都会の電気屋
報告書を書いていると、社長が苦々しい顔を隠すことなくこちらにやってきた。
「なんだ、今週は一軒も契約取れてないじゃないか。これじゃあボーナスは出せんなあ!」
「すみません……。」
社員六人の小さな電気屋を経営している社長は、このところの不況続きで、ずいぶん無茶を言うようになっている。入社したばかりの頃は、俺に手取り足取り、工具の使い方や修理のコツ、お客さんへの説明の仕方なんかを教えてくれていたんだが……。
「親父い!エネキュー、不具合出たから修理よろ!」
「親父というなと言っとるだろうが!社長と呼べ!自分の施工した給湯器ぐらい自分で直しに行かんか!!!」
……社員四人でやってる時は、まだ和気あいあいとやっていたんだ。三年前、社長の末息子が入社して、その嫁が入社したあたりから、ずいぶん……儲け主義に移行したというか。修理や商品取りつけ、メンテナンス中心だった経営方針が、単価の高い電気給湯器の設置中心に変わり始めてからやけにとげとげしい空気が社内に吹き荒れるようになってさ。修理では3000円しか取れないけど、電気給湯器なら、一台で5万は硬い。そっちに移行したい気持ちはわかるが、俺としては……前の、お客さんの笑顔と感謝の言葉をもらえる方が、魅力的でだな。……正直、転職を考えていたりするのだ。
「宮下さん行ってきてよ!あの給湯器さあ、設置場所すげえヤな場所で!俺だと入るの難しいんだわ!!」
「宮下君悪いけど行ってきて!どうせこのあとも契約取れそうにないんでしょ、頼むわ!」
「わかりました。」
俺は、書き終わった報告書を事務室の麻里子さん……社長の末息子の嫁に提出して、不具合の出た家に向かった。
「あの、今日、お風呂入れそうですか?前直してもらったときは一週間も銭湯に行くことになっちゃって……。」
修理道具と交換パーツのつまった社用車で不具合の出たお宅に向かうと、困り果てた顔の奥さんがいた。水浸しになっている庭土の中に問題の給湯器が置いてある。機械を下から覗き込む時に、泥んこが膝につくパターンだな。植木がすぐそばにあるから、修理するときに開けるふたが覗き込みにくい。確かに体の大きな末息子では、窮屈な案件だ。……だが、設置の時に機器の向きを考えていれば、こんなことにはならなかったであろう案件でもある。設置したのは末息子だから、完全に自業自得ともいえる。
「うーん、ちょっと見てみないとわかんないですけど、頑張ってみます!」
「ありがとう!」
泥んこの中に膝をつきつき、点検窓を開けてチェック……水漏れ箇所は、二か所。給水管の元栓を締め、ナットを外し……うん?これ防水テープがしてないじゃないか。……完全に施工のミスだ。確か施工管理表には、「水漏れ、ナット交換のため発注、届くまで一週間。ナット交換で完了」と書かれていた。このお宅、末息子の施工ミスに金を払う事になっていたのか。もう一か所は……うん?溶接が甘いな、ここから漏れているのか。小さい穴が圧力で広がってこんなことになったんだな。……これも施工ミスだ。
完全にこちらのミスなのだから、お金はとりたくないパターンだ。だが、出張費の3500円は頂かなければならない。作業費としては、溶接機を使っているので一万から二万くらいは取れるのだが……気が進まないな。俺はこういうところが、商売に向いていないというか。……タダで近所の家の手伝いをしていた頃の名残だな、きっと。
「ナットを外して、締め直して、穴の開いてるところを塞ぎます。ごめんなさい、ちょっと高くなっちゃうんですけど出張費3500円と溶接代金3000円で合わせて6500円かかっちゃいます、いいですか?」
「ええ!!そんなに安くていいんですか?!お願いします!!!」
……末息子はナット交換だけで一週間待たせて、工費と部品代出張費合わせて25000円取ってるからなあ。
ナットを外して防水テープを巻いて締め直し、溶接のぬるい箇所をばっちり補強し、給水管の元栓を開けて機器を再起動……よし、エラー消えたな。修理完了だ。
「不具合、直りましたよ。お風呂は……ごめんなさい、六時間後なら入れるんですけど、遅くなっちゃいますよね?」
「入れるんですか!ありがたいです!良かったー!!ありがとう!!」
大喜びの奥さんから、代金とビール缶六本セット、ホタテの缶詰をもらって、会社に戻った。
「ええー!こんなにやっすい値段しか取れなかったの?!俺なら35000は取ったね!!」
「……すみません。」
完了報告書を書いていると、後ろから末息子に覗き込まれた。どうやら、施工金額に不満があるらしい。……行ったのは俺なんだから、いちいち口出してほしくないんだけどな。
「何このビール!俺貰ってもいい?宮下君下戸だったよね!」
「どうぞ。」
奥さんからいただいたビールは、社長の元へ。缶詰はちょうど帰社してきた藤田さんがもらっていくらしい。……まあ、いいけどさ。
そんなことがあって、しばらくたった、ある日。いつも通りに朝九時に出社すると、まさかの事態が起きていた。
「え、なんでです?!僕の案件だったじゃないですか!」
「もう行っちゃったからさ、悪いけど今日はセールス回ってきてくれる!」
俺の仕事を、末息子が奪ってしまったのである。
基本、セールスで得た仕事というのは、自分が設置をすることになっている。たまたまスケジュールの都合でお客さんの都合のいい日に行けそうにない場合に代打を頼むことはたまにあるのだが、こんなにも強引に人の仕事を奪われたのは初めてだ。
しかも、奪われたのは、あの休憩所で会ったおばちゃ…奥さんのお宅に給湯器を設置する、作業。
休憩所に行ってから一週間ほどたったある日、あの場にいた奥様方のうちの一人が、家に給湯器を入れたいという実にありがたい連絡を下さったのである。
―――ああもしもし、この前のお兄ちゃん?あのね、うちのお湯出なくなったから、年金であれ買うわ!
