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浮遊島(『眠りの梟亭』)


「助かりましたぞ冒険者どの」

「気まぐれでこっちが勝手にやってるだけだ。気にすんな」


 がらがらがら、と荷車を押しながらシグは老婆の感謝に適当な返事をする。


 シグが引く荷車には、樽三つと果物入りのカゴと、荷車の持ち主である老婆本人が乗っている。


「そちらのお嬢ちゃんも力持ちだねえ」

「まあね。このくらいなら何ともないさ!」


 シグの隣では、クゥが大樽二つを重ねて運んでいる。事実、クゥからすれば中身がたっぷり詰まった酒樽二つを運ぶくらいたいした苦労ではない。


「いやあ、儂は宿をやっとるんですが、何やら貴族の学生様たちが泊まるとかで一番大きな宿が借り切られてしまいましてなあ。おかげでうちにもお客様が押し寄せて、あっという間に食糧庫が空になってしもうて」


 貴族の学生、という言葉でシグはだいたいの事情を察した。


「その一番大きな宿ってのは『朝陽の音色亭』か?」

「ええ、そうです」


 つまりは冒険者たちを押しのけて一番大きな宿を占領した貴族学院組のしわ寄せを食らった、ということだろう。


 老婆の宿は客が増えて大盛況かもしれないが、シグとしては少し困る。


「一番大きな宿が埋まったってことは、他の宿もだいたい満員って感じか?」

「そうですなあ。今から宿を取るのは難しいでしょうな」


 やはりそういうことらしい。


「冒険者様。うちでよければ、何とか一室ご用意いたしますぞ」

「いいのか?」

「そのくらいの礼はさせてくだされ。少々手狭になってしまいますが……」

「屋根と扉があれば構わねえ。野宿は面倒だからな」


 主に手荷物を狙ってくる盗人への対策が。

 そんな話をしている間に目的地にたどりつく。


「わあ……!」


 街並みを見て、クゥが一番に目を輝かせた。


 浮遊市街『メリオール』。


 水平に視線を向けた限りは、迷宮市街と似た景観だ。

 幅の広いメインストリートが伸び、その両端に宿や商店が並ぶ。

 はるか奥に見える高い塀のようなものは、おそらく魔物たちからこの街を守るためのものだろう。


 しかし頭上に視線を向ければ、そこにはメリオール特有の光景が広がっている。


「……建物が浮かんでやがる」

「ほほ。地上ではなかなか見られない光景でしょう」


 街のいたるところに直方体状のブロックが浮き、延々続くそれを目で追っていくと、なんと空中にいくつも建物が存在している。


 建物の『底』を見る、というのはシグにとって初めての経験だった。

 階段のように並ぶブロックは、宙に浮く建物どうしをつなぐ空中回廊の役目も果たしているようだ。


「この街の大きさは、浮遊島全体の二十分の一ほどしかありません。その狭さをどうにか補おうとした結果、開拓した場所の上を使うことにしたわけです」

「……そんなことができるもんなのか?」

「浮遊島以外では不可能でしょうな」


 聞けば、建物を浮かせるには『浮遊石』というマナ鉱石が必須らしいのだが、浮遊島ではその効力がなぜか増幅されるとか。


 浮遊島はそもそも浮遊石が大量に採れること、さらにその効力を増幅させられる場所であることが合わさって、初めて可能な荒業らしい。


「儂の宿はあれです。真下の近くに階段がありますので、近くまでお願いできますかな」


 そう言って老婆が指さしたのは――なんと見渡す限りもっとも高所に経つ建物だった。

 目を輝かせてきょろきょろするクゥを連れて荷車を引き、指示された場所まで行く。


 薄く伸ばしたような板が、確かに階段上に浮かんでいる。


 それを見ながらシグは呟いた。


「これを上るのか」

「いかにも」

「……落ちたり動いたりしねえだろうな」


 支えなど何も存在しない。本当にただただ石製の板が普通に宙に浮かんでいるだけだ。

 しかも目的地ははるか頭上。うっかり落ちたらただでは済まない。


「動かないよう『加工』してあります。乗っているほうが足を滑らせたらそりゃあ落ちますが、案外大丈夫なものですよ」


 と、老婆は果物入りのカゴを持って荷車から降り、自然な足取りで浮遊階段を上り始めた。


 シグとクゥも樽を抱えてそれを追う。

 荷車にはまだ樽とカゴが残っているが、後で取りに来ればいいだろう。仮に盗もうとする人間がいても、頭上からは丸見えだ。飛び降りて追いかければいい。


「すごい! いい眺めだね!」


 浮遊階段を上りながらクゥが歓声を飛ばす。

 確かにいい眺めだった。街の向こうの危険域が一望できる。

 斜め上から老婆の声が降ってくる。


「うちの『眠り梟亭』は一番高い場所にある宿ですから、見晴らしには自信がありますよ。まあ、たまに魔物が飛んできたりしますがね」

「おい、それ大丈夫なのかよ」

「警報はございますし、儂も、それから手伝ってくれとる孫娘もそれなりに戦えますのでな」


 頼もしい言葉だが、あの荷車を動かせるかどうかという実力では、精霊は下級か中級の中でも低位といったところだろう。浮遊島の魔物相手に太刀打ちできるかは微妙なところだ。


