異世界サスペンス劇場 第4話 多すぎる遺産は揉め事の元
雨が降る。
ジラは自分の感情の制御を完全に失っていた。最愛の父が殺され、その犯人はわからない。かつての父の仲間のすぐに悲しみから立ち直る姿は、どこか淡々として見えて、それがまた彼女をイラつかせた。実際のところ、死を身近に体験しすぎた彼らと、平和な時代に生まれて育った彼女とでは感覚が違うのは仕方のないことだった。
沸き上がってくる激情を脚に伝えて、ジラは走った。やがて屋敷が見えてくる。「勇者」である父が魔王討伐の褒美の一つとしてもらった一等地の豪邸だ。彼女はその大きな扉を力一杯、開けた。すると当然ながら、いつも通り大きなホールがあった。しかしホールにはいつも通りではないものがあった。
王宮が保管する伝説の武器等は返却されたが、「勇者」が旅の途中で入手した値段のつけられないほど貴重な武器や防具、アイテムが無造作に床に積み上げられていた。
「こんな遅くに帰ってきて !! 兄さんはどんな育て方をしたんだい !! 」。
ガラガラの声がホールに響く。少女からすれば、叔母にあたる女の声だ。まるでこの館の主かのように、悠々と中央の大階段を下りてくる。
「……叔母さん。何これ ? それになんで母さんの服を着てるんだよ !? 」。
「うるさいね ! こんな上等な服なのに、もう誰も着ないなんてもったいないでしょ !! 」。
細身であった母に合わせて作られたドレスが、収まりきらない肉によって悲鳴を上げている。それに首元には父が母に贈ったネックレス。指には母の結婚指輪。ジラの気が狂いそうになる装備を一式、身に着けた女は、「勇者」の妹ブリアナだった。兄の葬儀のためにはるばる故郷の村から王都へと出向いてきたのだ。
ガチャリ、とホール右手のドアが開き、禿げ上がった赤ら顔の大柄な男が出て来た。手には古びた剣を持っている。
「……あとはこの汚ねえ剣だけだあ。他に目ぼしいものはねえよ」。
ブリアナの夫、チャスだ。ジラはいつもニヤニヤと不気味に笑っているこの男が嫌いだった。そしてそんな男に父が剣術の練習にいつも使っていた愛用の剣を貶されては、もう我慢がならなかった。
「てめえらの方が汚ねえ面してるくせに、何言ってやがる !! とっとと出て行きやがれ !! 」。
バチンと乾いた音がして、少女は積み上がった宝物の山へと突っ込み、崩れた宝に埋もれた。
「なんて口をきくんだい !! 」。
ブリアナの職業は「村人」だが、村の周辺に出る低レベルのモンスターを駆除している内に、彼女のレベルは10となっていた。それはレベル1の少女では相手にならない絶対の差だ。事実、頬を張っただけで、ジラは数メートル吹っ飛んだのだから。よろよろと立ち上がると、頬から血が垂れた。ブリアナの指に無理やり嵌められた母の結婚指輪が、本来の持ち主の想いを無視して、娘の頬を切ったのだ。
「あーあ。崩れちまった。せっかく積んだのによお。元通りにしておけよ。明日、オークションハウスの人達が取りにくるんだからなあ」。
面倒くさそうに吐き捨てるチャス。
「……オークションハウス ? 父さんの遺品を売りさばこうって言うの !? そんなの私が許さない !! 」。
「どうせこんな平和な時代には必要ない物さ ! それに散々『勇者の娘』としていい思いをしてきたんだろ ? これからは私達の番さね !! 」。
大きな音と怒鳴り声に、住み込みの召使い達が慌ててホールに出てきた。
「こ、これは一体何事ですか !? ジラ様 !? 大丈夫ですか !? 」。
ジラに駆け寄ろうとする召使いをブリアナが制す。
「手を出すんじゃないよ ! 早々と死んだあの役立たずの女が躾をしなかったから、私達がしてやってるんだ !! 」。
もう無理だった。我慢をするのは。
「うわあああぁぁぁぁぁああああ !!!! 」。
手近にあった剣を鞘から抜き放って、ジラは亡き母を侮辱したブリアナに切り掛かる。にやり、と確かにブリアナは笑った。スッとチャスがブリアナの前に立ち、いつの間にか鞘から抜いた剣を構えた。それはジラの父が愛用した練習用の剣だった。
「死ねえぇぇえぇえええ !!!!!! 」。
「死ぬのはお前だあ !! 」。
魔王討伐にも向かわずに村周辺でコツコツと弱いモンスターを倒してレベルを上げていたチャス。そうしている内に魔王が倒され、ほぼ無償で平和を享受し、今は義理の兄の遺産を譲り受けるために、その娘を二つに切り分けようとしていた。彼女の父の剣で。彼の職業は「戦士」、レベルは15。レベル1のジルの防御力など無に等しい。
ジラを赤子の時から知る女性の召使いの悲鳴が響く中、両者が剣を振り下ろし、そのままの体勢で止まる。チャスは当然傷一つ無い。そしてジラも生きていた。二人の手に一瞬前まであった剣は、消えていた。
