戦後処理
「なにも殴らなくたっていいじゃないかあ……」
涙目で頭頂部をさすりながら、クゥがシグのあとをついてくる。
戦闘直後に興奮してシグに砲弾のような速度で抱き着きにいったため拳骨を落とされたのだった。
シグはクゥの泣き言を無視して感知範囲の奥まで歩いていく。
すでに巨大ゴーレムの姿はない。
代わりに感知範囲の中央には直径三十Cほどの球体が浮かんでいる。
あれが次の巨大ゴーレムの核になるのだ。
あと数分もすればシグたちが倒す前同様、中央には巨大ゴーレムが鎮座していることだろう。
もっとも一度巨大ゴーレムを倒してしまったシグたちはそれと戦うことはできないのだが。
「……これが、迷宮の心臓部」
感知範囲の端まで来ると、クゥが壁面を見上げて呆然と呟いた。
そこにあるのは長径十Мを越えるような巨大な『魔核』だ。
橙色の光を放ち、半透明の内部は同色のマナが煙のように渦巻いている。
それが、感知範囲の最奥部にある壁に埋まっている。
マナの光が強くなったり弱くなったりするのに合わせて、壁面を伝ってマナが魔境全体に流れていくのがわかった。
「大っっきいねえ~~~~~~……」
「世界最大の魔核の一つだからな」
クゥは感嘆し、シグも見入ってしまう。
魔境には必ずこの『心臓部』――巨大な魔核が存在するが、六大魔境のものは別格だ。
心臓部は魔物を生み出し続けるおぞましい装置に他ならない。
何人もの冒険者を食い物にした化け物だ。
そうわかっていても、不思議と神秘的に見えてしまう。
「……売ったらいくらになるかな?」
「やめとけよ。触ろうとしてもすげえ密度のマナ障壁で弾かれるぞ。でなきゃとっくに誰かが持って行ってる」
「それもそっか」
あくまでシグたちはこの巨大魔核を見物に来たのだ。
何しろ、すぐにシグたちはこの空間に入れなくなってしまうから。
ぽう、とシグとクゥの体を淡いマナの光が覆い始める。
「来たか」
「みたいだね。まあ、迷宮としてもぼくたちみたいな『守護者を倒すような相手』が心臓部のそばに居座るのは怖いよねえ」
魔境は心臓部を破壊されると、従来の魔物と同じく崩壊してしまう。
だからこそ多大なマナを用いて守護者を作るのだ。
そしてそんな守護者を倒すような侵入者が来た場合は『マーキング』を行う。
「確か、特殊なマナで俺たちのことを記録して、二度と感知範囲の中に入ってこられないようにするんだっけ」
「そうだ。おかげで守護者とは一回しか戦えねえ」
クゥの質問にシグが応じる。
感知範囲は守護者を心臓部から一定以内に留めるほかに、結界としての役割もある。
守護者を倒し、魔境からマーキングされた冒険者は二度と感知範囲内に入ることができない。
「せっかく錬度上げにはよさそうだったのに」
「一長一短だろ。何度も倒して練度上げができるなら、腕利きの冒険者どもがへばりついて順番待ちとかしなきゃいけなくなるぞ」
「こんな地底でかあ……それはやだなあ……」
そんなやり取りをしているうちにもマナの光は強くなっていき、シグたちの視界が塗りつぶされて何も見えなくなる。わずかな浮遊感。
視界が戻ると、そこは感知範囲の外だった。
より正確には九層→十層の階段と感知範囲の間だ。
一瞬でそこまで移動させられた。外から見ていた人間には、感知範囲の中にいたシグとクゥがいきなり消失し、直後に今いる場所へ現れたように見えただろう。
シグが周囲を見ると、冒険者や傭兵たちが唖然としたような視線を向けてくる。
「うあっと」
シグの横合いで、クゥがいきなりのけ反った。
「……何してんだよお前」
「いや、本当に入れないのかなと思って」
たった今自分を拒絶した感知範囲の境目あたりを見つつ、クゥは言う。
進もうとすると静電気のように火花が散って邪魔をしてくるらしい。
「……ふーむ」
「何か気になることでもあるのか?」
シグが尋ねると、クゥはこんなことを言った。
「これ、全力で突っ込んだら突破できるかな?」
「何言って――」
と呆れ声を出しかけて、シグはクゥの言いたいことに気付く。
……仮に感知範囲の拒絶反応を突破して再び侵入できれば、巨大ゴーレムと再戦できるのでは?
