初対面ですよね?
喩えるなら、温かい料理も冷えるような声音だろうか。
「悪いが、君を愛するつもりはない」
高級レストランの一室。
天気にも恵まれ、美味しい料理に舌鼓を打ち、家族同士での会話も終わり、後はお若いお二人で、という流れになったところだった。ここまで言えば分かるだろうが、これは良いところのお見合いである。
若いお二人で、と言われたが、愛することはないと言われた女性側には諸事情により従者が一人ついている。
愛されることがない、と言われた女性はどのような人間なのか。
青い瞳をパチクリとさせた彼女は、象牙のような白い肌に淡い金髪を持つ。体は折れそうな程に細い。顔立ちは整っているのだが、人に与える印象は病弱そう、というものだ。実際、彼女は病弱だ。
もっとも、見る者がみればその瞳の奥にある生命力ーーーというより図太さに気づけるが。彼女の名前はソフィア・フレージという。
ちなみに、彼女のそばに残ることを許されたのは、医療の心得がある女性で、メリーという名前だ。女が賢すぎると幸せになれない、という世間の風向きだが、ちゃっかりと糊口を凌げるどころか、余裕のある暮らしを手に入れている。
ソフィアは向かいの席に座る見合い相手の顔を、痩せているせいで一層大きい瞳に映す。
「あの、よろしいでしょうか。…気になることが」
おずおずといったソフィアの問いかけに、見合い相手の青年が不機嫌そうに返す。
「なんだ」
青年ーーーオズワルド・レグットは眉間に皺を寄せる。聞かれることは、他に好いた相手がいるのか、何故自分を愛してくれないのか、そういったことだろうかと想像し、その想像で苛立ちを勝手に加速させる。
本来、彼にとって今日の見合い自体が不本意なのだ。そもそも彼が愛している女はただ一人であり、それは目の前の女ではない。
心の中に思い浮かぶ女。彼女以外の女は、彼にとっては自分の容姿と家柄に群がる鬱陶しいゴミでしかない。
背が高く程よく筋肉がついた体躯。やや波打つ銀髪は甘さを感じさせる。白皙の美貌に翠緑の瞳を持つ彼は、社交界で男女問わずに羨望の眼差しを向けられる。目の前の女は今のところ彼に見惚れている様子はないが、内心では自分の美貌に心奪われているのだろう、そう思っていた。
「何故、私が貴方様の愛を望んでいることになったのでしょう?初対面ですよね?」
水を打ったような沈黙。
オズワルドは凍りついている。
メリーは完全に無表情だが、腹筋を総動員して笑うのを堪えている。おかげで、静寂は破られていない。
空間から音を奪った当の本人は首を傾げ、さらに疑問を重ねる。
「あ、いえ、私も貴方様がどういうお方かなにも分からないのに、そもそもこのお話が進むかどうかも分からないのに、愛されたいもなにもないので…もしかしたら以前どこかで会った女性と間違われているのでは、そう思ったのです」
言葉が足りずに申し訳ありません、そう頭を下げる彼女には怒りも悲しみも、意趣返しをしてやろうという含みもなにもない。
あるのは純粋な疑問だけである。
オズワルドは相変わらず固まっている。
メリーは大笑いするのを堪えるため、後ろに組んだ手をつねっていた。
肝心のソフィアは聞きたいことを言えたので、なにも言わずに回答を待っている。
「俺を、知らない?」
「はい。体が弱く社交界に出たこともなくて…私の家は貴族ではありませんし。父方の大叔母が今回のお話を持ってきたので」
ソフィアはウキウキと釣書を持ってくる大叔母の笑顔を思い出す。いつも突然訪ねてくる大叔母に父はいい顔をしたことがない。とはいえ、釣書を受け取らないと何時間でも居座るのだ。最近では、大叔母を玄関で待ち、釣書だけ受け取って追い返している。
「お見合いの時に失礼があってはいけないと思って、そちら様のご実家については精一杯勉強させていただいたつもりなのですが、貴方様のことはお名前と年齢以外はなにも存じ上げないのです」
実際のところ、人物評価は耳に入っていたが、実際に会ってみないとどんな人か分からないので、素晴らしい人だの、聡明な方だのはあまり真に受けていなかった。
見合いの席では、趣味とかそういう話が出来たらいいのだろうな、と思っていたところでの、愛さないという言葉。ソフィアでなくても面食らうだろう。
(別に、婚約じゃなくてお見合いなのに。話を勘違いしてる…ってことはないわよね)
見合いを楽しみにしていたか、それとも不安かと聞かれれば、ソフィアとしてはどちらでもない、としか言いようがない。
とはいえ、仲介者が厄介者の大叔母だからといって、見合い相手に礼を欠いた言動をする理由にはならない。相手だって大叔母に強引に話を持ってこられたのだろうし、貴重な時間を割いてくれているのだ。
