敗残兵、剣闘士になる 100 カヒームの強さ
治療が終わって穴を覗くとすでに本番が開始されるところだった
アルティマタスは左手に黒いガレルスと黒い小さい円盾を付けて両手で槍を持って構えている、兜はつけていないが一応ホプロマクス(重装闘士)の扱いだ
イケてる顔ではあるが皆に言わせればザ・ゲルマンな顔らしい、思いっきりブーイングを浴びているアルティマタスの顔は何故か楽しそうだ
相手はセクトール(追撃闘士)だろうか卵型の装飾の少ない兜にちっちゃい覗き穴が開いている、大盾にグラディウス、マニカとオクレアというスタンダードな格好だ
よく見れば白い肌だが盾を持つ左腕、両腿に赤紫の打撲痕があり兜も一部変形しているように見える
「もしかして棒で叩きつけられた?」
「滅多打ちです、アルティマタスには夥しい程の罵声が浴びせられましたよ」
「あちゃー、棒の時は手加減しろよ〜」
「手加減してましたよ?分かりやすく大振りしてて相手が防ぎきらないのが悪いんです」
「?そうか、それはどうしようも無いな」
恐らくアルティマタスの棒の重さに大振りした速度の加わった力を左手の盾で受けきれなかったんだろう
セクトールは足が前に出ない審判に白い棒でマニカを叩かれ促されるも回り込むのが精一杯なようだ
呆れ返ったアルティマタスの表情がよく見える
槍の構えをといて頭を掻いて考え、審判をみると何か思いついたらしい
審判に近付き何か話したあと、槍を審判に預けて白い細い棒を受け取って右手に持って軽く素振りをしている
観客の罵声はどうやらセクトールに向けられているらしい
半分以上笑い声に変わってきている
アルティマタスが右手に1メートル位の棒を構えると再開の「始め!」が聞こえた
流石にバカにされたと腹が立ったのか槍の長さがなくなったからなのか盾を突き出し低く構えて突撃してきた
それの対応はルクマーン相手に散々やってきた、アルティマタスの技は元々多いが力に対しての対処が抜群に上手い
アルティマタスは突撃とともに突き出された右手のグラディウスの先端を棒で外から内へ流し、相手の右手の外へ半身で避け、そのすれ違いざまに棒を顔に突き込んだ
「「あっ」」
マシュアルと声が揃った
フルフェイスの兜に突き込む場所は2箇所、両目の穴しかないのだ
アルティマタスは審判の元へ行き謝ったあと槍を受け取り皇帝の元へ歩く
セクトールは自分の勢いのまま転がり体を仰け反らせてビクビクと数分痙攣したあとゆっくりと減衰し動かなくなった
白頭巾の男達が駆け寄り軽く木槌でコンコン叩いたあとで手足を抱え、顔から棒を生やしたまま退場した
皇帝の前で何かを話したあとシュロの小枝を貰って手を振りながら闘技場を後にした
運ばれてきた遺体をみると悲惨な状態だった
マニカの上から打ち据えられたのだろう右腕の痣と橈骨(前腕の親指側の骨)の骨折、両足の痣、盾を持つ左手は赤く腫れていた
右目にオリーブの枝が刺さっており眼窩から骨を貫いて脳へ達している為か抜けない
ちょっとガタイの良いメディケが「すまん」と一言告げて兜に左足をのせて押さえ右手で思いっきり引き抜いてくれた
ピクリとも動かぬ体から兜を取ると中は吐瀉物と血で溢れていた、顔を洗い流すと頭部も一部凹んでおりこんな状態で実戦を迎えたこのグラディアトルを賛称したい気持ちになった
顔を綺麗にしてから手を合わせて冥福を祈った
次の組もタウリノームル(現トリノ)から来たゲルマンのグラディアトルが一方的な仕合で殺してしまった
実力が拮抗するように対戦を組むらしいが地方から来たグラディアトルとメディオラヌムのような大きな都市とその近隣の町で戦っていたグラディアトルとの差が分からないらしく組み合わせが大変なんだとそこらで話すメディケの話が聞こえてきた
感心しているとビョルカンが登場した
兜は銀色に輝く単純な円い兜で目鼻口がT字に空いており視界は良い
右腕マニカと両足のオクレアは艶消ししてあるが大きめな円盾は何れも銀色に輝き新しさが分かる
棒は細いが長さは2メートル近くある一般的な木槍だ
今までは大盾でも四角を好んで使っていたが今回は円盾に変わったのは何か理由が有るのだろうか
「怪我がないと良いですね」
「そうだな」
なぜかマシュアルが心配そうに呟いた
ドクトレとしてのマツオの訓練にマシュアルも一応参加しており相手がビョルカンになることが多い
マシュアルが言うには意外と非力でたまに盾がブレるという、確かに初めて手合わせしたときもそうだったが鍛えてないなんてことは無い筈だし盾が飛ばされたときの対処もカヒームが練習でさせている
「特訓の成果を見せてもらおうじゃないか」
