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浮遊島(『朝陽の音色亭』)


 『朝陽の音色亭』は貴族学院生が泊まっているだけあって厳重な警備がなされている。


(簡単には入れねえな……)


 門番の姿を確認してからシグはそう結論し、侵入ルートを考える。


 すでに夜になっている。

 エイレンシアとの待ち合わせには時間の指定はなかったが、あまり待たせるとどうなるかわからない。


(まあ、裏から行くか)


 浮遊階段を上り、シグは警備の手薄な場所を探す。


 エイレンシアは『バルコニーから入ってこい』と言っていたし、門番に話を通してあるなどと気の利いた展開はないだろう。

 だいたいシグは貴族学院を退学させられた身であり、そんないかにも恨みを持っていそうな立場の人間を招き入れるはずもない。


 つまりシグは不法侵入するしかないのだ。


 ちなみにエイレンシアの指示通り、クゥは宿に置いてきている。


 もう少し駄々をこねるかと思ったが(クゥはエイレンシアを気に入っていたため)、案外素直に言うことを聞いた。というのも、


『セリアに相談したら、宿の仕事を手伝わせてもらえることになったよ! 報酬はいちごたっぷりのタルトだって!』


 ――らしい。


 どうやら夕食のとき、シグがいない間の時間の使い方をセリアに相談していたようだ。

 客に手伝わせるのはどうなんだと思わなくもないが、クゥの場合は肉体労働も苦にならないだろうし、食べ物が報酬ならむしろ大喜びで働きそうだ。


 そんなわけでシグは単独行動である。


「よっと」


 浮遊階段を蹴って大きくショートカット。

 シグはある程度『朝陽の音色亭』に近い浮遊階段のブロックへ着地した。


 高度は地面から十М強。メリオールがほとんど一望できる位置だ。眼下ではメインストリート沿いに酒場の明かりが並んでいるのが見える。


 ここなら門番や宿の窓からは見えない。

 だんっ、とシグはさらにブロックを蹴飛ばした。軽やかな音を立てて『朝陽の音色亭』の屋根に着地する。


 数秒待つが、周囲に変化はない。

 今の着地音でバレたりもしていないようだ。貴族が泊まる宿だけあって防音もしっかりしているのかもしれない。


(三階奥っつったな……)


 下を見て確認する。


 エイレンシアの指示した三階というのはこの宿の最上階なので、たいした距離もない。下方にはそこそこ広いバルコニーが突き出している。

 飛び降りても問題ないと判断し、シグは慎重に位置を調整。


 シグはバルコニーの端に着地するよう飛び降りて――



「ったくあいついつになったら来る――きゃああ!?」

「うおわっ!?」



 ちょうど部屋から出てきたエイレンシアを盛大に押し潰した。


 当然シグは足から着地するように飛び降りたが、空中でどうにかエイレンシアを避けようとした結果態勢を崩し、エイレンシアが軽くのけ反ったこともあって最悪の不時着を果たす。


