ファイル1 呪いと祝福7
静まり帰った裁判長席に座った透の姿は、普段とは違う雰囲気を醸し出していた。とっつきやすく、どこにでもいるおじさんだったが、今そこにいる呪い人としての透は不思議な不気味さが滲み出ている。
「これより、上原成美殺害事件の呪罰裁判を執り行います。関係者の入廷を」
透の凛とした声が、裁判所内に響くと、被害者席に成美の両親が、加害者席には高志が係員の手によって連れられてきた。高志の手には手錠がはめらており、両方とも憔悴しきった表情で顔をうつ伏せている。
「本法廷では、まだ学生であるが、天海清花と遠藤正幸を臨時カレス職員として任命しています・・・上原さんのご両親に一つ質問があります」
透の言葉に両親が顔を上げ、不思議そうに見つめた。
「ご両親は、上原成美さん。娘さんを心から愛していましたか?」
成美の両親は泣きながら勿論ですと答えた。それを見ていた正幸がピンマイクに声が入らないよう、手で押さえて清花に小声で話す。
「あれ・・・先生絶対わざとだよな?」
「そりゃそうでしょ。良い性格してるわ」
裁判が始まる直前の追加資料に、両親が二人とも不倫している事はすでに裏付けで取れていた。
「正直気が重い。上原先輩を愛してなかったとまでは言わないけど、本当に復讐者は両親でいいのか?」
「・・・あくまで現状は両親になるしね。私も本心では納得してないけど」
両親の反応を見た透が頷く。
「よろしい、その言葉と気持ちを忘れないでほしい。では、想具士見習いの遠藤さん呪想具を両親に」
正幸がはいと返事とすると、予め両親から渡されていた、成美の遺品である羽の生えた豚のキーホルーダを箱から丁寧に取り出して手渡した。
「今回、特に大きな破損などは無かったため、殺害された際に落として着いた土などの汚れだけを綺麗に取り除きました。元々あった汚れや傷はそのままにしてあります。使い方はその時が来たら説明します」
両親は手に取ったキーホルダーを見つめ、正幸は頭を下げると元の席に戻った。使い方の説明はすでに世界の周知の事実であり、確認の意味が強かった。そもそも使い方は簡単で、罰する想いを込めればそれで終わる。
「では天海さん、事件の概要の説明を」
清花が呼ばれ、席を立つと資料に目を通しながら口を開いた。
「調査の結果、上原さんと野村さんは生徒、教師の関係でありながら恋人関係である事も分かっています。野村さんからの証言と、街にある監視カメラからも二人が仲良く映っている現場がいくつかありました。また、肉体関係がある事もすでに確認が取れています」
場内がざわつく。恋人関係までは想像がついても、肉体関係まであったと思われてなかったようだった。
「未だに細かい動機は野村さんの方から話されてはいませんが、野村さんには婚約者がいました。すでに破棄されていますが、痴情の縺れが原因で殺害に至ったと考えられます。本件はそういった意味では加害者、被害者が現時点では非常に分かりやすいと思っています」
清花が一通り説明を終えると席に着いた。
「うちの娘に手を出して殺して・・・あんた最低だな!」
「成美を返して! この外道!!」
成美の両親が高志に向かって叫ぶ。そんな様子を見て清花は心の中で溜息をついた・・・勿論、両親に。隣の正幸も同じような表情をしている。
「裁判長! 今すぐにでもアイツを殺させてくれ! あんなやつ・・・私たちの大事な娘を奪った奴を生かしておくなんて出来ない!!」
成美の父親が透を見る。母親は泣いているようだった。傍聴人たちは両親に同情的で、高志には蔑んだ視線を送っている。ただ傍聴人が騒ぎを立てる事はほとんどない。カレス職員に監視されており裁判の邪魔をすれば、その場で逮捕されるからだった。
「確かに、野村さんに現時点で同情すべき点はない。所でご両親、貴方達に聞きたい事があるのだが、いいかな?」