「マツオ悪い顔してますよ」
悪い顔をしている気は無かったが訓練もといシゴキの成果を見ておかないとね
相手はムルミッロ(魚兜闘士)であまり装備に特徴は無いが体は大きく身長もビョルカンより大きい、何よりも盛り上がるほどの肩の筋肉は眼を見張る物がある
木槍と木剣の打ち合いはお互いそれほど力を出していないのか無難な叩き合いで終え本番を迎える
ビョルカンの槍は艶のない焦げ茶色の細い柄に少し長めの穂先と石突が少し大きい槍だ、長さは1.5メートルそこそこくらい、相手のムルミッロは幅がある重たそうなグラディウスを軽々と持ち上げていた、両刃の鉈というべき厚みが遠くからでも確認できるほどだ
「ビョルカンからしたら苦手な相手でしょうね」
「そうかな」
「僕より力が強いんですよ?」
「まあ単純な力はな、その他はまだまだビョルカンが手こずる感じには見えないけどな」
「そうなんですかぁ」
ビョルカンは本番が始まっても単調な攻撃しか仕掛けず相手の良いようにされていく
『バイィーン』と安い音をたてて盾を外に打ち出され間一髪、半歩下って追い打ちの切り下げを避ける
グラディウスの突きを盾で綺麗に打ち流せずふらつき大盾で殴られるように数歩分押し飛ばされる
槍を大盾に弾かれ空いた胴にグラディウスの突きが来ると体を右へ捻り左脇の下を通すようにギリギリで避け、そこからの切り上げを相手の腕に盾を押し当てるようにしていなして横に右へすり抜けた
「危ない!ほら打ち込めて無いですよ!?」
「まあまあ見とけ」
ビョルカンはグラディウスの攻撃を大きめの円盾で振られるように受けている、四角い盾の時との違って大きく振られているように見える
「そろそろかな」
「えっ?」
ムルミッロから少し振りの大きい叩きつけるような攻撃が来た
ビョルカンは盾を少し持ち上げるようにして“受け”の形になった
「危ない!」
盾ごと叩き潰されるような一撃は盾だけにしか当たっておらず視界から消えるように相手の右側にステップして躱したビョルカンは冷静に兜の下へ槍を楽々と挿し込んで止めた
「な?」
「何したんですか?」
「カヒームの仕業だろうなぁ」
大盾を持ち上げるまでムルミッロからすれば円盾の下に常に左足が見えている状態だった
どんなときもずっと見えていたのだ、わざとよろけるように足取りしたり横に動く際も僅かに視界で捉えられていた
それが剣を大きく振りかぶり盾ごと打ち落とす盾を持ち上げた瞬間半歩足を左後ろに引いて盾の死角に足を隠した
体も左前にして斜に構え盾の右側を気持ちよく打たせ、その寸前に手を離して抵抗を加えず切り返しが出来ないような体勢を作らせたのだ
安っぽい音を響かせる艶のある盾は傷を付ける毎に優越感が出ただろう
安い音を響かせる盾は金の少ない弱い奴というレッテルと受け方が下手くそに感じるだろう
艶消しとはいえ銀色オクレアのついている足は目に留まりやすいが艶のあるドンドン傷の付く盾はもっと注意を引くだろう
艶のない色の濃い槍は篝火の中では見えにくいだろう
輝く兜には傷を付けたかっただろう
「最悪の思考へ繋がるな」
ただまだ防具に頼っているとも言える状態だ
カヒームの時を思い出せ
闘い始めるとあんまり強そうに感じないというか「ここだ!イケる!」と思わせる理由はなんだ?
あのとき最後俺はなぜ踏み込んだんだ?
半歩踏み込めば木刀が確実に当たる距離だったからだ
…避ける距離?だとしたら?
弱い奴は毎回反撃できる余地を残さず大きめに避けることが多くその分踏み込まれる幅を作ってしまう
強い奴はなるべく踏み込まれない且つ反撃できる余地を残して避けるから相手の踏み込みの幅が小さくなって勝手に縮こまっていく
踏み込む距離と位置を特定させられているとしたらどうか?
コイツの動きなら絶対ココを狙いにこの位置に足を出すと分かって踏み込ませていたら、確実に網の罠に掛けられるな
俺はそれで掛かったのか…怖っ!
今頃になって寒気がするほど恐ろしい、強さの片鱗にやっと少し触れただけな気がするがそれでも表面でしか無いのだろう
そんな奴相手に勝てるわけ無いじゃないか
それもギリギリ当たるか当たらないか「惜しかった」と思わせるところで遊ばれていたなんて…落ち込むわ
「マツオ!顔の肉が下がりすぎて気持ち悪いよ
汗も凄いし、大丈夫か?」
「マシュアル、ゾッとする話があるから夜言うわ」
「え?寝られなくならない程度にしてくださいね」
「お、おう」
その日の夜にマシュアルにカヒームの強さの一端を話すと70歳くらい老けた顔になって冷や汗とヨダレが垂れるほどのショックと身の毛の弥立つ寒さに襲われ気を失うように眠ったマシュアルだった




