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罪悪感指数  作者: セツナ(刹那)


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1/1

罪悪感指数

※本作には事故描写・自殺未遂の描写が含まれます。


苦手な方はご注意ください。


固い。


冷たい。


アスファルトだ。


雨が、口の中に流れ込む。


咳き込む。


ネオンが滲む。


横倒しのトラック。


路面に広がる燃料。


痛い。


どこもかしこも、痛い。


口の中が鉄の味で満ちる。


まずい。


世界が傾く。


上下が消える。


闇が、落ちてきた。


目を開ける。


白。


ただの白。


手を上げる。


白の中に、白い影。


見えているのか、いないのか。


分からない。


失明。


その言葉だけが、浮かぶ。


——仕事は?


仕事。


ドライバーだ。


俺はドライバーだ。


それだけは、残っている。


都市間交通の物流ドライバーだ。


100トントラック。


神経に直結。


思考がそのまま操舵になる。


それを駆使出来るのは、カンパニーでも俺だけだ。


声を出そうとする。


出ない。


喉の奥で、空気だけが震える。


——識別コードS-17。


——生体反応、確認。


それは、外からではなかった。


内側だ。


——ナースステーションへ通知。


俺は逃げ出すためにめちゃくちゃに身体を動かし始めた。


とにかく、ここから逃げなくては。


俺はその思考だけに支配されていた。


「サトミセツナさん」


その名前が、部屋に落ちる。


女性。


30から40代くらい。


「先生呼びますからね」


幼児に語りかけるような口調。


サトミ、セツナ。


口の中で転がしてみる。


砂の味しかしない。


胸の奥がざらつく。


——心拍、血圧上昇、発汗。


——心理的動揺を検知


またも俺の頭の中の声が告げる。誰なんだ?


——AIソクラ。外部記憶端末。


AI…


俺は自分の頭の中にAIを住まわせたのか?