清花と正幸は『来た』と思った。恐らくこの裁判はここからが本番になると考えていた。
「ご両親は二人とも不倫をしているみたいだが、それが娘さんに影響があったと考えた事はないか?」
思いがけない言葉に両親は言葉を失い自分たちの顔を見合う。傍聴席は一気にざわつき始めた。両親は口を揃えて否定する。
「分かっていると思うが。呪罰裁判に嘘や隠蔽は意味がない。こちらはすでにお二人の不倫相手と確認済みであり、ご丁寧に一緒にいる写真や動画まで提供してくれたが、それでも否定できるのか?」
『・・・・・・』
一気に両親は黙り込み冷や汗を流していた。そんな様子を傍聴人やカメラは見つめる。その時、高志が初めて口を開いた。
「・・・そうか、そういう事か。成美さんが何に悩んでいたのかようやく分かったよ」
視線が高志に注がれた。
「野村さん、そろそろ何があったか話してくれないか? それが上原さんの為にもなるだろう」
「そうですね。ただ、自分が弱くズルい人間だった。それだけは変わりませんが・・・」
高志は一人悩んでいる様子の成美が心配で声を掛けた事が始まりだったと話した。
最初は何でもないと断られたが、教師として見過ごせず何度が話をすると、だんだん打ち解けていき、細かい内容を話す事は無かったが、家の事で悩んでいると聞かされ、それから何度も相談を受けているうちにお互いに情が芽生えてしまったと。
「婚約者が居たけど、思い留まらなかったんですか?」
清花が高志に聞いた。
「・・・いけない事だとは分かっていました。ただ、もし断ればまたあの悲しそうに落ち込んでいる姿に戻るのかもしれない。そう考えるとどうしても言い出せなかった。本当に自分の弱さが原因です」
「なぜそれが殺す事になったのでしょうか?」
「ある日、スマホを置いて席を離れた時に婚約者から連絡があったようで、それを彼女が見ました。その時見た成美さんの表情は・・・最初にあった時と同じ、悲しそうな表情でした。全てを話さないといけない。そう思いました」
そこで高志は一度大きく深呼吸をした。
「全てを話し、そろそろ学園を去る事も告げました。自分は代用教員です。本来の先生が戻って来くれば任期が切れます。それを成美さんに話し、関係を切ろうと思ったんです。同時に、婚約者にも全て話して婚約を破棄しようとも思ってました。僕は二人とも裏切ってしまった。それは許されない事でしたから」
ここまで聞き、野村高志という人物像は180度変わったといって良かった。裁判が始まる前は生徒を食い物にした教師というイメージだったが、その言動から悪意などは特に感じられない。元婚約者の真面目で優しい人という評価は、あながち間違っていないようだった。高志が続ける。
「成美さんは暫く考えた後、自分の任期が切れるまでは恋人で居てほしいと言われました。迷いましたが、それで彼女が納得するのなら、少しでも気持ちが和らぐのならと思い、関係を続けました」
話しを聞いても、それが殺人事件になぜなるのか全く分からなかった、だが、高志は両手で頭を押さえると震えながら言った。
「それからです。成美さんが変わっていったのは。彼女の尊厳のために言いますが、彼女が僕に暴言や暴力を行った事は一切ありません」
「変わったとは?」
「最初は小さな変化だった。ほしい物をねだってくる。数はそれなりにありましたが、高い物ではないし、そんなに負担ではありませんでした。むしろ喜んでくれて嬉しかったくらいです。ただ・・・なんというか、自分の事を見つめるんです。何も言わず」
「付き合ってるのなら、当たり前では?」
「ちょっとそれが普通じゃないというか、絡みつくような視線というか。目も表情も笑っているのに・・・どこか不気味で。段々と彼女の事が怖くなってきました。気付けばいつも見られている。そんな気がするくらいに」