「……ネード様…… ! 」。
どこかホッとしたような召使いの声がした。
ジラとチャスの近くに、いつの間にかネードが立っていた。両手に一本ずつ、剣を持って。「盗賊」の特技「強奪」によって体に当たる寸前で、両者から剣を奪い取ったのだ。
「ち、ちがうんだよ !! そいつが先に剣を抜いたから、正当防衛さ !! 」。
慌てて取り繕うようにブリアナが叫ぶ。
「オッサン !! 見てたんだろ !? そいつらをぶっ殺してくれよ !! 」。
ジラの悲痛な声がした。
「……どうしてだ ? 」。
ネードはその声に応えるでもなく、静かに二本の剣を鞘に納めて、床に置いた。
「どうしてって !? バカなこと聞くなよ ! そいつらは私を殺そうとしたし、父さんの遺産も勝手に売り払おうとしたんだ !! そんなこと許されるはずがないだろ !? 」。
「……お前の叔母さんが言うように、先に剣を抜いたのはお前だ。殺されそうになっても文句は言えない。それからお前はまだ15歳だろ ? この国では16歳に満たない者の両親が亡くなった際、最も近い身内が16歳になるまでの後見人となる。被後見人は後見人によってその財産を管理される。だから『勇者』の遺品を売り払うことも止めることはできない」。
ネードは淡々と言った。まるで感情を感じない物言いだった。
「……何言ってるんだよ……。あんた父さんの仲間で……親友だったんじゃなかったのか ? 」。
「いやあさすがネードだ ! よくわかってる ! あんたのオークションハウスにお願いしたのは間違いじゃなかったよ !! 」。
とても、とても嫌な偽物の笑顔だった。
「明日の朝、品物を受け取りに馬車が参りますので、受け渡しをよろしくお願いします。……その古びた剣もオークションに出してください。『勇者』が愛用したというだけでも価値がありますから」。
すっと一礼して、ネードは玄関から出て行った。ふらふらとその後をジラが追う。わけがわからなかった。絶対に自分を助けてくれるはずの亡き父の親友が、救うどころか自分を殺そうとした叔母夫婦の味方をしたのだ。しかも父の遺品をオークションにかける片棒まで担いで。
静かに降る雨の中、傘もささずにネードは暗闇の道を歩いていく。後ろから声がした。今までに聞いたことのないような弱弱しい声だ。
「……どうして、どうしてだよ…… ? 」。
「法を破るわけにはいかない。それだけだ」。
「盗賊」ネードはグレーなことはしても、絶対に法を犯さない。その気になればどんな犯罪でもなしえてしまう特技を持つ身で、周囲から信用を得るためには、そんな当然なことを徹底して守らなければならなかった。そして今や「商人」達からも厚い信頼を得て、共に商売をしている。その信用を壊すわけにはいかなかった。もし彼が失敗すれば、路頭に迷う多くの人々がいるのだ。
「……じゃ、じゃあ普通に父さんの遺品を全部オッサンが買い取ってくれよ。そうすれば法に触れないだろ ? 私が16歳になったら買い戻すからさ……」。
「無理だ。『勇者』の遺品なんだぞ。貴族達も本気で獲りにくる。それを全部落とすなんて不可能だし、お前がそれを買い戻すのも不可能だ」。
「……なんでだよ……。いじわるしないで助けてくれよ……。なんでもするから……お金だってなんとか稼ぐから……私は『勇者』の娘なんだからなんとかなるって……」。
声は泣き声となっていた。
「……自分で10ゴールドも稼いだことのないガキがわかったようなことを言うんじゃねえ !! 」。
びくり、とジラの肩が震えた。
「だいたいお前はなんなんだ !? 『勇者の娘』だからなんだってんだ !? いつだってそれを鼻にかけやがって !! もう『勇者』はいないんだぞ !! お前自身に一体どれだけの価値があるって言うんだ !? もし俺の財布から金を出してもらいたいなら、俺にお前自身の価値を示してみろ !! そうすれば遺品の一つぐらいはオークションで落としてやるよ !! 」。
「う……うああああ…… ! 」
暗い雨の中、ネードの背中から強い拒絶を感じたジラは闇雲に走り出した。急変する現実から逃げ出すように。
どれくらい走っただろうか。ふと気づくと、今は開放されている王宮の裏庭に入り込んでいた。今日、『勇者』が埋葬された場所だ。無意識の内に父を求めたのだろう。ジラはふらふらとその墓碑の前に倒れこんだ。
「……父さん、私、どうしたら……。私に父さんの娘以外の意味なんてあるの…… ? 」。
力なく呟き、雨が体温を奪い続ける中、ジラは意識を手放した。