 推測になるが、適宜泊っている冒険者が駆り出されるのではないだろうか。

 シグとしては面倒だが、野宿と比べればマシかと適当に自分を納得させた。


 ちらりと眼下を見る。

 斜め下方にはわりと近くにやたら大きな建物がある。地上だが、空中回廊を利用すれば数分でたどりつけるだろう。


「おい婆さん。あのでかい建物ってまさか……」

「ああ、あれが『朝陽の音色亭』で――おや冒険者様、どうしましたそんなげんなりと」

「……色々あってな」


 図らずもエイレンシアの指示通りになってしまった。しかし今更どうしようもない。


 浮遊階段をのぼりきると、そこにあったのは二階建ての木造宿屋だった。

 階段のブロックをそのまま巨大化させたような岩の板に建物が乗っかり、しかも蔵や庭まである。看板には木に止まって居眠りをするフクロウが彫られている。


 庭にたどり着くと、シグとクゥはその場に樽を下ろした。


 老婆は慣れているのか、息ひとつ切らせていない。


 がちゃっと宿の扉を開けて、「帰ったよ!」と声を上げている。


 すぐにぱたぱたと足音が近づいてきた。


「やっと帰ってきた! お婆ちゃんもう年なんだから荷物運びなんて無理だって言ってるのに」

「年寄扱いすんじゃないよ。それよりセリア、お客さんだ。『上』使えるようになってるかい?」

「え? うん、さっき掃除終わったけど……」

「そらよかった。荷物運び手伝ってもらったお礼にそこ泊まってってもらおうと思ってたからね」

「それは構わな――待ってお婆ちゃん! お客さんに手伝わせたの!?」


 扉が開き、中から老婆と会話していたらしい人物が飛び出してきた。


 その姿を見て、シグが凍り付く。

 クゥも目を見開いた。


「すみませんお客様、祖母がお世話になったようで……」


 少女だ。年はおそらくシグと同じか、少し上くらいだろう。珍しい黒い髪をしている。


「……」

「……あの、どうかなさいましたか?」


 黒髪の少女に尋ねられ、シグはようやく我に返る。


「あー、悪い。まだ樽が下に残ってるから、それ取りに行ってくる」

「え? そんな、お客様にそこまでしていただくわけには!」

「忙しい中部屋空けさせるんだから、そのくらいはする。気にすんな」


 そう言って、シグはさっさと背を向けて浮遊階段を下り始める。


 その後ろ姿を見ながら、黒髪の少女――セリアは不思議そうな顔をしていた。





 夕食後、シグとクゥは『眠り梟亭』の屋根裏にいた。


 屋根裏といっても天井はそれなりに高く、掃除もされており、ベッドや小さなテーブルもある。

 物置代わりに使っていたのを片付けた、と老婆は言っていたが、もともと客室として作られた場所なのだろう。


 壁には小さな丸い窓が開けられており、クゥがへばりついて夜景を眺めている。


「いい宿だね、ここ」


 窓の外を見たままクゥが言った。


 メリオールは冒険者の街であり、日中探索をしていた彼らが酒場で騒いでいる時間帯だ。

 街で一番の高所にある『眠り梟亭』の最上階なのだから、それらの明かりは綺麗に映る。


「料理はおいしかったし、景色は綺麗だし……」


 半ば独り言のように、クゥは言った。


「……セリアって、少しだけカナエに似てるよね」


 シグは老婆の孫だという黒髪の少女のことを思い出す。


 東方出身者に特有の黒髪。

