敗残兵、剣闘士になる 101 ニゲル諦める
数試合後にニゲルが登場した
訓練中の素直なニゲルの伸び代は大きかった、体の使い方も体術もカヒームの教えもスポンジが水を吸い取るように吸収していく
問題は頭脳の方だ
覚えることは覚えるがどういう場面でどう使うのかまで指導しないと実践で使えない、何度もストップをかけて細かく教えて反復させて実践してまた修正するを繰り返した
防御の時は考えるより先に正しい反応が出るが攻撃に移る一瞬で考える時間ができてしまうのが勿体無かった
しかし嫌な顔一つせず真面目に向き合うニゲルは強くなった、ただしまだまだ改善というよりは応用が効かせられるんじゃないかなと思う場面が多いのは傍から見ていて勿体なく感じるところだ
「上手く立ち回れよ」
「ニゲル頑張れ」
隣のマシュアルにもドキドキが伝達してしまったらしい
ニゲルは木の槍に四角というよりは菱形の小盾、右腕のマニカと両足にオクレアをつけている、兜は鈍い真鍮色でトサカのような羽根が植わっているちょっと派手な兜だ
相手はスキッソール(切断闘士)だ、珍しい
右手に四角い小盾を括り付けて固定し、左手にこれまた珍しいファルクスのような刀とは逆の刃の木刀を持つ
スキッソールはハンディキャップがあるのでセクトールが被るようなツルンとした軽量の兜、両腕のマニカと両足のオクレア以外に胸にも一部鎧が装着出来る、今回の相手は左胸から脇の下まで革の鎧を巻いてある
最初の木槍と木剣の打ち合いを見ているとニゲルはやりにくそうだ、スキッソールの方は体の動きからして右利きだったのを左手に持ち替えたようで盾を使った防御兼攻撃が主体となりいいタイミングで左の剣が出される、そんな印象を受けたがそれも何か違和感があった
ウォーミングアップを終えて真剣になった、ニゲルはロンパイア、スキッソールはやっぱりファルクスだった
「マシュアル、あれ両刃か?」
「そうぉうぉお?みたいですね」
「何という変則的な、ニゲルの苦手なタイプに当たったな」
「そうですね、大真面目が相手ならいいんですけどね」
「そんないい相手に巡り合うことは少ないけどこうも違う相手は怖いな」
まだ始まってすぐだが見てる自分の手と背中にも汗を搔いている
今は患者が居ないためメディケ達は暇で横になって休憩している者と穴から闘いを見ている者、ガレノスなんかはずっと何かを書いているし自由に時間を過ごしている
本番が始まったがお互いに打ち込むことは少ない、スキッソールの方が軽い分かファルクスの薙ぎ払いでニゲルが近付けないでいる
スキッソールの方は盾で叩きに行きたいがニゲルの盾捌きが上手く左手の攻撃に転じ難く近付きにくい印象を受ける
拮抗しているようでニゲルの攻撃頻度が少なく太刀筋も良くない分、ニゲルが上手くない
元々ロンパイアは両手で薙刀のように使う武器であって片手で振るう方がおかしいのだがニゲルは何故かそれが使いやすいのだそうだ
相手がファルクスだとロンパイアとの距離感が似ていながらも少し近いようで動き辛くなってしまっている
「盾なんか捨てれば一発なのにな」
「両手槍と同じ感覚ならイケますね」
マシュアルでも楽勝らしい、恐ろしや
ニゲルは左の盾では右から来るファルクスを抑えにくい、更には相手の攻撃的な盾で牽制されていることもあってファルクスが来ると後ろに下がって距離を取るかロンパイアで防ぐかの選択になってしまう
武器で武器を防がなければいけない状況自体が既に悪い、刃は溢れるし折れる可能性すらある、刃は肉を切ってなんぼだ
そんな感じでチマチマやってるからか観客からのブーイングが増えてきた
盾同士でバンバン叩き合い、やっと出してきたファルクスを下がって躱すという繰り返しは見ていてもつまらないし先がない
会場全体からブーイングの嵐だ
スキッソールの方もイライラしているのだろう、ファルクスを振り回し始めたがニゲルはどうしていいのか分からず少しずつ回りながら下がる
遂には「死ーね!死ーね!」とコールが上がり始めた
引き分けにするには内容が足りず、このままでは二人共公開処刑になる
壁際で争っている時に控室から助言でもあったのかニゲルが遂に盾を投げ捨て両手でロンパイアを持ち中段で構えた
ニゲルは盾を突き出してきたスキッソールに対し全く盾を相手にせず数センチ左足を引いて袈裟に振り下ろした
綺麗な形だった、無駄に力を入れることなく足へかける体重を上半身をただ動かし勢いそのままに最後まで振り抜いた、そんな感じだった
スキッソールの首の左側の付け根から右腋へ抜けるように斜めに線が入り滑り落ちるように体が別れて血を噴き出して崩れた
「「「キャアアアアアアア!」」」
「「「オヴェェェ」」」
ブーイングは悲鳴と嗚咽に変わりニゲルは侮蔑から恐怖の対象に格上げされたようだ
観客はニゲルが盾を拾って皇帝の元へ行きシュロの枝を貰って闘技場を後にするまで殆ど声を出さなかった
死体を片付けられてからようやく観衆の気分が戻ってきたようでザワつきが戻った
そして次に上がってきたのは紫色の巨軀、鬼のような形相のルクマーンが上がってきた
会場はザワついていた
紫はコンモドゥスの色で特別な意味を持つのだと後になってからマクシミヌスから聞いた
皇帝の実の息子が皇帝を継ぐのはとても珍しいことで紫の血と表現されるのだそうだ
色を変えるか?とディニトリアスに聞かれても頂けたことは名誉なことだからとルクマーンは固辞しそのまま使うことにしたらしい
皇帝が覚えているかは別として皇帝陛下の前で紫の装備を着て負けることは許されないし無様な勝利も不可、圧倒的な勝利だけが赦されるプレッシャーは生半可なものではないだろう
左手にはローマの大盾と右手のクラブ(棘なし)を携えて歩く姿に観客に一部は歓喜し一部は恐怖を覚えた、そして皇帝陛下はワインを傾けながら笑っていた




