数多の色が薄く霞んだ空に手を伸ばして
部屋の外に出ると、真っ白な廊下が続いていた。
このアヴリウスに連れられた時の事を思い出しながら、高城と共に長く続く廊下を歩いていると、だんだんと順路を思い出して来た。
「部屋の外にはどれくらい出た事ある?」
「一度も無いです」
「えっ!一度も無いの!?
別にあの部屋に閉じ込めてる訳じゃ無いんだよ!?」
驚いた様子の高城は途端に憐む様に「ならこの2週間ずっと部屋に……」と頭を抱えた。
「だって私が外に出たら何をするか分からないから。
そこかしこに色は見えていたし部屋の中でもう何度もノウンしちゃったし。
メガネを掛けてからは見えませんけど」
「あっ、そっか……やっぱり配慮が欠けていたね、申し訳無かった」
「いや、謝らなくて良いので。
それよりこのメガネはすごいですね、私の見えるあの子達がすごく薄く見える」
メガネ越しの世界は、恐らく人が見える視界に寄せているのだろう。
もちろん完全では無いものの、その世界だけに視力を下げた様に見えた。
この廊下にだって連れられた日にはたくさんの存在が居たのに、メガネ越しに見える世界には霞がかっていたり、影が見えるだけだ。
「そうだろう!?僕達研究員の努力の結晶だからね!!」
「高城先生も?」
「僕ももちろん開発には携わっているけど、どちらかと言うと監修する立場かな」
「ふーん」
苦笑した高城は「こっちだよ」と言って廊下を左に曲がった。
さっきまで無かった窓が設置されており、窓の外には庭が広がっている。
様々な色合いの花々が咲き乱れ、霞が色付いていた。
「ここは?」
「ここは僕の研究室だよ、外にあるから温室みたいでしょう?
たくさんの花が咲いているし君の部屋から近いからいつでもおいで。
美味しいお茶とお菓子を用意しておくから」
そう言って笑う高城に頷きだけ返して、私は前を見た。
大きな扉に何かよく分からない文字が彫られていて、高城は扉に手を掛けるとそのまま押して開いた。
扉を開けると、何人かの男女がこちらに視線を向ける。
好意的な眼差しと、好戦的な眼差し。
そして、興味が無さそうに一瞥だけして視線を逸らしたのが一人。
「やあみんな!今日は彼女を連れて来たんだ」
高城は私の背を押しながら人が集まるテーブルの方へ近付いた。
「わあ!メガネ似合ってる!」
「良かった、すごく似合っているよ」
「アナタ達がこれを?」
「そう!私、日向ミヤ!
こっちは先輩の緒方さんよ!」
にこりと可愛らしい笑みを浮かべて、先輩と呼んだ緒方を前に押し出す。
「緒方だ、よろしく」
「私は錦見谷ハルコです」
「……へえ、ハルコって名前なんだ。
僕はハルト。よろしく」
音も無く背後から聞こえた声に肩を踊らせつつ「よろしく」と差し出された手を取った。
「オレは今日パス、帰る」
「私も……それより鍛錬しなくちゃ」
「えっ!アオイちゃん、藤崎先輩!?」
アオイと呼ばれた女の子から好戦的な視線を受けつつ、あと二人残った人達は少し奥の方で見ているだけの様だ。
「もー!なんなの二人とも!
やっとハルコちゃんとお話し出来る機会なのにー!」
「まあまあ日向、そう怒るなよ。
安西、遠凱都。君達もそんな遠いところに居ないでこちらへ来たらどうだい?」
視線の先には警戒した様子で私を睨み付けるのが一人、そしてもう一人は興味無さげに遠凱都と呼ばれた男の方を向いていた。
「オレ達は結構、こちらでモルモットの見物をしておくよ」
「うわー、びっくりするくらい失礼な口聞きますね?