爽快な風が吹く昼下がりの草原。膝まで薄い緑の草に埋めて、「勇者」と娘は剣を数合、打ち合う。やがて勇者の剣が娘の剣を巻き込んでからめとり、青空へと放り投げた。
「踏み込みが弱いな。だから剣に力が入りきらなくて受けられてしまう。相手の攻撃を怖がらずにもっと思い切って踏み込むんだ。人生と一緒で踏み込まないと得られないものもあるんだぞ ! 」。
「……変に人生訓にからめんなよ。父さん。それにしても意味あんの ? この訓練。もう魔王はいないんだし、どうせ今から剣術を習ってもレベルの高い奴らのステータスにはかなわないんだしさ」。
父親と同じように日焼けした肌と、黒い髪の少女は口をとがらせる。魔王が討伐されてモンスターが消えた今、レベルを上げるために必要な「経験値」が得られない。よって皆、魔王討伐時のレベルで固定されているのだ。
「もちろんあるさ ! 俺の経験したモンスターとの闘い方や、旅の間に編み出した剣術を身に着けていれば、次に魔王とモンスターが出現した時にはお前がすぐにレベルを上げて魔王を倒すことが出来る。そうでなくても同じレベルであれば戦い方を知っている者が勝つ。もしかしたらレベルが一つ二つ上の奴にも勝てるかもしれないぞ ! 」。
ニカっと黒い肌に映える白い歯で笑う勇者。
「確かに父さんは自分よりレベルの高い魔王を討伐したんだもんな」。
誇らしげに少女も笑った。よく似た笑顔だった。
「……いや、魔王を倒せたのは剣術や戦い方のおかげじゃない。仲間がいたからだ」。
「ははは、そりゃ魔王一人を勇者パーティー六人でボコったんだもんな」。
娘の返しに、父は苦笑した。
「なあジラ、ネードのことをどう思う ? 」。
「あのオッサン ? 変わり者だな。商売で忙しいはずなのに、たまに広場に集まった子どもの前で手品を見せてたり、アンナおばさんと一緒に魔族の慰問に行ったり、恐ろしくて召使い以外は誰も相手にしない第一王女に媚びを売ってみたり……」。
「そうだな。変わって見えるかもしれんな。……あいつがそんな行動をとるのは、昔俺があいつに示した道を今でも歩いているからだ。『全ての人が本物の笑顔で笑える世界を作る』、そのために道をな」。
どこか遠くを見るような、懐かしむような顔で、勇者は王都の方を向いた。
「へえ、なんか楽しそうな道だね。父さんも一緒にその道を歩いてんの ? 」。
わかっているのか、わかってないのか、少女は無邪気に問う。
「……いや、今はあいつが一人でその道を歩いてるんだ。俺は歩む資格がなくなったんだ」。
その時の勇者は、とても、とても寂しそうだった。そして彼は続ける。
「ジラ。お前がもう少し大きくなったら、ネードの『仲間』になってやってくれないか ? 」。
「仲間 ? パーティーでも組めっての ? 」。
「そうじゃない。……俺の代わりにあいつと同じ道を歩んで欲しいんだ。あいつは強いように見せかけてるが、本当はそうじゃないんだ」。
「そりゃそうだ。なんせ『盗賊』だもんな。そんなに強いわけがないよな ! 」。
そういうことじゃないんだが──と勇者は苦笑して、娘の頭に手を置く。
ぶるり、と大きく身震いしてジラは目を覚ました。雨はやんでいたが、体は恐ろしく冷えていた。
(今の夢は、数年前の……)。
強張る体を何とか起こすと、濃い朝靄が陽光を遮り切れずに、白い薄明かりとなる中、一つの人影があった。薄いブラウンの柔らかな長い髪。理知的な灰色の瞳。雪のように白い肌の女性が白いドレスを着て、こちらに向かって何の音も立てずに歩いてくる。ジラはこの女性に、見覚えがあった。屋敷の父の部屋にかけられた大きな肖像画の中で微笑む女性だ。そして父の影響が強すぎたのか、その人から受け継いだのは瞳の色だけだった。
「まさか……母さん…… ? 」。
灰色の瞳を潤ませて、ジラは確信をもって問う。にっこりと、まるで太陽のように温かく母は笑んだ。いつの間にか母の隣に、もう一人いた。
「……父さん…… ! 」。
父と母は見つめ合い、何事か語り合っているが、その声がどうしてもジラには聞こえなかった。やがて二人がジラに向き直る。
「父さん、母さん…… ! 二人がいなくなって…… ! 私どうしたら…… !? 」。
大丈夫──と二人の口がそう動いて見えた。すっと父がジラの前に進み、右手をジラの胸に当てた。
半分──。
「えっ ? 」。
疑問の声をあげるも、二人はそれには答えずに少しずつこちらを向いたまま後ろへと遠ざかって行く。追いすがろうとしてジラは自分の身体が動かないことに気づいた。
(ああ、きっと母さんが父さんを迎えにきたんだ…… ! )。
遠ざかる二人は、大きな茂みの脇を通り過ぎる時、そこに向かって微笑んだ。そして朝靄が晴れるとともに消えていった。