飛行船③
エイレンシアは王族時代のシグの幼馴染だ。
ウィスティリア王国屈指の大領主、スタグフォード家の長女である。
シグとは八歳の頃、同じ師匠に剣を習ったことがきっかけで知り合った。
さらに貴族学院の元同級生でもあり、シグとの付き合いはかなり長い。
剣術の腕前はシグとほぼ同等。
さらにはウィスティリア王国に七人しかいない特級精霊使いの一人であり、そのうえ特級の中でもある意味最強という反則級スペックの持ち主でもある。
シグとの大立ち回りは普通にガレイン号の乗船客違反だったのだが、ハイドワイバーンを駆除したことと相殺されたのか、もしくは船員が単にエイレンシアを恐れているのか、何のお咎めもなかった。
「ほんっと信じらんない。同門なんだから最初の一太刀であたしだって何でわからないの? フツー気付きなさいよ華麗なる謎の襲撃者の正体は美しく可憐なこのあたしだって」
「いや気付いてほしかったら仮面つけてくんなよ」
「せっかくだから今のシグの剣がどんなもんか見てやろうと思ったのよ。ほら、あんただってこんな可愛くて綺麗なあたし相手だとうっかり手加減するでしょ?」
「ああもうよく喋るなてめーは……」
甲板に設置されたベンチに座って会話する二人。
エイレンシアはさっきまでの仮面と外套を付き人に預け、まとめていた髪も下ろしている。
丁寧に巻かれた金髪や白い肌、整った顔立ち、緑の瞳はどれをとっても貴族令嬢らしいのに清々しいほどお淑やかさとは無縁な少女だった。
十五歳にしては発育の良い胸を腕組みで支えつつ、
「ま、相変わらず剣の腕はそこそこだったわね。あたしの次に」
「ああ光栄だ。そんじゃお嬢さま、ここは日差しがきついだろうから部屋に戻りやがれ」
「あんたほんと何よその態度! この気高く美しいあたしと会話できるんだから少しは嬉しそうにしなさいよ!」
「いきなり襲われて嬉しそうにするわけねえだろ! しかも後先考えずに『封錠』まで外して術撃ちやがって、船がぶっ壊れたらどうするつもりだこの火力バカが!」
胸倉を掴み合ったまま怒鳴り合う二人。
まさかこの二人が元王族と王国屈指の大貴族の一人娘とは誰も信じないだろう。
「まあまあ二人とも。飲み物をもらってきたからこれを飲んで落ち着きなよ」
と、グラス入りの冷えた紅茶が二つ、横から差し出された。
それを受け取って、エイレンシアは渡してきたクゥを見た。
「あんた、シグの連れだって? 冒険者のくせに気が利くじゃない」
「いやいや、それほどでもないよ」
グラスを手渡してから、クゥはシグとエイレンシアの真ん中に収まるように座り――
「おいこら図々しいわよ真っ白頭。誰の許可得て隣に座ってんの」
「けど、ぼく本当にエレンに……」
「エイレンシア様、よ。その呼び方、気に入った相手にしか許してないんだから」
ぐりぐりぐり、とクゥのこめかみを両側から締め上げるエイレンシア。
「ご、ごめんごめん。けどぼく、エイレンシアに会えて嬉しいんだ」
クゥは分離するまでシグと意識を共有していた。
だからこそ、エイレンシアという少女が決してシグの敵ではないことを知っている。
そしてクゥはシグに敵対しないもの、というよりシグが心を許している相手によく懐く。
クゥが友好的に接していることが、シグとエイレンシアの関係性を表していた。
「ほうほう、つまりあたしのファンってわけね。シグの連れでもあるわけだし……いいわ、特別にあんたもエレンと呼ぶことを許しましょう。喜びなさい」
「本当かい? 嬉しいよエレン! ぼくはクゥだ、よろしくね」
「ええ、仲良くしてあげるわクゥ――クゥ?」
やっべ、とシグは思った。
「それってシグの精霊の名前だったような……」
エイレンシアは付き合いが長いためシグの精霊の名前を知っている。
「あー、それよりエレン。お前、どうしてこんなところにいるんだ?」
即座に話題転換を図るシグ。この会話を続けるのはまずい。
それに、これはこれで気になっていることだ。
