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スッピンアイドルとオタクと遭遇

 どんなに憂鬱でも、朝は来る。

 良く晴れた青い空にため息をつきながら、あたしはベッドから起き上がった。今日の出勤は確か十三時からだ。首だけを動かして、枕もとの目覚まし時計を確認する。時刻は十一時。ブランチを食べて、のんびり支度をすれば、ちょうどいい時間に出られるだろう。

 重い身体を起こす。少し痛む頭を抑え、あたしはゆくりと立ち上がる。いっそ、休んでしまおうか。

 ……無理だ。

 唯一、あたしが《アイドル》を出来る場所がなくなってしまう。それは、何よりも恐ろしいことだった。

 ベッドに腰を下ろして、息をつく。すると、ゆっくりと眠気が襲ってくる。あたしは首を横に振り、眠気を払うと、顔を洗うため洗面所に向かう。家にいると、余計気が滅入ってしまう。外に出よう。昨日の今日で、外に出るのは怖いが、まだ昼間だ。白昼堂々、襲っては来ないだろう。そして、今日は月曜日だ。普通の会社員であるのりぽんは、平日は夜にしか来ない。本当に彼が脅迫状の送り主なら、仕事中であろう今の時間帯が一番安全だ。顔を洗い、化粧をしていない自分の顔をまじまじと見つめる。数年前は毛穴なんて目立たなかったあたしの肌には、小鼻の黒ずみや目元の小じわが刻まれていた。


***


「暑い」

 昨日の肌寒さはどこへ行ったのか。ねっとりとした熱気に、あたしは額に滲んだ汗を手の甲で拭う。

 郵便受けの前を通ると、昨日の脅迫文は綺麗に消えていた。管理人が掃除したのか、誰かが捨ててくれたのか。それとも、疲れから見た幻覚だったのか。

 ――忘れよう。

 あたしは、小さく深呼吸をすると、顔をあげる。

 さぁ、どこに行こう。

 時刻は十一時半。どんなにゆっくり店まで歩いても、二十分分程度しかかからない。

 カフェにでも入ろう。

 あたしは、近くにあったチェーン店のカフェに入る。カウンターでアイスティーとペペロンチーノを注文すると、番号札を受け取り、近くのテーブルに座った。昨日はブログを更新できなかった。出勤前に更新しようと、あたしはバックをゴソゴソと漁る。

 ふと、ネイビーのストライプ柄のパンツスーツを着用した、女性の足が目に入った。見覚えのある柄に顔をあげると、そこにはしまこが座っていた。しまこは、あたしの存在には気が付いていないようで、外の景色をぼんやり眺めながら、野菜ジュースを飲んでいる。その目の下には、しっかりとクマが張り付いていた。

「ちょっと、しまこちゃん」

 普段なら、店外で客に話しかけることはないのだが、明らかに尋常ではないしまこの様子に、思わず声を掛けてしまう、しまこは、ゆっくりとこちらに首を向けた。その力のない瞳は、《死んだ魚のような目》という表現が相応しい。そんな表情でこちらを見ていた。

「あぁ……、みくりん。お久しぶり……」

 低いボソボソとした声で、しまこは挨拶する。口角だけ釣り上げた歪な笑顔に、あたしは怖気づきながら「昨日会ったけどね」と、どうにか返した。

「どうしたの? なんか、死体みたいな顔をしているけど」

 死体という表現は失礼だっただろうか。あたしの失言など気にする様子もなく、しまこは「いえいえ、大したことではありませんよ」と不気味な笑顔を貼り付けたまま答える。

「あの後、会社に呼び出しを食らいましてね。今の今まで会社に缶詰め状態だっただけですよ」

 ははは、と乾いた笑い声がしまこの口から零れ落ちる。

「というわけで、今日は行けそうにありません。また夕方から出勤ですので」

「あぁ、うん……。無理しないでね……」

あたしが顔を引きつらせながら、そう労わると。しまこは「ありがとうございます」とゆっくりと会釈をした。

「いやぁ、気を遣わせたようで申し訳ない。美玖さんこそ、何かお悩みがあって、辛そうに見えましたのに」

自分よりも大変そうな人間を見ると冷静になるというのは本当だったようだ。彼女の異様な空気に、あたしは先ほどまでの憂鬱を忘れていた。というよりも、何故しまこが、あたしの憂鬱さを知っているのだろう。もしかして、のりぽんのことを言っているのだろうか。

「大丈夫よ。のりぽんのことなら、いつものことだし」

「あぁ、いえ。それもですけど」

 えっと、としまこは少し困ったような顔で頬を掻く。

「その……。楓さんが卒業して。随分と、つらそうだったように見えたので」

 ここで楓の名前が出てくると思わなかった。そして何より、客に悟られてしまっていたことが情けなくて仕方がない。あたしは「気づいてたんだ」と自嘲した。

「意外と、オタクはアイドルを見ているものですよ」

 そう言って笑うしまこに、あたしは小さく笑う。

「アイドルじゃないわよ。ただの、メイド喫茶の店員よ」

「アイドルですよ。少なくとも、私達にとってはね」

 そう言ってしまこは、優し気にあたしに微笑む。その笑顔に、どこか見透かされたような、懐かしい気持ちになり、あたしは言葉が出ず、彼女の顔を見つめていた。その彼女の笑顔は、彼女はもう一度微笑むと、野菜ジュースをごくりと飲み干すと、立ち上がり「では、そろそろ行きますね」とあたしに手を振った。

「また、お店で」

 しまこはあたしに背中を向けて、店の外へとフラフラと歩いていく。最近店に通い始めたばかりなのに、知ったようなことばかりを言う。あたしはクス、と笑うとフォークを手に取りパスタに口をつけた。

 たった少しの会話が終わった今、少しだけ、あたしの気持ちは軽くなった。


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