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左脳と右脳のふたりぐらし

掲載日:2026/06/20

見た夢の内容に少し手を加えました。なのでキャラや話の深掘りはあまりしておりません。




鵜野うの、起きなさい。いつまで寝ているのですか」


「ゥ……」


 ふわふわと夢見心地をさ迷う中にごわごわとした埃が混入すると、私の意識の揺りかごを何者かがそっと揺らしました。


「約束の5時はとっくに過ぎていますよ」


 布団に横たわったまま寝ぼけ眼をこすると、黒い着物を着た逆さ向きの美男子が私の顔を覗き込んでいました。どうやら、私の眠りを妨げたのは、佐野さの 理光りこう――私のお師匠様だ。


「あれ、スマホが無い……師匠、私のスマホは?」


「しりませんよ」


 昨晩、寝る前に枕元に置いたスマホが見当たらない。あちこち引っ掻きまわしてみると、布団の中、それも足元に深く潜り込んでいた。どうしてこんなところにあるのかといぶかしく思いながら、手に取ったスマホを起動。ホーム画面の時刻は間もなく5時30分をまわろうとしている……目覚ましは4時50分にセットしたはずなのに、何もかもが絶対におかしい。


「あれ、目覚まし鳴らなかったのかなあ……くあぁ~」


「鳴ってましたし、アナタが自分で止めているのを私は見ましたよ。現実を見なさい」


「うそだぁ……」


 冴えない大あくびと共に上体を起こすと、お師匠様は立ち上がりました。こうして見下ろされると、子供に戻った気分になります。


「いいからはやく顔を洗ってきなさい、朝ごはんが冷めてしまいます」


「え、今朝のご飯当番は私のはずじゃ……?」


「思いっきり寝ていたじゃないですか。夢の中ではご飯を作っているようでしたけど」


「はて、そういえば……?」


 さっきまで私はお師匠様の大好物である家系ラーメンを丹精込めて作っていたような。


「それじゃあ師匠のほころんだ笑顔も、寸胴ずんどうで半日炊いた豚骨醤油のスープも、私の努力も……」


「ぜんぶ水の泡ですね。あと家系ラーメンなんて私は朝から食べませんよ」


「そんなぁ……」


 なにもかも夢の中に置き去りだなんて、あんまりだ。


「というか、見てないで起こしてくれればいいのに」


「鵜野、人に頼らず自分で起きられるようにならなければ、アナタはここに居る意味がないのですよ」


 気落ちする私をしり目に、お師匠様は寝室を出ていきました。ひとまず食卓へ、顔を洗ってから出直すと致しましょう。


 ここは、謎の賢人、佐野理光さのりこうのお屋敷。私こと鵜野うの 灯火とうかは、路頭に迷っていたところを彼という変人に拾われ、ひょんなことから弟子入りし、このお屋敷の居候になった。それは、ほんの10日ほど前の話。そもそも私がなぜ路頭に迷っていたのかというと、単純に生きる力が足りなかったからだ。

 私の両親は、私がずっと小さい頃に離婚している。お父さんはマネーゲームに嵌って今じゃ借金まみれ、私が小さい頃にはもうお金に取り憑かれた日々を送っていたから、家に帰ってくるのも年に数回あるかないか、片手で数えられる程度だった。昔っから家族の事なんか何とも思ってないみたい。そういえば、学校の先生には「親の連絡先も知らないのか」って怒られたことがあったけど、それって私が悪かったのかな。

 お母さんは離婚するちょっと前からうつ病になって、怪しい宗教に嵌ったり、男遊びや酒の癖が強くなって、マルチやネズミ講に手を出したり、借金のかたにブランド物を買いあさったり、酷い時には私に手を上げることもあった。今はひっそりと生活保護で暮らしてるけど、最近は癌になったってしょんぼりしてて、髪の毛も無くなっちゃって、なんだか可哀そう。

 毎日のご飯もろくに用意されない家庭で良くも悪くも育児放棄されていた貧民の私は、控えめに言って酷く育ちが悪い。つまり一般的な教養がだいぶ遅れている。価値観も周りと全然合わない。周りと比べてその事実を解ってはいても、大人になってからは生きていくだけで精いっぱいで、親の老後のことを考えたりとか忙しさにかまけてばかりで、自分の生き方を更生しようだとか、将来を考える頭は全くなかった。明日は我が身と覚悟はしていたけど、それも今日まで。絶望を覆す力なんて遺伝子レベルで無く、呆気なく、漏れなく、早々にゲームオーバー。これからは惨めたらしく物乞いや缶拾いをするか、あるいは潔く、崖から飛び降りるかってうじうじ考えていた時に、佐野理光は私の前に現れた。


「ご馳走様でした」


 アジの開きの骨をひとつひとつ取り除きながら、お師匠様と出会う前のことをぼんやりと思い出していた私の向かいでは、いつの間にか彼が手を合わせていて、空になった食器を重ね始めている。


「あれ、師匠、もう食べ終わったんですか? 早いですね」


「鵜野、そろそろ現実を見る癖をつけなさい。私が早いのではなく、アナタが遅いのです。寝ぼけていると時間ばかりが過ぎていく。だらだら食べていると、またすぐに牛に戻りますよ」