記憶が無い。


なんでそんなことしたんだ。


「サトミさん。聞こえますか?聞こえたら手を握って教えてください」


50歳代の男性だろうか。


バリトンの響く声が耳朶に届く。


名前に対する違和感は拭えないが、


俺は、ほとんど必死な思いで左手を動かした。


ほんのわずかしか動かなかったが、男は満足したようだった。


「いいですね。意識が戻ったのはいい兆候です。私は医師のイマイズミです。これからよろしく」


左手をわずかに動かす。


「ゆっくりでいいです。頑張っていきましょう」


イマイズミ医師のぬくもりのあるガッシリとした手は離れたが、俺のなかには安心感が生まれた。


大丈夫だ。


俺は大丈夫だ。


——バイタル安定。『プログラム』開始。フェーズ1に移行。


ハイウェイスター。


そう呼ばれていた。


速かった。


誰よりも。


地下チューブを二百五十キロで抜ける。


思考が、ハンドルより先に動く。


——出口。


一般道。


異物検出。


小さな影。


子猫。


その先に、少女。


制動。


ゼロコンマ数秒。


まだいける。


——いや。


もう、無理だ。


ハンドルを切る。


重心がずれる。


横転。


衝撃。


俺は、


少女を、


殺した。


胸の奥で何かが崩れる。


息が浅い。


路面が、もう少し良ければ。


視界が、もう少し良ければ。


だが、逃げ場は無い。


俺が殺した。


その事実に変わりはない。


胸に圧がかかる。


幼い命を。


泥に濡れた小さな靴。


まだ新しい。


俺は命を刈り取った。


無慈悲に。


無条件に。


圧が強くなる。


不意に視界に少女が現れた。


——視覚野に直接電気信号を送信。


おさげ髪のワンピースの少女。


俺が殺した少女。


白い視界に、色が混じる。


身体が万全なら、俺は飛び退いたかも知れない。


そして、大声で叫び、泣きわめいたかも知れない。


仕方なかった。


——そう言い聞かせる。


——識別コードS-17。罪悪感指数、基準値超過。フェーズ2へ移行。


天井が発光している。


影がない。


機器が並んでいる。


線が、俺に集まっている。


ぼんやりとした輪郭に焦点が合う。


指が動く。


俺に、ほんの少し希望が生まれた。


「サトミセツナさん。バイタルチェックしますね」


足元のカーテンがめくられ、女性の看護師がベッドに近づいてきた。


声からすると昨日と同一人物だろうか。


「後ほどドクターが参りますからね」


やはり名前に対する違和感がある。


いや、嫌悪感に近いかも知れない。


イマイズミ医師が訪れた時、俺は幾らか冷静さを取り戻していた。


「難しいですね」


イマイズミ医師はタブレットから目を離さなさず、そう言った。


俺の頭の中の声を取り出しくれ、その懇願に対してのものだった。


右手のタッチペンで耳のあたりをカリカリと掻いている。


クセなのだろうか。


「摘出は推奨できません。


重大な後遺症の可能性があります」


じゃあ俺は一生このままなのか。


少女の亡霊に怯えて暮らすのか。


「亡霊?ですか?」


イマイズミ医師は興味深げにこちらを見た。


タブレットに何かを記入しようとした時、女性の看護師がイマイズミ医師に近寄り、何事かを耳打ちした。


やや疎かになった左手のタブレットの画面の端に、小さな文字列がある。


S-17。


一瞬、呼吸が止まる。


「経過は順調です」


イマイズミ医師は言った。


医師が去ると、部屋は静かになった。


壁面のディスプレイが、音もなく切り替わる。


《本日未明、完全自動運転車による死亡事故が発生》


《遺族は「誰かに責任を取ってほしい」と訴えています》


《AIに責任能力を認めるべきか、議論が続いています》


音声はない。字幕だけが流れていく。


俺は、目を閉じた。


《試験運用中の倫理モジュールの早期実装が期待されています》


恐ろしい夢をみた。


目を開けた瞬間、それだけは分かった。


汗が肌を伝い、熱を奪っていく。


乾いた喉からは、浅く細い呼吸音しか出ない。


両手の震えるが止まらない。


夢の内容をまったく覚えていないのが、逆に大きな不安と恐怖を掻き立てる。


ふと視界の端に何かを見つけ、俺は戦慄する。


泥に汚れた小さな靴。


真っすぐに伸びた脚。


刺繍のついたワンピース。


リボンを結んだおさげ髪が、両方の肩にかかっている。


息が止まる。


視界が狭まる。


すまない。


許してください。


わざとじゃないんです。


俺は泣いていた。


何度も呟いていた。


消えない。


むしろ重くのしかかってくる。


——ここが、底だ。


——識別コードS-17。罪悪感指数、基準値超過。フェーズ3に移行。


数日たったかも知れない。


俺のベッドの周りの機器は、ひとつずつ消えていき、俺の体力も薄皮を剥がすように回復しつつあった。


「悪夢のせいで眠れない、と」


イマイズミ医師の声は、聞いているだけで不思議と落ち着く。


「睡眠薬の量を増やしましょう。睡眠は何よりの薬です」


亡霊のことは言わなかった。


「他に何か困っていることはありますか?」


いえ、特にありません。


俺は言った。


内心の決意を悟られないように。穏やかに、卒なく。


機器を撤去する際に技師が残していった何かの部品。


薄い金属製の板状の部品。


これが俺の切符だ。


夜、部屋の照明が落ちると、俺はベッドから静かに抜け出した。


足音を立てないように、こっそりと窓に近づいた。


金属製の部品をてこのように使いながら、窓枠のストッパーを外す。


解錠し、窓を開け放つ。


冷たい外気が、夜の匂いとともに俺を包み込む。


生まれなければよかった。


消えたい。


窓枠によじ登り、腰掛ける。


ここから、俺が飛んでも何も変わらない。


失ったものは決して元通りにはならない。


足元には街の街頭が小さく点になって見える。


バケツで水をかぶったように、大量の冷汗が吹き出す。


指の力で身体を支える。


少しずつ、力が抜ける。


ごめんなさい。


本当にすいませんでした。


涙が。


嗚咽が漏れる。


——フェーズ3終了。各パラメーター規定値クリア。プログラム終了。


俺の頭の中の声が淡々と告げた。


一体何が起こっているんだ。


おい、何がどうなっているんだ?説明しろ。


——回答不可。質問を明確に。


プログラムとは何だ。


——「サトミセツナプログラム」事故記憶から倫理反応を抽出。AIへ最適化搭載。


俺は、誰なんだ。


——識別コードS-17。プログラムの17番目の被験者。


違う!今お前としゃべっているこの俺はどこの誰なんだ。


ーープログラム条件。被験者にはサトミセツナの人格をコピー。


コピーされる前は?俺は誰だったんだ?


——該当データ無し。


俺は冷たい床にしゃがみ込んでいた。


不意に笑いがこみ上げた。


涙が止まらない。


何がおかしいのか、自分でも分からない。


笑いの発作が止まった。


罪は、誰のものだ。


俺か。


記憶か。


それとも——


——ログ保存完了。


それでも、痛みは消えなかった。



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