2話『agitato』
バスは20分ほどで自分の家の最寄りに着く。
そこから歩いて5分ほどで帰宅となる。
僕がバスの最後部座席に座り、『家路』を聴いていると、横に女性が座り、話しかけてくる。
僕はイヤホンを外す。
「お疲れ様」
そう言う彼女は、同じ2年生でユーフォニアムを務める、黒田美憂だった。
「曲、聴き込んでたみたいだね。邪魔しちゃった?」
そう聞く黒田さんに、
「いやいや、邪魔とかないよ。お疲れ様、黒田さん」
と返す。
黒田さんとは、バスで帰る方向が同じで、たびたびこうして一緒に帰ることがある。
黒田さんは笑いながら今日のことを掘り返す。
「合奏中眠ってたね。拓人くん。お疲れモードかな?」
「恥ずかしいからその話はやめてくださいよ……」
僕はため息をつく。
「ごめんごめん。その後の永山先生に謎のアプローチしたのも、個人的にツボでさ。」
ひとかけらも申し訳なさが感じられない、ごめんが飛んできた後に、さらに追い討ちをかけられる。
「あれは、完全に寝ぼけてて……」
黒田さんのからかいはまだ続く。
「永山先生、可愛いからなぁ。その気でもあるの?」
確かに永山先生は美人だ。
前の顧問と入れ替わりで、この吹奏楽部を受け持つ事になった、新任教師。
今年の4月からなので、まだ教師歴8ヶ月なのだろうか。そんな状態でも、この吹奏楽部を立派に牽引している。
音大を出て、この学校で音楽を教えながら、顧問をやっている。凄く指揮が上手で、非常にわかりやすい。
確かに永山先生は美人で、男子の人気はあるが、僕にそんな気はない。
僕はあわてて否定する。
「いやいやいや、そんな気なんてないから!そもそも教師と生徒って、漫画でもあるまいし!」
逆にあわてて、全力で否定した事によって、黒田さんのからかいはさらに加速する。
「あれぇ〜。そんなに否定すると逆に怪しいんですけど」
僕はもう疲れてしまった。
「やめてくださいよ、本当……」
そう言うと、黒田さんはまた申し訳なさが一欠片も感じられない謝罪をする。
「ごめんごめん。拓人くん、面白いからつい。ね」
黒田さんはいつもこんな感じだ。
そんな話をしていると、僕の家の最寄りのバス停に着く。
「あ、着いたね。また明日ね。拓人くん」
そう言う黒田さんに、僕も
「また明日。明日の合奏中には寝ないようにしますからね。」
と、ちょっと冗談を織り交ぜて返す。
笑っている黒田さんを横目に、僕はバスを降りる。
ここからは歩いてもう少しだ。
暖房が効いたバスを降りると、寒さも際立つ。
何か曲を聴いて帰ろう。冬にちなんだ曲がいいな。チャイコフスキーの交響曲第一番『冬の日の幻想』なんてどうだろうか。
僕はイヤホンを耳につけ、スマートフォンで再生させる。
いつでもこのように、クラシック音楽を聴けるのは、技術の進歩があっての事だと思う。
そうして、音楽を聴きながら家へと向かうのだった。
*
玄関のドアを開ける。
「ただいま」
そう言うと、2階の方から
「おかえり、兄貴」
と声が返ってくる。
妹の琴音だ。
琴音は今年、高校受験の受験生だ。帰りも早い。おそらく受験勉強の最中だったのだろう。
琴音が下に降りてきてこう話す。
「早く手洗ってうがいしな。もうご飯出来てるって。兄貴、帰る連絡よこさなかったから、母さんお怒りだよ」
「あちゃー。しまったな」
考え事してた事もあり、黒田さんにちょっかいかけられていた事もあり、完全に失念していた。
「兄貴、最近ぼーっとしすぎ。何かあった?」
そう聞く妹に僕は
「……いや、なんにも」
そう答える。
妹に悩みを話しても、くだらないの一点張りだろう。
とにかく、早く母に謝らなければ。
*
母に謝り、食事、そして風呂を終え、僕は自室に戻る。
「今日は、よく眠れそうかな……」
山下に悩みを話した事によってか、心は少し軽かった。
いつもはこの時間から、考えが止まらず、頭を悩ませている。
だから、父の秘蔵のCDコレクションから様々なものを拝借しては、それを聞いている。
父は楽器の修理士だ。その他にも、作曲したり、バンドマンとしてライブを行ったりする、音楽家である。
母とは、勤めている音楽関係の店で出会い、結婚したと言う。
そんな音楽一家に生まれた僕は、3歳からピアノを習ったり、小学校の頃からトランペットを吹いたりしている。
妹の琴音もそうだ。昔からピアノを習い、小学校の頃からホルンを吹いている。
「今日は、父さんにCD借りなくても、いいかな……」
そう言って布団に横になる。
メールアプリには何の連絡も来ていない。
この際、もうこのまま寝てしまおう。
久しぶりに早く……
*
何故か僕はコンサートホールの壇上に立っていた。
観客席から拍手が送られている。
横を見ると、前にあったアンサンブルコンテストの金管八重奏のメンバーが泣き崩れていた。
ああ、これは夢だ。悪い夢だ。
そのうちの一人、黒田さんが泣きながら僕に語りかける。
「何で、終わっちゃうの……?」
僕は血の気が引いていく。
その他のメンバーも僕に口々に、
「何で終わるんだよ……」
「まだ、終わらせたくない……」
なんて言葉を投げかける。
『音楽の本番は一生に一度しかない』
今度は目の前に現れた、自分自身に語り掛けられる。
『お前は今まで、それを浪費してきたんだよ』
やめろ。
『音楽が終わる意味、教えてやろうか』
やめてくれ。
『それは、命が終わる事と同じ事なんだよ』
『音としてあった命が消える。それが音楽の終わりだ』
ネガティブな思考の時は、必ずこの考えが頭をよぎる。
だが、この答えは絶対に間違ってる。
「そんな事ない!音楽が終わるのは……」
何故だ。
なんでこの先の答えが今の僕には無いんだ。
『ほらな、お前が認めないだけだ』
「違う!!」
僕は大きな声で叫んでそのまま飛び起きた。
時刻は4時12分。
最悪な夢見だった。
寝汗が気持ち悪いので、家族を起こさないように、シャワーを浴びにいく。
*
シャワーを浴びながら僕は、夢の中のネガティブな自分自身に解答出来なかった事を悔やんでいた。
「違う、違うんだ……」
「音楽が終わるのは……」
「命が終わることと同じじゃない……」
風呂場に反響する自分の言葉を、自分に言い聞かせるように、なんども同じことを繰り返して言う。
絶対に他の答えに辿り着いてみせる。
*
そのあと、特に寝付くことも出来なかったので、朝食を自分で作り、食べたあと、朝練へと向かう。
相変わらず外に出ると、寒さを感じる。
クリスマスコンサートまであともう少しだ。
余計な事で悩んでないで、気合を入れなければ。
そう思いながら、バス停へと歩き出した。
3話へ続く。