「やるぞクゥ。この膜ぶっ壊しちまえば錬度上げ放題だ」
「【魔砲撃】でいけるかな?」
「知らんがとにかくやっちまえ。俺も同時にブチ込む」
「わかった。せえのっ――」
「――『せえのっ』ではありません! 迷宮に異常でも起こったら投獄されますよ!?」
「あ、サブマス君」
階段のほうから慌てて駆け寄ってきたのは眼鏡のサブマスター、ルドルフだった。
シグが怪訝な顔をする。
「何でサブマスのあんたがここにいるんだ?」
「あなたたちが守護者を倒せるか気になったから来たんですが……それより、あまり迷宮に負荷をかけるようなことをしないでください。魔境は国有資産なんですから」
ルドルフの言う通り、迷宮は国が管理する重要資源だ。うっかり潰しでもしたら重罪に問われることになるだろう。
顔を見合わせるシグとクゥ。
「……だってさ、シグ。どうしようか」
「どうするも何も……こう言われちゃな」
二人は大人しく空色の光球と翡翠色のマナを纏った巨剣を引っ込めた。
安堵したようにルドルフが胸を撫でおろす。
「わかっていただけたようですね」
「ああ。今は人目が多いからやめとけって話だろ?」
「座ってくださいシグ君。今から冒険者のマナーについて講義を行います」
「冗談だ」
そんなことを話していると、ルドルフの後に続いてもう一人の知り合いがやってくる。
「おつかれさまあ。まさか本当に二人で守護者を倒すなんてねえ」
魔女帽子を被った黒づくめの女、ベリーだ。
クゥが自慢げに胸に手を当てる。
「このくらい当然さ! ぼくたちは最強だからね!」
「すごいすごおい。私の回復薬も役に立ったみたいでよかったわあ。ねえシグ君?」
「まあ、確かに助かったな」
「けど、約束は約束よねえ。はい、荷物はきちんと返すわあ」
ベリーに預けていたバックパックが返却される。
シグは中身を確認し、目を見開いた。
「馬鹿な、何もなくなっていないだと……?」
「ルドルフが近くにいたから、悪戯する暇なかったのよねえ」
「僕がいなければ何かしていたんですか……」
呆れたように言うルドルフを見て、クゥが首を傾げた。
「二人は顔見知りなのかい?」
「……まあ、そうですね。元被害者と加害者の関係といいますか」
「すっごい前に回復薬を買ってもらったのよお。その後もちょくちょく魔境で見かけたりして……まあ、腐れ縁って感じかしらあ?」
なるほど、とクゥは頷いた。
「どうりであんたが俺に警戒を促すわけだ。実際にぼったくられたことがあったんだな」
「ええ。まあ、忠告した相手があのベリーから逆に回復薬をぶん取るのは予想していませんでしたが」
苦笑しながらルドルフに言われ、シグは肩をすくめる。
「っていうか私たちのことなんてどうでもいいわよお。二人って何者なのお? 守護者をたった二人で倒すなんて普通じゃ有り得ないわあ」
ベリーの質問にシグは真顔で、
「日頃の努力のたまものだ」
「……要するに、何も話す気はないってことなのねえ」
がっかりしたようにベリーは言った。
シグとしては、自分やクゥのことについて明かすわけにはいかない。
契約精霊が強力極まる大精霊に進化したことが知られたら、間違いなく面倒なことになるからだ。
「まあ、人間誰しも人に言いたくないことはある。あんたも実年齢を聞かれたら困るだろ?」
「どうして私が『明かすことを躊躇う年齢』だと決めつけているのかしらあ……?」
「いや適当に言っただけだが――待て。にじり寄ってくるな」
妙に迫力のある笑みを浮かべてくるベリーにシグは若干気圧される。外見から二十代前半だと踏んでいたのだが、予想に確信が持てなくなるリアクションだった。
「ま、まあまあ。それでお二人はこれからどうするんですか?」
と、ルドルフがとりなすように話題を変える。
「まあ、地上に戻ることになるな。あんたはどうする?」
「そうですね。彼らを送り届けようと思っていますが……移動できるようになるまで少し時間がかかるかもしれませんね」
ルドルフの視線の先には、シグの前に巨大ゴーレムと戦って返り討ちにされた冒険者たちがいる。
負傷者も多いので、ルドルフの言う通り、移動できるようになるには時間がかかりそうだ。
「できればあなたたちにも護衛を手伝っていただきたいところですが――」
「面倒くせえ」
「シグが気乗りしないならやらなーい」
「百万ユールで手を打つわあ」
「……まあ、そういう反応ですよね」
同業者のために手を差し伸べる心優しい人間はこの場にいなかった。
あっさり断られたルドルフは、「少し彼らの様子を見てきます」と冒険者たちがいる方に歩いていった。
三人になったところでベリーがふとこんなことを尋ねた。
「ところで、二人は次の目的地は決まってるのお?」
「具体的なことはまだ決まってないよね」
「ああ。六大魔境のそばの街に行くことになるんだろうが」
クゥとシグがそれぞれそんなことを言う。