「もー」


「もう戻ってましたか」


「ちゃんと起きてますってば、茶化さないでくださいよ」


「それじゃ、私は用事を済ませてきます。夕方には戻りますから、猫にご飯をあげ、洗い物と洗濯くらいは終わらせておいてください。くれぐれも二度寝しないように」


「解りました。気をつけて行ってらっしゃいませ」


 玄関先でお師匠様を見送って、私の一日が始まります。


「よーし、お仕事がんばるぞー!」




***




「鵜野、起きなさい」


「ぅえあ、師匠……?」


「またこんなところで猫と寝て……」


 目を開けると、お師匠様の仏頂面が私を見下ろしていました。


「もう帰ってきたんですか? いま何時です?」


「午後4時です。もう夕方ですよ」 


「夕方……?」


 どうやら今度は縁側で眠っていたもよう。いつの間にか、日が随分と傾いています。身体を起こすと、私のお腹の上で寝ていた黒猫のメグロが転げ落ちました。突然のことにビックリしたのか、耳を立てて見開いた目をパチクリさせ辺りを見回すと、最後には呑気な大あくびをかいて再び眠ってしまいました。


「あれ、私……いつの間に寝ちゃったんだろ……」


 メグロのあくびが私の方に伝染します。確か、お師匠様をお見送りした後、私はお皿を洗っていて、そこへご飯を食べに来たメグロにカリカリをあげて、食べ終わったメグロとねこじゃらしで遊んでて――。


「それで、そのまま寝ちゃったんだ」


「まったく、だから寝るなと言ったのに」


「すみません」


 落胆のため息をつくお師匠様を前に返す言葉もなく、私は深く土下座しました。


「それで、洗濯は済んだのですか?」


「あ……!」




――しまったッ!!




 急激に目が覚め、背筋が凍り付きます。思えば台所の洗い物は放ったらかし、洗濯物には手すらつけていません。何も言えない私を見て、状況を察したであろうお師匠様の目つきが鋭くなり、仏頂面に磨きがかかります。


「放置されていた洗い物はさっき私が終わらせました」


「うぅ、ごめんなさい。いっつもボケボケしていて、何にも出来ていなくて……。拾っていただいた御恩もあるのに、どうしていつもこうなっちゃうんだろう」


「だからいつも言っているでしょう”現実を見なさい”と。私の目の届くうちはいくら失敗しても構いませんが、しかし鵜野が独りになった時”自分がどうなっているのかを客観的に知ること”それが現実を見るということです。朝ご飯を食べているときに私の言ったこと、少しは解りましたか」


「はい、肝に銘じます」


「よろしい。ではこれから晩御飯を作りますから、アナタは洗濯をしてください。常に自己分析を心がけ、怠けず、改善の努力を怠ってはなりませんよ。それと昼寝は絶対禁止です」


「はい……」




***




 今日の夕飯はお師匠様特製のビーフカレーです。幼少期から台所に立っている私と比べれば料理の腕は足元にも及びませんけど、お師匠様の作るカレーもなかなかのもの。牛独特の臭みを感じさせないまろやかなコクの深い味わい、舌の上でとろける極上の牛肉は、一口食べれば肉汁が溢れ出し、病みつきになること間違いなし。カレーひとつでこんなに贅沢が出来るなんて、お金持ちっていいなぁ。ちょっと羨ましい。

 束の間に、いつか私もお金持ちになる日を夢見てしまう。だけど、そんな贅沢で満たされるだけの単純な人生だったなら、きっと私はもっと早くにお金を儲ける道を模索していただろう。そこまでの執着がなかったことを思うと、私にとっての理想の幸せとお金の重要性っていうのは、あまり関係が無いのかもしれない。


「ご馳走様でした!」


 色々と考え事をしながらも食べることは怠らず、ついにお師匠様よりも圧倒的に早く完食することが出来ました。


「おや、やけに早いですね」


 珍しく目を丸くしたお師匠様の声音が僅かに上がります。


「師匠に食べるのが遅いと言われたのでハキハキ食べてみました」


「なるほど、今朝私が言ったことをちゃんと覚えているとは、成長しましたね。良い心がけです」


「フッフッフ。弟子の私より食べるのが遅いとなると、師匠、牛になっちゃいますねぇ?」


「だまらっしゃい」




 翌朝――。セットしたアラームが起爆し、頭の中で爆裂します。


「うー、眠いよォ……」


 時刻は4時50分、考えるよりも早く絶望のアラームを消し、憎きスマホの画面を黙らせてやりました。全身の倦怠感に加え重たい瞼、志半こころざしなかばで堪らず二度寝しようと目を閉ざしかけた時、真っ暗になったスマホの画面に映るしょんぼりとした自分の顔を見て、ハッとします。




――そうだ、こんな顔してる場合じゃない、お師匠様を見習わないとッ!




 私は己の心を奮い立たせ、シャキッと、いつも冷静なお師匠様の顔を真似してみました。急に頭が冴えてきて、心なしか体も軽くなって、すんなりと起き上がることが出来ました。洗面所で顔を洗い歯を磨き、寝ぐせを整えてから台所へ行くと、お師匠様は食卓に腰掛けて新聞を読んでいました。 


「師匠、おっはようございマースッ!」


「ほう、鵜野が5時に起きて来るとは……」


 新聞を僅かに下げ、顔をのぞかせたお師匠様の目が昨日の夕飯の時よりも大きく丸く、さも意外そうに感嘆の声をあげます。


「珍しいこともあるもんですね。偉いですよ」


「へへへ、師匠のお陰です」


「どういうことです?」


「スマホの画面超しに師匠の顔真似をしたら、すんなり起きられたんです。こう、キリっと!」


 私はキリっとしました。


「バカにしてるんですか?」


「えぇ、なんで!?」


「明日からは4時起きを命じます。庭の畑の野菜に水をやるように」


「そんなぁ……」


 現実を見ることを覚えたところで、調子に乗るとすぐに叱られてしまいます。そんな七転八倒と共にあるのが私の人生みたいだ。

 



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