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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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吉岡の恐怖

作者: 小城

「それまで!」

京都今出川の兵法所で、将軍、足利義昭観覧の下、御前試合が行われていた。そして、その試合は今しがた決着が着いた。

勝者は、将軍兵法師範の吉岡直賢。ではなく、美作の武芸者、平田太郎左衛門武仁という人物だった。

「(負けた…。)」

直賢が負けた代わりに、相手の武仁は、義昭より「日下ひのもと無双兵術者。」の称号を賜った。

「(吉岡もたいしたことないな…。)」

地面に平服していた直賢が、はっと顔を上げる。しかし、周りは何事もなく、事が運んでいる。

「(聞き違いか…。)」

それは直賢の幻聴だったのだろうか。

屋敷に帰ると、直賢は木刀を叩き折った。


はあ。はあ。はあ…。


将軍御前では、平静を装ってはいたが、悔しさに気が狂いそうであった。

「…。」

太郎左衛門は、直賢の太刀を受け流すと、自らの太刀を捨て、直賢の腕を掴み上げ、懐に体を入れて、投げた。


どさっ。


「それまで!」

直賢は地面に倒れたまま、立会人の声を聞いた。

「まだ戦えた…。」

直賢は木刀を掴んだままであった。

 それ以来、将軍足利義昭は兵法所に顔を見せることはなかった。もとより、義昭にとっては、兵法などどうとでもよかった。彼は兵法より、将軍の権威を欲した。

「(信頼を失ったか…。)」

直賢はそう思った。どこぞと知れぬ兵法者に負けたような師範の教える兵法など将軍には相応しくなかろうと、義昭は考えたのだろうと直賢は思った。それは、まったくの妄想でもあり、下衆の勘繰りというものなのだが、相手の心の働きを察知することは兵法者の性と言えよう。当の義昭は信長のことで手一杯で、吉岡のことに構っている暇はなかっただけだった。

「(どうすれば勝てたのであろうか…。)」

直賢が打ち込む。太郎左衛門が受ける。そして直賢が…。そのような空想上のやりとりは、直賢の頭の中で幾度となく繰り返された。それは怒りとともに無限に反芻された。

 だが、時代は流れ、それらの記憶も時とともに薄れていく。しかし、どこか直賢の脳裏には平田太郎左衛門武仁という人物のことが刻まれていた。

 足利将軍家が滅び、本能寺で信長が敗れ、豊臣の天下にもかげりが見え始めた慶長の頃。吉岡の兵法所は存続していた。当主は直賢の子、直綱である。この頃、直賢は50歳を過ぎて、隠居していた。

「いざというときは、太刀を捨てよ。」

それが、直賢から直綱への口伝となった。そんなある日、直綱が所用から戻ると、何やら兵法所内が騒がしい。

「どうかしたのか?」

「浪人風情の兵法者が…。」

門人に尋ねると、直綱の留守中、旅の兵法者が訪ねて来て、門弟数人を打ち負かしたという。

「腕の骨を折られた者もおります…。」

「それはまた…。」

他人事のようではあったが、直綱も兵法所の当主である。父の代にも流れの兵法者との立ち会いが行われたと聞くが、最近は世間に浪人も増えたからか、名声を上げて仕官の道を開こうと流れて来る浪人者もいた。

