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浮遊島(危険域/森林エリア)


「今日からシグルド様のお世話をさせていただきます」


 五年前。

 シグが十歳だった時のことだ。

 自室で歴史書を読んでいたシグのもとに、新しい世話役がやってきた。


 王族には必ず専属の使用人がつく。特に理由がなければ変更されることなく、数年かけて視線一つで相手の望みを察することができるような付き人へと変わっていく。


 しかしシグの場合は頻繁に世話役が変わっている。


 あんな落ちこぼれに抱え込まれるのはご免だと、使用人が何かと理由をつけて短期間で辞めてしまうのだ。ちょうど貧乏くじを押し付け合うように。



 ――お前もやめたくなったらやめていいぞ。どうせ次の誰かがあとを引き継ぐ。



 読んでいた歴史書から視線を上げもせずそう言うシグ。

 そんなことを言われれば、普通どんな使用人でも不快感を隠し損ねて閉口する。

 だが、目の前の新しい世話役の少女はどうもおかしかった。


「まあ、そうですわね。シグルド様は嫌われ者ですし」


 最初シグは、その言葉の意味がわからなかった。


「……は?」

「まあ、そうですわね。シグルド様は嫌われ者ですし

 一言一句違わず繰り返される発言。

 シグは唖然としてしまった。王族に対してこの舐めた物言いは正気の沙汰ではない。


「ですがご安心を。私は投げ出したりしませんわ。確かにシグルド様はそろそろ勘当されるんじゃないかと使用人の間でもっぱらの噂ですが、この私がきちんとご面倒を見てさしあげます」


 ごく自然に毒を吐きながら目の前の少女は慇懃に礼をしてみせる。


 それが、当時十歳だったカナエ・リステルとの出会いだった。





 カナエは毒舌だったが、使用人としては優秀だった。


 王宮で働けるのはきちんと訓練された一流の使用人だけだ。

 その基準を十歳にして満たし、見習いではなく正規の女中として扱われるだけの素質は並ではない。


 そんな天才女中が一体なぜ自分の世話役をしているのか。


 しかも、今まではどんなに遅くとも半年もすれば世話役は交代していたというのに、カナエは一年経っても平然とシグの付き人をやっている。


 カナエならばシグの兄――次期国王として期待される第一王子の付き人になることも容易なはずだ。


 なぜならカナエは使用人としての技術はもとより、外見的にも使用人とは思えないほど美人だった。

 東方出身特有の黒髪と白い肌は、そこらの貴族子女など比べ物にならない美しさだ。

 第一王子の今の世話役を蹴落とすことなど造作もないだろう。


 だからこそわからない。

 ある時シグはそれを尋ねた。


「なぜお前は俺の世話役などやっている?」


 返ってきた答えは、以下のようなものだった。


「私の母は以前、王宮に勤めていました。その際にミスを犯したのです。晩餐会に出すはずだった料理を落として駄目にしてしまい、糾弾は免れないはずでした――」


 言われて初めてシグは思い出した。


 何年か前に領主を集めて晩餐会を開いたときのことだ。


 招待された領主の息子がはしゃいで王宮内を走り回り、食事の用意をしていた使用人にぶつかった。

 その際、使用人は抱えていた大皿を料理ごとひっくり返したのだ。

 領主の息子は謝ることもなく、むしろ逆ギレして走り去っていた。


 そのままではぶつかられた使用人が責められる。

 それを見ていたシグは、その使用人の料理を「自分がぶつかって」駄目にしたと吹聴した。


 自分にこれ以上落ちる評判などない。

 だから使用人を庇って泥をかぶっても痛くもかゆくもない。

 それで人助けになるなら冤罪でもまあいいか、というわけだ。


(あの使用人、病気か何かで辞めたと聞いていたが……)


 よくよく思い返してみれば、その使用人はカナエに似た黒髪だったような気もする。


「母からその話を聞き、その方が王宮内でどんな扱いをされているかも聞き、私は王宮使用人を志しました。見習いから始めて、一年かけて一人前と認められたため、かねてより望んでいたシグルド様の世話役に立候補したのです」