見合いの場では普通に会話をしよう、そう思っていたのに、オズワルドからよく分からない宣言を一方的にされたのだ。
「ふん、そういうことにしてやろう。俺には愛する女が他にいる。だからお前と結婚することになってもお前を愛せない」
ふんぞり返るとは、こういうことか、そうソフィアが感心する程に胸を反らせて見下してくる。
だが、ソフィアはもう一つ疑問が浮かんだ。
「なるほど、愛せない、という理由は…分かったような…」
「はっきり言っているだろう!?何故これで分からない!?」
「だって。私、現時点で貴方に愛して欲しいとは思っていないのです。それに、婚約さえ結んでない、ただのお見合いです。なので、どうして私が愛情を欲しがっている前提でお話を進めようとされるのかが分からなくて。…そうだわ、ここは『仮に結婚したとして、一緒に過ごしても愛することは出来ないと思われる』というべきでは?」
首を傾げる彼女に悪意はない。本当にない。あるのは、疑念だけだ。
ちなみに、メリーは後ろに組んだ腕を抓りまくり、頬の内側の肉を噛んで笑いを懸命に堪えている。
オズワルドは顔を真っ赤にして、拳をぶるぶると震わせている。未だかつてこんな侮辱を受けたことはない。そもそも目の前の女は本人の言う通り、貴族ではない。
彼女の父親が貴族の庶子だったのだが、独り立ちした後に商売が成功し、巨万の富を築き上げた。はっきりいえば、彼女の家の方がオズワルドの家よりもさらに裕福だ。
なので、彼女の家は下手に敵に回すわけにはいかないのだ。
「あの、もう一つ疑問があるのですけど」
「…なんだ」
「不躾なことを聞くので先に謝罪させていただきます。言いたくないことなら答えなくても。その愛する女性とはなにか理由があって結婚出来ないのですか?」
ソフィアの瞳にあるのは、純粋な好奇心と図太さだ。空気なんて曖昧なものは読めないし、聞きにくいこともズバリと聞く。
意外なことに、オズワルドは特に抵抗もない様子で、その想い人について語り始めた。
「…身分違いだ。彼女の名はマリエットという。俺の外見や家柄に惑わされず、俺自身をいつも見ていてくれた」
ふんふん、とソフィアは頷いている。本当に理解しているのか、と聞きたくなるような有り様だが、ソフィアなりに真剣に聞いている。
ちなみにメリーは話が急に退屈になったので、窓の外を眺めている。
「俺の家に仕えていたメイドだ。マリエットはいつも笑顔で仕事をしていた。人が嫌がるような仕事も進んで引き受けていてな。他の姦しいメイド共は俺が少し用を言いつけただけで、期待を込めた鬱陶しい目で見上げてくるというのに、マリエットはそんなことはなかった」
ソフィアは期待を込めた目で見上げただけで、何故そんなに悪様に言われないといけないのかしら、と疑問に思ったが、話の腰を折るのは良くないので我慢した。
「気づけばマリエットのことばかり考えるようになった俺は、仕事も手につかず、彼女に逢いに行くようになった。慎ましいマリエットは『恐縮です』としか言わなかったな。…だが、醜い女共はマリエットに嫉妬したのだろう。マリエットは仕える家の息子に色目を使うふしだらな女、そう言われた。…あのゴミ共め!マリエットを罵倒している暇があったのなら、その口を縫い付けて、手だけを動かすようにすれば良かった」
ソフィアは、オズワルドも仕事をサボっているんじゃないかと聞きたくなったが、とりあえず黙っておいた。
「マリエットを守る為には俺の側にいて貰うしかない。可憐で優しい彼女は、獣のような男共からも声をかけられていたからな。物陰でこっそりと庭師の男と話している時は、庭師を殴りつけて鼻を折ってやったさ。…恐ろしいことに、あの男はマリエットを拐かすつもりだったのだ。『知り合いの家がこの辺りにあるから匿って貰える』と…。女衒の手口だ。そのまま屋敷から放逐した。全く。自分の娘くらいの年齢のマリエットを売り飛ばそうとするなど、とんでもない男だ」
声をかけていただけで、どうして獣のような男だと思ったのか。ソフィアは首を傾げたが、オズワルドはそんなソフィアの様子に頓着する様子もなく、マリエットとの馴れ初めーーーという名の武勇伝を語り続ける。
「ああ、迂闊なマリエットにはお灸を据えたさ。俺以外の男に近寄るなと。膝の上に乗せてな。嬉しくて震えているマリエットは本当に可愛かった…。『絶対にお前を妻にする』と言えば、健気なことを言うんだ。『そんなつもりで勤めさせて貰ったわけではありません。自分の力で生きていけるように、仕事を覚えたかっただけです』…とな。愛らしく、不憫なことだ。俺はなにがなんでもこの娘を幸せにしたい、そう強く思ったよ」
ソフィアは直接マリエットに会ったことはないが、マリエットのどこが迂闊なのだろう、同じ職場の人間と話すのはおかしくないと思ったが、言わないでおいた。
