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情報素源と情報素について

イシスの章

 さて、退屈な歴史の話を終えたところで、情報素理論へと話を移したいところだが、そもそも情報素源や情報素、情報素子とは一体なんであるのか、初学者の閲覧者においては不明な点が多いところだろう。

そこで本章では、これら3つの要素とその関係について説明する。


.情報素源とは

 情報素源は概念、事象、物体、その他あらゆる情報を持つもの、つまり情報存在の「全て」そのものであり、情報素源以外で構成されるものは存在しない。

 情報素源は、魔術における真理の秘奥を指していて、これを含む情報素理論は、魔術師にとっては、全魔術系を横断して論理立てるための思考法であり、あるいは現在に存在しない魔術系、あるいは技術系、あるいは『奇跡』の理論を構築するための足掛かりとなる法則(あるいは仮説)である。


 と言われてもわからないと思うが、そもそも、情報素源を正確に説明する言葉は存在しない。なぜならば、「正確」も「説明」も、「言葉」も「存在」も、そして「しない」もまた情報素源の一部でしかなく、つまり情報素源を説明する何かしらは全て情報素源でしかない。

 そして情報素源は単一であり、切り分けることができない。

 だから、いくつかの問いに答える形をとって、不正確な説明をする。閲覧者諸兄はその感覚でもって理解していただきたい。


問1. 情報素源は「神」か?

解1. その神が、情報素源と同等である時のみそうであると言える。

 つまり、あなたも私も、言葉も、世界も、存在も非存在も悪魔も現実も夢も理論も、何もかもを神としている場合のみそれは情報素源と同等であるが、私が知る限りにおいて、神とそれ以外、特に存在でないもの、例えば概念・思想などとの区分が一切ない宗教は存在しない。

 一番近いところでいうと、情報素源と汎神論、一元論は非常に似た位置にあり、基本的な思想を共にしていると言える。しかし、汎神論は唯一である神の存在を定義するが、情報素源論においては「存在」も「定義」も情報素源である。よって「神のみがあり、それ以外の全ては神の現れ(あるいは神のなにかしら)」という区分が成立しない点が異なる。


問2. 存在神は情報素源か、その場合存在神はその下位構造になるか?

解2. 存在神、非存在神共に、情報素源の一つである。ただし、下位構造ではない。

 これは神格分光法(または後の世界分光法)の適用によって説明される。

 神格分光法はカミル・アル=カッバーニーによって15世紀に考案された、複数の宗教が矛盾せず存在するための論理である。これによれば神格を含む高位存在は光源の神、光の神、色の神、形の神、そして影の神の5層のうちいずれかに属するとされる。そして、その宗教において存在しない層は他の層に属する存在がそれを補完しているとする。

 この際に重要なのは、それぞれの層はあくまで光の情報に対する分け方の度合いの話であり、構造ではない。

 つまり、同一神話系内の神格の集合は、全ての互いに独立した神話間において同等である。つまり、本質的に同じことを別の視点で話しているだけで、対象は同一なのである。

 また、それぞれの層においても上位下位があるのではなく、同等な存在(神格全体)の異なる切り分けである。例えるなら、紙をどのような切り方をしても、それら全体が紙であることに変わりはないのである。

 この理論を当てはめると、情報素源は全てであり、一方、神は全ての内の一部であるため、層が異なる。しかしながら、あくまで情報素源は神とそれ以外の全てを切り分けず一体として扱っただけのことで、同等な存在の異なる切り分け方である。


問3. 存在しないこと、あるいは理論真空は情報素源か?

