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月明かりが空洞内に溢れる。脱出の術もなく、もはや緩やかに死を待つしかない。無念だ。
「雉は……如何した」
元気であろう筈はないが、声が聞こえないことに不安が掻き立てられる。何故なら、彼は犬と猿が諍い掛けた時には、必ず間に割って入り、仲を取り持ってくれたのだ。先程のトカゲを巡るつまらない口論など、いつもなら雉の柔らかな口調が、その場を和ませてくれた筈なのに。
「……は、い……御側に」
元々高い声音だが、か細いためか、消え入る糸のようだ。
「ああ……居たな」
淡い月明かりの中、私と猿の間の岩場で、小さな塊がゴソッと動いた。存在を感じられないくらい、生命の気配が薄れていたのか。
「桃、太郎、様、お願……ぃが、ござ、い、ます……」
途切れ途切れに、雉が続ける。その苦し気な息遣いに、犬も猿も無言で聞き入っている。
「何だ?」
「私は、程なく、果て、ましょう……」
悲し気な雉の言葉が胸に刺さる。
「弱気を申すでない」
否定するが、現状の打開策が尽きていることは、皆が分かっている事実だ。
「いぇ……もはや、これまで、に、ござ……ます」
側にいた猿が、そっと雉の身体を起こしてやった。痩せ細った身体から、パサパサと羽が抜け落ちる。
「ど……ぅか、私めの、亡骸を、どうか……どうか、お召し上がり、いただき、とぅ、ございます」
「……何て事を申す」
ゾッとした。常時は、狩りの対象でもあるし、雉肉を食すことに抵抗はない。しかし、目の前の雉は、獲物ではない。志を一にした、大切な仲間だ。
「お供に、加えて、いただき、ました、のに……お、お役、に立てず……せめて、御身の、血、肉と、なりとぅ、ご、ざぃ……」
「しかし」
「桃太郎様――」
猿が首を横に振った。彼は、クタリと力なく動かない雉の身体を両手で、捧げるが如く持ち上げた。
「うぅ、すまない……」
落涙が止まらない。余りに軽い骸を胸に抱く。掌に伝わる儚い温もりが、急ぎ薄らいでいく。こんな無為な形で命を消してしまった。私が奪ったにも等しい。悔いても、悔いても、慚愧に耐えない。
自らが発する啜り泣きの音が、空間にさめざめと響き、波音と混じり合い……心が、壊れていくようだ。
ー*ー*ー*ー
『桃太郎様、この先の村も襲われております』
斥候として駆けて行った犬が、半時と開かずに苦悶の表情で戻ってきた。
『村人は、居らぬか』
『はい。荒らされて久しいかと』
『目指す浜まで、まだ山1つ越えねばならぬ。夜露を凌ぎ、英気を養おうぞ』
『御意』
供達を従え、日暮れ前に集落に足を踏み込んだ。犬の報告通り、10数件の民家は扉も外れ、乾いた血飛沫の痕が幾つも見られた。
『やはり、あの化け物共に襲われたようです』
犬は、その優れた嗅覚で惨状の原因を解き明かした。確かに、血痕と死臭のみで、遺体の類が皆無ということは、鬼が綺麗に平らげたに相違いない。
『鬼は満月の夜に訪れると聞く。次の満月までに、成敗せねばなるまいぞ』
唯一血痕のない民家の縁側に座り、きびだんごと猿が汲んできた井戸水を、皆で腹に収める。見上げた虚空は、鎌の如く歪な細い月に切り裂かれている。
『桃太郎様、何か――居ります』
鼻をヒクつかせ、犬がヒラリと庭に出た。
『何奴!』
牙を剥き出し、グルル……と唸る。
私も刀を抜くと、身構えた。
――ガサガサガサッ!
ケーン、と甲高い鳴き声が鋭く響く。壊れた垣根の暗がりが、ギギギと揺れた。
『そこか!』
『待て、犬!』
飛び掛からんとした犬を止めたのは、人や化け物とは違う小柄な姿が視界に入ったからだ。皆が息を潜めて見守る中、薄汚れた雄の雉が現れた。
雉は、私の手の刀を恐れもせず、ヨチヨチと下手な足取りで近づいてくると、物言いたげに小首を傾げた。
『何用だ?』
きびだんごを差し出すと、まるで警戒なく啄んだ。ブルッと全身の羽を震わせてから、金色の瞳を私に向けた。
『不躾をお許しください。私の仲間は、代々この村で養われておりましたが、先日、皆殺しに遭いました』
村では雉を飼育し、その尾羽を括った弓矢を城下町に卸し、生業としていたらしい。前回の満月の夜、南から角を生やした異形がぞろぞろ現れ、小さな集落はあっという間に血祭りとなった。雉達も次々と鬼の餌食になり、命からがら山野へ逃げた此の者だけが、唯一生き延びたという。
『お願いでございます。貴方様は先程、鬼を成敗すると仰った。何卒、私めの尾羽を御矢に括ってはいただけませんか』
生きたまま、自らの尾羽をむしり取れと訴える。雉が死を覚悟していることは、明らかだ。
『鬼に恨みがあるのなら、我等と共に戦わぬか』
『そうだ。尾羽は、旅の道中、生え変わるであろう?』
犬、猿が歩み寄り、口々に勧誘する。私としても、無用な殺生よりも供が増える方が望ましかった。
そうして数日後には、辿り着いた漁村で船を調達し、鬼共の住処の島へと出航した。
『波が荒い! 一度、引き返すべきじゃないか!?』
私達を乗せた漁船は、沖合いで高波に遭遇した。満月まで、あと2日――出直す余裕はないものの、白波が槍の如く立ちはだかる荒れ様に、私は海神への畏れを感じていた。
『いや、乗り切ります! 上陸してください!』
漕ぎ手の若者は、譲らなかった。恐ろしい鬼の島に接近する、この厄介な仕事を早く片付けたかったのかもしれない。
波間に黒い島影が見えてきた。近付くにつれ、暗くうねる波が複雑に重なって、舳先で砕ける。変幻自在な自然の砦となり、我等侵入者を阻んでいるかのようだ。
『桃太郎様……』
供達が荒波に怯え、誰となく私にすがりついてくる。仕方あるまい。彼等は陸で暮らす生き物なのだ。
『あすこだけ――海流が凪いでます! あの湾内に寄せますぜ!』
確かに、岩場の1ヶ所だけ、不自然な程波のない潮溜まりがあった。
若者は器用に楷を操り、みるみる潮溜まりに近付き、狙い通りの位地に入った。それまで激しく揺れていた船上は、ピタリと静止した。
『さぁ、今のうちに――』
汗ばんだ額を拭い、若者が振り向いた時。突然、海面がグラリと渦を巻き、船から舵を奪った。
『な、何だっ?!』
『うわああああ!!』
船はクルクルと回転し、岩場が目の前に迫り――海面の下に引きずり込まれた。
ぽっかり口を開いた岩窟の暗闇に、船を半分程吸い込んだ所で、再び海面が上昇した。
『わ……ぎゃああぁ!』
若者の断末魔が反響した。押し上げられた船は、空洞入り口の岩に叩きつけられ、粉々に砕けた。舳先にいた若者の姿はどこにもなく、岩肌の赤い滴を波が洗い流している。
船の後方にいた私達は、空洞奥の岩の上に投げ出されていた。しかし、全身を打ち付けた衝撃に視界が霞み、そのまま意識が途切れてしまった。