両手で頭を抱えると、絞り出すような声になった。
「そんな関係が何日も続き、任期が切れるまで一週間ほどになった頃、あの事件が起きました。裁判長である月白先生たちはご存じのハズです。自殺未遂を」
「・・・」
「本当にあの時は心臓が破裂するほど驚きました。突然、首を吊るロープとその隣に立つ成美さんの写真が本人から送られて来たんです。笑顔を浮かべて、これから死にますって」
その情報は高志のスマホを調べた際に出ており、透たちも知っていたが、いくら高志に聞いても何も答えず理由が分からないままだった。
「冗談なのか・・・本当なのか分からなかった。しかし、本当なら止めないといけない、そう思い慌てて保健室に向かったんです。幸い命は助かりましたが、本当に首を吊っている彼女を見て怖くなった。あの子の本心が分からなくなってしまったんです。それからずっと視界の片隅に成美さんの姿が見えるような気がして・・・消えなかった。寝ても覚めてもあの子が居る。気配を、息遣いを感じる・・・ある意味限界だったのかも知れません」
顔を上げると、大きく息を吐いた。その表情は疲れ切っていた。
「病院を退院した翌日の夜、電話で連絡がありました。公園で待っているから来てほしい。大事な話があると。断れるわけがなかった・・・。公園であの子を見つけ、安堵したと同時に怖かった。次は何を言われるのか、何をするのか」
そこで高志は自分の両手を見つめた。
「公園で会った時、成美さんは本当に嬉しそうに僕を見て笑った。そして、首に残るロープの後を見せて言ったんです『これは先生の為にしたのに、どうして助けたの?』って。もう・・・訳が分からなった。今目の前に居るのは、本当にあの悲しげに落ち込んでいた女性だったのだろうかと」
高志の見つめる両手が小刻みに震えだしていた。
「そして最後にこう言いました・・・満面の笑みで『私を忘れられませんか? 先生は私をどうしたいの?』と。その時、自分の中で何かが切れた気がしました。気付けば成美の首を両手で思いっきり絞めていた。でも本当に怖かったのは・・・その時の彼女は僕を見つめて笑っていたんです。本当に、嬉しそうに・・・今もその笑顔が頭から離れない」
辺りは高志の言葉に完全に沈黙していた。誰もがどのように反応していいのか分からなかった。
「暫く茫然となって、成美さんを見ました。死んでいるのが分かりましたが・・・救急車を呼び、その時に全て話して今に至ります」
そこまで話し、高志は周囲を見回すと、大きく息を吐いて口を開いた。
「自分のした事は何があっても決して許されない。ご家族やご友人を含め、大変傷付けてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
その場で立ち上がると、高志は深く静かに頭を下げた。沈黙に包まれていた校庭は永遠にも続くように思われたが、透がそれを切り裂いた。
「これで今まで疑問だった部分が分かった。そこでご両親に質問なのだが・・・それでもお二人は呪罰を行うのかな?」
両親はすぐには答えなかったが、父親が恐る恐る口を開いた。
「その・・・浮気をしていた事は認めます。ですが、娘に死んでほしいなんて思った事は無かった。娘を大切に思っていたのは本当です」
父親の言葉に母親が続く。
「そうです。あの子はまだ子供だった・・・成美の幸せは私たち親が一番良く知っています。それに浮気を黙っていたのは、成美に余計な心配をかけないように、不幸にさせないために・・・」
「ふざけるなっ!!」
清花が全力で机を叩いて叫んだ。周囲の視線が一斉に清花に集中する。
「あ、天海?」
突然の事に隣に居た正幸が驚いていたが、そんな事など気にせず、清花は両親へと近づいて言った。
