精霊進化
2019.8.24序盤を修正しました。ややこしくて申し訳ありません!
「――へえ。本当にひとりで潜ってんだな」
六大魔境の一つ、地下深くに広がる『迷宮』。
土と岩に囲まれた空間の中で、危険度Cの魔物『マッドパペット』を倒したばかりのシグは、横合いから声をかけられた。
視線を向けると、そこにいたのは鳩の羽で飾り付けた旅行帽をかぶった男だった。
猿っぽい顔の男と犬っぽい顔の男を連れている。
三人パーティのリーダー、といったところだろうか。
「何だお前ら。俺に何か用か」
億劫そうにシグが尋ねると、旅行帽の男は失笑するように肩を揺らした。
「ははっ、噂通りだな」
「ああ?」
「すさんだ目つきに、口の悪さ。くすんだ銀髪。さすが出来の悪さで王宮を追い出された『追放王子』だなあ。たいしたやさぐれっぷりだよ」
あからさまに馬鹿にされてシグの視線が剣呑になる。
「……喧嘩売りにきたのか、てめーは」
にやにやと笑いながら言ってくる旅行帽男に、シグは苛立ちを募らせる。
――ウィスティリア王家には、落ちこぼれの元王子がいる。
それは有名な話だった。
シグがその元王子であることも。
ウィスティリア王国では誰もが生まれた瞬間に『精霊』と契約する。
そして契約した精霊の強さによって人生を大きく左右される。
鍛冶師はたいてい火属性の精霊使いだし、船乗りは水属性の精霊を宿している。
精霊の中にも格差が存在して、基本的に身分が高い人間ほど強い精霊を持つ。
しかしそんな中、王族でありながら最弱クラスの精霊を宿した異端児がシグだった。
シグにかけられた罵倒は数限りない。
王家の面汚し。
術のひとつも使えない落ちこぼれ。
勉学、剣術、社交――シグは必死に王族としての務めを果たそうと努力したが、そんなことよりも契約精霊の格が重要なのがこの国の文化だ。
最終的にシグは王族を追放され、今は剣一本で魔物を狩る冒険者になっている。
そんなシグを同業者が優しく受け入れたかといえばそんなこともなく、ここでもまた契約精霊の弱さが原因で見下されているのだった。
何が面白いのか、三人の男たちは揃って笑い声を上げる。
「喧嘩売りにきたのか、だってよ」
「はは、やっぱり元王子だよなあ。偉そうなのが抜けてねえ」
「『無能精霊』なんかと契約してるくせにな」
「……、」
『無能精霊』。その言葉に、シグの肩が微動する。
確かにシグが契約している精霊が最弱クラスなのは事実だ。
これが仮に、自分への罵倒なら見逃した。
しかし自分の相棒ともいうべき精霊を馬鹿にされたのは看過できない。
シグは、とん、と自らの剣の柄頭を指で叩いた。
「今すぐ詫び入れて失せるか、ぶっ飛ばされるか選べ」
その言葉に、三人組は顔を見合わせ――
「「「……ぶっははははははははははっ!」」」
さらに大きな声で笑い出した。
旅行帽の男が「やべえぶっ飛ばされるってよ!」、猿顔が「現実見えてねーのかな?」、犬顔が「精霊術ひとつ使えねえポンコツのくせに粋がってんじゃねぇよ!」と目じりに涙を浮かべて口々に言う。
妥当な反応と言える。
シグは身体強化も精霊術も使えない。
そんな人間が真っ当な精霊使いに勝てるはずがないのだ――普通なら。
「忠告はしたぞ」
呟き、瞬きひとつの間にシグは三人組へと肉薄する。
「ぅげっ!」
「ぎゃっ!?」
鈍い音が連続する。猿顔と犬顔は剣の背と柄頭を叩き込まれ、その場に倒れた。片手剣の切っ先を残る一人に向け、シグは言う。
「あと一人」
残った旅行帽の男が頬を引きつらせながら後ずさりした。
「マナを使った気配がねえ……ってことは単なる体術かよ、それ」
「今更何言ってやがる。俺が一切マナを使えねえ落ちこぼれなのは知ってんだろ」
シグは契約精霊が貧弱過ぎるため、マナを一切扱えない。
精霊術によって超常現象を起こすことも、身体強化で腕力や敏捷を強化することもできない。
だが、鍛え上げた体術と剣さえあればどうにでもあるというのがシグの持論だった。実際、今日まで絡んできた他の冒険者をことごとく返り討ちにしている。
「そんじゃてめーも寝とけクズ野郎」
「……ッ」
無造作に振るわれたシグの剣を、旅行帽の男はぎりぎりのところで受け止める。
旅行帽の男は引きつったように笑った。
「ほ、ほんと速えーな。……けど、終わりだ追放王子」
「ああ?」
まったく同時、剣を持つ旅行帽の男の手が光る――精霊術!
