都会の電気屋……
近所の牛丼屋で飯を食ってから回ったセールスは、見積依頼二件という成績を残すことができた。これならば社長からどうこう言われることはあるまい。安心して会社の事務所に戻ると、末息子が件の工事現場から帰っていて、報告書を書いていた。
「お疲れ様です。関田さんのお宅はどうでしたか。」
仕事を取られた恨みでも言ってやろうと思ったが、俺はこの会社内では従順な人間で通っているので、勤めて普通に、声をかけた。俺の気遣いなどまるで気付くことなく、仕事泥棒はへらへらとした顔をこちらに向ける。
「あの婆さんぼけててヤベえって思ったんだけどさ、なんとかなってよかったわ!!」
「はい?僕がお話した時はごく普通の奥さんでしたけど。」
「ピンポン鳴らしたら不愛想なバーさん出て来てさ、工事の事なんか知らんとか言うんだよ。で、宮下さんの施工予定書とか見せてたら突然ああそうでしたねって手のひら返ししてきてさあ!あれはどう見てもまだらボケだね、まあそのおかげで工賃上乗せ楽にできたけど!!!」
末息子の手元をそれとなく覗き込み、施工報告書を盗み見ると、俺の出した計画書の実に二倍の値段が請求されていた。そんなに難物件でもないのに基礎工事・配管工事はフルで請求しているし、特殊運搬費まで徴収している。……正直、目を覆いたくなるような、書面。思わず、目を反らした、その時。
バン!
「おう、宮下君!君今度役員にするって話言って無かったよね、来月から執行役やってもらうから!」
勢い良くトイレのドアが開いて、社長が顔を出し、ドッカドッカとこちらへとやって来る……手が乾いているな、絶対洗ってないやつだ。
「あの、その件ですけど、ちょっと待ってもらえませんか。僕、前から電気屋やりたいって言ってたじゃないですか。」
「お前みたいな金のとれねえ奴が電気屋やっていけるわけねえだろう。仕事なめてんのか、おとなしくここで働いとけって!」
相変わらず、社長は俺の話を聞いてくれないらしい。
「辞めるんだったら早く言ってもらわないと。藤田さんみたいに急に言われると困っちゃうんだよね。」
「え、藤田さん辞めるんですか?!」
何も聞いていない。クルリと振り向いて、デスクに向かう藤田さんの顔を見ると、ばつが悪そうな顔をしている。……教えてもらえないくらい、俺は信用されていなかったという事か?地味に落ち込むな……。
「実家のおっ母が倒れたんだ。悪かったな、ドタバタしてて言ってなかったわ。」
「いえ……大丈夫なんですか、すぐに行かなくて。ご実家ここから二時間くらいかかるんですよね?」
「まあな。」
藤田さんは毎日仕事帰りに二時間かけて実家に帰っているらしい。最近全く残業をしていないと思ったら、こういう事だったのか。有給消化の兼ね合いもあって、今週末でこの会社に来ることはなくなってしまうのだそうだ。毎日実家に行かなければならないので、送別会もなしとのこと。長年一緒に働いてきたのに、寂しいことだ……。
「藤田さんの代わりに、兄貴の会社の方から二人来ることになってるんだ。ベテランと新人がさ。ベテランは爺さんだから使えねえかもしれないってんで若いのも一緒に雇う事になっちまってよう。」
人員的には、一人増えることになるようだ。ああ、それで給与出費が増えるから、麻里子さんの機嫌が悪かった?ちょっとよくわかんないな。俺が辞めたら、人員的にはちょうどいいのか。
……正直、やめるのであれば、今のタイミングだと、思う。ただ、今すぐに答えを出すことは、難しい。今月中に会社を辞めるのか残るのか、意思を表明するように言われてしまった。……あと、二週間ない。どうしたものかと、頭を抱えた。
退社後、俺は関田さんのお宅……俺が施工できなかった現場に向かう事にした。
あの奥さんは確実に俺が行くと思っていたはずだ。しかも末息子は事前連絡をすることなくいきなり訪問したようだし……実に失礼な事をしてしまったので、お詫びに行こうと思ったのだ。渡すつもりで用意していた手土産持参で、夕暮れの赤い光を浴びつつ、歩いて向かう。マイカーはコインパーキングに停めてきた。あのあたりには公共の駐車場が見当たらなかった。作業するならいざ知らず、お詫びに向かって狭い路地裏に路駐することは躊躇われたのだ。
途中、あの、町の休憩所を通りかかった。店の前には、あの時の兄ちゃん……柏君がいる。風流にも、竹ぼうきで落ち葉?を掃いている。相変わらず和装の似合うイケメンだな、そんなことを思いつつ、声をかけた。
「こんばんは、この間はどうも!」
「ああ!!なんだ、手土産持ってきてくれたの?」
「いやいや、これはね……。」
手早く関田さんのお宅に行くことになった経緯を説明した。
「ああ、なんだ。今、……関田さんいるよ、お茶飲んでったらどう?」
「そうなの?!じゃあ今尋ねていっても留守だったのか、よかった!」
そういえば、訪問前には連絡してくれと言っていた。よくよく考えたら突然の訪問はまずかったな、しかも夕方だ、偶然に感謝せねばなるまい。
集会所の門をくぐって中に入ると、この前のメンバーとは微妙に違う面々が掘りごたつを囲んでいた。
「関田さん!今日はすみませんでした、僕が行く予定だったんですけど、会社の方針で別の者が……。」
「も~!びっくりしたがね!電話もせんといきなり来るわ、知らない人だわ、でっかい音でみんな逃げだすわでさあ!!!」
「本当にすみません、これお詫びの品です、お受け取り下さい……。」
紙袋を差し出し、深く、深く頭を下げる。……お怒りは冷めそうだろうか、大きな音ってのが地味に気になるぞ。これは施工を絶対に確認しておきたいやつだ!!!