 納得していただけましたか、と言ってカナエはにこりと笑った。

 初めて見せる、年相応の可愛らしい笑顔。

 シグは心臓がどきりと跳ねたのをごまかすように、


「……変わったやつだな、お前は」

「変わり者ではシグ様のおそばにいられませんか?」

「そうは言ってねえだろ。好きにすりゃいい」

「ええ、好きにさせていただきます」


 その温かい笑みは、シグの心を強く揺らした。





 高位の貴族子女は十二歳になれば貴族学院に通うようになる。

 当然シグもその慣例通り、兄も卒業した『国立ガルディア貴族学院』へ送り込まれた。

 貴族学院では世話役を実家から連れてくる生徒が多い。

 完全寮制であるガルディア貴族学院で暮らす以上は、馴染んだ使用人がいたほうが何かと都合がいいのである。


 とはいえ、シグはカナエを連れて行くつもりはなかった。

 学院生活がどんなものになるか予想がついていたからだ。


 しかし出発の当日にカナエは馬車の中に潜り込んでまで同行してきて、途中で下ろすわけにもいかず、なし崩し的に彼女は学院までついてきてしまった。


 シグがカナエを置いてきたかった理由は、すぐに明らかになった。


 シグに対する露骨な嫌がらせが始まったのだ。


『精霊術ひとつ使えないようなやつが王族なんてありえない』

『マナを扱えないなら家畜と変わらないじゃないか』

『品位が下がるから学院を出て行け』


 シグが最弱の疑似精霊を宿していることがわかると、貴族たちはシグをこぞって中傷した。


 精霊差別、というものがある。


 国を想う気持ちが強ければ、強い精霊が宿る。弱い精霊を宿すのは国に不利益を考える者だ。それが精霊の格になって現れるのだ――

 馬鹿げた話だが、貴族の間ではそれが信じられている。


 そして、それは精霊が弱ければ迫害してもいいという免罪符でもある。


 全寮制であったこともそれを後押しした。シグが簡単に実家を頼れないとわかっているから、生徒たちはシグを攻撃することを躊躇わなかった。


 嫌がらせはあっという間にエスカレートしていく。

 持ち物はすぐに紛失した。

 身に覚えのないシグの噂が囁かれた。

 ある時など、講義を終えて寮の部屋に戻ったら中がめちゃくちゃに荒らされていた。


「……なんというか、シグルド様が私を置いてこようとした理由がよくわかりますわ」

「そうだろうな。今からでも帰るか?」

「いえいえ、こんなところにシグルド様ひとり残しては帰れません。何しろシグルド様には頼れるご友人ひとりいらっしゃいませんから」

「喧嘩売ってんのか」

「それに――ひとりでは耐えられないようなことも、二人なら案外何とかなるものでしょう?」


 そう言って、荒らされた寮の部屋を片付けながらカナエは微笑む。


 そんなカナエの優しさを軽率に受け入れた自分を、シグは今でも呪いたくなる。





 ある日、講義から戻ったシグをぐちゃぐちゃに荒らされた自室が迎えた。

 それ自体はもうシグにとっては日常茶飯事だった。

 ただ一点。

 壁に殴り書きされた、『使用人は預かった。返して欲しくば街はずれの廃工場まで一人で来い』という文字を除けば。


 カナエは優秀な女中だが、戦闘能力は低い。

 強力な精霊を宿す貴族であれば誘拐は容易いだろう。

 シグは焦りと怒りでどうにかなりそうなまま、愛用の剣を持って指示された廃工場に向かった。


 犯人は簡単に予測できた。


 ギルシュ・ガーデナー。

 シグに対して入学当初から執拗なまでの嫌がらせを行っていた人間だ。


 ギルシュは誰よりも過激な手口でシグを攻撃してきたが、露見してもほとんど罰を受けた様子はない。何らかの権力によって守られているのは明白で、シグはその後ろ盾を実の父親である国王だと予測していた。