 具体的には。

 エイレンシアを横向きに押し倒すような感じになった。


「「………………、」」


 シグとエイレンシアは状況が理解できず至近距離で硬直。


 いちおうエイレンシアの頭部を守るべくシグの左手はエイレンシアの頭と地面の間に差し込まれているのだが、もう片方の手が思いっきり柔らかい胸元に軟着陸している。


 むにゅ、と反射的にシグは手を動かしてしまう。


 エイレンシアが正気に戻った。


「あ、あああっ、あんた何してんの!? え!? 何してんの!?」

「待て違う! 事故だ! すまん! つーか何でお前出てくるんだよ!?」

「それを言うならあんたでしょうが! 何で急に降ってくるのよ!?」

「下から行ったら窓から丸見えだろうが!」


 このあたりで、隣の部屋のバルコニーに続くガラス戸ががたがた言い出した。


「――ふッ!」

「いってえ!?」


 判断は速かった。

 エイレンシアは顔を真っ赤にしたまま長い脚でシグを部屋の中に蹴り入れる。

 ほとんど同時に隣の部屋から貴族学院の生徒が顔を出した。


「エイレンシア様! 何事ですか!?」

「な、何でもないわ。ちょっと大きな虫がいただけよ」


 誰が大きな虫だ誰が、とシグは突っ込みたかったが我慢した。


「そ、そうですか。何事もないならよかったですわ」

「ええ。それじゃあたし部屋に戻るから」


 エイレンシアが隣の部屋の生徒との会話を打ち切り、バルコニーから戻ってきて。

 部屋に蹴り込まれていたシグの胸倉を掴み上げた。


「いきなり落ちてきてこのあたしの胸を揉むとかいい度胸ね……!」

「……正直すまん」

「ほんと重罪よこれ。あんたじゃなかったら十五回は殺してるわ」


 顔を赤くしたままシグをその場に落とすエイレンシア。

 こればかりはシグも反論できない。


「で、俺は何回殺されるんだ?」

「別に殺さないわよ。一緒にお風呂入ったくらいだし、今更それくらい。……それくらい」


 どうやら気にしてない、ということにしてくれるらしい。まだ微妙に顔が赤いので気にしているのは丸わかりなのだが。


 ちなみにシグとエイレンシアはお互いの裸を見るのもそれなりに慣れている。

 さすがに十二歳を超えるあたりでお互い気にするようになったが、それまでは一緒に風呂も入って『今日の模擬戦で負け越したほうが背中を流す』などとやっていたものだ。

 おそらくそれがなかったらシグは消し炭になっていた。


「貸しイチってことにしといてあげる。感謝しなさいよね」


 というエイレンシアの一言で、その件は決着した。


 ぼすん、とエイレンシアは照れ隠しのように勢いよくベッドに座る。


 シグは適当に椅子を引いて座った。

 部屋に調度品は少なく、清潔で、それなりに広い。確かに貴族が来てもおかしくないような個室だ。


 シグのほうから尋ねた。


「で、呼び出した用件ってのは?」

「あら、案外素直じゃない。てっきりカナエのことを教えろって言うと思ったわ」

「どうせ先には教えねえだろ」

「まあそうなんだけど。じゃ、まずどうでもいいほうからね」