解3. 情報素源である。

 非存在であっても、それが想像できること自体すでに、それは情報をもつ。情報をもつということは情報素源であってそれ以外でない。

 ただし、ここでいう「非存在」は、実在しないと定義された存在のことであり、情報を持たない、「存在しないこと(情報非存在)」を指していない。これは次の問いで説明する。


問4.情報素源は単一か、複数か。

解4.我々が関係することが可能な、情報を持つ情報素源は一つである。それ以外にも情報素源がある可能性は否定できないが、いずれにしても、それは我々への干渉性を一切持ちえない。

 情報素源に含まれる要素は、つまり「ありとあらゆるもの」のいずれかに対して関係を持つ、あるいは持つことが可能な全てである。よって我々の世界のすべてに対して全くなにももたらすことのできない情報素源は存在することは否定できないが、そのようなものは、我々に対して完全に無関係であり、かつ我々からも無関係であるため、議論することに何も意味を持たない。そのようなものは、我々から想像もできず、観測も知覚もできないばかりか、影響を及ぼす可能性すらないのだから、議論することが不可能である。


問5.情報素源以外のものは存在するか。

解5.情報素源の外においては存在することを否定できない。

 これは問4と同じことだが情報素源の外にある何かしらは、我々に対して完全に無関係であり、我々からも完全に無関係であるため、議論することに何の意味もない。


問6. 情報素源の性質は何か。

解6.一つだけ言えることは、問4・5で答えたように、任意の一単位(細胞でも人間でも概念でも何でも良い)と関係する可能性が過去から未来に渡って全くないものは、我々にとって唯一である情報素源ではないということだけである。これを元に正しくない説明を行うならば、情報素源とは情報が存在する全てであると考えることができる。

 仮に情報素源をバークレーの「情報素の密度モデル」で説明しようとする。すると、「密度」は情報素源であるため、それで説明できるのは情報素源から「密度(尺度)」と、「密度のパラメーター(数値)」を除いた「それ以外の情報素源」であって、情報素源そのものにならない。

 これは濃度に限らずあらゆる概念、性質は当然に情報素源であるので、情報素源そのものを表すことはできない。


 これだけ聞いても、やはりよく分からない、理解できない点があるだろう。

 情報素源は万の基となる、ただ唯一それのみを指している。これは、魔術における第一目標である真理の秘奥そのものであり、完全に理解できた暁には保存則の許す限りにおいて無際限にあらゆる奇跡を引き起こすことが可能になるだろう。

 つまり、現在の魔術においては、理解できず、直接扱うことのできないエフェル様質であり、少なくとも魔術においてこれが真であるかどうかの議論は全く関係ない。(訳者注:エフェルは、エーテル論から派生した概念で、揮発した事象、つまり実在を観測できない、あるかどうかよく分からないもの。無名神話T-13の主神である酒、空気、熱の神エフェルに由来。エフェル様質は、定義の定まらない、つまり既存の概念で区分できないものを魔術理論で扱う際の、暫定的な呼称)


.情報素とは

 情報素とは、情報素を持つ全て、つまり、先程の情報素源の各要素を構成する単一の構成単位である。

一見、情報素源と矛盾があるように見えるが、切り分けの問題である。

 情報素は情報素源から、任意の尺度とそのパラメータを除した時の、「それ以外の情報素源」を指す。

 例えば先程の情報素の密度モデルを例にすると、「密度(尺度)」と、「密度のパラメーター(数値)」、それらを除いた「それ以外の情報素源(情報素)」の3つに切り分けられる。このとき、情報素は一定の密度のパラメーターを示したと言え、言い換えれば、密度の情報素は一定の密度のパラメーターで示される。

 そして任意の尺度とある通り、単一かつ独立の尺度である必要はない(これは全ての尺度が情報素源であることが理解できていれば納得できるだろう)。

 例えば、「ある空間における1時間」に相当する情報素を情報素の密度で測りたいとする。これは情報素源を「密度(尺度)」と、そして、「ある空間における1時間」の状態、概念に相当する情報素を除した余りを求めれば良いわけである。この時、厳密にはそれ以外の情報素が含まれているが、「ある空間における」の情報素が、「それ以外の空間」の情報を指定し、「1時間」が他の概念を指定する情報素であるため、除した際に残るそれ以外のパラメータは限りなく1に近づき、結果に影響を及ぼさない。


