Second.
私は、この世界に生まれてくる前の記憶がある。
この世界とは違い魔法も精霊も魔物も魔王も無くて、かわりに科学がある世界。
私はその世界で、学生として普通に生活していた。
朝早くに起きて朝食をすませてから学校に登校し、学校が終わったらしばらく図書館に居座って本を読んでから帰る。
私は一見して変わらないようで少なからずとも変わっていく日常の中で、死んだ。
交通事故だった。
私は、向かってきたトラックに動くことができなかった。
なすすべもなく、私はそのまま跳ね飛ばされた。
体は見事に宙を舞い、私の記憶はそこで途切れた。
こうして、私は齢16にしてこの世界を去った。
この世界に転生してきてからは言語の違いに焦ったが、冷静に分析するとこの世界の言語は前の世界で完全にマスターしていたロシア語に似ており、三歳になる頃には普通にその世界の本を読めるほどになっていた。
幸い、私の兄姉達は四歳になる頃にはすでに大人の読むような本が読めたらしく、私がそこまで目立つということにはならなかった。
まぁ、いつのまにやら『欠陥王女』なんて二つ名をつけられていたいたようだが。
「……今思い返してみても、あきらかに嫌われてたな……私」
小さく独り言を漏らして、私は何気なくポケットに手を入れて小さな鍵を取り出した。
妙に古ぼけた感じのその鍵は、鎖をつけてペンダントとして首から吊り下げられる形になっている。
私が王様からもらった魔道具とやらで、たしか名前は『塔主の鍵』といったか。
色々と説明をしてもらいはしたが、ようはこれがないとこの塔には入れないらしい。
少し眺めてまたポケットに入れ直して、こんどは窓を見る。
この窓は変わっていて、中から外を窺うことはできるが、外からは中がわからないというまるでマジックミラーのようなはたらきをする。
そのため窓から私の姿が見えることも光が外に漏れることもないので、この塔はいまだに無人だと思われているようだ。
「……久しぶりに、出掛けようかな」
なんとなくポツリとつぶやいて、私はクローゼットを見る。
最初にこの塔から出たのは7歳の頃だったか。
できれば一生、この塔から出ないようにしようという考えは、わずか三年で取り消した。
きっかけは、風邪をひいたことだった。
この塔はもとは書庫として使用されていたこともあり、人が生活するうえで必要なものがほとんど無い。
例えば風呂や調理場、ベッドなどといったところか。
洗面所はあったので、そこで風呂のかわりに適当な布で体を拭いたり洗濯物を洗えたのでなんとかなった。
調理場はなくても、時間が来るといつのまにか料理が届いてくるので困りはしなかった。
ベッドが無いのは少し困りはしたが、結局クローゼットの中の毛布を体に巻き付けて椅子の上で寝ていた。
だからかもしれないが、私はいつのまにか風邪をひいていた。
自分以外は誰もいないこの塔で、私は独りでなんとか風邪を治した。
そのとき、ふと考えた。
これが風邪じゃなかったら死んでいたかもしれない、と。
私は死ぬのは嫌だったから、薬がほしいと思った。
でも、ここに薬はない。もらえるあてもない。
この世界の地図も暗記済みで迷うこともないだろうし、ダメなら自分の知識でどうにかできるだろうと考え、私は外に出た。
今でも少し無謀だったとは思いはするが、後悔はしていない。
椅子から立ち上がり、クローゼットからとても簡素な麻のズボンとシャツを二枚ずつとサラシを一枚と皮の手袋と靴をひとつずつ、そしてだいぶ前に道中で購入した魔術師御用達という黒いフード付きのマントと自作の仮面を引っ張り出す。
それらをすべてアイテム袋に(冒険者御用達の小さな袋。大抵のものは入り、入れても重さが変わらない魔法の袋)入れて、次はこの城の侍女の服と瓶に入った薬を取り出す。
そしてその場で侍女の服に着替えて先程まで着ていた服と鍵をアイテム袋に入れる。
これで出掛ける準備は万全。
あとは薬を半分だけ飲んで、この塔の隠し扉から外に出るだけだ。
出掛けるのはこれで何度目だったろうか。
なんにせよ、一度出掛ければ最低でも一月は帰ってこない。
少し寂しく思いながら、私は薬を半分だけ飲んだ。
半分だけ薬が残った瓶をアイテム袋に入れ、待つこと数分。
私の髪と眼の色は黒から薄茶色になった。
「……いってきます」
小さく塔に別れを告げ、私はまた、外に出掛けた。