「【麻痺付与】」
「づっ……!?」
至近距離から雷属性の術を浴び、シグはびくりと痙攣して地面に倒れた。
相手を麻痺状態にさせる術を至近距離で浴びたせいだ。立ち上がれない。
倒れたシグを見て、旅行帽の男はにやりと笑った。
「無駄な抵抗はやめとけよ。中級精霊の【麻痺付与】だ。数分は動けねえぜ」
「てめ、最初から……!」
「そういうこと。あいつら二人は精霊術を使うまでの時間稼ぎ要員。……お前のやり方は知ってっからなあ」
嫌らしく笑う旅行帽の男に、シグは歯噛みした。
シグは対人戦では、必ず先手を取る。相手に身体強化やら精霊術やらを使われては勝ち目などないからだ。
この旅行帽の男はそれを知っていた。
だから仲間二人を囮に使って、精霊術の準備を行っていた。
(このやり口……金目当てにしては手が込み過ぎてねえか)
「不思議そうなツラしてんなあ。目当てはそれだよ。その剣」
シグの心を読んだように旅行帽の男が言った。
「な、に……?」
「さすが腐っても元王族だよなぁ。業物だってひと目でわかるぜ。どうせ王宮からちょろまかしてきたんだろ?」
精霊武装、というものがある。
『精霊石』を埋め込んでマナの伝導率を高めた武器のことだ。
旅行帽の男の言う通り、シグが王家を出奔する際に持ち出したその愛剣は業物である。
シグが動けないのはいいことに、旅行帽の男はまずそのシグの剣を奪った。
それからシグの懐を漁り、財布を奪った。今日集めたぶんの魔核も。
「精霊石のブレスレットは……まあいいか。これギルドの支給品だし」
「てめー……取り過ぎ、だろ」
「治療費だよ治療費。お前にぶっ飛ばされた気の毒な俺の仲間を医者に見せなきゃならねーだろ?」
「クソ野郎っ……!」
今すぐ叩きのめしたかったが、【麻痺付与】を浴びたせいでうまく動けない。
「おら、お前らも起きろ! いつまで寝てんだ」
旅行帽の男は仲間二人のもとに行き、彼らを起こした。ふらつきながら立ち上がると、二人は怒りに燃える目でシグのもとに寄ってくる。
「よくもやりやがったな、クソガキがぁ!」
「マジでぶっ殺すぞ!」
それからシグが動けないのをいいことに、次々に蹴りを加え始めた。ブーツの底やつま先が叩き込まれ、それでも動くことができず、シグは蹴られ続けた。
「おい、そのへんにしとけ。そろそろ行くぞ」
その様子をにやつきながら見ていた旅行帽の男だったが、あと少しで麻痺付与が切れるというところで仲間二人を止めた。
シグは内心で歯噛みする。麻痺が抜けたら即座に反撃に出るつもりが、きっちり警戒されている。
「詰めまでしっかりやっとかねーとなあ、っと」
そして懐からあるものを取り出す。
密閉された小箱。
それを見て、シグは切れた唇を引きつらせる。
「――待て、おい、やめろ」
「そのツラじゃあ、これが何かわかってるみたいだな」
旅行帽の男はいやらしく笑う。
「『魔物寄せの匂い箱』。中身をぶち撒ければ、魔物が大量に寄ってくる。まあ、俺らも同業襲ったってバレたらまずいからな。お前には事故で死んでもらうのが一番いいわけだ」
そう言って、旅行帽の男は箱を開けた。途端に中から真っ赤なガスのようなものが噴出する。魔物を引き付ける誘引物質だ。
「あばよ追放王子。恨むなら、弱い精霊を当てた自分の引きの悪さを恨め」
絶句するシグを愉快そうに見下ろして、旅行帽の男は言った。
「この世界じゃあ、精霊の強さがすべてなんだからな」
三人組は、最後まであざ笑いながら去っていった。
数分で魔物が集まってきた。
『ォオオオオオオォオオ……』
「あっぶね!」
