町の電気屋さん
「……兄ちゃんめっちゃいい人でさあ、雑草まで抜いてくれたがね!!昨日の人はおかしな足跡つけていくわゴミは置きっ放しだわでひどかったけど!!」
「本当は僕が来るはずだったんですけどねえ、直前で仕事を取られてしまって……すみませんでした。」
「なんだ、じゃあ、完全に宮下君は被害者だね。……もう会社辞めちゃえばいいのに。」
お茶を出してもらっておせんべいをつまみつつ、初めて見る顔の皆さんとともに掘りごたつを囲む俺は、微妙に愚痴を混ぜ込みながら、事の顛末を報告中だ。柏君の言葉に苦笑いをすることしかできない。
「はは、そうはいってもねえ、次の仕事がね。町の電気屋さんになりたかったんだけど、今って家電量販店もたくさんあるし、なかなか難しくってね。」
「何や、じゃあ、この道端んとこにある、電気屋継いだらどうだね。あそこは爺さんが細々とやっとるけど後継者がいなくてたたむしかないとほざいとったぞ。」
「ああ、瀬下さんか、たしかに!!もう隠居したいって言ってたよね、確か!!」
「ああ、やりん、やりん!あんたむいとるわ、絶対!!!」
「ちょっと古い建物だけど、宮下君ならリフォームできるんじゃない?そういうの好きだって言ってたよね、確か。」
とんとん拍子で話が弾んで、廃業を考えているというおじいちゃんと会う事になった。いつも店先でぼんやりしてるからって言われて、柏君と一緒に伺ってみることにしたんだけども。
「おお、わしは息子に呼ばれとってな、店をたたんで建物も潰そうとおもっとったんだが、まあ土地が安くて売れなんだでな。」
20坪ない敷地いっぱいに建っている店舗付き住宅は、鉄骨でしっかりした建物ではあるものの、中古住宅として売るには無理がある物件なのだそうだ。
一階部分は軽自動車しか入らないビルトインガレージと店舗になっていて、外階段には屋根がなく、そこからしか住居部分に入ることができず、トイレは一つしかない、和室しかない、テラスがぼろぼろ、その他もろもろ。
住宅地の端っこの人通りの少ない場所だから、店舗としても客入りが見込めず、見向きもされない物件なんだってさ。
かといって、建物を潰して土地として売る事もできないようだ。売るとなると潰す値段が土地代が同じくらいかかってしまうそうで、どうにも困っていたらしい。
「貰ってくれるならタダで譲ってやるで。一応少ないけど顧客名簿もそのまま譲るし、取引先もそのまま紹介するわ!!」
「そういうわけには!!!」
あまりにも、あまりにも都合が良すぎる!これっていわゆる棚ぼたってやつじゃないの、まずいだろ、こんな調子良く色々と貰っちゃうのはさ!!!
「ここらへんは年寄りばっかで、若いもんがおらんくてなあ。この店をやるから、ここに留まってはくれんかね。わしの代わりに、この辺りの年寄りの手伝いをしてやってはくれんかね。」
「町の電気屋さんになりたかったんでしょ?なれるじゃん、なっちゃいなよ!僕も手伝うし!ご近所さんになるんだから、将棋だって指導しちゃうよ!!!」
「将棋は、俺が教える方だ!!!」
信じられない話だが、俺はどうやら、町の電気屋さんに、なれる、らしい!!!
「まあ、元気でやれや!」
「俺の手に負えない案件あったらやりに来てね!」
「退職金の入金は来月になるのでお願いします。」
結局、俺は藤田さんが辞めた次の週に退職することになった。
急な事ではあったが、新しい人材が入ってくる前に退職した方がいろいろと都合が良かったらしい。
退職金も少し出るようだ。それを資金にしてリフォームをすることができそうで、幸先のよさを感じる。
「どうもお世話になりました。」
俺は10年と半年勤めた会社を、後にした。
会社を退職したからと言って、すぐに町の電気屋さんになれるわけではない。
やることは山のようにあるのだ。書類や手続きを完了させるため、開店準備をするため、奔走することになった。奔走しなければならなくなったのだ!!!
物件の譲渡に関する書類、失業認定関連の手続き、リフォームの計画に車の買い替え、自分の引っ越し……!!!
瀬下さんには先に譲渡の書類を完成させもらい、物件が俺の所有になった状態で息子さんの迎えが来るまで住んでもらう事になった。
打ち合わせのためにやってきた息子さんと対面し、ご挨拶をさせていただいた。物件をただで譲り受けてしまって、息子さんは反対するのではないかと思ったのだが、予想に反して大喜びしていた。奥さんの家がずいぶん裕福で、これ以上所有する土地を増やしたくなかったとのこと。今住んでいる敷地内にプレハブで瀬下さん用の家を建築しているので、それが完成次第、引っ越しをすることになった。引っ越しまでの間に、顧客名簿に載る人たちのところにあいさつ回りをし、近々の開業を知らせた。ついでに電球交換やブレーカーの調整をしてあげたのはご愛敬だ。
取引先の企業さんと会わせてもらって、自分のできる事とできないこと、手伝える事などを伝えて、仕事をもらえるようお願いをした。割とお年を召した方が多く、力仕事などでずいぶん重宝してもらえそうで安堵した。少しづつ手伝いを始めることにし、店をオープンしていないというのに作業料をいただくようなこともボチボチ出てきた。
会社から離職票が届いたその日に失業認定の手続きに行き、その帰りに八年間乗ってきたミニバンを売り払いに行った。
今俺が住んでいるアパートと、町の電気屋さんの場所は自転車で一時間の距離だ。車はなくてもなんとかなりそうだ、そう踏んだ俺は早々に行動に出ることにしたのだ。いつか家族ができた時のためにと新車で買い、大切に丁寧に乗っていた愛車は思ったよりも高く買い取ってもらえた。うれしい誤算である。この分なら、新車でビルトインの駐車場に入る軽バンを買う事ができそうだ。
そうこうしているうちに瀬下さんが引っ越していき、自分もこちらに引っ越せるようになった。
まずは部屋の中のリフォームから始めるかと、もらったカギで中に入って驚いた。工具や電材、部材、部品がたくさん残っている。事前に、使えそうなものは残していくからもらってねと言われていたのだが、ずいぶん高い工具や未使用の家電もかなりあった。電気屋をオープンするにあたって買いそろえなければいけないと思っていた工具は、ほとんど買わずに済むことになった。慌てて御礼状を送ると、ご丁寧に引っ越し先の名産品を段ボールいっぱい送ってきて……食べ切れない俺は、町の休憩所に持ち込んで近所の皆さんとともに舌鼓を打った。
本格的なリフォームはやったことがなかったが、やってみれば案外自分でもできることが分かった。
畳からフローリングとか、壁紙の張替えなんかは自分でやったし、ビルトインコンロの設置なんかも自分でやった。ただ、ユニットバスとトイレ、外壁工事はあいさつさせてもらった業者にお願いをした。ちょうど退職金が振り込まれたので、それを使う事にしたんだ。ずいぶん安くやってもらえてさ、資金的に余裕ができたんで、少しグレードの良い軽バンを買う事もできた。
元々一人暮らしだから、モノはそんなになく、引っ越しは新車で二三度往復するだけで完了することができた。
アパートの引き渡しに立ち会い、書類を書き、電気やガス水道その他の手続きもすっかり終えることができた。開業届を提出し、再就職手当の申請をし、いよいよ準備は万端となった。




