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17/30

迷宮出立

 いつもより少し長めです。

 ただ、今回は箸休めというか、ぶっちゃけ本筋には特に関係ないので、興味ねーよという方は読み飛ばしていただければ……!


 続けてもう一話更新します。


 迷宮都市ミランの南東に、冒険者用の宿が密集しているエリアが存在する。


 ベテラン、中堅、あるいは守護者を討伐し名を上げようとする新人。さまざまな冒険者の懐事情に合わせて、宿屋はそれぞれ売り文句を用意する。


 『ツユクサ亭』もその一つだ。


 初期の宿泊代金は安く、代わりに滞在期間に応じて徐々に宿代が上がっていく仕組みのこの宿は新人が好んで泊まる。もっとも長期滞在はできないのだが。


 その『ツユクサ亭』の亭主は、カウンターの内側にあるものを発見した。


「なんだこりゃ?」


 それは中身がじゃらじゃら鳴っている革袋だ。

 見れば中には硬貨がぎっしり詰まっている。

 中身をカウンターに並べてみれば、五万ユールほどもあった。


 誰かの忘れ物だろうか、と首を傾げていると、袋の底に何か張り付いている。


「……紙?」


 何か書かれている。



『以前まけてもらった代金を返しておく。今日まで世話になった』



 貴族かと思うほどに綺麗な手書き文字だった。

 差出人の名前を見て、亭主は納得して、苦笑した。


「……意外ときっちりしてるな、あの元王子」


 カウンターの上の硬貨を革袋に戻しつつ、そう呟く。

 どうやらわざわざ落とし主を探す徒労は免れたようだ。


 『追放王子が迷宮の守護者を倒した』という噂が流れた、翌朝の出来事だった。





「宿屋、酒場、防具屋、あとは――って何にやにやしてんだくそ白髪」


 迷宮都市を歩きながら、シグは隣のクゥを睨んだ。

 相変わらずフード越しにも神秘的な雰囲気を発する白髪の少女は、なぜか嬉しそうな声を出す。


「いやあ、シグのそういうところ好きだなあって」

「なんの話だよ」

「受けた恩を忘れない、シグの義理堅さという長所についての話さ」


 クゥの言う通り、現在シグは迷宮都市の顔見知りに対して挨拶回りのようなことを行っている。


 といっても、簡素な手紙を書いた硬貨袋を目に付く場所に置いておくというゲリラ的なもので、感動も何もないのだが。


 時間帯が早朝なのと、直接言葉をかわすのをシグが嫌がったためその方式になった。


 シグはつまらなさそうに、


「金が入り過ぎて懐が重てえんだよ。捨てるくらいなら借りのある連中にくれてやったほうがマシだ」


 守護者討伐の際、迷宮を探索したことで大量の魔核が手に入ったため、売却費もかなりの額になっている。しかもシグたちは装備品の損耗ゼロ、回復アイテムもほぼ使っていない。


