異世界サスペンス劇場 第1話 誰がために勇者は死ぬるや
……ゆうしゃたちはまおうをたおした。
あれから十年以上が過ぎた。
ネードは数年前にオーダーした喪服を着て、最前列の長椅子に座っていた。教会の中ばかりか、教会周辺が参列者で埋まり、そこかしこで悲痛な声が聞こえている。壁際には礼装の鎧を纏い、槍を構えた兵士達が並んでいる。王族も列席するためだ。王が直々に生前の偉業を読み上げるのをどこか虚ろな思いで聞きながら、ふとネードは上を向いた。視線の先には壁に大きくはめ込まれたステンドグラス。ちょうど陽光が当たり色とりどりに輝く光の中、彼は生前のように剣を構えて、微笑んでいた。その光を浴びて、ネードはようやく思い出したように、一筋、涙を流した。
葬式は進み、黒い修道服を着た「僧侶」の中年女性が嗚咽おえつをこらえながら、女神様の聖典の一節をなんとか詠よみあげて、祈りを捧げる。相あい変わらず感情的な方かただ、と隣の男が呟いた。白髪で髪と同じ色の髭をたくわえた恰幅かっぷくのいい壮年の男性。場に合わせてか控えめではあったが、質のいい装飾品から財布の中味がうかがえた。かつて勇者達に無理やり同行して辺境の街まで物資を運んだり、旅の資金を融通してくれた「商人」のバイロンだ。
やがて棺に花を捧げる段となり、ネードは改めてそこに眠る「勇者」の顔を見る。まだ青年と言って良い風貌は血の気を失っているだけで、眠っているだけのように思えた。そっと鎧の上の胸のあたりに白い花を置いて、ネードは棺を離れる。並ぶ人々によって勇者はすぐに花に埋もれるだろう。
一度だけ振り返り、ステンドグラスを見上げて教会を後にしようとした所で、おずおずと背後から声をかけられた。
「……ネード様。申し訳ありませんが、第一貴賓室きひんしつまでお越し願います」。
聞きなれたというほど聞いたわけではないが、誰かはすぐわかるほどには聞いた声だ。少しの逡巡しゅんじゅんの後、振り向いた彼に喪服の若い女性が丁寧に頭を下げて、先導する。礼拝堂の奥にある重厚な木製の扉を開けて、教会内部の貴賓室へと重たい空気の中、二人は歩き続ける。
不意にその雰囲気に少しも遠慮しない音が背後から聞こえてきた。廊下を軽快に駆ける足音だ。
「オッサン ! 待ってくれ ! 」。
黒髪を後ろに撫でつけて、口ひげを綺麗に整えたキザったらしい男が振り向いた先には、黒いショートカットに日焼けした肌をもつ泣きはらした目の少女が息を切らせていた。
「ジラ、献花が終わるまでは棺の側にいてやれ。それに俺は忙しいんだ」。
「……どうせ第一王女の尻でも舐めにいくんだろ ? そんなことより私の頼みを聞いてくれよ !! 」。
思いの外ほかの口の悪さに、案内の女性はひるむが、ジラは構わずに強い意思のこもった大きな瞳でネードを見つめる。
「ダメだ。アンナおばさんにお願いしてみろ。あの人は優しいからな」。
「あの婆さんが優しくするのは男の子だけだって知ってるだろ !? それにあんたは探しに行くはずだ ! 父さんを殺した奴を ! 私も連れて行ってくれ !! 剣術だって習っているんだ。絶対に足手まといにはならない !! 何でもするから !! 」。
「ダメだ」。
縋すがりつくように頼みこむ少女に背を向けて、ネードは再び歩き出す。やがて絨毯の質が変わったことを靴底で感じた。そして前には廊下を塞ぐように立つ兵士が二人。それぞれ帯剣して、槍を構えている。先導する女性が兵士の間を通り抜けた後、ネードの前に遮断器のように槍がおろされた。
「ここから先は王族と関係者以外は立ち入りを禁じられています」。
「……この方は第一王女様のお客様です」。
「どんな例外も認めるな、と第三王子様から厳命されております」。
にべもない対応。ネードは不快な顔をするでもなく、消えた。そして驚愕する警備兵のはるか後ろの廊下に現れ、第一貴賓室の扉を叩き、入っていった。慌てたように案内の女性も入室する。
「チッ ! 『盗賊』ごときが ! 」。
次の瞬間、毒づいた警備兵が吹き飛び、派手に顔面から壁に衝突した。
「邪魔よ !! ああ !! 第二王子様 !! どれだけお心を痛めていらっしゃるのでしょう !? 今私がお慰めにまいりますからね !! 」。
先ほどまで慟哭しながら祈りを捧げていた人物とは思えないほどのすさまじい勢いで、修道服の裾すそを翻ひるがえしながら、僧侶(中年女性)が第二貴賓室へと飛び込んでいった。そしてそれに便乗してジラも警備兵の脇を抜けていく。
