5話『vivace』
会場に到着する。
15分ぐらい前の到着だったが、メンバーはもうほとんど揃っており、トラックから降ろした楽器を控え室に運び始めていた。
僕と黒田さんも楽器運搬を手分けして手伝う。
いよいよ本番が近づいてきている。
*
今回の本番は、リハーサルなどは無く、ぶっつけ本番で行われる。参加する団体が多いからだ。
控室も、使ってるのは僕らだけじゃなく、他の団体も使用している。
空調機からの熱気だけじゃなく、人の密集による熱気、そして色々な楽器の色々な音が混じり、僕は少し気分が悪くなってしまった。
僕は部長の横山さんに声をかけ、控室から出て、水を買いに行くことにした。
自動販売機で水を買って飲んでいると、そこに、1stトロンボーンを務める2年生、高梨小百合がやってきた。
高梨さんは僕に
「あら、白木くんも休憩かしら?」
と聞く。
「まぁそんなとこです。熱気と、人多いのと、音が混じって具合悪くなっちゃって……」
高梨さんは僕と同じように水を買うと、
「私もよ」
と言って、僕の横に立つ。そして、
「緊張してない?」
と僕に問う。
「そりゃあ適度な緊張感はあります。どうしたんですか?急に」
高梨さんははぁとため息をついた後に
「羨ましいわ。貴方が」
と言う。
「羨ましい?」
「そうよ。難しいソロを抱えた上で、その落ち着きを見せてる貴方が羨ましいの」
「馬のとこですね。まぁ、あそこは練習にかなり時間をかけたんで、きっと本番でも上手くいきます。馬だけに」
高梨さんはさらに深いため息をつく。
「冗談も言える余裕があるのね」
僕はしまったと思い、咳払いをする。
「とにかく、楽しい2曲なんで、本番は楽しんでやりましょう。なんと言っても、本番は一度きりしかないんですから……」
高梨さんは
「本番は一度きりしかない、か。さっきまで変な冗談言ってた割にはいいこと言うのね」
「あはは……」
悩みの種の一部が露出してしまったが、この部分だけならまだマイナスのイメージではない。
高梨さんは、水を少しだけ飲むと、
「そろそろ戻りましょう。横山さんに心配されるわ」
と言い、軽く腕のストレッチをする。
「そうですね。本番、楽しみましょう」
そう言って僕も指のストレッチをしながら、2人で休憩室を後にした。
*
ステージの下手側、僕らは前の団体の演奏が終わるのを待機していた。
部員全員の頭には、サンタ帽が被せられている。
これは山下の計らいによるもので、山下曰く、「野郎がサンタ帽被るのはどうでもいいけど、女子が被ってたら可愛いだろ。だから上手いこと永山先生に頼み込んで、部費で下ろしてもらったんだよ」とのこと。
こんな事のために部費使うなよ……
なんて思いつつ、横目で、2列目の待機列に並んでいる黒田さんに目をやる。
サンタ帽に制服、そして華奢な体に抱えられた、大きめの楽器であるユーフォニアム。
確かに可愛いかもしれない……
いやいや、さっきまでの事に引っ張られるな。
余計なこと考えてないで、適度な緊張感を保って演奏に臨まないと。
これが最後のクリスマスコンサートなんだから。
そう、これが最後の……
もう本番を浪費するだけの演奏をしてはいけない。
何故終わりが来るか、その答えが今日出なくても、仕方ないと思っている。
まだわからなくても、なんとしても、自分で探し当てなくてはならない。
考えをまとめていると、前の団体が演奏を終えて、上手に捌けていく。
ついにステージだ。
ステージに上がる前、必ず僕がやる事がある。
中学時代に父親に買ってもらい、今まで使っている銀色のトランペットに、
「今日もよろしく。楽しい演奏を」
と挨拶する。
バストロンボーンを持つ山下の後ろに続いて、ライトが照らすステージの上へ。
いよいよ始まる。
全員が着席すると、燕尾服を着た永山先生がステージに上がる。
僕らは立ち上がり、正面を向く。
永山先生が客席に一礼し、こちらに向き直る。そして、僕らに座るよう指示を出す。
僕らは一斉に座り、永山先生はそれを見届けてから、指揮棒を構える。
『恋人たちのクリスマス』の演奏が始まる。
グロッケンが綺麗な前奏の旋律を奏で、その後に阿部さんのアルトサックスのソロが始まる。チューブラーベルとサスペンドシンバルがそれを彩る。
阿部さんのソロは大成功に終わり、客席から拍手が上がる。
16分音符で木琴、木管楽器が軽快なリズムを刻み、8分音符で刻まれる鈴の音、そしてドラムのフィルイン。
僕が務めるトランペット隊が主旋律を華々しく演奏する。
そして木管隊にバトンタッチ。曲で言えばBメロに入る。
ホルンの対旋律が曲を包み込む。
そしてサビ。ここもトランペット隊の見せ所。
メロディラインの合間にトロンボーンのグリッサンドが響き渡る。