「その六大魔境だけど……順当に行けば、『霧の森』か『浮遊島』あたりよねえ。さっき、今日が初戦だって言ってたしい」
六大魔境の攻略難易度はそれぞれ異なる。
その中でも霧の森や浮遊島というのは、比較的易しいとされる場所である。……それでもこの迷宮よりはどちらも難易度が高いのだが。
シグは訝しげに尋ねた。
「それがどうかしたのか?」
「私、いいもの持ってるのよお」
ベリーは商売用の笑みを張り付けてにっこり笑った。
ずぼっ、と自らの豊かな胸の谷間に手を突っ込んでベリーが取り出したのは。
「じゃあああああん。浮遊島行き、飛行船のチケットよお」
「どこにしまってんだてめーは……」
「しかもちょうど二枚あるのよねえ。私はあそこに行く予定ないし、譲っちゃうわあ」
おそらく冒険者から薬代として巻き上げたのだろう二枚の乗船券を見せてくるベリーに、シグは呆れた目を向けた。
「どうせぼったくるつもりなんだろうが……交渉が成り立ってねえぞ」
「? どういう意味かしらあ」
「そのままの意味だ。飛行船が出てる場所に行けば普通にチケットが買えるのに、わざわざお前から買う理由がねえよ」
これが仮に飛行船のチケットが貴重品なら取引も成立するだろう。
しかし浮遊島は迷宮と同じく魔核の大量産出地である。国が支援を行い、飛行船もけっこうな数が飛んでいる。
国からすればできるだけ多くの冒険者を送り込みたいわけだから、チケット代も高額というわけではない。
「でも、これはこれで価値があると思うわあ」
「あん?」
「シグ、これ『一級飛行船乗船券』って書いてあるよ」
クゥが指さしたチケットの端には、確かにそう記載されていた。
(一級飛行船……? 貴族とかが乗るような高級客船ってことか?)
シグがその意味を考えていると、ベリーがこんなことを言った。
「確かに浮遊島行きの飛行船はたくさん飛んでるけどお、あれって要は『運べさえすればいい』ってくらいのものなのよお」
「……具体的には?」
「大きい部屋に限界まで冒険者を乗せて輸送って感じねえ。男だらけでむさ苦しくて、ものは盗られて、いびきがうるさくて寝られなくてえ――」
「うえぇ……」
その光景を想像したのかクゥが嫌そうに口元を曲げる。
「けど、そう長い時間乗っているわけじゃねえんだろ」
「そうねえ。せいぜい一日くらいだけどお……」
と、ベリーは意味深にクゥを見て、シグに耳打ちしてくる。
「(……男だらけの大部屋に可愛い女の子が混ざったらどうなるかしらあ?)」
「…………………………、」
「(ひっきりなしに声かけられるのは間違いないわねえ。うっかり目を離したら襲われたりするかもしれないわあ)」
ベリーの言うことはもっともだ。
何しろクゥは外見だけなら凄まじい美少女なのだから。
むさくるしい男どもの中に放り込めば大変なことになるだろう。
「(……あいつなら襲われても返り討ちにできる)」
「(飛行船の中は戦闘禁止よお?)」
「(…………なるほど)」
「ねえ二人とも、ぼくを放って何の話をしているんだい?」
くいくいとシグの服の裾を引いてくるクゥを無視して、シグは溜め息を吐いた。
幸い魔核を大量に得ているおかげで金のアテはある。
面倒ごとが降りかかるとわかっていて、出費を渋る理由は今のシグにはない。
多少ぼったくられるのを覚悟して、シグはベリーの口車に乗ることにした。
「で、いくらなんだよ」
「通常十万ユールのところを――今なら特別に五十万ユールでいいわあ」
「その文脈でどうして値上がりするんだろうな」
「二人分で百万ユールよお」
「しかも一人分だと!? さてはお前、前金の回復薬が無駄になったことを根に持ってるだろ!」
提示された額も、今持っている魔核をすべて売って得られるであろう金額とほぼ同じだ。どうやらバックパックを預けた際に懐事情をすべて探られたらしい。
「だってシグたちたくさん魔核持ってるんだもの。毟れるとこから毟らないとお」
にっこり笑って言うベリーに、シグは溜め息を吐いた。
「……仕方ねえな」
「交渉成立かしらあ」
「お前を半殺しにしてチケットを強奪する」
「そうそう半殺しに――って、え、冗談よねえ? まさかそんな剣を抜いて襲い掛かってきたりきゃあああああっ!? 今の避けなかったら大変なことになってたわよお!?」
「? お前には回復薬があるだろ?」
「治ればいいってものじゃないわあ!」
シグが剣を振り上げ襲い掛かり、ベリーは慌てて精霊術で迎撃の構えを取る。
『……どういう状況なんですかこれは』
『あ、サブマス君』
『止めたほうがいいのでは?』
『ぼくはシグを止めたりしないよ。サブマス君が行ってみるかい?』
『彼が私の言うことを行くとは思えないんですが……』
クゥとルドルフの視線の先では、魔女が剣士に追い回されるという奇特な光景が繰り広げられていた。
お読みいただきありがとうございます。
迷宮編は明日の更新で最後になる予定です。




