雨の匂い。
夏の陽射しに照らされて熱くなったアスファルトにポツッ…ポツッ…と雨の模様が浮かび上がる。
雨が降り始めた時のあの独特な匂い。
湿ったアスファルトと砂埃の匂いが私は好きだ。
「…あ。降ってきた〜!」
履き慣れないヒールをカツカツ鳴らしながら、近くのお店の軒下へ駆け込む。
瞬く間に音が変わってどしゃ降りになった。
ザァー……バラバラバラッ…
ポツンッ…ポツンッ…
耳を澄ませてみると、雨宿りさせてもらっているお店の屋根から雨粒が垂れて音を立てていた。
「…夕立か。すぐに止むかなぁ?あ〜あ。靴がビショビショ。」
私は恨めしそうに空を見上げて雨が止むのを待った。
持っていたハンカチで濡れた体を拭きながら、雨が弱まるのを待っていたらすぐ近くでかすかに声がした。
「ニャー…」
「え、猫?…何処にいるの〜?」
少し屈んで辺りを見回した。
お店とお店の狭い隙間。
草が長く伸びているその先にキラリと光る目が見えた。
「あ、いた。大丈夫かな?濡れてないかな?」
心配になり私は脅かさないように小さな声で話しかける。
「お〜い。大丈夫〜?寒かったらコッチにおいで?一緒に雨宿りしよ。」
猫は何も言わず、こちらをジッと見ていた。
私はニッコリ笑って、彼?…彼女?のペースに合わせる事にした。
雨は少し弱まってきていた。
さっきまでの重たそうに垂れ込めていた雲が薄くなり、辺りがほんのり明るくなってくる。
「…そろそろ止むかな?ま、後は帰るだけだからのんびり待ちますか。」
毎日、通勤でこの道を使っていた。
地方から出てきたのだが、働き始めてもうすぐ半年になる。
最初は右も左も分からなかったこの辺りの景色も、ようやく見慣れた光景になりつつあった。
いつもと違う角度で見る今の景色はとても新鮮で、雨に降られて濡れた事も案外ラッキーだったんじゃないかと思える。
雲の切れ間から差し込む光が辺りを照らし、キラキラと雨粒が輝いて見えた。
「…きれい。この街もなかなか悪くないじゃない?」
元気をもらえた気がしてふふっと笑った。
その時、足元にフワリと柔らかい何かが当たった。
「…ん?」
チラリと下を見ると先程の猫が私の足に擦り寄っていた。
黒々とした綺麗な毛並み。
金色の透き通った目とヒラヒラと別の生き物のように動くしっぽ。
ジッとこちらを見上げるその子に声をかけた。
「君、おウチは?…行くとこないなら、一緒に来る?」
冗談まじりで猫をナンパしてみた。
「ははっ。な〜んてね。冗談だよ!君みたいな綺麗な子はきっと何処かのおウチの子でしょ?早く帰らないと家族が心配するよ?」
しゃがんで目線を合わせて私もジッと目を覗き込んでみた。
何だろう?初めて会った気がしない。
綺麗な目を見つめていたら、吸い込まれてしまいそうだった。
「君の目、とっても綺麗だね。…素敵。」
可愛らしさに思わず微笑み、そっと手を差し出す。
すると顔をスリスリしてくれるではないか。
「懐っこいねぇ。可愛い。……あ、雨止んだかな?」
そう言いながら静かに立ち上がり、屋根の外へと手を伸ばした。
雨粒は微かに手のひらに触れる程度で、これならもう歩いて帰れそうだ。
「雨、止んだから私もう行くね。君も早くおウチに帰るんだよ?ありがとうね〜。」
そう声をかけてヒラヒラと手を振った。
「ミャー。」
私の後ろ姿に一言何かを告げた気がしたが、私には何を言ったのか分からなかった。
『…君に決めた。』
彼がそう呟いた事を私は知るよしもない。
「さぁて。帰りますか。」
ゆっくり歩き出し、せっかくのキラキラした街並みを堪能しながら帰る。
しばらく歩くと結婚式場の前を通りかかった。
眩しい太陽の光を感じて空を見上げると、雨の境目を越えたようで青空が広がっていた。
雨で洗われて澄んだ青空にいくつもの風船が飛んでいく…。
きっと結婚式の最後にみんなで飛ばしたものだろう。
「…なんか、いい事ありそう。」
小さく呟いて足取り軽く家まで歩いていく。
ふと気配を感じて後ろを振り返った。
「…ミャーン」
「あらら。ついてきちゃったか…。さっきのは冗談だったんだけどなぁ。」
私が立ち止まると猫は私の足元までスルスルッと駆けてきた。
「…君、本当に行くとこないの?」
しゃがんで再び目線を合わせて話しかける。
私の目の前に座り、こちらをジッと見つめながら猫は再び鳴く。
「ミャァオ。」
「う〜ん。見事なお返事だわ。…首輪もしてないみたいだし、ひとまず私のウチに来る?」
そう声をかけるとまたスリスリと私の手に顔を擦り付けて甘える。
「しょうがないな。じゃあ、おいで?」
手を伸ばすとピョンっと飛び乗り、簡単に抱っこ出来てしまった。
「君はもしかして甘えん坊さんなのかな?いいよ。抱っこで帰ろっか。」
「ニャァン。」
またまた上手にお返事しちゃって!
ゴロゴロと喉を鳴らしながら私の腕の中で満足そうに目を細めている。
雨に濡れて少し冷えていた体がホワホワと暖まっていった。
…これが私とレンの出会い。
そういえば、あの日も雨が降っていたんだった。
「君は、もしかして雨が好きなのかい?」
腕の中で丸まっているレンに向かって声をかけてみた。
レンは私の問いに答えるように私の目を覗き込む。
「ふふ。そんなに見つめられたら照れちゃうよ?今度は雨の日にお散歩してみよっか。…じゃあ、今日はもう寝よ。おやすみ、レン。」