エイレンシアは戦略級の精霊使いであると同時に、貴族学院の高等部に通う学生である。なぜ浮遊島に向かう飛行船の中にいるのだろうか。
「別に大したことじゃないわ。講義の一環よ。ほら、制服着てるでしょ?」
言われてみれば、エイレンシアの服装は白を基調とした貴族学院の制服だ。
しかしシグの知る限りそんな講義内容はなかったはずだが――と、内心で首を傾げるシグの横で。
「――――!」
クゥがいきなり勢いよく立ち上がった。
食い入るように船内に続く甲板の入り口付近を睨んでいる。
シグもその視線を追って、目を見開いた。
淡い緑色の髪をした青年がこちらに歩いてくる。かなりの美男子だが、歩き方にしろ表情にしろいちいち気取って見える。
青年はシグたちの目の前まで歩いてくると、シグとクゥを完全に無視してエイレンシアに話しかけた。
「ここにいましたか、エイレンシア様」
「……ギルシュ。今あたし取り込み中なんだけど、何か用?」
「失礼しました。しかし、マルク教諭から浮遊島に着いたあとの行動について説明があるそうですが、お姿が見えなかったもので」
立ち上がったままクゥが小刻みに震えだす。
それは恐怖の類ではなく、純然たる怒りによるものだ。
どうにか飛び掛かるのを押さえているのは、ここが衆目の面前であり、騒ぎを起こすなというシグの注意が頭にあるからだろう。
「……何でお前がここにいやがる」
シグが低い声で尋ねると、青年は――ギルシュ・ガーデナーはようやく気付いたように言った。
「ああ、いたのか。だが君には関係のないことだよ、シグルド・ウィスティリア。……いや違った、今は単なるシグルドだったね。王族を追放されたそうだから」
「――、そうだな」
シグの隣で、ぎり、とクゥが歯を食いしばった。
しかし動かない。シグが表面上、冷静さを保っているからだ。
クゥはシグが困るようなことはしない。したくない、と思っている。
「それで僕たちがここにいる理由か。エイレンシア様から聞いていないかね? 学院の中で実力者を選抜し、名高い六大魔境の一つである浮遊島で実践訓練を積むためだよ。最近は何かと物騒だからね」
実力者を選抜、六大魔境で実践訓練。
シグが在校していた頃にはなかった実習だ。
危険ではあるが、貴族というのは基本的に強い精霊を宿している。学内の上位者にとっては通常の魔境では物足りない、というのは理解できる。
ただ、シグには一つの疑問が残る。
(エイレンシアはともかく……ギルシュが学内上位だと?)
シグが在学していた頃、ギルシュの精霊は中級だった。実力は学年の中でもせいぜい上から三分の一程度だったはずだが。
「ここにいるということは、君もどうやら同じ目的地のようだね」
「……ああ」
「まったく、どんな手段でこの高級飛行船に紛れ込んだのか知らないが、我々の邪魔だけはしないでくれたまえよ。君はもう貴族でも何でもないのだから」
「言われなくても近づかねえよ。だからもう失せろ」
吐き捨てる。シグはこの男が近くにいることが不愉快でならない。
シグの言葉にギルシュは一瞬だけ不快そうに眉をひそめた。それからクゥに視線を移し、名案でも思い付いたようににやりと笑った。
「君はシグルドの仲間かね?」
クゥはうつむいたまま何も言わない。
「なぜシグルドが王族を追放されたか、知っているか?」
「――、っ」
シグは信じられない思いだった。よりによってお前がそれを口にするのか。
俯いたままのクゥに、ギルシュは続けた。
「その男はね……付き人の女中を、自らの手で半殺しにしたんだ。ちょうどその剣だったかな? 何度も何度も斬りつけて」
嘆かわしいという口調で、しかし目の奥を愉快そうな色を宿して。
「王族という立場、貴族学院の講義についていけない悔しさ。そういったもので、彼はおかしくなっていたんだろうね」
「……」
「その事件が明るみになって彼は退学処分となり、そのまま王家を追放された。一生徒として、彼を止められなかったことを今でも遺憾に思うよ」
「…………、」
