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ファンとアイドル

 楓が半年前に付き合い始めた恋人は、店の常連客だった。

 双方交際は周囲には黙っていたが、二人とも同時に店にあまり顔を出さなくなったこともあり、店内や常連客達の間で噂が広まるのは早かった。楓が色恋に近い営業をしていたこともあり、一部の楓のファン達が、ブログに否定的なコメントをしたり、店にクレームを入れたりしたのは、店内でも有名な話だった。

 ファンが《敵》になりえるというのは、その時のことを言っているのだろう。

 しかし、よく考えれば、楓にも非がある話だ。よりにもよって、店の常連客に手を出したのだから、多少のバッシングは覚悟すべきだと思う。

 あたしは、楓とは違う。

 確かにのりぽんのような、非常識なファンもいるが、あたしはずっと真面目にやってきた。二十代になってからは、タイムリミットが迫っているから、恋人も作らずに、アイドル一本で、オーディションを受け、毎日カフェのステージに立ち続けた。

 でも、今となっては楓の言葉を否定することはできない。いつのまにか、脅迫状を送り付けられるほど、あたしを憎んでいる誰かがいるのだから。

「美玖、コーヒー飲もう」

 そう言って、美玖が自動販売機で購入してきた缶コーヒーをあたしに手渡した。今日は、よく飲み物をもらう日だ。あたしは受け取りながら「ありがとう」と呟いた。

 深夜の公園は静かだ。いつもなら、ベンチで愛を語り合うカップルがいるのだが、今日は楓とあたしの二人きりだ。

「あのね、さっきはごめんね」

 楓はぽつりとそう謝った。しまこのことだろうか。あたしは「いいよ」とコーヒーを口につけた。

「確かに、のりぽんと仲良くしてたってのは気になるけど。……でも、あの子、自分を睨むのりぽんを見て『仲良くなるチャンスだ』って言ってたの。……悪い子じゃないわよ、きっと」

 そう返すあたしに、楓はクスリと笑う。

「なんか、珍しいね。美玖がファンのことをそんなふうに言うなんて」

「いや、そんなことないでしょ」

「あるよ……。でも、美玖はファンのこと、ちゃんと大事にしてた。《化石》呼ばわりされても、笑顔を振りまいて。ちゃんと毎日ブログを更新して、コメントに返事して、偉いなって思ってたよ」

 なんで過去形なの、そう言おうとして、あたしは言葉を飲み込んだ。彼女はもうすぐ、店をやめる。結婚して、子供を産んで、普通の母親として生きていくのだ。

「でもね、美玖。あたしが謝りたいのは。もう一つ別のことなの。……さっき、ファンは敵になるって、言ったでしょ?」

「あぁ……。それも、いいよ。だって、あんたも昔、嫌がらせされてたもんね」

「うん……。まぁ、店の常連と付き合いだした、あたしもあたしだけど」

 そう言って、楓は苦笑いをしてコーヒーを一口飲んだ。

「ねぇ、美玖。あたしね、妊娠が分かった時、彼が結婚しようって言ってくれた時、嬉しかったの」

「そりゃあ、大好きな彼氏とのデキ婚できたらね」

「そうじゃないの」

 そういう楓の声は震えていた。楓は、グッと拳を握ると顔をあげ、あたしを見つめる。その瞳は、どこか悔し気に、まっすぐあたしの目を見ていた。

「あたし、アイドルを目指すの、早くやめたかったの」

 そう告げると、楓の瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちた。

「だって、あたし達、もう二十四じゃない。なのに、まだスタートラインにすら立てていない。みんな、十代のうちにデビューしてる。二十四なんて、どんなに売れているアイドルでも、引退して、別の道を考える子もたくさんいる。そんな状況なのに、ただ、先の見えない状態で、小さなメイドカフェで踊っておる自分がずっと怖かった。その時だったの。今の彼と出会ったの。付き合いだして、やっとやめられるって思った。でも、すぐにやめられなかった。中途半端に出勤して、でも、別の道を探すのも怖くて。そんな毎日だったの」

 そう一息に話すと、楓は俯き、拳を握りしめる。そんな彼女の声に、かける言葉がみつからなかった。彼女の言葉は、全て今のあたしに当てはまるのだから。彼女の三倍長い時間を、あたしは《アイドルになる》ことだけを支えに、歩んできたのだ。

「美玖のことはすごいと思うよ。あたしは、頑張れなかったもん」

 楓は。涙交じりに、こう言葉を続けた。

「ファンは、どんどん若い子に流れていく。変わっていくあたし達を受け入れてはくれないよ。……美玖も、そう思うこと、あるんじゃない?」

 何も言えなかった。押し黙るあたしに、楓は言葉を続ける。

「ファンが敵になるっていうのは、嫌がらせをすることだけじゃない。あたし達から関心をなくして、記憶からなくしていくことなの」

 一度、ゆっくり考えてみてもいいんじゃないかな?

 そう言葉を締めくくると、楓は「空き缶、捨ててくるね」とその場を離れた。

 闇に溶けていく楓の背中に、あたしは何も言い返せなかった。


***


 帰り道、あたしと楓は無言だった。最後に「おやすみ」とだけ告げて、それぞれの部屋に入って行った。

 靴を脱ぎ、鞄を落とし、化粧を落とし、部屋着に着替える。

 ゆっくりベッドに倒れ込んで、テレビのスイッチをつける。音楽番組の再放送のようで、見覚えのあるアイドルグループが、画面の向こう側で歌っていた。

 そっと、画面に手を伸ばす。

 その手の向こうの、若くてきれいなアイドル達に。

 あたしは、もう二度と彼女達みたいにはなれない。

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