「どのような、何流の者なのか?」

「美作の新免無二斎の門人で新免無三四と名乗っておりました。流派はとうり流と…。」

「とうり流?あまり聞かぬ名だな。」

「当主不在故、いずれ再訪すると言ってましたが…。」

「好きにさせておきなさい。」

吉岡兵法所は「天下の兵法所」とも言われていた。「天下」とは「京都」のことである。その足で直綱は父、直賢のところへ向かった。

「父上、とうり流という流派はご存知でございますか?」

「とうり流?」

直綱は兵法所での出来事を告げた。

「彼は美作の者らしいのですが…。」

「美作…。」

悪い記憶が蘇った。平田武仁も美作出身と言っていた。

「(当理とうり流…!)」

将軍御前での立ち会いのときの立札書に「当理流平田太郎左衛門。」と書いてあったのを思い出した。

「(あの者の門弟か…。)」

直賢は、口を紡ぎ、くわっと目を開いている。父が現役で稽古を受けていたときにも、そのような顔を見たときはあったが、隠居してからはなかった。

「どうかされましたか?」

平静を装い声を掛けた。

「立ち会いの際は気をつけよ。」

それきりであった。

「(当理流とやらと何かあったな…。)」

直綱は足を伸ばして、今は隠居している古老の門人を訪ねた。

「御免。」

その者は祇園に住む藤次という老人であった。もとは中条流の門弟であったが、京都に来てからは、吉岡流の客人という扱いになっていた。

「これは若殿。」

藤次はもう齢80近くになるのだろうか。

「藤次翁。実は尋ねたいことがありましてな。」

直綱は新免無三四という男と当理流のことについて尋ねた。

「あれは、若殿がお生まれなさる少し前のことであったかな。将軍御前にて、美作の平田太郎左衛門という者と御父上が試合をなされて、負かされたのだよ。」

「その者が当理流を名乗っておられたのですか?」

「左様。」

直綱は当理流のことについても詳しく聞いた。

「御父上は話してくれなかったのかね?」

「ええ。知らぬ風でしたが…。」

「御父上もよく尋ねて回っておった故、知らぬことはないかと思うが、話したくないのであろうな。まあ良いか。当理流はな…。」

当理流は小具足腰廻を主とした捕縄術であった。

「それに、太刀、槍、棒などを加えたものが当理流だ。」

「竹内流に似ておりますな。」

「竹内流も美作故、基は同じではあるまいか。」

藤次翁はそう言っていた。

「(なるほどな…。)」

それ故、父はよく鍔迫り合いなどが膠着すると

「いざというときは太刀を捨てよ。」

と言っていたのだと分かった。

「(しかし、それでは、勝てぬのではなかろうか…?)」

聞いたところによると、当理流は腰廻捕縛術を主とするという。

「(太刀を捨てたところで敵うものではなかろう…。)」

「それならば大太刀を使えばよかろう。」

弟の又一直重が言った。直賢の子は三兄弟で、長男源左衛門直綱、次男又一直重、三男清次郎重賢である。三男重賢は、父の隠居後に生まれた子で、まだ幼子であった。

「長柄の大太刀を使い、制しながら相手すればよかろう。」

「それでは槍と同じで、懐に入られては勝負にならぬぞ。」

「まあ某に任せなされ。」

二、三日後、兵法所に新免無三四を名乗る者がやってきた。

「お手前、平田太郎左衛門という御方に覚えはござらぬか?」

「太郎左衛門は我が養父にござる。」

「(父…。)」

奇しくも、父子二代での試合となった。

「(天下の兵法所としての命運であろうか…。)」

直綱は思った。

「当主に代わり、まず、師範代の某が御相手仕る。」

直重が立ち上がった。手には四尺はあろうかという木刀を持っている。対する無三四は自ら持参した木剣である。無三四自ら樫の木を削って作ったと思われるそれの長さは三尺足らずであった。

「いざ!いざ!」

直重は長木刀の先を無三四に向けて牽制している。

「どうされた!いざ参られよ!」

掛ける声は挑発であろう。無三四は木剣をだらりと下げて、離れている。

「さあ!吉岡に恐れを抱かれたか!?」


ダッ。


無三四が木剣を振り上げた。


ぴくっ。直重の刃先が揺れた。

「(来るか…。)」

直重は相手が間合いを詰めてこようとするのは分かっていた。そうしたら、横に避けつつ飛び退り、太刀を振り上げて、背中から相手を打ち据えようと思っていた。


タッタッタッ…。


無三四が走ってきた。その距離に合わせて、無三四には分からないように徐々に刃先を上げた。


タッタッタッ…。


「(何…?)」

しかし、無三四は徐々に横に反れていき、直重の周りをぐるぐると回り出した。

「(小賢しい真似を…。)」

田舎兵法だと思った。相手の目を回させる作戦であろう。しかし、直重は無三四に合わせて回転することはなく、体を180度反転させることで対応した。


「いつまで続ける気だ!」


これでは目が回るのは無三四の方である。もう四半刻ほど回っている。


カッ!!

「それまで!」

からん…!


