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ー2ー

 数日間、山野を越えた末、村落に辿り着いた。荒れ果て、人の姿はどこにもない。幾つかのあばら家を覗き、声を掛けたが、返るのは風の音だけだ。寂れた古寺を見つけるも、ここも無人で土埃が床板に積もっていた。戦か飢饉か――或いは両方が起こったに違いない。


『こりゃあ、昨日今日の惨状じゃありませんね』


 手近の枯木に登り、辺りを見渡した後、猿は険しい表情で戻ってきた。


『仕方ない。一晩夜露を凌がせてもらい、次の村落を目指そう』


 西陽に変わりつつある茜色の空を見遣り、私は古寺の縁側に腰掛けた。


『井戸を見てきます』


 猿はパタパタと良く動いた。私は枯れ枝を集めて、お堂の床を掃いた。本尊が座しているはずの場所には何もなく、仏具の類が1つも見当たらないのは、盗難にあったのだろうか。

 私達は、猿が見つけてきた青柿と井戸の水を腹に収めて、お堂で横になった。


 夜半過ぎ、風の音に紛れて、不気味な呻き声が聞こえてきた。


『旦那、物の怪が潜んでいるやもしれません』


 猿は、やや早口で低く囁いた。緊張が伝わってくる。


『斯様なものなど、恐るるに足らず。成敗してくれよう』


 私は腰の刀を示し、立ち上がった。謎の音は、細く高く鳴いたかと思えば、太く低く切れ切れに響いてくる。

 お堂の奥、いや、壁向こうの外が音源のようだ。

 閉め切られた雨戸を押し開けると、冷えた夜の空気がサァッと滑り込んで来た。傍らの猿が小さく身震いした。


 空には、暗い雲が幾筋も折り重なっているが、流れは早く、隙間から差し込む月明かりが刻々と動いている。お堂の外の砂利を静かに踏み進む間も、不気味な呻きは続いていた。建物に沿って角を2度曲がると、墓石らしき長方形の影が幾つも見えた。墓地だ。


『……何奴。御霊を穢す物の怪なら、切って捨てようぞ』


 刀の(つか)に手を掛けたまま、私は凄んだ。

 中央の大きな墓石の前に、蹲る黒い塊がある。これが声を発していた。


 ――グ……グルルルル


 塊は、微かに形を変えた――が、襲い来る気配はない。新たに立てた声音が伝えるのは、悲嘆だ。


 刀身を抜くことなく、目を凝らす。薄い月光が、辺りの景色をぼんやりと浮かび上がらせる。墓前で蹲る薄汚れた塊は、痩せこけた野犬だった。平伏したまま、瞳だけ上げて私を見ている。眼差しに広がる想いに触れ、私は柄から手を離した。


『お前は……そこを死場所と定めたのだな』


 一歩近付き跪くと、きびだんごを1つ取り、犬の鼻先に差し出した。


『何があったのか、話を聞かせてもらえまいか』


 語り掛けたものの、犬は興味なさ気に、ジッと眺めている。雲の流れに伴って、ゆっくりと明暗が繰り返されるも、膠着状態が続いた。


『私の名は桃太郎。村を襲った鬼を討つため、供と旅の途中だ』


 犬の耳がピクリと動き、丸い瞳が月明かりに反射した。


『何故、鳴いていた。この村落に、何があったのだ?』


 もう一度問うと、犬は頭をもたげ、鼻をクンと鳴らしてから、きびだんごを口にした。


『あ――貴方様は』


 全身をブルッと震わせ、彼は静かに四肢で立ち上がった。


『あの巨大な化け物を、倒しに行かれると仰いましたね?』


 犬の言葉遣いは丁寧だった。対峙する態度も、粗暴な野の者のそれではない。


『如何にも』


 頷くと、彼は居住まいを正すように、改めて私の前に座した。


『俺の言葉が……お分かりでございますか』


『うむ。このきびだんごには、龍神の霊力があるのだ』


『何と。勿体ない。では――お話しいたします』


 犬は、やはり野犬ではなかった。元は当地の領主の忠実な僕であり、狩りの供であったそうだ。


『この春の終わり、月が赤い夜でございました』


 生臭い風が南から吹き込み、異様な禍々しさを気取った時には、既に村落は血に染まっていたという。

 犬の主も家臣と共に果敢に立ち向かったが、力の差は歴然で、あっという間に頭から喰われてしまった。人肉で腹を満たした異形らは、方々痛め付けられて虫の息だった犬を、戯れで踏み潰さんとした。が、寺の住職が唱えた念仏に顔をしかめると、忌々しげに去って行った。老齢の住職は、独り供養の日々を過ごしていたが、偶然村を訪れた旅の男達に撲殺された。異変に気付いた犬が駆けつけたものの、男達も金目の物も寺から消え、住職の死体だけが裏庭で雑に土を被っていた。


『惨い話だ』


『主にも住職にも、恩義に報いることすら出来ず、おめおめと生き延びてしまいました。かくなる上は、主の御側に参ることだけを願っておりましたが……』


 犬は、不意に言葉を切ると、ガバと再び平伏した。


『桃太郎様。化け物成敗のしもべに、何卒加えていただけませんか。憎き仇の喉笛に、せめて一牙突き立てて、死にとうございます』


 私は、答えに窮した。静かに死を迎えんとした彼の覚悟を妨げ、己が使命に巻き込んでしまったのではあるまいか。


『良いではありませんか、桃太郎の旦那』


『猿』


 背後から歩み寄って来た供は、私の迷いを見透かしたように、酷く冷静な眼差しを返してくる。


『喩え畜生の身であっても、忠義もあれば憎悪もあります。オイラも旦那に拾ってもらって、命が残った意味を漸く見つけたんです』


『そちらの方の仰る通りです。ここで無為に息絶えても、主に会わせる顔がありません』


 猿が寄せる仲間への深い親愛。犬が抱く主や住職への篤い忠義。

 彼らの想いを、軽んじることなどできまい。私は胸が、目頭が熱くなるのを感じた。


『あい分かった。共に死力を尽くそうぞ』


 きびだんごを犬に授けた。食した彼は、活力に満ちた確かな足取りで、スックと地を掴んだ。キリリと知的な顔付きで墓に向き直ると、大きな遠吠えを発し、主の骸に決別を告げた。



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