異世界サスペンス劇場 第5話 奥様気分の女
早朝、ベスは廊下を歩いていた。
とても大きな屋敷の廊下だ。絨毯だって最高級のものだ。廊下の途中には芸術家が描いた理解不能なモチーフと値段の絵だって飾ってある。そして迷ってる新米のメイドまでいる。
「どうしたの ? 」。
後ろから急に声をかけられた、この屋敷に慣れない風のメイドは、跳び上がった。
「す、すみません ! 昨日からここに来たんですけど、何せ広くて……」。
ベスは特に感情を込めることもなく、目的の場所を教えてやる。
「ありがとうございます ! 」。
ぺこり、とお辞儀をして小走りで去っていく小さな背中。しばらく小走りして、ようやく新米のメイドは仕事場にたどり着いた。
「どこをほっつき歩いてたのよ !? 早く掃除しなきゃ午前中で終わらないわよ ! 」。
美人だがキツイ性格の先輩メイドが叱責した。
「すみません……。迷っちゃって……。奥様に教えていただいてなんとか……」。
しどろもどろになる新米。
「『奥様』 !? 誰のことを言ってるの !? ひょっとして奥さん気取りのあの女のこと !? 最初期のメンバーだか何だか知らないけど、偉そうな顔して !! 」。
長い長い廊下に、似つかわしくない金切り声が響いた。
「……ここでその『奥さん気取りの女』の紹介で働かせてもらってるのは誰だったかしら ? 」。
ヒステリックな声の余韻が収まりきらない中、威厳のある声がした。新米がそちらを向くと、年嵩だが、背筋がピンと伸びたメイド長が立っていた。過去に貴族のお屋敷でもメイドをしていたという経歴の持ち主だ。
「そ、それは……」。
美しい顔を醜く歪めて、言葉につまるメイド。
「……恩を忘れてはなりませんよ。それからあなた」。
「は、はい」。
メイド長に見つめられて、思わず背筋の伸びる新米。
「確かにベス様はこの屋敷にお住まいだし、飾られている美術品から家具、食器、そしてメイドの服まであの方の好みで決められてます。しかしあの方はネード様の奥方ではありません。自分が仕える主の家族構成ぐらいはしっかりと把握しておかねばなりませんよ」。
「……はい。申し訳ありませんでした」。
新米は冷や汗をかきながら、頭を下げた。そして先ほど出くわした、思わず「奥様」だと勘違いしてしまった女の風貌を思い浮かべる。
魔法使いのローブを一流の仕立て屋が極限までスタイリッシュにしたような不思議なドレスを纏い、ゆったりとしたウエーブのかかった長い茶色の髪は恐らく貴族や大商会の女性だけが髪結いに専用の魔法具でかけてもらえるパーマというやつだろう。
そして高そうな宝飾品を首と手首と指に下品にならない限界までつけ、顔には薄く化粧を施していた。手には歩きながらだと言うのに、煙管から煙が漂う。ただその器量は十人並みで、スタイルもそうであった。
彼女の装いもそうだが、彼女からあふれでる「奥様オーラ」とでも言うべきものが新米をして勘違いせしめたのだ。まるでこの屋敷の全ては自分によって存るのだ、と言わんばかりの強烈な自負と自信が、ベスからほとばしっているように新米には感じられたのだ。
十数年前、この館がまだ現在の主の物でなかった頃、彼は「勇者」と共に魔王を討ち果たし、王国へ帰ってきた。その時、ベスは14歳。レベルは11で基本的な攻撃魔法と時空魔法を使えるだけだった。魔王と一緒にモンスターも消えたため、もうレベルは上がらない。平和な時代の魔法使いは騎士団に所属するか、なんの成果もあげない魔法院に所属するか、別の仕事を見つけるか、の三つだった。
魔王討伐直後は魔法使いのレベルも平均的に高く、騎士団に入るには15以上のレベルが求められた。ちなみに平和な時代が長く続くと、魔法使いばかりか全ての人間がレベル1の平等な世界となる。それはある意味幸せなことなのだが、魔法使い達はレベルをあげて魔法を得るために、魔王とモンスターの襲来を歓迎してもいた。
そんな状況の当時、ベスは悩んでいた。これ以上レベルは上がらない。騎士団には入れない。魔法院に入っても下働きで薄給だ。そうなると他の仕事を探した方が良い。問題なのはモンスターに夫を殺された赤子を持つ姉と、幼い妹達だった。ベスの両親も、モンスターが街を襲った際に死んだ。彼女の小さな肩に、一家の命運がかかっていたのだ。
そんな時、勇者パーティーの一人だった盗賊のネードに声をかけられた。よく笑う少年だった。彼は「商人」のバイロンと組んで商売を始めるから、雇われてくれないか、と言うのだ。示された給金は魔法院の倍以上。選択の余地は、無かった。しかし当時同い年で、よく一緒に行動していた「魔法使い」であることに誇りをもっていた少女からは、これでもかというほど罵倒された。ベスの事情を知っていたのに。思えば彼女は友達としてではなく、見下せる対象として仲良くしてくれていたのだろう。引っ込み思案だったベスは何も言い返せず、ただただ泣くばかりであった。