勝負はつかず引き分けになるかと思った直綱は掛け声をかけた。が、直綱の目に映った状況。それは、直重の長木刀が床に転がり、一間ほどの距離のところで、木剣を振り上げている無三四の姿であった。両者はそのままの形で止まっていた。

「まだまだ!!」

直重は声を上げた。

「この試合。勝負ならず。」

直綱は試合を終わらせた。

「両者疲労困憊と見える故、試合はここまでとする。」

無三四には日を改めて参上するように伝えた。

「(停止の掛け声より、無三四が又一の木刀を叩き落とす方が早かった…。)」

奥へ引き返す途中、直綱は思った。

「(小賢しさとは言え、なかなかの智恵者だ…。)」

直重は挑発の掛け声を絶えず掛け続けており、無三四に合わせて常に体を翻しつつあった。

「(疲れ弱ったところを叩き落としたか…。)」

四尺はあろう木刀を常に直重は構え続けていた。

「(膂力も並々ならぬだろう…。)」

小賢しい智恵と並々ならぬ膂力。美作の新免無三四という兵法者が秘めたポテンシャルは恐るべしと言ったところであろう。

「(田舎兵法と侮れぬな…。)」

無三四と次に試合うであろう直綱の心中には、得体の知れない何かが生まれた。

「(うむ…?)」

己の体内の僅かな異変に直綱は気がついたが、その正体が何なのかまでは分からなかった。

 翌日、何やら直重が不穏な動きを見せていた。

「(無三四を殺す気か…。)」

門弟に京都洛中を探索させているようすだった。

「(恐らく無三四は逃散するだろう…。)」

直綱はそう思った。

「(うむ…。)」

と同時に心中にどこか安堵感を得る自分を見つけた。この頃には、自分は無三四に恐怖しているということに、直綱は気がついていた。

 新免無三四は吉岡のこの動きを察知して、逃走を開始した。京都洛北から北山を抜けて、大原方面へ向かおうとした。

京都洛中を何食わぬ様子で無三四は歩いていく。手には三尺足らずの木剣を持っている。一乗寺辺りまで来たとき、頭に白頭巾を被り、四尺余りの棒を地面に付いて持っている男がいた。

「(よもや勘が当たるとは…。)」

直綱であった。おそらく無三四は人の少ない道を選んで東へ向かうだろうと思い、大原につながるこの一乗寺の下がり松の根元で待っていた。そしたら、真に無三四が現れた。向こうも直綱に気がついたようだった。

「(運が良いのか悪いのか…。)」

直綱は白頭巾を取った。無三四と試合をするために直綱はここにいた。が、それは明確な希望ではなかった。本当は嫌であった。無三四が恐かった。しかし、直綱個人の微かな自尊心が彼をこの場に立たせた。あとは単純なる無三四に対しての興味もあった。

「街道沿いでは人目に着く故、場所を移そう。」

直綱は無三四を近くの草原に連れて行った。

「お手前を探している者たち、あれは私の指図ではなく、弟の企みである。」

まず、始めにそう伝えた。無三四は吉岡全体の仕業だと思うであろう。そうとしたら、無三四は直綱をも殺すつもりで来るかも知れない。

「私は純粋にお手前と試合がしたくて来たのだ。」

無三四が木剣を構えた。

「(おそらく信じていない。)」

己を油断させ、時間を稼ぐ口上であろうと思っただろう。そして、人が来る前に片付けようと剣を構えた。

「(ここで死ぬか…。)」

直綱は棒を構えた。長さ四尺余り。無三四との試合に際して、直綱が選んだ得物。それは『棒』であった。『打てば剣、振れば長刀、突けば槍。』と言われた棒であったが、棒術は、吉岡流の中でも、表ではなく裏の得物であり、あくまで補助的道具であった。

「(心得は余りないが、どこまでやれるかな…。)」

先だっての直重との試合とは違って、早くも無三四の方から打ちかかってきた。

「(重い…。)」

棒で受け止めたが、手が痺れた。恐ろしい膂力であった。

「(棒がいつまで持つか…。)」

多く受けると、棒自体が折れかねない。無三四もそれを狙っているのか、やたらめったらに打ち付けてくる。直綱は距離を取った。が、すぐさま無三四は詰めて来る。再び、無三四の猛攻が始まる。