 『祖母を助けてくれたお礼です』と食後に果物たっぷりのパイを持ってきてくれた甲斐甲斐しさ。


「……ああ」


 それらを思い出して、シグはクゥの言葉に小さく頷いた。



× × ×



 メリオール南東、『朝陽の音色亭』の裏口付近。


 夜ということもあってほとんど人影もない。

 そこで、二人が会話している。


「昼間は助かったよ。悪かったね、面倒を頼んで」


 これは緑髪の青年――ギルシュの台詞。

 ちらちらと背後を気にしながらもう一人に話しかけている。

 もう一人はフードを深く被った女性だった。


「礼はいい。成果は」

「残念ながら邪魔が入ったから仕留められなかったよ。……けれど、面白いものが見られた」

「……?」

「君が気にしていた追放王子だがね、特級精霊使いのエイレンシアとまともに戦えていたよ。エイレンシアは身体強化を使っていたようだし、少なくとも半年前の彼ではできなかった芸当だ」


 ギルシュが甲板であったことをフードの女に話すと、フードの女は淡々と頷いた。


「ではやはりそうか」

「ああ、精霊が進化している。君が言うところの『特別な精霊』という可能性はある」


 そう言い、ギルシュは尋ねた。


「で、どうするのかね?」

「やつが『大精霊使い』である可能性があるなら、始末しろ」

「簡単に言ってくれるものだね」

「お前には見返りを渡しているはずだ」


 とん、とフードの女は自分の胸元を叩く。ギルシュはやれやれと息を吐く。


「……仕方ないね。まあ、やつはもう平民だ。適当に痛めつけて魔境に捨てておけば、あとは魔物がやってくれるだろう」

「やり方は好きにしろ。私の存在が明るみにならないならそれでいい」

「やつが泊まっている宿はわかるかね?」


 ギルシュの問いに、フードの女はこう応じた。

 ごく近くの浮遊階段を上った先にある宿を見上げて、


「『眠りの梟亭』だ」





「――誰と話してたの?」

「……っ、エイレンシア様。こんな時間にどうなかったんですか」


 宿に戻ろうとしたとき、ギルシュは横合いから声をかけられた。

 金髪の少女――エイレンシア・スタグフォードだ。

 怪しむようにギルシュのことを見ている。


「話し声が聞こえたから気になったのよ。で、何してたの? さっさと答えないと……」


 エイレンシアの周囲に火花が散る。

 彼女の短気はよく知っていたので、ギルシュは即座に応じた。


「夜風に当たりたかっただけですよ」

「話し声が聞こえた、っつったはずだけど?」

「気のせいでしょう。自分はずっと一人でしたよ」


 とぼけた返事にエイレンシアは短く舌打ちした。

 立ち去ろうとするギルシュに、エイレンシアは鋭い視線を突き刺す。


「あんた、何か企んでるならさっさと諦めたほうがいいわよ。あたしの怒りを買いたくはないでしょ?」


 ウィスティリア王国に七人しかいない特級精霊使いの脅しに、ギルシュは柔和な笑みを崩さない。


「もちろん。エイレンシア様を相手にしては勝ち目などありませんから」


 そう言い、ギルシュはその場を後にする。

 背を向けていたため、エイレンシアには、ギルシュが口元だけで呟いたのには気付かなかった。


 ――少なくとも、今は。

 お読みいただきありがとうございます。

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