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届かない空の下で

作者: 律花


 カーテンを開けると、窓越しにひかりが差しこんで、リビングの床に模様をつくる。

 顔を上げて、高くて透明な空にじっと目をこらした。


 分かってる。あの子がいつも見てた世界は、私の手には届かない。


          ***


 もう、七年以上も前になる。当時の私には、ふたつ年下の妹がいた。

 色白でちっちゃくて、まっくろな髪とおおきな瞳を持った、まるでお人形みたいな子。おとなしくて、いっつもリビングで絵本なんて読んでた。

 一方の私は、おしゃべりが好きで、身体を動かすのが大好き。近所に住む男の子と、毎日あちこち走りまわって、服を泥だらけにしてたのを覚えている。


 正直なとこ、私は妹のことが好きじゃなかった。

 いつだって、おとうさんもおかあさんもおばあちゃんも、みんな私のことなんてそっちのけで、妹ばっかりかわいがってたから。

 いま、絵本読んであげてるところだから、ちょっと待っててね。

 自分のことばかり考えないの。おねえちゃんでしょ?

 別に、妹がほしいなんて、私が頼んだわけじゃない。なのにどうして、私だけが我慢しなきゃいけないの?

 一番気に入らなかったのは、みんなが妹にばかり、いろんなものを買ってあげてたこと。

 きれいな絵本、ぬりえ、お人形、ぬいぐるみ……あの子がほしがったわけでもないのに、みんなが妹をよろこばせようって、躍起になってるみたいだった。私がおもちゃをねだっても、「この前買ってあげたでしょ」ってたしなめてばかりだったくせに、不公平。

 たくさんのおくりものを前にしても、妹は全然うれしそうじゃなかった。包装紙をのろのろひらいて、申し訳程度に笑ってみせるだけ。こんなの別にほしくないけど、せっかく私にくれたんだから、って感じのとってつけたみたいな顔が、ますます私をいらだたせた。


 妹はすごくへんな子だった。

 ほとんどなにも話さなくって、たまにしゃべる言葉っていえば、ままとかごほんとか、せいぜいそれくらいのもの。私が同い年のときなんか、おとなが手を焼くくらいおしゃべりだったのに。

 それに、ちっちゃい子らしい感情とか表情とかを、生まれてくるとき、全部おなかのなかに置いてきたんじゃないかって思っちゃうような子だった。あの子が心の底から怒ったり、笑ったりしてるのなんて見た記憶がなかった。

 実は私、むしゃくしゃしたとき、妹の絵本に落書きしたり、ぬいぐるみをわざと踏みつけたりしてた。でも、妹はなにも言わないで、じいっと私を見てるだけ。怒るのは、そんな私たちを見ていたおかあさんのほう。

 ほんとはこの子、すごく頭が悪いんじゃないかって思ったりもした。だから、いじわるされてるって分からないんだ。


          ***


 あれはたぶん、今日みたいに天気のいい日だったんだと思う。

 小学校に上がったばかりの私は、新しくできた友達といっしょに公園で遊んでた。なわとびしたり、鉄棒の練習をしたり。そんなとき、お母さんと妹が、手をつないで公園にやってきた。

 あれ、って思った。

 妹は身体がすごく弱くて、ちょっとのことで風邪をひいちゃうから、外で遊んじゃだめなんだって、おかあさんいつも言ってるのに。

 ねえねえ、どうして? 今日はとくべつなの?

