一気見
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ハードランディングとソフトランディング。君は聞いたことあるかい?
多くは飛行機の硬着陸と軟着陸に用いられ、景気的にも急激に悪くなるのが前者、ゆるやかに悪くなるのが後者とされている。
この考えは、他のケースに当てはめることができるな。何かしらのルールを設ける場合だ。
いきなり目標への厳しい課題を出し、ギリギリに締め付けていくのはハードランディング。うまく推移すれば短時間でことが済むけど、負担や反発も大きい。
対して目標へゆるく、段階的な課題を用意して順にクリアしていくのはソフトランディング。少しずつ変えるから負担や反発を減らせるが、時間がかかりすぎて未達のままタイムアップになるおそれもある。
このさじ加減が、上に立つ者の腕の見せ所だ。組織間の中ならな。
しかしあいにく、我々が限定的コミュニティにいる時間もまた、限られている。
どうしても移動その他のため、外という開放的な空間へ出ていかざるを得ず、そこはたとえわずかな間であっても、ハードな目に遭う可能性を帯びている。
俺の小学校時代の話なんだが、聞いてみないか?
小学生時代というと、何かと友達や身近にいる人と力くらべをしたものだ。
腕っぷしばかりじゃなく、足の速さとかテストの点数とか、実力と呼べるものならなんでもな。
俺たちの界隈では、それらの中に、目の良さの比べっこも含まれていた。
とある童話だか、ゲームだかの内容からヒントをもらってな。遠くの葉の上に乗せた虫の数。だが実際に用意すると難儀なんで、見た目もサイズもそっくりな虫たちの模型を用意して、その上へ乗せた。
挑戦者は1〜6までの番号札を持ち、あらかじめ引かれた待機ラインの上に立つ。
模型を乗せる側が合図をしてから数秒見やったのち、乗っている虫模型の札を高くかかげることで、判定を待つんだ。
ミスは同じ距離で一度まで許容。二度連続でミスったところで、権利が失われる。
競技中は基本的に、挑戦者側のラインがどんどん後ろへ下がり、距離が開いていく。挑戦者が二度連続でミスしない限り、これはずっと続いた。
限界に挑戦する意味合いもあったから、たったひとりの無双状態になろうとも、このエクストリーム視力検査は継続。
それすなわち王者のみがたどれる道筋で、そこをひとり歩むことこそ、何よりの誉れだと俺たちは思っていたのさ。
当時、俺はみんなの中だと、かなり視力の良い方だったが、なかなか越せない壁が二人いた。
彼らは俺が行き詰まる段階をやすやすと越え、しばしば一騎打ちを繰り広げた。
視力及ばない身に、二人の散らす火花は見えない。ずっと遠方、点にしか思えない判定者に対し、札を掲げる彼らの姿ははためには滑稽だ。
判定者も双眼鏡を携えた上で、カメラのフラッシュなどの光りもので返答することになるほど。彼ら自身もまた、承認欲求が満たされるゆえか進んで競技に参加して続けていたな。
おかげで多くの参加者は王者への道をあきらめ、視力の近い者同士でしのぎを削ったり、ひたすら自分の新記録樹立を目指したりと、個々の目標を持ちつつあったよ。
だが、そのお約束が崩される。
秋の運動会の翌日に、再びこの視力競争が行われたんだ。
おのおの奮闘するも、じきに3位の俺が脱落して、いつも通りの一騎打ちが始まる。
どちらがどれだけ記録を伸ばすかが、俺たち凡人の寄せられる関心。地面のラインは10センチ、20センチと後退を続けていき、もはや目測だと判定者がゴマ粒程度の大きさになったときだった。
判定開始のフラッシュが届き、先手を取った2人のうちの片割れが立ったとき、「ん?」と彼が首を傾げそうな声をあげたんだ。
俺たちも、つられて彼が顔を向ける先を見る。視力低い組は、でこに手を当てたり、背伸びなどをして見定めようとしているようだったが、俺を含めた上位陣はさほど集中せずに気づくことができた。
判定者よりやや右へ離れたところに、先ほどまではなかった、こんもりとした黒い影がいる。判定者と比べると小さいと思うが、いかんせん離れすぎていて、詳細は分からず。