「だから、君も気をつけたまえ。その男は何をしでかすかわからない。折を見て離れたほうがいいだろう。彼は教養も礼儀もなく、剣の腕以外に取り柄のない落ちこぼれなのだから」
そこが、クゥの限界だった。
「――――どの口で言っているんだ、お前はっ!?」
甲板を揺らすほどの大音声が響いた。
それを発したのが目の前の小さな少女であることが信じられないような顔で、ギルシュは目を見開く。
「シグがおかしくなった? 止められなかったことが遺憾? 冗談は大概にしろ! 全部きみだ、きみがそうさせたんだろう!」
「――、」
「あれがシグをどれだけ傷つけたのかわかっているのか!?」
それはそのままシグの心境を吐き出したような言葉だった。
シグは理性でそれを抑えたが、クゥには耐えられなかった。
無関係ぶってあの事件を語る元凶が許せなかった。
ギルシュは気圧されたのを誤魔化すように溜め息を吐いた。
「……残念だ。どうやらきみはシグルドに誑かされているらしい」
「――ッ、シグがそんなことをするわけないだろう! 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
とうとうクゥがギルシュに殴りかかった。
「おい待、」
シグが止めるのも間に合わない。風を切る音。
だが――直後に展開されたのは、ギルシュが彼方まで吹き飛ばされる光景ではなかった。
クゥの拳は氷の茨で編み上げられたような盾に防がれていた。
亀裂が走り、氷の盾ががらがらと崩れ落ちる。
「恐ろしい威力だ。僕の盾を砕くとはね」
ギルシュの言葉に、シグは眉をひそめる。
(クゥの拳を精霊術で止めた……?)
かつてのギルシュでは不可能な芸当のはずだ。
クゥが本気でなかったのもあるだろうが、それでも中級精霊の術ごときで防げる威力ではない。それを防いだということに、シグは違和感を覚える。
「しかし貴族に殴りかかるとは怖いもの知らずだ。……それがどれほどの重罪か、教えてあげようか」
「何を言われたってぼくはきみを許さない! シグへの侮辱を撤回しろ、ギルシュ・ガーデナー!」
ギルシュはプライドが高く、平民に舐められたとあっては引き下がらないだろう。
また、クゥも逆鱗に触れてきたギルシュを見逃すことはない。
本格的な戦闘が始まろうとしたその時、二人の間に強い雷撃が放たれた。
ぎょっとしたようにギルシュとクゥが後退する。
仲裁した本人は、座ったままじろりとギルシュを見た。
「ギルシュ。あたし、次にその話したらぶちのめすって言わなかったっけ?」
ぐ、とギルシュは息を呑んだ。
ギルシュとエイレンシアの間には果てしない実力差がある。
機嫌を損ねればギルシュは容赦のない雷撃にさらされることだろう。大怪我を負ったとしても、スタグフォード家相手では抗議すらできない。
「……わかりました。ここはエイレンシア様に免じて退きましょう。感謝することだな、追放王子」
冷や汗を誤魔化すようにして、ギルシュは臨戦態勢を解く。
「では、エイレンシア様。マルク教諭のもとへ」
「そうね。そんじゃ行きましょうか」
ぱっ、と立ち上がってギルシュの後に続くエイレンシア。
その後ろ姿に、クゥが鋭く叫んだ。
「エレン! きみはその男を庇うのか!」
「……、」
「きみはシグの友人だろう! シグがどんな人間か、知っているだろう! きみは本当にシグが彼女を――カナエを傷つけたと思っているのか!?」
すかさずギルシュがエイレンシアに耳打ちする。
「エイレンシア様、耳を貸す必要はありません。彼女はシグルドのことを盲信しているようです」
「ッ、きみはまた――!」
地獄耳でそれをとらえたクゥが声を荒げる。
エイレンシアの応答は以下のようなものだった。
「思ってないわ。……けど、シグが犯人じゃないって証拠もないのよね」
独り言のようにそう言って、エイレンシアはギルシュとともに船内へと戻っていった。
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