深海からの手紙
縁側となる廊下を歩いていると、庭に矢が突き刺さっているのを発見した。そういえば先ほど夕立ちが降っていた。
こん、と鹿威しが鳴る水場のそばに立ったそれには小魚が刺さっている。グロテスクな、見たことがないような魚だった。
矢を抜き取ったぼくは、そのまま祖父の元に届けた。
「来たか」
と、和室の中央に正座する祖父。目の前には立派な将棋盤がある。ぼくは将棋をしないのでどうなっているのか分からないが、祖父が押しているらしい。
祖父は和紙を用意し矢に刺さった小魚を外す。するとびちびちもがいた後、げぼ、と和紙に海水を吐いた。
蝋燭に火を灯す祖父。濡れた和紙を火にかかげると、文字が浮いて来た。
「3四歩」
文字を見て思わず祖父、「ほう」。早速盤上を動かす。
そして腕組みしつつ、石のように動かなくなった。巧妙な手だったらしい。
考える祖父を残し、ぼくは障子戸を引き部屋を辞した。
翌朝。
ぼくが縁側を歩いていると、祖父に声を掛けられた。
「同桂」
それだけ言ってガラス瓶を差し出して来た。コルクで栓をした中には丸めた和紙が入っている。墨で何か文字が書いてある。おそらく「同桂」の一手を示す言葉だけだろう。
「あら」
と母。ちょうど縁側を通り掛かったのだ。
「きょう、息子と埋立地にできた遊園地に行って来ますの。早速海に投げ込んで来ますね」
それだけ祖父に言う。
「沿岸部は埋め立て埋め立て、だな。領土が広がるのは、良い」
機嫌が良さそうに笑みを浮かべると、祖父はきびすを返した。
「この一手で、さらに国土が広がる」
庭を見ながら言う口調に、満足感があった。ぼくが幼かった頃の記憶だ。
世の中は、オイルショックでトイレットペーパーを買いだめし、テレビ番組に「総天然色」という但し書きが入り、車は三輪のトラックが走っていたような時代だった。
数十年後、祖父は大往生した。
死ぬに死ねないと言っては、長く長く、生きた。
ぼくの父親が早くに亡くなって、後継者がいなかったからだ。
そして今、成人して家庭を持ったぼくが将棋盤の前にいる。相変わらず将棋は良く分からない。
「父ちゃん」
娘が、先にグロテスクな小魚の刺さった矢を持って来た。そういえば、先ほど夕立ちが庭や屋根を叩いたようだ。
「来たか」
和紙を用意し、あぶり出しの文字を見る。
「2八角成」
脂汗がにじんだ。
時代は、地球温暖化で環境問題が取り沙汰されている。時折聞かれる海面上昇のニュースが、耳に痛い。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
同タイトルで競作したときの作品です。
ちなみに棋譜は残ってません。