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スコーバレーの雪に照らせ  作者: 山手順一郎
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ブリュスケッタ

 日奈さんが僕のキスを奪った。口移しで味見させられたクリームは、舌がとけるかと思うほど甘かった。

 最近夢を見なくなった。中学生のときに好きだった、クラスメイトの池田美結が僕の脳内に現れなくなったのは、アルバイト先の店長のせいだろう。夢のような金曜日の午後。

「どう、美味しい?」

 美味しくいただかれたのは僕の方だ。先週の金曜日に抱かれた。一週間に一度のレストランで仕込みを手伝うのが僕の仕事だったのだが、閉店後の後片付けのあと、疲れた躰を労る役目を言いつけられた。新作デザートの味見役と言われて、一人残ったら、二人きりで彼女の自宅のベッドに連れ込まれていた。

「完璧です」僕の味見は済んだ。ようやく開発に取りかかったのは今日。遅くまでかかったので車で自宅まで送ってくれるという。

 自宅まで。

「いったいなにをしていたの。何度も電話したじゃない」お姉ちゃんが玄関を上がるなり抱きしめてきて、僕はもう一度……。胸に顔を挟まれてお尻を撫でられたからだ。前屈みになって離れた。「高校生なんだから、夜遅くまで働いたら駄目なのよ」

 不登校だけど。僕はお姉ちゃんに、背伸びをしてキスした。ただいまの合図を。「歩実といた」

「歩実くんの家も迷惑でしょ。いいから蓮、お風呂入って。ご飯できてるから早く食べよう」

「うん。お姉ちゃん」僕はもう一度躰を洗いに行く。シャンプーをしなくてよかった。この事はバレていないはず。今度はちゃんとリンスまでして、ドライヤーで乾かしてもらった。

「可愛いね。いい子だね」ついでに頭を撫でられる。日奈さんは格好いいって、いってくれたのに……。

 ご飯を食べたら眠くなって、すぐに自分の部屋に入った。過保護なお姉ちゃんがついてきたけれど、一人で寝た。

「パパ、ママ」

 久しぶりに見た夢は悪夢だった。両親が交通事故で死ぬ。朝になって、起きたら家には誰もいなかった。お姉ちゃんは仕事に行った。僕は学校には行かない。


「お待たせいたしました」

 園崎歩実が常連客二人に前菜を出してきて、僕は彼に話しかけたかった。店が忙しくてすぐに別のテーブルへ行ってしまう。最後の家族連れが会計を終えたあとで、僕は同僚の態度を指摘した。

「ぼくがなぜ機嫌がいいかって?」彼は、綺麗な顔立ちをさらに魅力的に見せる笑顔を振り撒いた。「新しいスカートを買ってもらったの」エプロンの下は学校の制服だった。今日は一度帰宅しなかったらしい。いつも僕には最初に見せに来るから。「だからね、蓮。今日ぼくの家で……」

「生着替えしてみてよ」僕がいった。日奈さんに聞こえないように、そっと耳元で。

 高校生にしては童顔の彼がこくんと頷く。「お母さんは夜勤だから、ぼく一人だよ」

 邪魔が入らないのだが、僕にとっては歩実こそ、日奈さんと二人きりになるために何とかしなければならなかった。三人で回している料理店だから、他の従業員はいない。

 営業中、皿洗いをしながら日奈さんの合図を待っていた。お尻を揉まれた日には、後で相手をする約束だった。してもらえる。

「蓮、一緒に帰ろう」閉店したら歩実が早速近づいてきた。

「うん。店長、お疲れ様です」

「またお願いね」日奈さんは手を振った。今日はお預けだった。

 僕らは雨の中を歩きだす。風が強くて傘が揺れる。

「制服が濡れちゃう」親友がぼやいた。セーラー服を着て登校している園崎歩実は、女装が趣味なのではなく、これが普通なのだ。中学生の頃から女子生徒の制服を着ていた。学ランだったときの僕の友達の一人で、彼にとってはただ一人の男友達だった。他の男子が敬遠するなかで、歩実と仲良くしていたのは、懐かれているのが心地よかったから。だけど今は、寂しさを埋めてくれる大切な存在だった。もう同級生ではないけれど、同僚として関係は続いていた。