 ……飛行船のチケットによって片道ぶんの収入の半額が無に帰したわけだが。


 チケットと引き換えに五十万ユールを持って行った魔女の顔を思い出して嫌そうな顔をしているシグに、クゥはくすりと笑った。


「そういうことにしておこうか。それでシグ、次の目的地はどこだい?」


 シグは端的に答える。


「ここだ」

「ここ?」


 足を止めたシグにならってクゥも停止。視線は左へ。

 場所は商業エリアの一角。


 やってきた店の前には、不格好な丸パンが描かれた看板が立っていた。





 シグたちがやってきたのは小さなパン屋だった。


 店に入った瞬間に椅子に腰かけていた店主がにやにや笑いを浮かべた。


「おやあ、これは『迷宮踏破者』のシグ様じゃねえですか」


 店主は冒険者さながらの――というか元冒険者なのだが――えらく肩幅の広い中年男性である。

 シグはからかうような口調に辟易しつつ、


「耳が早いな。もう知ってんのか」

「とっくに街中に広まってるぜ。んでそっちの嬢ちゃんが噂のパーティメンバーかい」


 店主はシグの隣のクゥを見た。


「そうだよ。名前はクゥだ。よろしくね」

「おうよろしく。俺はしがないパン職人のミルドだよ。……しかしまあ、噂にゃ聞いてたが、えれえ別嬪さんだな。シグにはもったいねえ。うちで働かねえか?」


 対してクゥはなぜか無意味に胸を張り、


「残念ながらそれはできないね! ぼくはシグのことをそばでずっと支え続けると決めているんだ!」

「何ィ!? おいおいシグはなんて幸せものなんだ! こんな可愛い嬢ちゃんにここまで言わせるたあ……」

「いやいや店主君。こんなのぼくにとっては当然のことさ。シグはぼくのすべてなんだから」

「何てこった……おいシグ、聞いたかこの健気な想いを! 俺は今後お前がこの嬢ちゃんを泣かせたら死んでも許さねえ!」


(うるっせえなあこいつら……)


 木製の杖を突きつけて喚く店主に、シグは溜め息を吐いた。なぜこいつらは朝からこんなに元気なのか。


 ……木製の杖?