 おそらく国王に頼まれてシグを王家から追い出すネタを作ろうとしているのだろう。

 抑止力になっていた幼馴染のエイレンシアは留学していて不在。

 その隙を突くように起こった事件だった。



 廃工場には、気絶させられたカナエが転がっていた。



 シグは思わずカナエに近付き――それが罠だったと気付いた時には遅かった。


 ちくりと掠めるように氷の矢がシグを傷つけ、そこからギルシュのマナがシグの体内に入り込む。途端にシグは自らの意志では指一本動かせなくなった。


 ギルシュの精霊は【心】と【氷】の複合属性。

 自らの手で触れるか、あるいは精霊術をぶつけることによって対象の精神に干渉する。

 シグはカナエに気を取られ、背後から隙を伺うギルシュの攻撃を食らってしまったのだ。

 シグの意識はきちんとあったが、体の操作権をギルシュに握られた。


 物陰に隠れていたギルシュが出てきて、嘲笑うように言う。


「君に学院生活を続けてもらっては困るんだよ。僕は君に不祥事を起こさせるよう、さるお方から頼まれているものでね」


 そこからは地獄だった。


 ギルシュに操られ、シグは剣を抜いた。

 それは気絶したまま転がされているカナエを――刺した。

 何度も、何度も。

 絶叫が上がった。

 カナエは気丈な少女だったが、それでも刃物で手足から順に刻まれていくような苦痛に耐えられるはずもない。

 涙を流し、激痛によって嘔吐し、最後には気絶した。


 シグは気付けば血の海の中に跪いていた。


 たまたま近くを通りかかった一般人が廃工場の入り口から悲鳴を上げて、シグはようやくそれで現実に意識を戻した。


 服は返り血で真っ赤に染まり、血まみれの剣を握り、半死半生の少女が足元に転がっている。そんな状況を見られたシグがどう思われるかなど考えるまでもない。


 その頃には、ギルシュはとっくにその場を去っていた。





 カナエが一命をとりとめたと知ったのは、それからしばらく経ったあとのことだった。


 一晩経たずに事件の犯人はシグだという噂が出回った。

 第二王子の乱心。

 不自然なほど早く広まったその情報は、あっさりと国民に受け入れられた。

 退学。

 王家の追放。

 まるで事前に用意されていたように速やかに、それらの手続きは行われた。


 各種手続きや勧告でしばらく拘束され、シグは事件から一週間後にようやく治療院に行くことができた。


 カナエは、生きていた。

 意識はなかったが、治療院のベッドでちゃんと息をしていた。

 シグはそれを見下ろして、血がにじむほどに拳を握りしめた。


 ――俺のせいでカナエは死にかけた。


 ギルシュの罠に気付けていれば。嫌がらせが始まった時点でカナエを帰らせておけば。学院についてこようとするカナエを止めることができていれば。

 そんな後悔がシグの脳でぐるぐる回る。


「ひどい顔ですわ」


 ふと、声が聞こえた。


 カナエが目を覚ましたのだ。ベッドの上で薄く目を開けて、カナエはシグを見上げている。

 シグはひたすらに謝った。他にできることなど何もなかった。

 けれどカナエは一切シグを責めなかった。


「気にしないでくださいね。シグルド様のせいではありません」


 そんなわけがない。

 自分のせいでカナエが悪意に巻き込まれたのだ。

 そしてシグは、カナエを守ることができなかった。


「もう少し――かわいく悲鳴を上げられれば、よかったのですけれど」


 あまつさえ、カナエは冗談めかすようにそんなことを言った。シグを励ますように。


「私は、ずっとあなたのそばにいます。だからどうか、気に病まないで……」


 そう告げて、カナエはすぐに眠ってしまった。


 シグはしばらくその場に立ち尽くし、それから病室を出た。


 今のシグは世間的には『使用人を半殺しにして王族を追放された』人間だ。どんな目で見られるかはわかりきっている。迫害のような扱いをされるかもしれない。