「お、おい大丈夫か ? 」。
ふらふらと立ち上がった若い警備兵はへたり込み、柔らかな極上の絨毯の敷かれた床に拳を打ち付ける。
「……クソ ! 『経験値』さえあれば…… ! 『レベル』が上がれば俺だって…… !! 」。
レベル差が50近くあれば「僧侶」であっても「兵士」の「ちから」をはるかに凌駕するし、「盗賊」の「すばやさ」は目でとらえられない。それだけこの世界ではレベルが絶対であった。しかしそのレベルを上げるため経験値を人間に供給するモンスターはもういない。魔王が倒れたと同時にあれだけいたモンスターも不思議と消えてしまった。現時点で唯一レベルを上げる方法は数か所の居住地に分けて管理されている魔族を殺すことだけだが、とてもお優しい第二王子と、か弱い者が大好きな女僧侶によって断固として反対されていた。
よって魔王を討伐したパーティーメンバーは覆くつがえしようのない世界最強の存在となり、その影響力は大きかった。彼らの内何人を傘下に置くか、で王位継承者が決まると言われるくらいには。もちろんそれを良しとしない者達もいて、彼らを排除しようと暗殺が何度か試みられたが、全て無駄に終わった。なぜなら不意をついて急所を刃物でついたとしても彼らの「防御力」を打ち破り一撃で命に届くほどの「攻撃力」がなかったからだ。
彼らを殺せるのは彼らだけだと思われていた。そんな中、勇者が死んだ。殺された。混乱を起こさないため、公おおやけには病死と発表された。
──一体誰が勇者を殺したのだろうか ? ──
「『戦士』よ !! あの醜い大男が勇者を殺したに違いないわ !! 今もって行方不明だなんて、逃亡してるのよ !! 」。
脳を直接爪で引っ掻くような金切り声が室内に響いた。その発声源はっせいげんは豪奢な車椅子に座る女性だった。葬式中は綺麗に整えられていた金色の髪は掻きむしったせいでボサボサと崩れ、目の下は黒く落ちくぼみ、頬はこけていた。
「ああ ! それに勇者がいなくなれば他国もこの国へ攻め込んでくるかもしれない !! きっと私は王宮が落とされた後、下賤げせんな平民共に代かわる代がわる汚けがされるんだわ !! ああ ! ネード !! 私を綺麗なままで殺して !! 」。
髪を振り乱し、血走った瞳でそう訴える幽霊のような女性に、思わず「そのことに関してはご心配なさる必要ありませんよ」と言いたい欲求を召使い達は必死にこらえていた。過去にそんな無粋ぶすいなことを口走った者に対して、幽霊は羅刹女らせつにょへと変貌し、拷問の後、処刑されたからだ。
「姫様、ご心配はいりませんよ。この部屋には私がおりますし、恐らく隣の部屋にはアンナがいるはずです。ですから今この場所は世界で一番安全な場所と言っても過言ではありません ! 」。
ネードは大きく両手を広げて、まるで舞台の上で台本を読み上げるように朗々と発声した。
「で、でもでも、もし『戦士』がここに襲ってきたら……『盗賊』のあなたで勝てますの !? 」。
女性は不安そうに、やせ細った両手を胸の前に重ねる。
「うーん。難しいかもしれません」。
ネードは腕を組んで悩ましげな顔。
「そ、そんな !? 」。
「でも大丈夫です !! 」。
くるくると無意味に回転しながら、車椅子の前に跪ひざまずくネード。
「私には世界一の『すばやさ』があります。いざとなれば姫様を抱きかかえて、共に世界を巡って、どこまでも逃げてみせましょう !! 」。
「まあ !! 素敵だわ !! 」。
王国第一王女、アイーシャ姫は胸の前で手を組んで、ネードと見つめ合う。召使い達は必死でこらえる。万が一失笑でもしてしまえば、とても恐ろしいことが起こると知っていたからだ。
(友人でもある勇者様の葬式の直後に申し訳ないとは思うけど……ネード様以外にアイーシャ様の不安を抑えることのできる方は存在しないし……)。
盗賊の「特技」である「壁歩き」で壁に立ってみせるネードを見ながら、アイーシャ姫が幼い頃からのお付きのメイドであるベルは思い出す。昔、モンスターが空から王宮を襲い、王妃が殺され、幼い第二王子を庇ったアイーシャ姫が脚にひどいケガを負って歩けなくなったことを。そしてそれ以来、常に恐ろしい不安が彼女の頭を苛さいなませていることを。どんなに不安をもたらす妄想もネードが愉快な空想で方向転換してしまうことを。
(……でも。正直心配な点もある)。