「おい、何だその杖。怪我でもしたのか」


 シグが訊くと、店主は「まあな」とズボンのすそをまくってみせる。

 そこには包帯が巻かれている。


「何の怪我だ?」

「寝ぼけて階段から落ちて足ひねった」

「ああそりゃ重症だ。全治二日ってとこか?」

「馬鹿言え。一日で治してやらあ」


 おそらくたいした怪我ではないのだろう。大怪我なら回復薬を使ってすぐに治すはずだ。


 なまじ軽傷だから値の張る回復薬を買うに買えない、ということだろう。


 冒険者ギルドに加盟していないと割引もしてもらえないので、冒険者以外には買いづらいものなのだ。


 よってシグは、荷物の中から硬貨の詰まった袋を取り出し、その中にさらに回復薬入りの瓶もねじ込んだ。


 それを店主に放り投げる。


「やるよ」

「何だこれ?」

「世話になった礼だ。俺はもうこの街を出てくからな」

「いらね」


 投げ返された。

 店主はシグに呆れたような視線を向ける。


「あのな、俺はそんなもんが欲しくてお前さんに世話焼いたわけじゃねえ。親切ってのは見返りを求めねぇものなんだ。そういうのが格好いいんだ」

「……いいから取っとけよ。このパン屋、店主のツラが凶悪過ぎて客なんか全然来やしねえんだから」

「何だとコラァ! あー決めた! お前からの礼なんか絶対受け取ってやんない!」

「ああもう面倒くせえ……」


 シグはうんざりして溜め息を吐いた。


 店主はシグからの礼を意地でも受け取らない構えだ。


 かといってシグとしてはこの店主には世話になった自覚があるので、何もせずに立ち去るのは気に入らない。


 どうしたものか、とシグが頭を悩ませていると――


「じゃあ、こういうのはどうだろう。シグとぼくが一日、怪我をしている店主君の代わりにここで働くんだ」


 クゥがそんな提案をした。


「おお、それいいな」


 店主が手をポンと叩いてあっさり頷く。


「……礼は受け取らねえんじゃなかったのかよ」

「金は駄目だがこっちはアリだ。気分的に」

「基準がさっぱりわからねえ」


 シグは微妙に嫌そうな顔で店内を見まわして、


「……つーか働く? 俺が? ここで?」

「いいじゃないか。ぼくもシグもこの手の労働はしたことがなくて新鮮味がある」


 対照的にクゥはどこか楽しげだ。


「それに、どうせ馬車は午後になるまで出ないんだ。なら、時間を潰す意味でもちょうどいいとぼくは思うよ」


 そう言われては反対のしようもない。

 シグは溜め息を吐いた。


「……午後までだぞ」





「あっ、追放王子じゃん! なあなあ噂は本当なのかい?」

「小麦粉をくれ。一番でけえ袋を五つだ」

「守護者を倒したって話、詳しく聞かせてくれたらまけてあげるよ」

「まけなくていいからさっさとしてくれ」


 ケチくせえー、と穀物屋の店主は店の奥に引っ込んでがさごそやり始める。


 パン屋のバイトとしてシグが任されたのは買い出しだった。


 店主が怪我をしている以上、困るのは力仕事のたぐいだというのは理解できる。そんなわけでシグは同じ商業区内にある穀物屋にやってきていた。


 この手の仕事はクゥのほうが向いているとシグは言ったのだが、店主いわく、


『馬鹿野郎こんな可愛い子がいるんだから売り子にするに決まってんだろ!』


 とのこと。

 クゥも乗り気だったので、諦めてシグは買い出しの任を拝命した。


 まあ、嫌われ者の自分よりは見た目美少女のクゥのほうが売り子には向いているだろう。

 追放王子とこわもて店主の組み合わせが店番をして客が寄り付くはずがない。


 そんなことを考えながら商品が出てくるのを待っていると――、



『追放王子みーっけ』

『てめえ守護者討伐したとかホラ吹いて回ってるらしいな。化けの皮剥がしてやっから表出ろ!』



 店の前から威勢よく大声が響いてきた。


 見ればそこには冒険者らしき二人組。

 どうやらシグが迷宮の守護者を倒したという噂を疑っているらしい。

 あるいは嫉妬だろうか。

 シグは『無能』で通っているので、こういった手合いが現れるのも無理はなかった。



『どうした! 出て来いよ!』

『怖いのか!? やっぱり迷宮踏破したって話はデマなんだな!』



 はあぁあああああ、と溜め息を吐く。


 無視したいのは山々だが、店の前で待ち構えられては小麦粉を運び出せない。

 となればあれを相手せざるを得ないわけで。


「店主。ちっとゴミ掃除してくるが、俺がいねえからって量を誤魔化したりすんじゃねえぞ」

「もちろん。っていうか喧嘩するなら俺も見物に行っていい?」

「……」

「守護者倒したっていう実力見てみたいし」


 シグは再び深く息を吐く。


 俺も店番しとけばよかった、と思わずにはいられなかった。





 クゥがひらりと回転すると、エプロンの紐が尻尾のように揺れた。


「これが制服というやつかい?」

「ああそうだ。最高に似合ってるぜ嬢ちゃん! 庶民的な恰好をする美人もまた良しだな」


 シグが買い出しに出かけたあとのパン屋の店内で、クゥと店主がそんなことを話している。


 クゥが着ているのは店主が渡したパン屋の制服だ。


 とはいえ作業着にエプロンを合わせただけのものだが、クゥ自身の魅力を阻害しないという点である意味似合っていると言える。


「ふーむ。似合っているかどうかやっぱり自分ではよくわからない。あとでシグに訊いてみようかな」

「きっとあの朴念仁も見惚れるだろうよ。間違いねぇ」


 うんうん頷く店主。それから、彼はクゥに尋ねた。


「嬢ちゃんはシグとどうやって知り合ったんだい?」

「ぼくとシグはずっと昔からの知り合いだよ。それこそ気の遠くなるような」

「で、最近迷宮都市にやってきて再会したってことか?」

「そんな感じかな」


 自分の正体が実体化した精霊であるとバレてはならない、というシグの言いつけ通りに言葉を選んで返事をするクゥ。

 なるほどなあ、と店主は唸る。


「いや、ずっと疑問だったんだ。噂じゃシグの野郎は二人で守護者を倒した。あの誰ともつるまねえシグがだ。聞いた話じゃおっそろしい美人だって話だから、まさか色香に惑ったのかと」