 何度もそうたずねる私に、おかあさんは言った。この子がどうしても行きたいってせがむから、おとなしくしてるって約束で、連れてきたって。

 いっしょに遊んであげてって、私はおかあさんにお願いされた。だけど、なるべく身体を動かさない遊びなんて、なにをすればいいのか分からない。しかたなく砂場で、山をつくったり地面を掘ったり。妹は小さい手をどろどろにして、いっしょうけんめい私の真似してた。楽しんでるのか、そうじゃないのか分からない顔して。

 しばらくはそうやって、妹に付き合ってあげてたけど、やっぱりじっとしてるのはつまらない。

 私は砂山をほっぽり出して、おにごっこしてる友達のほうに走っていった。もうじゅうぶん、遊んであげたでしょ? ちょっとごうまんな気持ちで思ってた。

 おかあさんは、私になにも言わなかった。妹の手をひいて、水道で手や顔についたどろを落としてあげて、それからふたり並んでベンチに座ってた。

 そわそわ落ち着かない妹の肩を叩いて、おかあさんが空を指さす。妹がまぶしそうに空を見る。そして、おかあさんになにかしゃべりかける。

 友達とかけまわりながら、私はその様子を横目に見ていた。そしたらもう、おにごっこになんて集中できなかった。おかあさんをとられたみたいで心細くて、それ以上に妹がねたましかったんだ。


 それ以来、妹の調子がいいとき、おかあさんは妹をつれて公園にくるようになった。もう、いっしょに遊んであげてくれだなんて、私に頼んでこなくなった。ふたりでベンチに座って、なにかおしゃべりしたり、空を眺めたりしてるだけ。

 なんで、あんたがここにくるの。むかむかしながら妹のほうを見ると、なぜかいつも目が合った。

 おかあさんは私だけのものだって、その目が勝ちほこったみたいに言ってるような気がして、余計に頭にきちゃって。私は妹に見せつけるみたいに、立ち乗りでブランコをぐんぐんこいだ。ジャングルジムのてっぺんにのぼって、おかあさんに向かって手を振ってみせた。

 あんたには、こんなことできないでしょ。そう、見せつけるみたいに。


 家にいるときの妹は、あいかわらずリビングで絵本を読んだり、ぬりえをしたり。

 だけど、公園にくるようになってからは、そうして遊んでいる時間よりずっと、空を眺めている時間が長くなった。

 カーテンを開け放して、リビングの広い窓から妹はいつも空を見てた。大きな目をまぶしそうに細めて、たまに太陽のほうに手をかざしたりして、探し物でもしてるみたいにずうっと窓のそばに立っていた。

 なにやってんの? ずっとそんなとこにいて、意味分かんない。

 私が訊いても、妹はちいさく首をかしげるだけ。自分でも分かんないよ、って言ってるみたいに。

 やっぱりこの子、すっごくへんだ。関わるのがばかばかしくなっちゃって、私はだまって妹のそばを離れるだけだった。


          ***


 やがて、妹は公園にこなくなった。ひんぱんに高い熱が出るようになって、それどころじゃなくなったみたいだった。おかあさんは付きっきりで、汗を拭いたり水を飲ませてあげたりしてた。

 妹が公園にこなくなったのは、うれしかったけど、すこし気まずかった。床に伏せって、苦しそうにあさい呼吸をくり返してる妹を見てると、元気な自分がなんだかわるものになったみたいに思えた。


 ある日、目が覚めると日曜日なのに、おとうさんもおかあさんも、妹もいなかった。

 別にめずらしいことじゃなかった。妹はしょっちゅう、病気を悪くして病院に連れていかれてたから。

 私はすっかり慣れっこで、おばあちゃんのつくってくれた朝ごはんを食べて、友達の家に遊びに行った。

 だけど、それが最後だった。

 その日を最後に、妹はうちに帰ってこなくなった。おかあさんも、お昼から夕飯の時間まで、家を空ける毎日がつづいた。

 妹が小学校の入学式をひかえた、一ヶ月前のことだった。


 妹がいない日々にも慣れたころ、私はおかあさんとふたり、電車に揺られて、自宅から一時間以上かかる総合病院に行った。ほんとは行きたくなかったけど、おかあさんの思い詰めた顔を見たら、断ることなんてできなかった。