ネードに雇われたのはベスだけではなく、同じような境遇の魔法使いが十人ばかり。その魔法使い達は手分けして、この大陸を巡った。一度行った場所は「時空魔法」の「移動呪文」を使えば一瞬で行くことができる。行ったことの無い街へ行き、そこへ「移動呪文」で仲間を連れて行く。もちろん連れて行かれもする。最初はお金をもらって旅行をさせてもらって、なんだか申し訳ない気持ちになったものだ。それを繰り返して、この大陸を網羅して、全ての仲間がどの都市や街へも行けるようになって、商売が始まった。
簡単に言えば、「移動呪文」を使って海でとれる新鮮な魚を新鮮なまま山で売り、山でとれる新鮮な肉や野菜を新鮮なまま海で売ったのだ。もちろんそれは食料品だけではなかった。一人の魔法使いの「移動呪文」で運べるのは馬車一台分で、王都から各地へは彼らのMPでは一日三往復が限界だったが、それでも信じられないくらいに儲かった。そのうち海を越えて、他の大陸の国々にも出向くようになった。
やがて他の商会が同じようなことをやり始めた。プライドの高い魔法使いをなんとか口説き落としたり、ネードから引き抜いたりして、ベスが将来に再び不安を抱くようになった時、彼が準備していた本命の商売が始まった。
魔族が使うとても便利な「魔法具」を制作して、商品として販売したのだ。戦後に捕らえられ、定められた居住地に押し込められていた魔族の技術者に協力を得るために、こっそりと暗躍していたのがようやく実を結んだ。そのために技術者達を居住地から別の場所に移動させるだけでも、相当苦労したようだった。
魔族の道具を使うことに最初は抵抗もあったが、すぐに受け入れられた。人は便利さには勝てないのだ。魔力を込めた魔石をエネルギー源とした照明や冷暖房、時計に水が湧き出る水差しなどは全ての家庭に普及するまで品不足の状態が続くように思われた。しかしその独占販売は当然他の商人達の反発を招き、当時の宰相に働きかけて、魔族の技術者を他の商会へも提供するように圧力がかけられた。
ネードはそれに激しく抵抗した。彼以外の人間が魔族をどのように扱うかを嫌と言うほど知っていたからだ。結果的にそれは回避できたが、そのためにとった手段は彼に大きな傷を残した。この国で一番の影響力を持つ「勇者」と国王が唯一わがままを聞く、亡くなった前王妃の面影を遺す第一王女に動いてもらったのだ。
それ以降、彼は「勇者」の家に赴くことはなくなり、逆に第一王女の元へは足繁く通うようになった。
よく笑う少年は、キザったらしい作り笑いをする青年となっていた。
その時にはネードの商会の最古参となっていたベスは、彼の秘書のようなことをしていた。そしてある時、彼の自室に入ると、若造と舐められないようにいつもつけている付け髭を放り出し、いつもキッチリと整えている髪をボサボサに乱してただ天井を見つめるネードがソファに何をするでもなく、座っていた。誰にも見せたことのない姿だ。
それは疲れ切った舞台役者の楽屋だった。「強い自分」を演じ続けて壊れかけた男だ。ベスは無性に悲しくなった。ずっと見て来たこの人は、皆が本当に笑い合える世界を目指していた。魔王を討伐してからは商売を通して世界を変えようとしていたのに、当の本人がこうなってしまうなんて。だからその時、思わずこんな言葉が出たのだ。
「ネードさん、私、実家が昔パン屋だったんですよ。だから今でもたまにパン焼いたりするんですけど、結構おいしいと思うんですよね。売り物になるくらい。だから辛いならどこか遠くへ二人で逃げて、パン屋さんでも始めませんか ? 貯金もあるし、ネードさん一人くらいなら、私、養っちゃいますよ ? 」。
その台詞を聞いたネードはしばらく惚けたような顔をしてから、笑った。ベスが初めて彼と出会った時に見た、本物の笑顔だった。
それ以来、彼女は彼の「楽屋」に入れる唯一の人間となった。
国で一番金貨を持っていると噂される男に「養ってやる」なんてあの時はよく言えたものだ、といつも思い出してはベスは赤面する。
新米のメイドを見て、なんとなく昔の自分のことを思い出しながら歩くベスは目的の場所へとたどり着いた。「楽屋」の扉だ。ノックもせずに彼女はそれを開く。中には頭を抱えながら、ブツブツとなにやら呟く男。
「……ああ、父親の葬式の後にあれは言い過ぎだったよなぁ……。結局雨に一晩中うたれてたし……病気にでもなってたらどうしよう……。それに父親の遺品を買うために身体を売るとか言い出さないだろうな……」。
ぐっしょりと濡れた喪服のままだ。そんなネードを逞しくなったベスは叱咤する。
「いつまでグチグチ言ってるの ! 過去を悔んだり、未来を心配するより、今しなきゃならないことをしなさい ! そうしないと余計に悔やむことになるわよ !! 」。
「……とりあえず着替えるよ」。
昔は優しかったのに──と過去を懐かしむネードを一睨みしてから、ベスは煙管の煙を深く吸い込み、盛大に吐き出した。
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