「納得してもらえたかい?」

「まあな」


 店主は顎に手を当てて、


「つーことはあれかい。嬢ちゃんも、この街に来た頃のシグは知らねえんだよな」

「……まあ、そうなるね」


 クゥがシグについて知らないことなどほとんどないのだが、『設定』を守るために頷いておくクゥ。

 店主はどこか懐かしむように言った。


「半年くらい前だ。妙に身なりの小奇麗なガキがこの街にやってきた」

「……」

「そいつは王族を追放されたガキだった。街に来るなり冒険者になって、剣一本で毎日毎日迷宮に潜りやがる。同業者からは虐められ、街の住人には陰口を叩かれた」


 クゥは唇を噛んでそれを聞いていた。


 シグの過去は、クゥにとって悔しさと無力感を思い出させるものだ。


 けれどそれを店主に悟られてはならない。

 クゥは肩を震わせないように深く息を吐く。


「最初はパペット一体殺すのが限度だった。何しろ剣しかねえからゴーレムには手も足も出ねえ。金がすぐに尽きて宿を追い出され、小奇麗な服も金策のために売り払って、そのくせ剣だけは絶対に手放そうとしねえ」


 店主の言葉は淡々としたものだった。


「あの頃のシグはまあ、荒れてたな。飢えた狼みてぇだった。とにかく強くなりたいって感じで、精霊の練度上げのためなら死んでもいいと平気で抜かしやがる。――まるで何か『弱さ』が招いたトラウマでもあるみてぇに」


 店主はふとクゥを見た。

 どこか優しく聞こえるような声で言う。


「……今のあいつはあの時よりずっといいツラしてやがる。嬢ちゃんのおかげだろ?」

「どうかな。……正直、シグの支えになれている自信がないよ。シグが傷ついた原因の一つは間違いなくぼくなんだ」

「けど、そっからシグを拾い上げたのもお前さんなんだろうよ。自信持て自信」


 あっさり言う店主に、「ありがとう」とクゥは苦笑する。


 この街にはシグの敵がたくさんいた。


 しかし、数は少ないが応援してくれる人間もいた。この店主もその一人だ。


「ま、あいつは今日でこの街を出てくらしいからな。あいつのこと、これからも支えてやってくれよな」


 どこか照れくさそうにそう言う店主に、クゥは満面の笑みを返した。


「もちろんさ。ぼくはそのためにここにいるんだ」


 店主は満足げに笑う。

 笑って、大袈裟に肩を抱いて言う。


「おお、ガラにもなく真面目な話をしちまった。仕事に戻るかね」

「いいとも。しかし……」


 クゥは店内を見回す。


「客が来ないね。いつもこんな感じなのかい?」

「なっ、ばっ、違げえよ! 今日はたまたまいつも通りなだけだよ!」

「どっちなんだいそれ……見栄を張らずにシグの『お礼』を受け取っておけばよかったのに」

「そこはあれだ。なんだ。親のプライドに似た何かがあんだよ」


 そんなことを言う店主に対してクゥは「まあそれはそれとして」と流しつつ、


「それじゃあ効果があるかわからないけど、表で客引きでもしてこようか」


 店主はパチンと指を鳴らす。


「そりゃ名案だ。ついでに一つ作戦を思いついたぜ」

「?」


 首を傾げるクゥに、店主は作戦の内容を耳打ちする。


「そんなことで効果があるのかい?」

「間違いねえ。いいか、野郎ってのは単純なもんなんだ」


 店主は力強く頷いた。





「……何だありゃ」


 血で血を洗う買い出しを追えてパン屋に戻ったシグを出迎えたのは、すさまじい人だかりだった。



『テメエ! いま順番抜かしただろ!』

『お前こそパーティに女がいねえからって必死になってんじゃねえ!』

『店主! そっちのパンを寄越せ! 一番値の張るやつだ!』



 どうもミルドのパン屋の前に大行列ができているらしかった。

 こんな光景を見たのは初めてだ。

 よくよく見れば店の前には椅子が用意され、そこにはクゥが腰かけている。


 パンを買った客(なぜか男しかいない)が店から購入した商品を持って出てきて、クゥの前に並ぶ。そこには十人単位の行列ができている。


 人だかりのせいで何をしているのかは見えにくい。


(……とりあえずこのくそ重てえ小麦粉から運んじまうか)