 慣れた足取りのおかあさんのあとをついて、病室に向かう。不自然なくらい殺風景な部屋の、まっしろなベッドのうえに、妹はいた。

 にぎやかな外の世界から切り離された空間で、妹はしずかに眠ってた。あおじろいほおに、布団から出た腕は枯れ枝みたいに細くて、身体からは何本も管がのびていた。サイドテーブルに、妹のお気に入りの絵本が置かれてて、それで私は、この子が妹なんだってことを実感した。

 ベッドのわきに立ちつくしたまま、思ってた。

 この子、もうすぐ死んじゃうんだ。もう、うちに帰ってくること、ないんだ。

 眠ってた妹が、ふいにそっとまぶたを開けた。夜空みたいにまっくろで、見つめてると吸い込まれちゃいそうな目で、私を見る。

 そして、ほんのすこし笑った。

 勝ちほこったみたいに? ちがう。

 おねえちゃんに会えてうれしいって、そう伝えようとしてるみたいに、笑ったんだ。

 ごめんね。私は心の中でつぶやいて、そっと妹の手をつつみこんだ。


 その三ヶ月後、妹は息をひきとった。


          ***


 おとうさんもおかあさんも、おばあちゃんも泣いていた。

 だけど、私は泣かなかった。地面に足がついてないみたいな、ふわふわした感じがずっとつきまとっていた。

 妹の絵本がいっぱいに詰まっている本だな。遊び相手をうしなった人形やぬいぐるみ。押し入れを開けると、きれいに包装された大きな箱が眠っている。妹がうちに帰ってくることができたら、そのときはおいわいしてあげようねって、おとうさんが買ってきたものだ。

 妹の記憶は、たしかにこの家に染みついていて、だけど妹は二度と帰らないまま、時間ばかりが流れてゆく。

 しだいに、妹の名前が話題にのぼらなくなった。ささいなおしゃべりに、笑いがこぼれるようになった。

 妹のことを忘れちゃかわいそうって、ずっと残してあった妹のおもちゃが、ある日家に帰ってきたら、ぜんぶきれいになくなっていた。私たちが前に進むことを、あの子も望んでるにちがいない。かなしげにほほえみながら、おかあさんはそう言った。


 手足がのびて、顔立ちもだんだんおとなびてきて、桜の咲きほこる四月、私は高校生になった。

 校門の前で制服姿の私を写真におさめながら、おとうさんはぽつりと洩らした。せめてあの子も、小学校には行かせてあげたかったな。かなうことのなかった願いは、ゆっくりと私の胸にしみこんだ。そっか。あの子が学校に通えることは、もうぜったいないんだ。あの子の時間は、病院で死んでいったときのまま、止まっちゃってるんだ。

 なにげなく空をあおぐと、混じりけのない透明な青が目に飛びこんできた。

 妹がいつも見ていた空の向こうに、私は妹の姿を見たような気がした。


          ***


 リビングの窓から見えるのは、あざやかな秋晴れの景色。

 今日みたいに空が高くて、その先の宇宙まで見とおせちゃいそうなとき、なんとなく、ほんとになんとなくだけど、私は思う。妹はこの空にのぼっていっちゃったんじゃないかって。

 おとなしくて、おもちゃもなにもほしがらなくて、いつも空ばかり眺めてた妹の、澄んだ瞳に思いをはせる。

 私たちを通り越して、妹は誰にも手の届かない、ずっと遠いところを見てた。ひとに教えられなくても、もうすぐ自分が空にのぼってゆくってことを知ってた。きっとそう。

 果てしなく広がる空の向こうで、いまも私たちのことを見てるんだ。






つたない文章に最後までお付き合いくださり、どうもありがとうございました。


しゃべり言葉に近い文章を書くのは楽しかったのですが、

なんだかいろいろと影響を受けた感じのお話になってしまいました。

小心者なので、作品の投稿っていつも緊張します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 私も二人姉妹のお姉ちゃんだったので、こういうお話には弱いです。 律花さんの作品を読むと、いつも綺麗な風景が浮かんでくるんですよね。 このお話では、澄んだ青い空が…
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