 複数あんのかよとシグは口の中で突っ込んだ。


「ギルシュのことよ」

「……あのカスがどうかしたのか」


 ギルシュ、と聞いてシグが露骨に嫌そうな顔をする。シグにとって一番聞きたくなかった名前だ。


「あたしは例の事件の犯人、あいつだと思ってる」


 『例の事件』というのはつまり、シグを退学に追い込んだ一件のことだ。


「……あれは俺が犯人らしいぜ」

「んなわけないでしょ。あんたが人を斬ったりするもんか」


 エイレンシアは苛立ちをにじませて、後半は吐き捨てるように言った。


「あんたは操られてた。【心】属性の精霊術で。――それ以外にあり得ないわ」

「……それでも、」

「あーうるさいうるさい。『操られたのは俺が未熟だったからだ』とか言ったら殺すわよ。悪いのはあんたを操ったクソ野郎に決まってんでしょうが」


 エイレンシアは一撃でシグの内心を看破しつつ、話を続ける。


「状況から、術者は学院の生徒か教師。しかも希少な【心】系統の精霊使いで、アリバイのない人間。ここまでで容疑者は二人」

「……なんかお前詳しくねえか? あの時期は学院にいなかっただろ」


 思わずシグは尋ねた。


 とある事情でエイレンシアは他国に留学していた。

 シグを退学に追い込んだ事件は、その隙を突くように起こったものだ。事件当時の状況などどうやって知ったのか。


「そんなもん本腰入れて調べたらすぐわかるわよ。学院に戻ったらシグがいないんだもの、気になるでしょうが。あたし何にも聞かされてなかったし」

「……仕方ねえだろ。そんな余裕なかったんだよ」


 拗ねたような視線が向けられシグの口調も言い訳っぼくなる。

 エイレンシアは、ふん、と鼻を鳴らしてから、


「話を戻すけど、その中でも動機のある人間は一人しかいなかった。日常的にあんたをいびってたギルシュよ」


 ギルシュはシグに対してよく嫌がらせ行っていた。

 持ち物を精霊術の的にして遊ぶ。シグの寮の部屋を荒らす。そんなことを執拗なまでに繰り返していた。


 ウィスティリア王国には精霊差別というものがある。


 ようは強い精霊を宿す人間は、弱い精霊を宿す人間に対して差別意識を持っているのだ。貴族は特にそれが顕著でギルシュもその一人である。


 とはいえそれだけではない。

 ギルシュが執拗なまでにシグを虐めていた理由は――、


「あいつは国王(おやじ)とグルだった。落ちこぼれの俺をどうにか追い出したい親父がその口実を作らせるよう、ギルシュに命じた。動機はそんなとこだろ」


 それは学院の中で公然と囁かれる噂だった。


 ありそうな話だとシグも思ったし、事件の以前からギルシュはシグに苛烈な嫌がらせを仕掛けてきたが、その際もお咎めはなかった。強力な後ろ盾があったと考えるのが自然だ。


 ギルシュはシグを貶めるための、実の父からの手先だったのだ。


 エイレンシアはぐっと唇を噛んでから、それでも気にしていないというように、話を続けた。


「……動機、アリバイの有無、精霊の属性。そこまで揃ってたのに、ギルシュは容疑者から外れたわ。あいつは当時中級精霊使いだったから、人間を操ることはできないはずだって」