 と、シグは横合いから店の裏手に回り込む。

 裏口から店に入り、厨房の適当なところに小麦粉の大袋をどさどさ積み込んでいく。


『はい毎度! 千二百ユールね。ああそっちは二千ユール! そんで釣りが――』


 と、売り場から店主のせわしない声が聞こえてくる。


 シグはずかずかそっちに歩いていく。


 売り場に行くと、客にもまれて店主が勘定に追われていた。


「おい店主。俺が買い出し行ってる間に何があったんだよ」


 冒険者に絡まれたりしていたが、シグが買い出しに出ていたのは二時間弱だ。そんな短時間で何をすればこんな盛況になるのか。

 店主がシグに気付いて振り向く。


「シグか! はははははは見ろよこの客の数を! 嬢ちゃんには感謝してもしきれねえ!」

「嬢ちゃん? ……あいつが何かやったのか?」

「つーか俺がやってもらったんだけどな。俺の考えた作戦ってのがあって――」


 まず、大通りに行ってクゥがパンを無料で配る。

 そこで味を知ってもらい、パン屋に興味を持たせる。

 パンがなくなったら店まで誘導して商品を買わせる。


「宣伝用に商品をばらまくのはよくある手だな。……それだけでこんなことになるか?」


 確かにこの店のパンは味は悪くないが、それを加味してもこの状況は異常だ。


「もちろんそれだけじゃねえ。宣伝のときに嬢ちゃんにやってもらったことがある」

「何を?」

「『あーん』だ」

「は?」

「『あーん』だ」


 店主は続ける。


「無料でパンを配るだけじゃインパクトがねえだろ? だから配る時に嬢ちゃんが手ずから食べさせてくれるサービスを考えたわけだ。せっかくの別嬪さんだ、この武器を使わねえ手はねえと思ってな」

「足だけじゃなく頭も打ったのか?」


 シグには店主が言っていることの意味が理解できない。見ず知らずの少女から公衆の面前で食べ物を与えられるという事態など想像するだけで死にたくなる。


「そしたら野郎が釣れる釣れる! ついでにここの商品買ったらそれも一口だけ嬢ちゃんが食べさせてくれるぜって言ったらもう入れ食いよ」

「店の前の行列はそれか……」


 クゥの前に並んでいた連中は、クゥに買ったパンを食べさせてもらう順番を待っているのだろう。この街の男は馬鹿ばっかりか、とシグは頭が痛くなってくる。


「つーか会計手伝えシグ! 手が足りねえ!」

「面倒くせえ……」


 店主の言葉に反射的にそう呟くが、今のシグは雇われの身である。勤務時間はまだ残っているので店主の指示には逆らえない。


 仕方がないので会計の手伝いをすることに。

 シグは勘定待ちの客のほうに歩いていく。


「これとこれくれ!」

「あいよ。あー、二千二百ユールだ」

「――ッ!? てめえ、追放王子……!?」


 店員として出てきたシグを見て、冒険者らしい客が驚いている。


 妥当な反応といえるだろう。

 この街の誰にとってもシグが接客をする姿など想像できなかったに違いない。


 しかしシグは愛想はともあれ、王族としての英才教育を受けた身である。つり銭の暗算など息をするのと変わらない。シグはまるで熟練の店員のような無駄のない動きでつり銭の硬貨を客に渡そうとして――