そして繰り返し、2番まで終わる。中間部、Cメロに入っていく。トロンボーン隊の見せ所だ。
その後に木管隊が続く。
ああ、なんて楽しい演奏なんだ。
終わって欲しくない。
CメロからはBメロに繋がり、そしてラスサビ。
バランスを考え、音量調整をしながらだが、華々しくトランペットを吹き鳴らす。
ああ、また終わってしまうのか。
終わりが来てしまう。
そして原曲には無い、編曲の特別なアウトロへ突入する。
そしてアウトロの最後の1音にフェルマータ。
包み込んでくれ。この空間の何もかもを。
永久に閉じ込めてくれ。
この楽しいひと時を。
その夢は儚くも終わる。
永山先生の指揮の合図で僕らは音を止める。
余韻が残る。
客席から拍手が聞こえる。
次の一曲で、クリスマスコンサートも終わりだ。
永山先生がもう一度、指揮棒を構える。
『そりすべり』の演奏が始まる。
この曲は最初から見せ場だ。複雑なメロディをピッコロと共に奏でる。
各楽器に見せ場があるが、それだけ腕が見えやすい、危険な曲でもある。演奏難度もやや高い曲だろう。
木管楽器がトリル奏法で楽曲を彩る中、僕らトランペット隊は主旋律を奏でる。
横でトロンボーンは対旋律を奏でる。
煌びやかな鈴の音が曲を包み込む。
中間部を過ぎ、一度抑えてから曲がさらに盛り上がりをみせる。
先程まで奏でていた主旋律が少し砕けたものに変わる。そのバックではシンバルが4分音符で鳴らされている。
一番の見せ場だろう。しっかりと息を合わせて吹き切る。
曲は落ち着きを取り戻し、元あった主旋律をピッコロ、フルートが奏で、その後クラリネットにバトンタッチ。
そして問題のラストに差し掛かる。
さぁ、なるぞ。馬に。
今まで研究してきた成果を見せる時。
特殊な技法を使い、トランペットで精一杯の馬のいななきを表現する。
そして、曲が終わった。
客席から拍手が送られてくる。
永山先生は僕らを立たせて、客席の方へ挨拶をする。
結局、僕はちゃんとした馬になれたかどうかはわからなかったが、自分の中では評価点は高い方だった。
ああ、最後のクリスマスコンサートが終わってしまった。
また僕は本番を浪費してしまったのだろうか。
何故音楽、楽しいことが終わるのか、の答えはどうにもまだ出そうにもない。
バストロンボーンの山下に続いてひな壇から降り、上手側へ捌ける。
捌けて、ステージ裏に入った瞬間に山下から声がかかる。
「もうお前、馬だな。明日から馬って呼ぶわ」
「なんだよそれ」
「それぐらい上手かったって事だよ。馬だけにな」
さっき僕が高梨さんに言ったギャグを使われた。
列の後ろにいる相澤も
「拓人、やっぱアンタ凄いわ」
と言ってくれた。
どうやら馬は上出来だったらしい。
安心した。
しかし、どうして音楽や、楽しいことに終わりが来るのか、まだ結局わからないまま、本番が終わってしまった。
僕はそのことを、悔やんでいた。
*
各自楽器を片付けて、トラックに積み込む。荷下ろしは明日になる。
明日はその後、学校の音楽室で打ち上げと忘年会をやるらしい。
楽器の積み込みが終わり、トラックを見送った後、エントランス付近、邪魔にならない場所に僕らは集められた。
今日の演奏の総評を永山先生は僕たちに伝える。
「いい演奏ではありましたが、ところどころ課題が残る演奏でもありました。各楽器のユニゾン感や、音のキャッチとリリースなど、合わせられるところをしっかり合わせて、これからの演奏に活かしましょう。」
「皆さん。本当にお疲れ様でした。本日はクリスマス・イブですね。このまま遊びに行かれる方もいると思いますが、羽目を外しすぎないように。」
「以上。解散です。今日はありがとうございました。」
そう言い終わった瞬間に、山下が、
「サンタの帽子被って、みんなで写真撮ろうぜ!」
なんて言い出す。
記念に写真を撮ることになった。
ああ、音楽も、こうやって一瞬のきらめきをカタチに残せたらいいのに。
スタッフの方にお願いをして山下のスマートフォンで写真を撮ってもらった。
後でメールアプリの吹奏楽部グループに、掲載されるだろう。
*
コンサートホールを出る。
まだ雪がちらついている。本当のホワイトクリスマスだ。
コンサートホールの近くの並木道は、綺麗な電飾で飾られていた。そのせいで暗さを感じない。
仙台でも有名な光のページェントと言うイベントだ。
クリスマス・イブとの事もあって、ものすごく人も多い。
人混みは苦手だ。
さっさと帰ろうと思って、地下鉄の駅に歩き出した時に、メールの着信があった。
グループの通知は切ってるから、おそらくさっきの写真ではないだろう。
差出人は黒田さんからだった。
『ねぇ。今から、ちょっと時間ある?』
6話へ続く。