「だが!権力にしか興味のない父親が俺とマリエットを引き離したのだ。別れ際、彼女は涙を堪えてこう言った。『旦那様には感謝しかありません』そう言って去って行った。…なんと彼女は健気なのだろう。だから俺は彼女の流した涙に誓ったのだ。いつか彼女を必ず見つけ出し、今度こそ手放さないと」
ふんふん、とソフィアは頷いて…考え込んだ。
その様子を視界の端に捉えたメリーは、オズワルドに注意を向ける。
「あの、気になったのですが」
「なんだ。もしかして身を引く気になったのか?それでお前の家の財力で彼女を探すのを手伝ってくれるとでも?」
思い込みの激しいオズワルドは、自身の悲恋にソフィアが胸を打たれているのだと思ったのだが、ソフィアはどこまでもマイペースだった。
「なぜ、マリエットさんは最後に『旦那様』と言ったんですか?旦那様って、貴方様のお父上ですよね?愛し合う自分たちを引き裂いた父親に何故感謝を捧げるんです?」
「それは…言い間違えたのだろう」
「愛し合う恋人の別れなのに?普通、名前で呼びません?もし、名前も呼ぶなと言われたとしても、せめて『若さま』や『若君』と呼びかけるのでは?」
ソフィアの疑問にオズワルドの顔は青くなったり、赤くなったりと忙しい。心なしか血管も浮き上がっている。
ソフィアはそんなオズワルドの様子を知ってか知らずか、疑問という名の止めを刺す。
「そもそも、どうしてマリエットさんが貴方様のことを好きになったんでしょう?彼女は独り立ちしたくて頑張っていたのに。どうして仕事の邪魔ばかりしている貴方様のことを好きになったんでしょう?」
ソフィアに他意はない。ただ、オズワルドの主観ばかりの話でも、会ったことのないマリエットという女性がオズワルドに惚れる理屈が分からなかったのだ。
仕事を覚えたいというのに、邪魔ばかりされ。
オズワルドがちょっかいをかけるせいで仕事仲間との人間関係は木っ端微塵にされ。
会話をした男性は大怪我をさせられ、無理やりに膝の上に乗せられ。
仕事を覚えて、自分の力で生きたい、その夢を『不憫だ』と切り捨てられ。
そんな男に惚れたというマリエットという女性が、ソフィアには謎でしかない。
「ねえ、メリー。同じ女である貴方の意見も聞きたいわ。女性ってそういう男性に惚れるものなの?むしろ…マリエットさんがオズワルド様から解放されたくて、本来の雇い主であるオズワルド様のお父上に泣きついて、それで逃して貰えたのなら、『旦那様には感謝しかありません』という別れの言葉につながると思うのだけれど。…ああ、もしかして庭師の方もそうだったのかも。自分の娘くらいの年齢の子が、苦しんでいたのだもの。助けようとしたのかもね」
話を振られたメリーは、ソフィアの疑問に応えず、ソフィアに掴みかかろうとしたオズワルドの懐に飛び込み、顎下左右に素早く掌底を喰らわしていた。
脳が揺さぶられたオズワルドは立つことが出来ずに、倒れ込んだ。
「ソフィア様…貴方って本当に最高ですよ。だから貴方の側で働くのが好きなんです」
「あら。ありがとう。私もメリーが大好きよ。…それにしてもどうしてオズワルド様は急に怒って…あっ」
「ソフィア様?」
「どうしましょう。許可を頂いてないのに、高位貴族の方の名前を呼んでしまったわ。もしかして、それで怒って…」
「そうかもしれませんね」
メリーからすれば、オズワルドが激昂した理由なんてどうでもいい。彼女にとって大事なのは、ソフィアがソフィアらしくあることなのだ。
後日談として。
まず、オズワルドの父親から平謝りをされた。ソフィアの想像通りで、マリエットは微塵も欠片もオズワルドのことが好きではなく、むしろ視界に入れたくない程嫌い抜き…怯えていたそうだ。
オズワルドの父親は真っ当な人物で、マリエットからの直談判に応じてくれ、遠方への勤務の紹介をしてくれた。
なのだが、息子は諦めた様子はない。元々、容姿端麗でなんでもできる息子は、周囲からチヤホヤを通り越し、崇拝されていた。特にひどいのが彼の乳兄弟で、オズワルドを完璧な貴公子、神の領域だと持ち上げていたらしい。
その結果としてオズワルドの自意識過剰かつ傲慢な性格が出来あがった。
オズワルドの父も、今回の見合いには不安があったのだという。ただ、一度他の女性と会わせてみたらどうか、という勧めもあり、見合いに踏み切ったという。
「本当に申し訳ない。まさか、愛するつもりはないとは……。更には暴力を振るおうとは…本当に何様になったつもりなのか…」
目に涙を浮かべるオズワルドの父を責めることは出来ない。責めるべきなのはーーーー。
「何故、貴方がここにいるのでしょうか?」
「居たら悪いのか?」
何故か、破談になった見合い相手のオズワルドが、フレージ家の庭にいた。