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Garden~2人と季節の短編集~  作者: 葛生雪人
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第4話 冬の夢

 部屋の窓から見上げる空、雪。



 雪の頼りは友たちにはうっとおしく、そしてまるで新鮮味がない。知り合いたちは皆、同じ街に住んでいる。雪の訪れを、今さら誰に告げようか。

 それでも、今年の雪だけは同じ街に住む彼女に、冬の報せを送ろうとしていた。何枚もの絵はがきを用意して、どれを送ろうかと悩む至福の時。風景だけがいいだろうか。それとも文字が入っていたほうがいいのか。イラストのほうが柔らかい印象があるのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか宵闇のうちに入り込み、時計を見た途端どっと疲労が襲いかかった。

 気を紛らすために窓を覗く。

 窓枠に囲まれたわずかな空間いっぱいに、真っ白な綿雪が舞っていた。月に優る街灯の灯かりが、真夜中の雪を照らし出した。降り、昇り、地に着くまでのわずかなときを楽しむように舞い続ける。

 逸る胸を抑えきれなかった。何のためらいもなく外に出る。

 その瞬間、きっと夢を見ていたのだ。愛しい愛しい彼女の夢を。かわいいかわいい彼女の夢を。せめて夢の中で彼女に逢おうとしていたのだろう。絵はがきを手に、白黒の街を歩いた。

 彼女も雪を愛する人だった。

 この街では当然の風景を彼女は心底愛していた。足をすべらせては凍った路面にあたるときもあったが、それでも彼女は、冬という季節を愛さずにはいられなかったのだ。

 夜の街を歩きながら彼女の言葉を思い出す。

 闇に対する恐怖が、冬だけは薄れたらしい。靴底のゴムが雪を踏みしめる音が、幼い日の彼女を勇気づけたのだ。

 その言葉を思い出す。今年買ったばかりの新しい冬靴で新雪を踏みしめる。車も通らぬ街の夜に、この靴が発する音だけが雄々しく響く。子どもにはどんなに心強い味方だっただろう。

 降り続ける雪の白さに、すっかり気分がよくなっていた。家を離れ、街の中心部まで来ていたのだ。

 ここまで出てきたついでと思い、いつもの公園へと足を運んだ。

 人気はまったくなかった。

 薄明かりの中を、カンだけを頼りに歩いた。一歩、一歩踏み出すたびに雪が鳴る。

 園内に架かる橋を渡ると、遊具の群れがお目見えする。ゆっくりと近寄りブランコに触れた。

 鎖に留まる冷気が指先を刺した。

 身を縮め、宙に向けて大きく息を吐く。

 ……このカラダは、支配されていた。

 雪を見ては雪の白さを愛でるよりも早く彼女の笑顔を思い出し、空を見ては流れ星に歓声をあげる前に彼女の温もりを思い出す。彼女に支配されてからというもの、この街はどこもかしこも彼女なのだ。

 もう、彼女から逃れられる場所はどこにも残っていないのだ。



 彼女は雪のように清い人だった。

 愛し合ったことさえも、まるで罪を犯したように恐れていた。

 誰にも心配をかけまいと、いつも強がりを言う。それがかえって心配で、彼女からは目が話せなかった。

 出会いこそ美しいものではなかった。

 彼女ほど嫌いなものはなかった。

 自分に無いものを全て備えている気がした。

 彼女を見るたびに、自分が不要な存在に思え、その度に、言葉にできぬ憎悪が膨らんでいった。

 しかし、彼女にはそれ以上に魅力があった。

 微笑まれると愛さずにはいられなかった。

 そして彼女はこの心を、何も言わずに慈しんでくれたのだ。



 髪に肩に、雪は降り積もった。

 目を閉じるとまぶたに雪が降りる。

この雪はいつまで降り続くのだろう。夜が明けてもなお、この街を白く染めていてくれるだろうか。彼女にこの雪を見せられるだろうか。

 せめて、と思い絵はがきを手にする。

 凍えた手には、数枚の絵はがきですら重すぎたようだ。一枚、二枚と手のひらから逃げゆく。

 拾おうと伸ばした手に彼女の手が重なった。

 頬を赤く染め、無邪気に笑っている。年よりも幼く見える。

 彼女はブランコに座り、静かにこぎ始めた。

幼い子どものようにはしゃいでは、夜の空に両足を放り出した。空中で雪を蹴るのが楽しかったのか、ブランコはどんどん高くなっていく。そうだ。この後はいつも揺れに酔って、しばらくは口数が少なくなるのだ。

 思い出し、口の端をゆるめた。

「今でもあなたを愛している」

 口をついて出た言葉は真実だった。

 彼女に対する愛が何を意味するのか、今となってはわからない。ただ、彼女をいとおしく思い、この手で守りたいと思っていたことだけはまぎれもない真実だった。

 彼女はうなずきもせず、ブランコに揺られている。

「あなたを苦しめるしかできなかった。それが心残りで、いつまでもこの想いを捨てられずにいる。それでもあなたは責めないのか」

 彼女がブランコから跳び下り、目の前へと歩み寄った。手袋に包まれた手で、頬をなでてくれる。その手がいとおしかった。自分の手のひらを重ね、そっと目を閉じる。

「わかっている。もうあなたに会うことはできないんだ。この喜びさえも、愚かな心が創り出した幻想なのだろう」

 目を開けるのをためらった。開けた瞬間に何もかもなくなってしまうのが怖かった。

 しかし、目を閉じたまま、まわりの世界が変わっていくのを感じていた。闇のうち、雪が舞うように小さな光の虫が飛び交う。その時が来たのだと思い、仕方なく目を向けた。

 公園中に虫が飛び、そのうちの一匹が重ねた二人の手にとまった。二人の手は時を分かち合うように、その虫を手の内に包み込んだ。

 彼女は手のひらを見つめていたが、やがて、視線を伏せた。

 虫も、雪も、二人の足もとに舞い落ちては消えた。それでも光はただよい、二人を包む。

 彼女のまつげにのった雪を吐息で溶かした。彼女は身をすくめ、くすぐったいとはにかんだ。さらに髪を撫で、彼女の温もりを感じようとした。

 しかし、この腕には彼女の温もりは届かなかった。彼女の指が冷たくなっていく。手袋の毛糸はほつれ、雪の粒へと姿を変えていった。

「もうすこし……」

 言った分だけ焦りが増した。

 今までこの身を拒もうとしなかった彼女が、何も言わずに首を横に振った。彼女は溶けかけた両腕を大きく広げ、空を見上げる。

 彼女に向けて降り注ぐ雪、雪、雪。

 彼女の身は雪に隠れる。雪となり、そして、光をとりまく。

 もう、時間だ。

 ごまかし続けた生もようやく終わりを迎えたようだ。彼女との時も消えた。

 彼女がしたように、大きく両腕を広げた。胸いっぱいに冬の冷たさを感じ、雪とともになる。そのまま雪の上に寝転んだ。いっそこの身も想いも、清らかなる雪へとかわればいい。そして冬を迎えるたびに彼女の支えとなればいい。それが最後の願い。

 空には星があった。そして雪が舞い、光の虫たちが何もかも連れていく。

 最後の夜、この街の空は白い使者たちでうめつくされた。



 夜が明けたとき、誰かが見つけてくれるだろうか。もしも、心ある人が拾ったならば、どうかそのはがきを彼女のもとへと届けてほしい。

 メッセージを書けなかったそのはがきで、彼女に全てが伝われば……。

《愛する人よ、雪のように清らかで》


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