遠く離れた海で拾ってきた、とどこからか取り出した綺麗な砂のつまったビンと貝殻を見せながら、その時の冒険譚を語るネードを召使いの誰にも見せることのない顔で見つめるアイーシャ姫。自由に出歩くことできない彼女にとって、彼の語る世界が全てであった。
「……ところでネード。そこの粗野な娘は ? 」。
勢いのまま貴賓室に飛び込んでみたはいいが、初対面の第一王女に挨拶もせずに、出来の悪い歌劇のような二人のやりとりを吹き出して笑わぬように口を押えているジラをギロリと睨むアイーシャ姫。
「……申し遅れました。あそこに居りますのは亡くなった勇者の娘、ジラでございます」。
ネードがすさまじい目力めぢからで「挨拶」・「自己紹介」とシグナルを送るも、ジラは何処吹どこふく風。少しずつジラ謹製の不穏な空気が出来上がっていく。ついにネードが彼女に向かって小声で「挨拶」と言った時、爆弾は炸裂した。
「はあ ? なんで父さんに「硬い棒」と「50ゴールド」だけ渡して魔王討伐の旅に放り出した王ごときの娘に私から挨拶しなきゃならないんだよ !? 」。
「……そいつを捕とらえなさいいぃぃいいいい !! そしてできるだけ拷問してから、殺してえぇぇぇええええ !!!!!」。
この王国はとんでもなく封建的だった。しかしそうでなくては魔族との戦争に勝てなかった。王の命令によって喜び勇んで死地に赴く騎士と兵士達。破格の値段で物資を供出する商人達。食料を不休で作り続けた農民達。そして次々現れる「勇者」の資格を持つレベル1の少年少女達。勇者達全てに手厚く世話をする余裕などなかった。最初にレベルが30を超えた勇者にのみ王族が保管する伝説の装備が与えられたのだった。
あれから十余年経った今、平和な発展の時を過ごし、商人の力が増大する内に民間でその空気は和やわらいできたが、王族や騎士達は昔のままだった。すなわち、王族は絶対の存在。いかに魔王を討伐した英雄の武力があっても、王族はそれとは別の権威なのだ。
「なによ !! 放して !! 私は勇者の娘なのよ !? オッサンからも何か言ってよ !! 」。
第一王女直属の騎士達が命令に従ってジラを捕まえる。勇者の娘としてチヤホヤされて育ち、父の偉大さを自らの価値と勘違いさせられた少女を。
ネードは静かに天井を見上げて、やがて覚悟を決めたように発声した。
「お待ちください ! 」。
「……ところで姫様。私はこれからジラと勇者を殺した犯人を探しに行こうと思うのですが、捜査するにしても情けないことに私には公的な権限がありません……。そこで必ずお返ししますから、『王家の印章』を貸していただけないでしょうか ? 」。
「もちろん貸してあげますわ ! その代わり今日は王宮まで警護してくださいね ! 」。
陶酔したようにレアアイテム「蘇生の指輪」を眺めながら、アイーシャ姫は快諾した。
「かしこまりました ! 」。
うやうやしくネードが頭を下げる。
メイドは鼻を啜りながら息を飲んだ。
(……すさまじいものを見た、いや聞いたわ。あの状況からここまでもってくるなんて……。「蘇生の指輪」と引き換えに友人の娘の命と「王家の印章」のレンタル。悪い取引じゃないわ。そもそもアイーシャ様を通して始めてネード様は王政に口を出せる。だからアイーシャ様のお命は彼にとっても最重要なものなのだから)。
周りを見れば、どのような命令でも表情一つ変えずに従う騎士達までもが鼻を赤くして、こぼれそうな涙をこらえていた。ネードは語ったのだ。時に激しく、時に可笑おかしく、時にエロく、時に切なく、勇者とその恋人の話を。やがて恋人が妻となり、夫に娘を託して先に天に昇る場面で全員の涙腺が崩壊した。そしてその娘は父が死んだ悲しみのあまり混乱しているが、今からネードと共に敵かたきを探して討ち果たすことを誓ったのだと。
最後に、装着した者から一度だけ死をはねのける「蘇生の指輪」が姫に献上された。売れば最低でも100万ゴールドはくだらない逸品だ。死別した夫婦の話の後にそんなアイテムをプレゼントされた女性はいろいろと想像してしまうことだろう。
こうして事態はごまかされた。
「うう、私って、そんなに父さんと母さんに愛されてたんだ……」。
(なんで当事者のあんたまで感動して泣いてんのよ…… ! )。
泣きじゃくるジラを見てメイドは少しだけ釈然としない思いを抱いた。
読んでいただき、ありがとうございました。
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