 そして変わった関係も。

「よく似合っているよ。可愛いね。歩実」

 僕の趣味。綺麗な男の子の女装を見ること。別にホモじゃない。歩実はそうだろう。だって、裸を見ればわかるから。僕に少し手伝ってもらったら、その記憶を頼りにするのだろう。僕が帰ったあとで。その前に二人でテレビゲームをして、お菓子を食べて、その日は終わった。先週よりも早く帰宅してテレビを見ていると、

「ただいま。蓮!」

 僕は玄関に行った。「お帰りお姉ちゃん」上を向いていった。お姉ちゃんが少し屈む。髪を掻き分けて、ただいまの合図をした。帰ってきた方からキスするのがルールだ。今日はご飯を一緒につくった。一緒にお風呂に入ったあとで。


 海へ向かう途中も、車の中は平和だった。休日出勤で参加できなかったお姉ちゃんの話題で盛り上がった。

 ――あの子はよく鍵を失くすから。

 ――この前も、傘を忘れて俺が車で迎えに行ったんだぞ。

 僕たちは二時間もドライブしてお腹が空いていたから、途中サービスエリアでお昼ごはんを食べた。お土産屋さんで見つけた小さなキーホルダーは僕のお小遣いで買った。

 僕は後部座席に深く腰かけていた。シートベルトをして。あのトラックは、お父さんの運転席に綺麗な直角になるように激突してきた。一秒か二秒後だったら、僕は天国へ行き、お姉ちゃんを孤独にさせていたかもしれない。そうなっていたら、絆は今みたいに過密になっていなかっただろう。普通の親密な姉弟として今を生きていた。

 そうだ。僕は今も生きている。死にそうな思いをしながら助手席に座っている。息が荒いのを隠せない。

「興奮しているの?」日奈さんがいった。

「我慢できなくて」この地獄を乗り越えた先に極楽が待っている。怖い怖い怖い!


 気持ちいい。


 そのあとにまた地獄が。日奈さんが今度は自宅まで連れていってくれた。無事に。

「お姉ちゃん!」

「お帰り、蓮」ただいまのキスと、優しい抱擁が僕を癒してくれた。

 三度目の夜更かし。僕と快楽に耽った日奈さんは、二十九歳だから、お姉ちゃんと五つ離れていた。だけど同じくらい若く見えるし、全部見えた。とても綺麗で……

 思い出して、僕は歩実にメールした。すぐに返信が着た。添付された画像を開くと可愛らしい女の子がいた。僕はそれを、汚した。


 健全な男子に、もしも姉が美女だったら? 不健全な僕はなおさら、美人なお姉ちゃんの下着に興味を持つのは仕方がないと思う。当然、物色しているところを見つかって叱られたり、幸せな気分にしてあげるといわれ、その夜に初めてを奪われたりもした。そして初めてを僕にくれた。

 僕にはお姉ちゃんの衣服は使う必要がなくなった。その気になれば、お姉ちゃんにお願いしてもっと直接的に触れあえる。日奈さんもいるから、女性の躰には恵まれていた。だから僕は、僕より必要な人間に着せてあげた。趣味を充実させるためにも。

「なんだか、恥ずかしい……」歩実が僕の視線を気にして恐る恐るパンティを穿き替えた。いつもより緊張しているのは、これが本物の女物だからだろうか。そして、スカートも。

 歩実は今日、学校をサボタージュしていた。彼の両親は共働きだから、昼間から二人きりで。綺麗な裸を見せてから、可愛らしい洋服に着替えた、見た目は美少女の、歩実。

「歩実……っ」

 僕の躰に、勃然としたものが衝きあがってきた。気がつくと歩実を抱きしめていた。

「あっ、……蓮?」

「愛が欲しい……」束縛した愛でもなく、割り切った情愛でもなくて、純粋に愛が欲しい。

 僕がなぜこんなことを口にのぼせたのかはわからない。ただ歩実は僕を見て、見つめて目を閉じた。「ぼくは君が好きだよ」

 口づけは甘く、胸が高鳴る。心の傷が癒える音。

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