寄ってきた骸骨の魔物の攻撃をどうにか避けて駆け出す。
シグをこんな状況に追い込んだ三人組はとっくに消えている。
(くそ、体が重てえ……)
体には麻痺が残っていて思うように動かない。
さんざん蹴られたせいであちこちが痛い。
おまけに魔物寄せの成分を至近距離で浴びたせいで、すっかりシグに匂いが移ってしまっていた。匂い箱からは離れているのに、魔物は相変わらずシグに寄ってくる。
普段なら強行突破一択だが、素手ではどうしようもない。
とにかく逃げる。
背後の魔物たちに追いつかれないように走る。前方の横道から匂いにつられた魔物が現れた。仕方ないのでさらに方向を変えて逃げる。
結果、どんどん出口から遠ざかってしまい――正規ルートに戻れない。
「ああ、くそ、くそっ! どうしろってんだ!」
魔物を倒すことも、迷宮を脱出することもできない現状にシグは折れそうなほど奥歯を噛み潰した。
どうして。
どうして、こうなった。
自分が何をしたというのか。
弱い精霊を宿して生まれただけで、生まれた場所を追い出され、強盗まがいの連中に襲われ、怪物どもに追い回されている。
腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ!
自分勝手な理由で他人の足を引っ張る連中にも。
油断してまんまと武器を奪われた間抜けな自分にも。
何より生まれ持った精霊の力だけですべてが決まってしまうような、このくそったれな世界にも――
『『『オオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』』』
「うるせええええええ! てめーらもいい加減諦めろ! 死ね!」
体力の無駄だとわかっていても耐え切れず、シグは背後に向かって叫んだ。
シグを追う魔物の数は今や二十を超えている。追いつかれれば絶対に生き残れない。
かといって、逃げ切るのも不可能だろう。
ならもう打てる手は一つだ。
「……ッ!」
シグは回廊を曲がった先にある行き止まりの小部屋に飛び込んだ。
前方に道はない。このままでは追ってきている魔物に囲まれてしまうが、それより早くシグは革ベルトに引っかけたものを外した。
取り外したのは、小さな箱。ただしさっき旅行帽の男が置いて行ったものとはやや異なる。
それを開くと、濃い緑色のガスが噴き出した。
『『『――――!?』』』
今まさにシグのいる小部屋になだれ込もうとしていた魔物たちが、ぎょっとしたように急停止する。
魔物除けの匂い箱。
魔物寄せとは逆に、魔物が嫌がる匂いを詰めた箱である。
(だが、根本的な解決にはなってねえ)
匂い箱の効果はせいぜい三十分程度。
それが過ぎれば今度こそ魔物たちはシグに襲い掛かってくる。
「それまでに済ませねえとな。……【石板】」
シグは呟き、唯一使える精霊術を発動させた。
半透明の石板が眼前に現れる。
サイズは縦十C、横二十Cほど。
また、石板の上には同じく半透明の白蛇が乗っていた。
『――――』
真っ白な鱗、空色の目が特徴的な白蛇は、シグを見るなり心配するようにすり寄ってくる。
その瞳の色から、シグはこの蛇型の精霊に『クゥ』という名前をつけていた。
「悪いなクゥ。わかってると思うが、緊急事態だ。そこどいてくれ」
『――――』
言うと、白蛇は翼もないのにふわりと浮いてシグの頭のあたりを漂い始める。
この動きも精霊特有のものだ。マナの塊である精霊は、契約者であるシグ以外には見えず、またシグであっても触れることはできない。
それはクゥとともに現れた石板、『スキルボード』も同様だ。
