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スコーバレーの雪に照らせ  作者: 山手順一郎
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スコーバレーの雪に照らせ

 真希とカリフォルニアのホテルでキスした。昼は二人でスキーを楽しみ、夜はベッドで二人きりだ。一緒に旅行するのは八月以来か。沙織がゼミ旅行で京都にいる間に、僕らも北海道に飛んだ。真希は、娘のいない自宅で会おうと誘ったが僕がねだると連れていってくれた。今回は真希が前々から計画を立ててくれた。僕は初めての海外だったが、恋人には友達と九州へ旅行に行くと伝えていた。

「筑紫もちが食べたい」と沙織が言っていたので、あらかじめ通販で買っておいた。帰国した後に自宅に届くようにしている。他のお土産も用意した。

 真希も、娘に大阪へ出張すると嘘をついた。沙織は疑わなかった。母親が仕事で家を空けるのは珍しくないからだ。三日間の逢瀬を僕らは楽しんだ。そして最後の夜に、

「どうせ再婚するなら龍介がいい」と彼女は言ったが無理だ。いつか僕は沙織と結婚するだろうから。

 父に勘当された身分だから、そのときは婿入りとなるのだろう。真希は僕の義理の母親となる。好都合だ。暮らす環境としては最高だった。若い嫁。そして不倫相手と同居できるのだから。

 家を出て以来、母さんとは会っていない。関係しているのが家族に気付かれた。

 最愛の人を失い自棄になった僕は十代の女子と仲良くした。しかし沙織と付き合ってからも年上好きは直らず、母性の魅力には逆らえなかった。そして未亡人だった真希も、若い男の誘惑には抗えなかった。それが愛娘の彼氏でも。

「今の彼氏とは上手くいっているの?」僕が訊く。

「そうよ」真希が言った。だから、再婚の話が進んでいるというわけだ。だからといって、僕たちの関係が終わるわけではない。

「その人が好きなの?」

「うん……」

 罪を重ねても、その罪は重くならないと思う。裏切る人が二人になるだけで。不倫は続く。僕も真希も、他の人間と浮気するわけではない。逆に言えば、僕と構築していた家庭関係に金持ちの中年が割り込んできたようなものだ。その男が経営者で暮らしが裕福になるにしても、彼女が仕事を辞める気はないという。今度もどこかで二人きりになる機会があるはずだ。

「沙織と別れてほしいの」と真希。

「は?」僕には意味がわからない。僕たちは結婚するんだ。そして真希の養子となる。あなたの子どもに。「こういうとき、私と別れてくださいと言うべきなんじゃないかな」

「あなたとは別れるわ。結婚するんだもの。それとは別の話」

 これが最後の旅行になることを、彼女は覚悟していたのか。老後の安定のために、安定した職業を選んだ。作業所通いの男ではなくて。やっと理解できた。僕が捨てられる理由を。

「嫉妬か」僕は言った。「真希さんは、沙織ちゃんに僕を独り占めされるのが嫌なんだね」

「……」真希にキスをされた。優しく黙らせるように。だけど僕は舌を押し返して、彼女を押し退けた。沙織のような目に、憐れみのような光が宿るのを見つけたが、

「卑怯者!」捲し立てることに専念した。「今までもずっと、沙織ちゃんに黙って不倫していたくせに!」

「不倫ではないわ。浮気よ」

「同じことじゃないか。僕たちは、何度も二人きりで楽しんだ。何回も。今だって、婚約者がいるのにホテルにいる。それも奴がいない外国にまで飛んで、お互いを温めている。真希さんは、僕が嫌いになったの?」

「違う。沙織のためなの」

「沙織ちゃんは関係ない。僕たちは上手くいっている。週に一度はデートするし、その夜は真希さんより激しい。若いからね。彼女が就職したら、一緒に暮らす。あなたとも。僕のお母さんになるんだ。だからこれからも浮気ーー」

「沙織はあなたの浮気を知っているのよ」

 真希がばらしたのか? 僕は動揺した。しかし、さっきまでのように大声で真希を責め立てる勇気はなかった。黙って彼女を見つめ、これからどうすればいいのかぼんやりと考えが浮かんでは絶望に飲み込まれていった。

「二人で沙織ちゃんに謝ろう」

「私は関係ない」

「何故……?」僕は不思議のあまり呆然となった。大いに関係ある話だ。どちらも口説いた、浮気の元凶である自分よりよっぽど。二人は実の母子なのだから。だから真希が彼女の名前を言ったとき、

「三上玲のことよ」

 驚きがひとまわり小さくなったのは仕方がない。代わりに冷や汗をかいた。僕が玲と顔見知りであったことを知っているのは、沙織をものにした合コンに参加したメンバー。そこに玲もいた。しかし後に連絡して口説き、成功させたことは男たちにも教えていない。一番人気だった沙織を自慢しただけだ。何故ばれたのか。さっぱり見当がつかない。

 そして真希の言うことには、沙織曰く、玲が目撃したと言うのだ。ホテルへ。彼女が浮気されていると気づいたのは、玲が最初に知ったことだった。

 当然、「人の彼氏を寝取った」と責めるのが筋だ。だが玲は、寝取られた側ではなかった。三番目の女。沙織が初めてで、その後が真希。本命は二番で、彼女は一番罪が重かった。もちろん僕を除けばの話だけれど。

 悪いのは僕だ。真希だけがいっときの共犯で、沙織と玲は被害者。母を寝取られ、母に寝取られた沙織。友達までも。何よりも恋人に裏切られた。だから、

「あの子から離れて」と好きな人に言われたら諦めてしまった。沙織から手を引くというのは、真希との関係も薄くなる。背徳と欲望に燃えた仲。お互いに楽しんだ。しかし二人を繋ぐ糸が切れて、彼女はもうすぐ新しい人と結ばれる。僕はまた最愛の人を失った。

 あと一日だけここに泊まろうと彼女が言った。もう一晩だけ、と。二人で最後の夜を過ごすために。真希が仕事を休んで僕にくれた時間は、飛行機に乗って、日本に帰るまで残っているけれど、愛し合うことができるのはそれまで。だから、翌朝はスキーに行かなかった。


 そして長い一日が終わって、愛を確かめて、その愛に別れを告げた。

「良い子に生きるんだよ」

 彼女が僕を撫でて言った言葉。それ以来恋愛は出来ずにいる。誠実さがまだわからないから。

 あの頃を思い出したとき、彼女は沙織から逃がしてくれたのだと知った。

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