 そう。

 シグは当然、自分を操った真犯人としてギルシュを真っ先に疑った。

 しかしそれは学院側には認められなかった。


 人間を操るなら少なくとも上級精霊の術でなくてはならず、当時のギルシュは中級精霊使いだったからだ。


 ギルシュは容疑者から外され、あの事件は『シグが乱心して付き人を切り刻んだ』と結論されてしまった。


 もちろんそれは事実ではない。

 しかし証拠がない以上、シグがどれだけ訴えても無実は証明できなかった。

 かくしてシグは学院を追い出され、さらにそれを理由に王家をも追放されたのだ。


「もちろんあたしはシグが犯人なんて思ってない。けどギルシュが犯人だって証拠も出てこない。面倒くさくなったから直接聞いたのよ。ギルシュに。言わなきゃ殺すわよって」

「……お前らしいな」


 絵面が容易に想像できる。


「で、ギルシュは白状した――わけじゃねえよな。昨日の様子を見る限り」

「……邪魔が入ったのよ。吐かせ損ねたわ」


 と、若干悔しそうに言うエイレンシア。


 エイレンシアの邪魔をできる人間、というだけでシグはだいたい察した。

 エイレンシアは大領主の娘で特級精霊使いだが、この国の最高権力者は別にいるし、さらに突かれると弱い部分が一つだけあるのだ。


「それに、なんかきな臭いのよねあいつ」

「きな臭い?」

「この浮遊島での実習、選抜試験があったのよ。特に危険なところに行くから優秀なやつしか連れて行けないって理由で」


 選抜があるというのは納得のいく話だ。


 いくら授業の一環と言っても、うっかり貴族に傷でもつけたら教師の首が飛ぶ。弱い生徒は連れてこられない。


「実際、選抜に通ったのはほとんどが上級精霊使いだったわ。なのに――」

「中級精霊使いのはずのギルシュがいる、か」


 確かに妙な話ではある。事情が事情だけに、選抜に手抜かりがあったとは考えにくい。


「丁度あんたがいなくなったあたりから、急に強くなったらしいのよ」

「……精霊が進化したとか?」

「ないとは言わないけど、どうなのかしらね。あれって相当魔物を倒さないといけないんでしょ? あいつが陰で努力するタイプだと思う?」


 思わない。

 ギルシュは貴族らしく、地道な努力が嫌いなタイプだ。シグの知る限り女遊びや賭博ばかりしていた。


「しかもなんかこそこそ得体の知れないやつと会ってるっぽいし……どうせろくでもないこと企んでるわ。つーことで、ギルシュには気をつけときなさい」


 と、エイレンシアは言った。

 どうやら忠告してくれているらしい。


「言われるまでもねえ。誰があんなやつに近付くかよ」

「ならいいのよ。それで本題なんだけど」

「今の前座かよ」


 シグにとってはそんなに雑に扱える内容ではなかったのだが。


「そうよ前座よ。それで、本題っていうのは――」


 何やらエイレンシアが言いよどんでいる。


「……まさか親父が何かしてやがるのか?」

「あー、いや、そういうんじゃなくて、その……」


 エイレンシアはそわそわと視線をさまよわせ始めた。何やら緊張しているようにも見える。……あのエレンが?


「お前、本当にどうした? 体調でも悪いのか?」

「違うわよ! そうじゃなくて、私はあんたに――あ、あや、」

「アヤ?」


 眉をひそめるシグに、エイレンシアはしばらく口をぱくぱく動かしてから。

 すーっ、と不自然に視線を逸らした。


「……あ、あの白いのって何者?」

「あん?」

「昨日あんたと一緒にいたじゃない」

「……お前、なんか話逸らそうとしてねえか?」

「し、してないわよいいから答えなさいよ!」


 もう何が何やらわからない。

 とりあえず、『あの白いの』というのはクゥのことだろう。


 シグは作っておいた設定を語ることにする。


「あいつは迷宮で会った冒険者で――」

「あの白いの、精霊じゃない?」


 ぎくり、とシグの体がこわばった。


「……何のことだ?」


 エイレンシアは腕組みをしながら言う。


「明確な根拠があるわけじゃないけど……なんか気配が契約精霊トーラに何か似てる気がしたのよ。高密度のマナ独特の感じっていうか……」


 特級精霊使いのエイレンシアは、日常的に強力な精霊と接している。

 その感覚がクゥの人ならざる気配を感知した、ということか。


「それに名前があんたの精霊と一緒だし。あんた、身体強化使えるようになってたし」

「……」

「おまけにあんたを侮辱したギルシュにめちゃくちゃ怒ってたわ。大好きな主人を馬鹿にされたみたいに」

「…………、」


 おそろしい観察眼だった。

 エイレンシアはほとんど結論に達している。

 となればとぼけても無駄だろう。シグはこう答えた。


「……まだ、言えねえ」

「隠し事はあるって認めるのね」

「ああ」

「あたしでも言えないわけ?」

「……ああ」


 シグの答えに、エイレンシアは「ふ~~~~ん」とじと目になった。

 ここは幼馴染のエイレンシアでも言えない。少なくとも今はまだ。


「あんたがそう言うなら見逃すけど、そのうち話しなさいよね」

「助かる」


 どうやら追及せずにおいてくれるようだ。


「で、お前が俺を呼びだした用件ってのはこれで全部か?」


 シグが訊くと、むぐ、とエイレンシアが言葉に詰まった。


「……ぜ、全部よ」

「……?」


 その反応にシグは違和感を覚えたが、深くは突っ込まない。


「まあいいけどよ。なら、そろそろ教えてくれねえか」


 シグが何のことを言っているのは、エイレンシアはすぐに察した。


「カナエのことね」

「ああ」

「とりあえず、命に別状はないわ。ただ、今は王宮から暇をもらってるみたいね」

「……理由は?」

「なんか母親が病気で倒れたとかで、その看病のためって話よ」


 カナエの母親に持病があるのはシグも知っている。

 そうか、とシグは言った。


「それが聞けただけで十分だ」

「心配なら会いに行けばいいのに」

「会わねえよ。……少なくとも、しばらくは」

「?」


 シグの含みのある言葉に、エイレンシアは首を傾げた。

 お読みいただきありがとうございます。

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