―――ええ!!ありがとうございます!!……
スケジュールの調整をし、下見を済ませ、本日10:00に伺う事になっていたのだ。
―――……悪いんだけどさ、来る前に電話だけしてもらっていいかな!…寝てるといかんでしょう!あはは!!!
―――了解です!お土産持って行きますね!
今日という日を作業に充てるために作業計画書を出し、社長の印鑑も貰って、感謝の気持ちの手土産も用意して、さあ現場に行くぞと意気込んで出社してみれば、昨日の夕方に準備しておいた製品積み込み済みの軽トラックごと無くなっていたのである。盗難かと思い飛んで社長の元に行ったら、朝一で末息子が乗って行ったというじゃないか。こんなの青天の霹靂としか言いようがねえだろうが!
「取り付けなんか誰がやっても一緒だし、宮下君は工賃いつも取れないだろう、今回も計画書に50000円って書いてあったからさ、茂雄が倍取るって息巻いて出てったってわけさ。」
「そんな!もう相手方には10万円でやりますって言ってあるんですよ?!」
「現場確認者と施工者の間で意見が食い違うことはよくあることだ。」
「……分かりました。」
頑固な社長に、これ以上何を言っても無駄であるという事は、よくわかっている。俺はパンフレットのつまったかばんを手に、会社を後にした。
パンフレットをすべてさばいて、昼過ぎに会社に戻ると事務の麻里子さんが俺のところにやってきた。
「宮下さん、印鑑持ってます?」
「あ、はい。」
三文判を差し出しながら、書類に不備でもあったのかなとぼんやり考えていると。
「あ、これじゃなくて、実印の方。書類作成で必要なので、持ってきてもらっていいです?」
「え、実印?僕そんなの持ってないですよ。」
「え、持ってないの?困ったな、それじゃあ、手続きができないわ。……作ってきてもらっていい?」
「何でですか?」
「社長から聞いてない?あなた役員になるのよ、今度から。」
……はい?
「なにも聞いていません。」
「ああ、そうなんだ、じゃあ、言っとくね、うちの会社はね、有限会社から株式会社に代わるのよ。それで、役員登記する必要があってね。」
いきなりの事で頭が付いて行かない。だけど、冷静な部分もしっかりあってだな……。
「社長に詳しい話を聞いてからお返事します。」
「……ああ、そう?早めにお願いしたかったんだけどね。」
どこか機嫌の悪さを漂わせながら、俺のデスク前から去っていく麻里子さんの姿を見て少々テンションが下がってしまう。せっかく何も問題なく飛び込み営業が終わってほっとしてたのに。俺は、はあとため息を一つついた。
……頭に過るのは、転職の、二文字。
・・・どこで働いても、不満というものは必ず、生まれる。気の合う人、合わない人というのは、どこに行っても必ずいるものであって、いやだなあと思うような事をやらされる展開は、必ずあるわけで……転職したとしても完全にいなくなるわけでは、ない。それを知っているからこそ、動くべきなのか、動かないべきなのか、非常に悩んでしまう。
頭に浮かぶのは、今まで働いた、いろんな、場所。
高校生の時に初めてアルバイトをした、製菓工場。時給が高く、簡単な仕事だったけど、現場監督が実に怒鳴り散らすタイプのおっさんで、気が滅入ってしまって一か月で辞めることになった。
次にアルバイトをしたのは、牛丼屋。時給はそこそこだったが、客層が悪くて、気が滅入ってしまって一週間で辞めることになった。
次は郵便局で配達のアルバイトを始めて、時給の割に重労働で、客の中にも頭の悪いクレーマーがいたりして……大変だったが、親身になってくれる上司がいたから割と長く続いたんだ。人員削減で首切られちゃったけどさ。
最後はガソリンスタンドで、喧嘩っ早い上司にこき使われつつも、我慢できないほどではないってことで、高校卒業まで勤め上げて……お別れ会まで開いてもらったんだ。
働く上での、妥協点。どこまで我慢できるのか、どこで切ると判断するのか。
俺は、一生、この会社で働くつもりなのか?
俺は、町の電気屋になりたかったんじゃないのか?
俺は、今、この会社から独立するべきなんじゃないのか?
役員になれば、多少は給料が上がるようなこともあるかもしれない。だが、逆に会社から離れることも難しくなってしまうのではないか。そもそも、俺よりも先に入社している藤田さんの方が役員になるべきなんじゃないのか。身内を役員に置くべきなんじゃないのか。もしかしたら、よからぬ思惑があったりはしないのか。
だが、会社を辞めるとして、仕事をどう確保したらいいのか。町の電気屋になるノウハウなど、どこにもない。辞めたはいいが、金が尽きてしまっては意味がない。
実家に帰るわけにもいかない。実家には長男夫婦が両親と暮らしていて、俺の帰る部屋はない。俺を育ててくれたあの土地には感謝しているが、俺があの土地に帰る必要は、ないのだ。俺の田舎に、町の電気屋として暮らしていけるだけの需要と供給は発生しない。
「これ、午前の報告書です。午後の分持って、食事に行ってきます。四時に帰ります。」
報告書を差し出し予定を伝えるも、麻里子さんは返事をすることなく無言で受け取って、パソコン画面に集中している。いつもの事なので、特に気にすることなく、俺は事務所から出ていった。