「あ!!!これ紅福餅じゃん!!!あたしこれ大好物で!!!食べていい?ありがとー!みんなで食おまい!!!」
「やったー!夕食前のおやつゲット!!」
「あの、それ食べてる間に、お宅に伺って施工箇所見てきてもいいですかね?ちょっと気になることがあって。」
「ああ、ええよ!兄ちゃん来るまでここで食べとくで、モぐ、モぐ……。」
休憩所の裏側にある神社の三軒隣にある関田さんのお宅に行って、俺はいよいよ開いた口がふさがらなくなってしまった。
明らかな施工不備、不具合、その他もろもろがありすぎたのだ。ビニールテープの剥がし忘れ、点検口のふたの欠品、排出口の未固定、本体の傷、テープ巻き不良……。道具も部材も何もないので、明日また来るしかなさそうだ。営業に行く振りをしてここに来るしかないだろうな。施工箇所のチェックをしたなんて末息子にバレたら、またひと悶着あるに違いない。手早くやれることをやって、舌鼓を打っているであろう関田さんの元へと急いで戻った。
「すみません、明日ちょっと手直しに伺ってもいいですかね?」
「うん?やっぱなんかあったの?なんかスゴイ落としたからさあ、大丈夫って聞いたら、工具落としただけって言ってたんだけど。来る前に電話さえしてくれたらいつでもいいよ!」
俺はもう、居た堪れなくなってしまい、馬鹿正直に、点検口のふたががないことと未施工箇所がある事を謝った。本当なら、値段の件に関しても謝りたいのだが、それを口にすることは憚られた。さすがに、うちの社員がぼった食ったので差額を返しますとは言えなかったし、末息子がすでに提出してしまった施工書類を取り返して、書き換えるようなことはできないことを知っていたからだ。
「すみません、じゃあ必ず電話して、伺います。」
翌日、かばん一杯にパンフレットを詰めつつ、こっそり点検口のふたとドレン管固定パーツとビニールテープを忍ばせた俺は朝一番で関田さんの家を訪ねた。家に入る前に電話をかけると、スマホを片手に関田さんが出迎えてくれた。
「ああ、おはよう!朝早くから悪いねえ!」
「いえいえ、じゃあ、さくっと作業しちゃいますね!」
明るいところでチェックすると、事の全容が見えてきた。
おそらく、給湯機本体を運ぶときに、台車から落としたんだな。段ボールに入れたまま運ぶのが基本なんだけど、それだと二度手間になるってんで、直接台車に乗せて運んだはいいが……小さな段差でバランスを崩して落としたんだ。で、その時に点検口のふたが開いて、破損し、取り除いたと。機器に詳しい人ならいざ知らず、何も知識の無い人ならふたの欠品など気が付かない。同じ理由で、時間のかかるテープ巻きを省き、排水ドレンを固定せず、内部の剥がすシールもそのまま貼りっぱなしと。
……どんだけ手抜きに力を入れているんだ、あの末息子は。はっきり言って、あまり一緒に仕事をしたくない、人物だ。弊害ばかりが押し寄せてくる未来しか思い浮かばない。
「ごめんなさい、終わりました!!」
「はーい、お疲れ様、ありがとー!じゃあ、いくら?」
「いやいや、お代はいただけませんよ!じゃ、僕はこれで……。」
自分の施工するはずだった仕事の不具合修正だ、お詫びの意味だってある。お代をいただくわけには……いかん!俺はこういうところはきちんとしたいタイプなのだ。
「作業してくれたのにそんなんあかすか(だめでしょう)!!まあええわ、集会所でお茶でも飲んでこまい。ほれ、こっちこっち!」
「え、はい、はい?うーん!!」
強引に、いつもの町の集会所に連れていかれてしまった……まあ、午前中だけなら、良いか。