「(やはり恐ろしい…。)」

それは獣を相手にしているようであった。

「ふぬっ!」

直綱は渾身の力で無三四の木剣を絡めて封じた。と思うと、すかさず自らそれを外した。直綱を振り払おうとした無三四は、逆に自分の力で後ろに倒れかかった。そこを今度は直綱が攻めた。

「(突く、振る、打つ…。)」

相手と距離に合わせて、それらを繰り出す。無三四は木剣で受け、躱し、後退する。直綱は無三四の膂力を評価しているが、それは直綱自身もそれなりの膂力を持っていたからこそであった。例えばそれは、今、無三四が鳩尾みぞおち辺りに、直綱の一撃を食らえば、呼吸がままならなくなったであろう。それを直綱も狙っていた。

「(突いた…!)」

直綱の棒が無三四の手元を打ち、木剣が落ちた。その瞬間を狙って、棒を突いた。が、その一撃は、無三四の額を突いた。無三四は寸前で棒を掴み、威力を軽減させていた。それでも、無三四の額からは血が流れた。

「(何…!?)」

勝負は着いた。と思ったのは、直綱だけであった。無三四は棒を振り払うとすかさず木剣を持って、迫り来たった。無三四にとって、これは殺し合いであった。

「参った!」

直綱は叫んだ。無三四に恐怖した。無三四は訝しそうな顔で直綱を見つめている。その手に握られた木剣はいつでも直綱の額を割れるようすであった。

「私の負けだ。」

直綱がそう言うと、無三四は走って行った。

「無三四が逃げたぞ!」

その光景をちょうど吉岡の門弟の一人が見ていた。その門弟は無三四を追おうとしたが、直綱が制した。

「止めておけ。」

屋敷に戻った直綱は直重に厳命した。

「新免無三四は某との決闘の末、尻尾を巻いて逃げた。故に無三四を追うことはない。」

無三四と吉岡の試合は終結した。しかし、直綱の心は収まらなかった。

「(恐怖…。)」

が、不安を交えて直綱の胸中に残った。

「(死ぬのが恐かったのか…?)」

そうではなかった。武門の家に生まれた者として、もとより戦での討ち死には覚悟していた。無三四との対決に際しても、死ぬことが頭に去来したが、その恐怖はなかった。直綱が感じた恐怖。それは無三四という人間そのものに感じたものであった。生物としての直綱の生存本能といえるのかもしれない。無三四という生物を前にした直綱は獅子を前にした兎のようであっただろう。

 自分が感じていた感情がそれであると知り、以来、直綱は死ぬことが怖くなった。

「(死にたくない…。)」

生物としての素直なその感情は、天下の兵法者、吉岡直綱としての誇りや自尊心を崩壊させた。

「(私は負けた…。)」

新免無三四に負けた。その崩れていく誇りの中で直綱は葛藤し、己の内の不安と怒りをさらに増幅させた。

「(父上が感じていたものはこれだったのか…。)」

直綱は初めて父、直賢を理解した。

 それから十年余りの歳月が流れた。隠居していた吉岡直賢は没した。吉岡兵法所は、当主直綱の下に存続していた。

「新免無三四を見たと?」

「はい。」

門人の一人が言った。大名の一行の中に姿を見たという。

「他人の空似であろう。」

直綱はそう言い切った。

「(新免無三四…。)」

時とともにその記憶は薄らいでいった。が、その恐怖は直綱の脳裡に刻まれていた。

 直綱本人は気がついていなかったかもしれないが、新免無三四との一件の後、直綱は変わった。それは兵法所の稽古に於いて顕著であった。稽古がより実戦を想定した形式になったのである。とはいっても、それは目に見えた変化ではなく、兵法所の雰囲気というのだろうか。やっていることは以前と変わらない組太刀による稽古なのだが、その先に求めるものが、実際の合戦を見据えた傾向に変わった。その変化には、無三四との戦闘において、当主、直綱が感じた恐怖が根底にあるのだが、その恐怖が日々の稽古や言動から波及して、兵法所全体の雰囲気を変えた。直綱は、表、裏に限らず、全部の家伝を引っ張りだして、実用に見合うと思われるものは、奥伝でさえもそれを門人とともに稽古した。それらの行いはすべて、あの恐るべき新免無三四という存在に対して、直綱自身が崩れていかないためであった。一時はそのような直綱の行いを、父、直賢が諫めたこともあったが、直賢没後、その兵法所の傾向は一層高まった。