先輩、あの分からずや殴って良いですか」
「ダメです」
可愛らしい笑みから一旦恐ろしい程の無表情に切り替わり、日向は遠凱都を見据えた。
しかし緒方がそれを制すると「はぁーい」と私の方へ向き直った。
「すみませんハルコちゃん、あの人達ちょーっと頭がアレでして。
あんな変人奇人は放っておいて私達とお茶にしましょう!」
「そうだね、みんな何飲む?
緒方くんは珈琲でしょ?」
「俺が淹れますよ」
「じゃあ私はハルコちゃんに!
紅茶飲める?美味しいフレーバーティー貰ったんだー!
夏目くんもそれで良い?それとも珈琲にする?」
「苦いの苦手だから紅茶が良い」
「おっけー!」
3人がテーブルを離れてさらに奥にあるテーブルに近付く。
そこには、簡易なキッチンがあって日向が湯沸かしポットに水を入れていた。
「ねえハルコさん、見え方どう?」
「かなり霞が薄いなって感じかな。
多分普通に見てたらここにもたくさんあの子達は居ると思うけど、ここにはいくつかの色しか見えないし、情報が少ない」
「……あの子達って、ノーアの事だよね?」
「ノーア?」
私が首を傾げると「ノーアはノウンする前の状態の彼等の事を言うんだ」と高城が補足する。
「君は彼等を意志のある存在だと認識し慣れているから、あの子達と呼ぶんだろう?
不確定多数のと言う意味で」
「……なるほど」
と言う事は他の、普通の人達はあの子達のことを数多のと捉えない、捕らえられる目を持たない。
そう言う事か。
今緒方が言った様に、それは私にとっての見方であり彼等には見えないのだった。
「ノーアが寄り集まって現象が起き、それをハルコさんが確立させてノウンする。
だから安全に見える様に、物質ノーアの認識を抑えるメガネを開発したんだ。
結論で言うと少しズレた位置に視線を置き直してるだけで解決にはなってないんだけど」
「それでも神経系に影響が出ないように調整する事で負担はかなり削げた筈だよ。
彼女がここに来たばかりの時は高熱でうなされてたし。
……ノーアを見るにはその層に干渉し続ける必要があるから、目も脳もとても疲れてしまうんだ。
今の視点と異なる視点に落ちる訳だから、普通に考えて人の心で支えられる規模を超えている。
僕達は君の力になりたくてここに居るんだ」
高城は笑みを浮かべたが、私の心は凪いだ。
別に、私はどうなっても良かったのに。
それが私の本心だからだった。
「……あの、聞いて良いですか」
「もちろん!なんでも聞いて!
知ってる事なら答えるよ、知らなかったら調べるよ!」
「私をここに連れて来た理由を教えて下さい」
瞬間、日向が目に見えて狼狽た。
緒方は困ったように高城を見る。
その視線だけで望まれたわけじゃ無い事くらいたやすく想像がついた。
「私はどう考えても後ろ指刺される存在だと思ってます。
人ならざる力を持った者は精々実験動物として飼われるくらだろうとも思ってます。
それなのにどうして、私を保護した上に生かして居るんですか?」
怖いだろう、目に見えない何かに日々怯える生活は。
恐ろしいだろう、理解出来ない次元の話しを聞いているのは。
私は怖かった、恐ろしかった。
自分が視線を合わせ、確立したものに翼が生える瞬間が。
意志を持った何かの集合体が一つになり変わるその瞬間が。
人の言葉に、意思が宿り色付く瞬間が怖かった。
現象とは人間が知覚出来る全ての物事の事だ。
人間界自然界など、私の見る世界はその現象界全てでノウン出来てしまう。
なので人間のみならず生き物から無機物に至り、私の目は全てを写した。
余す事なく見えてしまうこの目は、諍いや恨みを色によって世界に映し出し、顕現してしまう。
数多の集合体が意志を持ち、形を持ち、この世界へと確立されてしまう。
何故私を生かすのか。
私の質問に答えたのは、今の今まで黙り込んでいた遠凱都だった。