのか?
一輪車を上下し始めると一気に加速して突進してくる
いつだったかババンギがオココ追いかけていた時はババンギより速かったような
「はやっ!」
オココの押し車は数日前を思い出してたほんの僅かな時間でもう目の前にいた
なんとか横に飛んで避けたがオココ速すぎだろう!
速度を落としてゆっくり方向転換して今度は間髪容れずに突撃してきた
今度は余裕を持って回避し槍を刺した
刺したつもりだった
刺した筈の槍は刺さっておらず手元にある
右手がおかしいのかと思い左手でもやってみたが左手も同じく刺すことが出来なかった
オココにちょっと待ってもらって素振りをすると問題ない
「大丈夫そうだ、止めてすまない」
オココは笑顔で突進を繰り返す、避けるのは避けられるが槍が一向に刺せない
「マツオ、オココと変わってみろ」
ドライオスがおかしいことに気付いて止めてくれた
右手は槍を持ったまま離せないほどガチガチに握られていた、今度は素振りも出来なくなっていた
「マツオ、来い
オココ、ちょっと待てマツオの代わりを連れてくる」
ドライオスに連れられ母屋の前にいるマクシミヌスのところにやってきた
「マクシミヌス、マツオがダメだ
教育が必要だ」
「何故だ経験はあったのだろう?」
「そうらしい、普段は何ともない
ただ手を見てみろ、おかしいんだ」
右手の槍はまだ離せないでいた
「そうだな、ヨシ、セバロスとニゲルは交代でオココと牛追いしてこい
マツオは預かる、ドライオス頼んだぞ」
「分かった、すまんな」
「予想外だったがな」
「そうだな」
ドライオスとマクシミヌスの会話も頭に入ってこない、右手は固まったままだ
「マツオ、分かるか?少し歩くぞ」
「ああ」
右手は固まったままだが足は促されると歩けるようだ
砂浜をのんびり歩きながらマクシミヌスと話した
「今朝の調子はどうだった?」
「心が解放された感じだった、被っていた布を取ったような」
「何から解放されたんだ?」
「多分、陛下かな」
「自分の国のか?」
「ああ」
「お前は何をしていたんだ」
「一兵士だ、一時期は衛生兵もしていた」
「なるほど戦争でもしていたのか?」
「ああ、海を挟んでやっていた
3年以上やっているよ、まだやってるんじゃないかな」
「長いな、そこで初めて人を殺したということか」
「そうだ」
「なるほど、欲望に任せて殺した訳じゃないのか」
「そんな悪いことはしない」
「そうだろうな
君主がいないところに来たからな、自分に制限をかけていたのが効かなくなったんだろう」
「・・・」
「それが自分で設けたものか、誰かに設けられたものかは分からないがもうその制限は無いんだ
ただし処刑は処刑だ、お前は堕ちて買われてそういう世界にいる、自分が生きるために人を殺さなきゃいけないんだ」
「・・・」
「自分が生きる為に闘え、望まない死を迎えることもあるだろう
死ぬ時が来るまで生きるんだ、他人を殺してもだ!いいな」
「・・・」
僕はとても苦い顔をしていただろう
人を殺さなきゃ生きられないのに
自分が生きていていいんだろうか、と
「お前は生きてここに辿り着いたんだ
ユピテル神にも生きていいと赦されている
あとはお前が生きたいのかどうかでしかない」
「・・・」
本当に生きていいのか?
でもまた殺すのか?
無防備な人を、ただ勝負に負けただけの人を?
「生きるためなら敗けられない
敗けるような鍛え方じゃダメなんだ
勝った者は敗けた者の人生を背負え」
「・・・」
背負える訳がない、自信がないんだ
「仲間の人生もだ
ここの仲間がお前を支える
お前も皆を支えろ」
「・・・」
闘うのは一人だ
「闘うのは一人でじゃない
お前の背負っている者は皆で背負っているんだ、だから閉じ籠るな、生きろ」
「・・・」
生きている、でもどうやってこれから生きればいい?人を殺したのに
「皆と生きるんだ、だれも死にたくない
皆同じだ、だれも殺したくない
だから敗けられないんだ」
「死んだら・・・死んだら負けか?」
「死んだときが初めて負けた時だ
生きていればいい、不様でもだ」
「なぜ生きるんだ?」
「苦しいから、楽しいから、痛いから、嬉しいから、なんでもいい!生きることの意味が分かったなら俺に教えてくれ
それが生きる理由になるならそうしてくれ」
「人に教えるためか」
「そうだな、繋ぐでも託すためでもいいぞ
お前の生きたことを残せばいいんじゃないか?」
「そういうのも有りか」
「そろそろいい顔になってきたな
俺に誓え、このルドゥスに誓え
『負けて死ぬまで生き続ける』」
「負けて死ぬまで生き続ける」
「『誰かを殺すことになっても』」
「誰かを殺すことになっても」
「『自分の人生を誰かに繋ぐために』」
「自分の人生を誰かに繋ぐために」
「『生き続けると誓う』」
「生き続けると誓う」
ドサッと砂に槍が落ちた、やっと手から離れた
生きて良いらしい、負けて死ぬまで
繋ぐべき誰かはここの仲間達なのだろう
憑き物が落ちたように涙が止まらない、昨日のアンドレアスは覚悟がなかったように見えた、自分が死ぬ筈はないと
生きる覚悟を決めた、絶対に生き延びると決めた
古武術の真髄はここで極めよう、そして繋いでいこう
「鍛えるしかないな」
立ち上がり崩れ落ちた時の膝の砂を払い胸を張った
木刀で行こう、刀があればそれに変えるが盾は無くていい
「マツオは人に教えることで自分も成長するようだからな、ドライオスのところで訓練しながら俺と一緒に教練だな
自分の弟子というか教えた子等が生きていることで自分が生きるための目印になるぞ」
「ありがとう、マクシミヌス」
「おっ今日初めてじゃないか?マツオのグラーティア」
「そうかな」
「そうだぜ、うんこが腐ったような顔してやがったのがよ」
「ひでえ顔だな」
「ひでえ顔だったぜ、あれはモテないな」
「ああ、あんまりモテなかったよ」
「おお、すまんな ブフッー」
「なんだよう!」
「いやあモテないのは何となくわかってたからな」
「うわあ、ひでえ」
「すまんな、よし飯に行くぞ!走れ走れー」
「はい」
ストレス因子関連障害(適応障害)の時は誰かがそばにいましょう
堕ちていき過ぎると抜け出せません、声を出させることが先決です
さあ、今日一日頑張りましょう!