 その年の夏が終わると、大坂の豊臣家と江戸の徳川家が戦になるのではないかという噂が広がった。秋には、豊臣家によって、大坂に米が搬入されたり、逆に徳川家によって、大坂への米の搬入が禁止されたりした。京都洛中には、豊臣家による浪人の募集が行われていた。

「吉岡兵法所一門郎党ノ者共ハ決シテ大坂ノ城ヘ入ル事無カレ…。」

そのような書状が京都所司代から届いた。

「(戦…。)」

直賢は死ぬことが恐かった。しかし、『戦』というものに、『天下の兵法者』として自らも赴かねばならないという観念があった。それは、直綱の強迫観念であった。

「(新免無三四は、一人で百人も二百人も相手にしようとするような者であった…。)」

 それはある意味正しい理解であったといえる。新免無三四こと宮本武蔵の兵法とはすべてを包含するものであった。元来、兵法には、軍略作戦の意味と各種武術の二つの意味があった。やがて、それは時代の流れとともに、それぞれ二つの物として細分化していくわけであるが、武蔵個人の兵法は逆の道を辿った。初めは武術として始まり、時を下るにつれて、戦闘の軍略を含み、城の縄張りや武具製造に及んだ。さらに恐るべきことには、武蔵のポテンシャルは、元来の兵法の枠組みを超えて、書画や芸術の分野まで幅を拡大させた。それが、宮本武蔵の兵法であった。

 それらはひとえに武蔵個人の性能によるもので、他の人間には真似のできないもの。というよりは、それこそが武蔵が武蔵を常人とは異なる存在たらしめているものであり、余人が決して真似する必要はないものであったのだが、新免無三四という存在に取り憑かれた直綱は、いつのまにか、自分でも気がつかない内に、無三四の跡を追っていた。

「(新免無三四…。)」

 それは亡霊であった。この頃、無三四は名を宮本武蔵と変えて、三河刈谷城主、水野勝成の食客となっていた。門人が見たというのはそれであった。しかし、不思議なことに、当の直綱本人も武蔵を見ていた。かつて、天下の兵法所として、将軍兵法師範を務めた吉岡家当主である直綱は京や伏見に滞在する大名の屋敷へ伺候する機会も度々あった。そんな折、伏見のさる大名の屋敷で、ある一行とすれ違った。一介の兵法師範である直綱はその一行が通り過ぎる間、連れであるその屋敷の家中の者と庭先に跪いていた。一行が通り過ぎて行ったあと、その最後尾に、身の丈6尺余りの一際目立つ人物がいた。

「あの方は?」

「三河刈谷水野様の御一行にございます。」

「(ふむ…。)」

それが武蔵であった。しかし、肩衣袴に二本差しの大柄なその武士の後ろ姿から、直綱はかつて対峙した『新免無三四』という人物を連想することはできなかった。それなのに、直綱の体内には未だに『新免無三四』という化物が存在していた。それはこの世のどこにも存在することがない亡霊のようであった。

 兵法所の門人たちは、大坂の城へ入るべしという者が多かった。当時、京都は、未だ豊臣家の威光が強く、だからこそ、京都所司代から釘を刺すような書状が届いたといえる。

「吉岡兵法所一門は、豊臣家に与し、大坂へ入城する。」

元服したばかりの末弟、重賢に吉岡家当主の座を譲り受け、直綱、直重率いる吉岡一門とその門弟らは大坂城へと入った。

 1614年。11月。後世に言う大坂冬の陣が勃発した。豊臣秀頼、淀母子の大坂城には10万の浪人衆が籠もり、それを徳川家康率いる全国の大名の兵力30万が包囲した。

「京都吉岡憲法以下兵法所一門衆罷り参じ候。」

秀頼補佐の大野治長に面会した。

治長から直綱ら吉岡一門の者は秀頼周辺及び城中警護方を命じられた。が、戦が始まるとその任を解かれ、大手口警護方を命じられた。それには理由があった。淀殿が嫌ったのである。

「(あの者たちは何故、あのように殺伐とした面持ちであるのか…。)」

いつのまにか常日頃から兵法所の雰囲気は殺伐としたものになっていた。それはその内部にいる者にとっては分からないかもしれないが、他の者から見ると、吉岡兵法所の一団は一種独特な雰囲気を醸し出していた。