「大切に思っていた? 幸せは一番良く知っている? じゃあ、その大切な娘さんは、なぜ今ここにいない! ここのどこに幸せな人が居るか言ってみなさいよ!」
「あ、貴女はまだ子供だから・・・子供を持った事がないからそう言えるのよ」
「そんなの当たり前だろうが!! でも・・・上原先輩の気持ちなら少しは分かる。勝手に幸せを決め付けられる理不尽さはっ」
そう言うと、清花は首に巻いているチョーカーを外した。着けられている星型と黒ずんだ小鳥型のキーホルダーが小さな音を立てる。
「これ、見える?」
外した場所を指さすがそこには綺麗な首筋しかない。
「綺麗でしょ? もう、完全に消えたけど、今でもまだたまに疼くのよ。実の母親に無理心中で絞められた所が・・・」
「・・・え?」
「ここに居るみんなが知っている通り、私は天海沙織の養子、実の子じゃない。私の本当の父は浮気をして、それに耐えられなくなった母に夜寝ている所を包丁で刺されて殺された。母は私の首を絞めて殺そうとした後、家に火をつけて同じ包丁で自殺したわ」
手にあるチョーカーを見ていた清花が、成美の両親を睨みつけた。
「私は死んでなくて、気絶しただけだった。火事に気付いてやってきた救急隊に助けられた時、私は当時12歳だった」
荒い息のまま清花が続ける。
「母は私の首を絞めながら何度も自分に言っていたわ。これが貴女のためなの、これしか貴女は幸せになれないのって、何度も何度も! 私は首を絞められながらこう思った『ふざけるな! 私の幸せを勝手に決めるな!』って」
そこで清花はようやく荒い息を整える、静かな口調になった。
「どうして勝手に決めるのか理解ができなかった。12歳と言ってももう自分の考えはある。上原先輩は18歳よ? 自分の事は決められるし、心から心配してくれる親友もいた」
「し、しかし私たちは親として・・・」
「そう、親としてみっとも無い所見せたくなかったのよね? 人だもの、心変わりだってある。でもそれならまず離婚してから、上原先輩と向き合えばよかった。その自分勝手な思い込みが、あの人を追い詰めていった」
「た、確かに間違っていたかもしれない・・・でも私たちは被害者だ。あの子のために呪う権利が・・・」
「本当にあんたらにソレつかえんの?」
ずっと黙っていた正幸が両輪に言う。
「分かってると思うけど、呪罰は呪ってる相手全てに行く。逆恨みとかじゃない限り。今のあんたらに聞くけどさ、本当に上原先輩に恨まれてないって思ってる? 呪罰できるかもしれないけど、あんたらも呪われるかもしれないぜ?」
「・・・っ」
正幸の言葉に両親は怯えた表情になり、呪想具であり遺品でもあるキーホルダーを机の上に落とした。両親はそれを見つめるが、なぜか拾おうとしない。そんな二人を見て正幸が両親に近づくと、キーホルダーを丁寧拾い、最初に入ってた箱に入れる。
「それが答えだろ。今のあんたらにコレを使う資格ねぇよ」
裁判所内が騒めきだした。今の状況からして、すでに両親に呪罰する権利があるのか怪しく、なら一体誰が行うのかと。その状況を静観していた透が口を開く。
「さて、すでに見ている皆さんが考えている通り、ご両親が呪罰するに相応しいかどうか疑問に思っているでしょう。裁判長として見解を述べます」
その場にいた全員が一斉に透を見た。
「ここまでは予定度通りです。両親の不倫を知った時から、こうなる事は明白だった。ここで両親には加害者席へ移ってもらいます。そして、本当の被害者・・・復讐者に相応しい方をすでに準備しているのでお呼びしましょう」
すでに清花と正幸にはそれが誰であるか分かっていた。同時に透がヒントを与えていたにも関わず、それに今まで気付くことが出来なかった事を恥じていた。
「高等部三年、吉川紀子さん。どうぞこちらへ」
係員と一緒に出て来た紀子の手にあるスマホには、成美の遺品と同じキーホルダーがゆらゆらと揺れていた。