.共通情報素とは

 このような情報素の性質から、任意のある情報を別の任意の情報に変換することができることを理解していただけただろう。

 ただ、この方法では複数の情報を比較したり、同じ規格として魔術理論に組み込むことが困難である。そこで、情報素源を微細子論に沿って細分化していくことにより、一定の分割の結果として共通情報素を定義してきた歴史があるわけである。

 共通情報素とその性質は以下のように定義・説明される。

・共通情報素は全ての情報素の共通尺度である。つまり、全ての情報素において共通情報素は一定以上のパラメータが存在する。

・情報素の性質は、共通情報素の座標に依存する。この視点においては、共通情報素はビット列によって書かれた情報(つまり、0と1の2段階による情報)と言える。ただし機械語のそれとは異なり、多次元構造を取る。

・共通情報素単体では、ある一つの情報が情報的に存在(≠実在)することを示す。つまり、「情報的存在」を尺度とする情報素である。

・全ての共通情報素は同質である。そのため、共通情報素自体が変化することはない。

・共通情報素の座標は、厳密には変化しない。これは「変化」が「時間」の情報素を前提に含むためである。ただし、これは決定論を支持するものではない。「運命」もまた、共通情報素によって構成される。

・(当然ではあるが)人間は全ての共通情報素を感知できない。簡単な例で言えば、人は一定幅以下の時間を認識できず、さらに一定幅以下の時間を観測できない。そのため、変化しない共通情報素の配置に揺らぎを感じる。また、人によって認識しない(感知できない)共通情報素があるなど、個人差などもあり、正しい共通情報素の配置を把握することは困難である。


 このように、共通情報素自体は全ての情報存在で共通であり、変化のないものであるが、人の視点からにおいては変化のように見える(変化という概念自体が人、または生物主観であるとも言える)。

 技術の系は自然に対して介入を行い変化させることである。つまり、魔術もまた、それ以外と同じく、”真なる”共通情報素(あるいは情報素源)に対しては干渉を行えず、見かけ上の情報素である観測的情報素への介入を行うのである。


.観測的情報素、または情報素子とは

 共通情報素の性質は述べた通りであり、変化することはない。だが、そもそも我々が観測しているのは、これら共通情報素やその一体である情報素源ではなく、我々の身体によって選択される観測可能な情報素である。

 我々は欠損がない限りその身体の五感、つまり視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の感覚を持つ。また、経験の学習や意識の感覚、擬似的な感覚など外的刺激に依存しない第六感、五感の平均感覚より秀でた強感覚、身体的な欠損や変性によって生じる変性感覚、感覚から他の感覚に干渉する共感覚などを含む第七感、そして、人が本来感じ得ない、神覚や霊感、超感覚などの第八感といったように分けられ、現在では研究の進展により細分化されて、あるいは発見されているが、いずれにせよ、こういったの感覚のいくつかを保持している。

 そしてそれを脳や身体で処理した2次情報、さらにそういった情報をコミュニティで共有、処理した3次情報といった形で情報を形成していくわけである。

 こういった、ヒトが個別に保持する情報は、ある程度外部の情報、つまり共通情報素と対応しているといえ、この情報群を観測的情報素と呼ぶ。

 観測的情報素は情報素魔術で取り扱う主体であるため、別の章で取り扱うこととするが、これは(実際にはそうではないが、その振る舞いの理解のため、)粒子様の物体が生じる性質のように捉えられ、この物体を情報素子と呼ばれる。観測的情報素が生じる性質は情報素子の”量”や"密度"、"距離"といった配置によるパラメータと、それによって生み出される情報素子間の影響によると表現される。

 

.まとめ

 以上の情報素源、情報素、情報素子の性質と関係は理解いただけただろうか。

 簡単に言えば、情報素源は"すべて"、情報素は情報素源を尺度とそのパラメータで除した"余り"、情報素子は人から観測した情報の、情報素の"粒子"である。

 情報素魔術においては情報素子のみを操作する訳だが、扱うにあたってはこれらの関係が前提にあることを理解していないと論理に歪みが生じ、あるいは扱える範囲に制限がかかることになる。ぜひ理解していただきたい。

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