「我ら兵法者の端くれとして戦の先陣に罷り参りたく候。」

直綱がそう言って来たのを幸いに異動を命じた。結果として、吉岡一門はこの大坂冬の陣で活躍をすることはなかった。それはそもそもこのひと月程の合戦において戦闘自体が行われなかったこと。そして、行われたとしても、その主な実行者は兵法者ではなく武士であったことによる。それでも、直綱ら吉岡一門の者は塙団右衛門による東軍夜襲の噂を聞きつけ参加を志願した。が配備されたのは鉄砲の撃ち手としてであった。直綱は闇夜の中で鉄砲を二、三発撃って帰った。

「(兵法者とは何だ…?)」

己自身が生み出す恐怖に打ち勝ちながらも兵法者としての矜持により合戦に参加したが、周囲はそのようなことを望んでいなかった。

「(兵法とは何だ…?)」

そんなことを考えている内に大坂冬の陣は終わった。これが吉岡直綱の初陣であり、人生最後の合戦でもあった。大坂の陣中総勢40万人の中での直綱という存在は余りにも小さかった。

 あえて先ほどの直綱の問いに答えるならば、この当時『武士』とは『職業軍人』であり『兵法者』とは『技師』であった。そして『兵法』とは固有の『技術』であった。来たる泰平の世に向かって、兵法と兵法者という存在も変化しつつあった。この大坂冬の陣と翌年の夏の陣を境として天下泰平の世が訪れる。戦国乱世の中で武芸マーシャルアーツとして育まれてきた兵法は、泰平の世では技芸アート教育エデュケーションとして存在することになる。武士は政治家ポリティシャンまたは官僚ビューロクラットとなり、兵法者は技芸アート教育者エデュケーターとなった。その道程を艱難辛苦の上、成し遂げたのは宮本武蔵であった。一介の兵法者に過ぎなかった武蔵は、後、大名家の食客となり、自身の会得した兵法を技芸として体系化し、それを人々に教授するに至る。奇しくもそれは吉岡家が代々してきたことであった。しかし、直綱は『新免無三四』という存在に出会うことによって、自らの人生を狂わせ、時代の流れとは逆の方向に吉岡家と一門を導いてしまった。一方の武蔵は諸国を流浪することによっていびつながらも時代に適合していった。

「(一体、我々は何をしに来たのだろう…。)」

 大坂城の浪人衆の多くは、いずれまた戦が起きると思い城に留まる者も多くいたが、直綱ら吉岡一門は京都に戻った。古巣に帰った直綱らを待っていたのは京都所司代からの叱責と追及であった。兵法所は閉鎖されて、直綱らは西洞院四条にひっそりと隠れ住むことになった。

 吉岡は兵法を捨てた。元門人の李三官という者から黒茶染めの技法を学んだ。存外、技術者として染め物屋が性に合っていたのか直綱らの作る染め物は『憲法染め』と言われて京都の町衆に人気となった。

 兵法者としての道を完全に絶った直綱は、翌年に起こった大坂夏の陣には参加しなかった。

「(あの日々は夢であったのだろうか…。)」

直綱が京都西洞院四条で衣を染めているとき、大坂では戦国最後の合戦が起きていた。その戦には、徳川家水野勝成の陣中に宮本武蔵の姿があった。武蔵は勝成の子、勝俊付きとして後陣に備えていた。しかし、兵法とともに兵法者としての矜持も捨てた今の直綱にとってはそんなことはどうでもよかった。

「兄上。染め上がりました。」

「うむ。良い出来だな。」

傍らには直重と重賢もいた。彼らもまた、兵法者よりも今の生活の方が自分たちには合っていると感じているのだろう。何よりその方が時代の流れに身を委ねているようで楽だった。

「うむ。良い出来だ。」

染め上がった衣を広げ眺める直綱。もう、その体の中には『新免無三四』という、この世のどこにも存在しない者の形はなかった。『新免無三四』という謎の存在に踊り狂わされた直綱も、その呪縛から解放されて、今はこうして穏やかなひとときを過ごしている。それと同じとき、大坂では、武士としての矜持を捨てられぬ者たちが、最期の戦に望んでいた。そのどちらが幸せかは個人によるだろう。

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