俺たちの位置からだと、右手の寝かせた人差し指程度の間隔だが、実際にどれほどの間なのかは分からない。
ただ、肝心の競技者がそいつをしばし凝視した後で、驚きの声と一緒に尻もちをついたものだから、みんなして驚いたよ。
彼はすぐ身体をねじり、判定者へ背を向ける姿勢かつ、俺たちへ向けて「見るな、見るな!」と、息を切らせながらがなり立ててきたんだ。
競技は中止。俺たちはあらかじめ定めておいた取り決めによって、判定者にその旨を告げて撤収してもらう。
肝心の彼は、ケガなどはないが、あの判定者のいた方角。いや、おそらくはあの現れた物体だ。そいつのいる方を、意地でも見ようとはしなかった。
やむなく、帰り道は一緒のメンバーが彼の盾になる形に。彼は何を見たのかの詳細を話してくれず、あの時に待機していた俺たちも詳細は確認できていない。
分かるのは、その日から彼は例の視力競技に参加しなくなってしまい、ただ一人の絶対王者が生まれたということだ。
あれがいかなるものなのか。
俺たちよりずっと近くでいた判定者も、気づかなかったらしい。俺たちの方向に集中していたようで。
頂点となったその子も、話してくれない彼に代わり、正体を突き止めてやると息巻いていたが、何カ月も経過して競技数を重ねても、同じようなものが現れることはなかなかなかった。
彼は変わらず、ずっと不参加のままで、ついには新学期を迎えてしまう。
それからほどなくしての身体測定の時期に、いつもは余裕をもって1.0の結果を出す彼が、0.4まで視力を落としていたんだよ。
ステータス比べが流行っているこの空間で、手を抜いてもいいことはない。まじで目が悪くなったのかと、みんなで少し噂をしたっけなあ。
少し経った後の休日。
用事のあった俺は、最寄り駅のホームで電車を待っていた。
お目当ての車両が来る隣の駅までは、およそ4キロちょい。線路がまっすぐということもあり、目がよい者ならアナウンスが入るより先に、隣駅に停まっている車両の姿を認めることができた。
俺もそのひとりで、接近を悟ったときからずっと隣駅の方を見やっていたよ。
そして電車が動き出す。
車体がじわじわ大きくなり始め、場内には接近と注意のお知らせ。
指示通りに線の内側へ下がりつつも、俺は近寄ってくる電車へ視線を向け続けていたんだが。
その電車が至るより、数百メートル前。線路の脇からレールのど真ん中に飛び乗り、鎮座する影があったんだ。
警笛は鳴らず、停止を促すだろうあらゆるものは動きを見せない。あの位置にあって見えていないとも思えないのに。
ふと俺は気づく。いま駅で待つ面々は、俺をのぞけば大人しかいない。彼らの中には俺のように電車を見る人もいるのに、いぶかしがる気配はみじんもないんだ。
――俺以外、誰も見えていない?
そう悟るや、両目が外からぎゅっと強く握られるような感触。
痛さを覚えるのもそのまま、俺の視界はぐぐんと影へ引き寄せられる。まるっきり、テレビのクローズアップだ。
影がどんどん大きくなる。ことここに及んで、俺はあの視力競技の件を思い出した。
おそらく、あの時に出た奴と同じだが、距離を詰めに詰めても俺には正体が分からない。
だって、あいつは夜だったんだ。
暗い影は夜の背景。近づくにつれて、その中に細かいまたたきが見えるんだ。
あれは星。そしてそれが広がる、宇宙のごとき海たち。
そこへ俺の目は、際限なく引き寄せられ、連れ去られようとしている――。
ばっと、身体をねじった拍子に、尻もちをついた。
やはり俺自身は、ホームから一歩も動いておらず、周りの客の何人かが振り返ってくる。
まだ勢いよく弾む心臓のうめきを感じながら、俺は盛大に息を切らしている。どうにかととのえて立った時には、先ほどまで鮮明に見えていたはずの遠方の一部が、にじんで見えていたよ。
家に戻っても、顔を洗っても、ひと眠りをしても、それはもう治らなかった。視力の低下としか周囲には思われないだろう。
きっとあれは、子供の「視る」力のみを好物とし、一気に奪おうとする、生き物かも疑わしい存在なのだろうな。