「「「殺せええええええええええええっ!」」」

「あっぶねえ!」


 店中の客が放ってきた拳や蹴りをすんでのところで回避した。


「何だよてめーら! そんなに俺が気に食わねえのか! 迷宮踏破で先を越されたからってひがんでんじゃねえ!」


 シグが吠えると、店内の客たち――大半が冒険者らしい見た目をしている――は揃って目に殺意をみなぎらせながら叫ぶ。



『迷宮踏破? そんなもんどうでもいいんだよ!』

『お前あんな可愛い女の子と二人でパーティ組んでるらしいなあ……』

『俺たちはパーティにむさくるしい野郎しかいねえってのによぉ!』



 冒険者という職業の男女比は著しく男性に偏っている。


 六大魔境という難易度の高い場所ではそれがさらに顕著だ。


 つまり目の前で目をぎらつかせている男どもはクゥという美少女を囲っているシグが、砂漠のオアシスを独占する怨敵のように見えているわけで。


 普段ならこのあたりでシグはもう男どもを返り討ちにしているだろうが、場所が場所である。仮にも恩人である男の店の中で暴れることはできない。


「おいくそ店主! あいつらをどうにかしねえと店が壊れるぞ! 何とかしろ!」

「修理費を請求すればこのボロい店を建て直せるな」

「なんて無駄に胆が据わってやがる……!」


 元冒険者だけあって店主の落ち着きもなかなかのものだ。

 ――と、


「さっきから騒がしいけど、何かあったのかい?」


 入り口のほうからクゥがひょっこり顔を覗かせた。

 それからシグを見ると、クゥはぱあっと顔を輝かせる。


「シグ! 帰っていたんだね。それなら声をかけてくれればいいのに」

「あ、ああ……」


 クゥの表情変化に周囲からの殺気が増したが、クゥがいるせいか冒険者たちが暴れ出す気配はない。ただただ奥歯をへし折る勢いで歯を食いしばっているだけだ。


 今は大人しいが、シグにはわずかなきっかけで暴発しかねないように思われてならない。


 一方クゥはそんな危うい周囲の様子には気付かず、


「すごいだろう、シグ。こんなに客が来てくれた! なぜこんなことになったのかぼくもよくわかっていないんだけど」

「……」

「どうだい、頭を撫でて褒めてくれてもいいんだよ?」

「…………」


 クゥが口を開くたびに店内の殺気が濃度を増していく。

 やがて耐えかねたように、冒険者の一人がクゥに尋ねた。


「な、なあクゥちゃん。そいつと――シグの野郎とは、どこまでいってるんだ?」

「? 迷宮なら最下層まで行ったけど」

「そうじゃなくて、あれだ。男女の関係みてえな話だ!」


 この下世話な質問にシグは本気で辟易したが、なぜか店内の冒険者たちは全員聞き耳を立てている。

 店主まで面白そうな顔をしている。


「ああ、性交渉の話かい?」

「お、おう! ぶっちゃけそうだ!」


 質問した冒険者はあっさりクゥが応じてきたのに驚いたようだったが大きく頷いた。


 どうでもいい話だが、その手の知識はクゥもきちんと持っている。契約精霊だけあって、シグが知っていることはクゥも知っているのだ。


 クゥがちらりとシグを見てくる。

 シグはあっさり頷きを返した。

 そうだ。言ってやるがいい。やましいことなど何もないのだ。


 シグとクゥの間にそういった一般の男女が持つような関係性は存在しないのだとはっきりと――



「シグが望むならぼくは受け入れるつもりだけど、残念ながらまだ誘いがないんだ」



『『『かかれえええええええええええええっ!』』』


 嫉妬の炎を目に宿した冒険者たちが襲い掛かってきた。


「ああっ!? 待てきみたち、どうしてシグを攻撃するんだ!」

「てめーのせいだろうがくそ白髪あああ! いいから早く訂正しろ!」

「? 訂正も何も、ぼくは事実のことを言っているだけなんだけど」