薄く反対側が見えるそれは、光る粗いガラスのようにも見える。
シグは石板に視線を走らせた。
〇クゥ
・『属性』:風
・『階位』:疑似精霊
・『錬度』:49
・『保有精霊術』:――
石板は、精霊の性能を示すものだ。
『属性』はその精霊が扱えるマナの種類を、『階位』は精霊としての格を、『錬度』は成長度を、『保有精霊術』はそのまま使える精霊術を示す。
これによればクゥは疑似風精霊――つまり最下級の風精霊。
使用可能な精霊術は皆無。
無能精霊などと呼ばれてしまう原因はここにある。
クゥはマナへの干渉力が弱すぎて、精霊術や身体強化といった基本的なマナ操作がいっさいできないのだ。
『――――……』
「気にすんな。お前が悪いわけじゃねえよ」
落ち込んだように首を下げるクゥに、シグは苦笑した。
そう、クゥは悪くない。精霊としての格など生まれ持った髪や肌の色程度の価値しかない。
シグにとって重要なのは『錬度』の項目だ。
「足りりゃあいいんだが……」
と、手首のブレスレットを石板にかざす。
するとブレスレットにつけられた精霊石が反応し、溜めこんでいた経験値が石板に吸い込まれ始めた。
経験値を一定以上与えれば精霊の錬度が上がる。
錬度が上がれば、『進化』が起こることもある。
精霊の階位が上がり、姿が変わり、能力が大きく強化される現象。
(クゥが進化すりゃあ、突破口が開けるかもしれねえ)
成功する見込みはある。
進化が起こる練度は精霊によって違うが、練度50はそれが起こりやすいと言われている。さらにシグの感覚からいえばクゥの練度上昇はそろそろだ。
少なくとも、素手で魔物の群れに特攻するよりよほどマシな賭けだろう。
……数秒後。
ブレスレットの精霊石が経験値を吐き出し終えたのと同時、石板が強く光った。
「は、ははっ! 本当に来やがった!」
目を見開き、シグは笑った。
石板に続いてクゥも発光を始める。
シグも遠目に見たことがあるので、この現象が何なのかはすぐにわかった。
進化が始まるのだ。
(まあ……『疑似精霊』が『下級精霊』になったところで大逆転ってほどでもねえが)
それでもさっきまでとは雲泥の差だ。
クゥは一回り大きくなり、精霊としての格をひとつ上昇させる。おそらく精霊術も低威力だろうが、使えるようになるだろう。精霊進化とはそういうものだ。
そういうものの――はず、なのだが。
何かおかしい。
「あ……? おい、待て、何だこれ」
発光するクゥの体がどんどん大きくなっていく。一回りどころではない。しかも何やら、手足のようなものが生え始めた。あまりに眩しいため詳細はわからないが、明らかに蛇という基礎が崩れている。
これではまるで、人のような……
瞬間。
シグの体を、おぞましい激痛が貫いた。
「がっ、あ、ぁあああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
視界が真っ赤に染まる。殴られたとか、斬られたとか、そんな次元ではなかった。内臓がすべて数倍に肥大化したような、内側からの強烈な圧迫感。
気付けばシグは地面に倒れていた。
シグの全身をひび割れのような紋様が覆っているが、シグはそれに気づく余裕すらない。
シグが意識を保っていられたのはわずか数秒。
魔物がどうとか、そんなことすら考えている暇はなかった。
『ああ、やっと、やっと――願いが叶う。きみの力になることができる……』
気絶する寸前、そんな誰かの声が聞こえた気がした。
お読みいただきありがとうございます!
落ちこぼれ元王子の逆転無双、楽しんでいただけたら幸いです。