 だからもうカナエとは一緒にいられない。


 だが、シグがカナエを手放す気になったかといえばそれは違う。

 カナエという少女はシグにとってもうかけがえのない存在に変わっていたから。


 だからシグは冒険者になったのだ。


 強くなるために。

 大切なものを今度こそ守り抜くだけの力を手に入れるために。



× × ×



「――それがこのザマかよ、情けねえ……」


 『浮遊島』危険域の正規ルートを走りながらシグは吐き捨てた。


 状況はかつての事件のときと何も変わらない。

 クゥを拉致され、まんまとおびき出されている。


 だからこそ、今度ばかりはギルシュの思う通りにさせるわけにはいかない。


 呼び出されたのは危険域の中でも市街地に近い森林エリアの一角だ。

 魔物との接触を防ぐため、整備された正規ルートを進んでいく。

 と。


「あん?」


 シグは急ブレーキをかけて思い切り跳躍する。

 直後、シグの下方に火球や風の刃、岩の砲弾が殺到した。

 精霊術だ。術が飛んできた方向を見ると、そこには貴族学院の制服を着た人間が五人ほど立っていた。


「お前ら、ギルシュの手先か?」

「「「…………」」」


 返事はない。

 貴族学院の生徒らしき五人は、うつろな目をしたまま再び手を掲げてくる。


(協力者ってわけじゃねえ……操られてるのか?)


 通る可能性の高い道に待ち伏せをさせ、シグを不意打ちで攻撃する。

 つまりこれはギルシュが張った罠の一つだとシグは推測した。

 見た限り、ギルシュの姿はここにはない。

 となればここに留まる理由もない。


「急いでんだよ俺は。邪魔するってんなら容赦しねえぞ」


 返事は色とりどりの精霊術だった。


 シグはそれを回避したが、思わず舌打ちした。


 この浮遊島に来ている生徒はすべて学院内での選抜を突破したエリート揃いらしい。

 そこらの冒険者よりずっと術の威力が高く、しかも五人は絶妙に間隔を空けて配置されている。接近戦狙いのシグとしてはやりづらいことこの上ない。


 とはいえこの五人はここで排除しておかなくては後々厄介なことになるのは目に見えている。


「「「――――」」」


 再び放たれる複数の精霊術。

 しかしそれらはシグに到達することはなかった。


「【ライトニングスピア】!」


 ありえないような速度で横から飛んできた稲妻の槍が、五通りの精霊術をまとめて吹き飛ばしたからだ。


 シグがぎょっとして横を見ると、小走りでエイレンシアがやってくるところだった。


 エイレンシアはぎゃりぎゃりぎゃり! と学院指定のブーツではありえないような音を立てて足を止めると、


「あんた何してんの? ってかこれどういう状況なわけ?」

「いや俺が聞きてえよ。何してんだお前」

「ギルシュ含めてうちの生徒が何人か危険域に入ったって言うから追いかけてきたのよ。あんたは――って、待った。嫌な予感がする。あんた連れの白いのはどこやったの?」


 真剣さを増した声で尋ねてくるエイレンシアに、シグは事情を明かした。


「……攫われた。犯人は多分ギルシュだ」

「あんの、馬鹿野郎……ッ」


 エイレンシアはそう吐き捨て、シグに向き直る。


「いいわ、あんたは先に行きなさい。あの操られてるっぽい五人はあたしがやっといてあげる」


 シグは目を瞬かせた。


「……どういう風の吹き回しだ?」

「いいからうだうだ言ってないで早く行きなさいボンクラぶっ飛ばすわよ!」

「あ、ああ。――助かる」


 まくしたててくるエイレンシアに対して素直に礼を言い、シグはその場を後にした。

 お読みいただきありがとうございます。


 おかげさまでブクマ百件を超えました! やったぜ。

 ありがとうございます!

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