「ッ……ああくそ、なら嘘でいい! とにかく俺とお前の間には何もないと説明すればこの連中も落ち着くはずだ!」

「わ、わかった。嘘を吐けばいいんだね」


 クゥは息を整え、店中に響き渡る声量で、


「――実はぼくとシグは実は男女の関係にあるんだ!」

「誰がそんなとこで嘘吐けって言ったよ! あっ、店主てめえ! 腹抱えて笑ってねえで早く助けろ!」


 店内に怒号と破砕音が蔓延していく。


 途中でシグが店の外に離脱して冒険者たちを釣り出さなければ、パン屋は半壊していたことだろう。


 結局、騒ぎが収まったのはそれから三十分後のことだった。





「おうシグ。生きてたか」

「……あの連中、グランドゴーレムより迫力があったぞ……」

「そうかそうか。迷宮踏破者が続出する未来も近けぇな」


 冒険者たちを店からおびき出し、近くの路地裏で始末してきたシグは疲れた顔でパン屋へと帰還した。

 店主と軽口を叩き合ってると、奥からクゥが駆け寄ってくる。


「おかえりシグ。怪我はな――いたたたたたたた」

「てめーのせいで無駄に疲れたんだが、遺言はあるか?」

「ごめん、ごめんなさい! 悪気はなかったんだよ!」


 シグに頭を鷲掴みにされながらクゥが弁明する。

 しばらく折檻してからシグは溜め息を吐いた。


「ったく……店の手伝いなんて提案に乗ったせいで酷でえ目にあった」

「とか言って、さっきお嬢ちゃんが『シグが望めば受け入れる』って言ったの聞いてちょっと嬉しかったんだろ?」

「もう片方の足もへし折るぞくそ店主」


 まったく、とシグは溜め息を吐く。迷宮探索よりよほど疲れた。


 それから冒険者たちが暴れたことで散らかった店内を見まわし、


「……で、次の仕事はこれの片づけか?」

「気持ちは嬉しいが、そろそろ時間じゃねぇか?」


 言われてシグが壁掛け時計を見ると――馬車が出る時間の十分前。

 すぐに出ないと馬車に間に合わない。


「クゥ、急ぐぞ! それ脱げ!」

「いいのかい!? シグはあんなにぼくが裸でうろつくことを嫌がっていたというのに!」

「誰が全部脱げっつったよ! そのエプロンは借りものなんだから返してけって言ったんだ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら出発の準備をする二人を見て、店主は満足げに頷く。


「いいねえ嬢ちゃん。これからもそんな感じでシグを慌てさせてやってくれ」

「あんたは俺に恨みでもあるのか……?」

「いやいや。こっちの話だよ。な、嬢ちゃん?」


 話を振られたクゥは、思い当たることがあるように手をぽんと叩いた。


「もちろんさ! シグを退屈させないよう頑張るよ!」

「おう店主。前に看板娘欲しいって言ってたよな」

「置いて行く気!? 嫌だよシグ、ぼくたちは二人でひとつじゃないか!」


 店を出てくシグの後を慌ててついていくクゥ。


 そんな彼らに、店主はぽんと包みを放り投げた。


 包みの中身はドライフルーツを混ぜ込んだパンだ。シグがよく買っていたものでもある。


「弁当代わりだ。馬車の中で食いな」

「しけた餞別だな」

「最後まで可愛くねぇなこのガキは!」


 店主は愉快そうに笑い、言った。


「頑張れよ、シグ」

「……」


 シグはいくつかのことを思い出した。


 迷宮都市に来たばかりの頃の記憶が想起される。


 この街ではろくでもない思い出もあったが、励まされたこともなくはなかった。


「……金は次来た時に払う」


 死ぬつもりはないと。

 冒険者を続ける人間にとって最も破られやすく、そして最も大切な約束を口にして、シグは店を後にした。クゥも店主に手を振ってからその後を追う。



 シグとクゥの迷宮都市最終日は、だいたいそんな感じだった。

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