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アイドルメイドとオタクとラーメン

 今日も疲れた。あたしは重く長いため息を吐きだす。

のりぽんの嫌味は、閉店の二十三時まで続いた。ただ居座るだけでも、一時間千円かかるのに。暇なのか金持ちなのか。あたしはがっくりと肩を落としながら、アイフォンを操作し画面を開く。最近受けた芸能事務所のオーディション不合格通知の数々に、あたしはさらに深くため息をついた。早く帰って夕食にしよう。空腹を訴えるお腹を撫でながら、更衣室の外に出ると、背の高い中年の女性が煙草をふかしていた。高そうな黒いスーツに身を纏った彼女に、あたしは、ため息をつくと「あの、店長。ここはまだ店内。禁煙ですよ」

「いいじゃない。私の店なんだから」

 そう言うと、店長は携帯灰皿の底で火を消す。そして、あたしの服装をまじまじと見つめだ。サーモンピンクのTシャツにダメージジーンズ。クロックスというラフスタイル。呆れたように「ちょっと、コンビニ行くんじゃないんだから」と店長は呟いた。

「どうせ、今日はラストだったし。それに、あんまりキめて歩くと、客にすぐバレて、外で絡まれちゃうから」

「だから化粧を落としてるのね……。あ」

 店長は、思い出したように声を出すと、眉をひそめた。

「それはそうと、今日も絶好調だったわね。あの客」

「あぁ、のりぽんですか? 毎日飽きもせずに、他人の顔見れば《化石》って。他のお客も真似するから、やめてほしいですよ」

「まぁ、あながち間違ってないし。後にも先にもあなただけよ。ここに九年も勤めているのなんて」

 ぐうの音も出ない。あたしはトートバックを持ち直すと、「帰ります」と呟く。

「あ、ちょっと。美玖。あたし、まだあなたに用があるのよ」

「なんですか?」

「楓。最近、顔を出してないの。あなた、お隣さんでしょ?」

 楓――三滝楓は三年前にやってきた、このカフェの《メイド》の一人である。あたしと同い年の彼女は、十代のような肌ツヤと、抜群のプロポーションで人気を博し、店内の人気一位、二位を争う強者だ。当時は歳も近く、同じアイドル志望で、仕事のことやアイドルのことを語っているうちに意気投合。当時引っ越しを考えていたあたしは、楓と同じアパートの隣に引っ越し、毎日食事をしたり、些細なことで語り合う仲になった。しかし、半年ほど前、恋人が出来たことがきっかけに、誰よりも仕事熱心だった彼女は、すっかり不真面目になった。比例するように、出勤日数が徐々に減り、最近では、週に一度、下手をすれば二週間に一度しか出勤しないこともある。

 あたしは大きく溜息をついて口を開いた。

「前にも言ったでしょ。楓、男遊びで忙しいんです。昨日も連れ込んでたみたいだし」

「まぁ、それはそうなんだけどぉ。あの子目当ての客って多いし。ね、もう一回、様子見てきてよ」

 いくら人気とはいえ、ロクに出勤もしない、不真面目なスタッフに執着する必要があるのだろうか。少々苛立つが、店長には九年間お世話になっている。あたしは「わかりました」と頷くと、店長は、ぱぁ、と顔を明るくした。

「ありがとう!」

「来るか、わかりませんけどね。お疲れさまでした」

 ありがとね、と言う店長に会釈しながら、あたしは店を後にする。二十三時を過ぎても、まだまだ人で賑わっている。そう言えば、明日は日曜日だったな。酒臭い人々の群れに紛れ込みながら、あたしはトートバックをそっと持ち直した。

「《化石》!」

 聞き覚えのある声が耳を過ぎる。嫌な予感がする。あたしが振り返ると、そこにはのりぽんがいた。のりぽんは、まっすぐにあたしに向かって歩くと、ニタニタと笑っていた。

「偶然! てか、ダサい私服だな」

 お前にだけは言われたくない。言葉をグッと飲み込みながら「偶然だね」と笑いかけた。何故、のりぽんがここにいるのだろう。困惑するあたしを他所に、のりぽんは興奮気味に「顔も! すっぴんすげぇな」と、いつもの調子で罵倒してくる。

「どうせ、今から一人飯だろ? かわいそうだから、俺が付き合ってやってもいい」

「あら、みくりん。偶然」

 再び、聞き覚えのある声が聞こえる。ハスキーな女性の声に、振り返ると、やはり見覚えのある女性が立っていた。《しまこ》だ。彼女は、ニコニコと手を振りながら、こちらに駆け寄ってきた。のりぽんは不機嫌そうにあたしから離れると、無言でしまこを睨む。しまこは、そんなのりぽんにひるむことなく、にこやかに「先程はどうも」と会釈した。

「申し訳ないんですけど、みくりんは今からラーメンを食べに行く約束をしていまして」

 恐らく、やっかいな客から助けてくれようとしてくれているのだろう。何故、彼女がここにいるのかも気になるが、のりぽんよりは安全そうだ。話を合わせよう。あたしは、しまこの言葉に頷くと、のりぽんは「あ、そう」と険しい顔でしまこを一瞥すると、どこかへ去っていった。彼が見えなくなるのを確認すると、しまこは「さて」と口を開いた。

「行きましょうか。ラーメン」

「はい?」


***


 何故、初対面の女性とラーメン屋にいるのだろう。目の前に置かれた、豚骨ラーメンを咀嚼しながら、あたしはひっそり肩を落とす。そんなあたしを他所に、しまこは心底美味しそうに、豚骨ラーメンを啜っていた。

「いやぁ、やはりここのラーメンは美味しいですね」

「あの、しまこちゃん」あたしはおずおずと口を開く。「助けてくれてありがとう。あの、なんであの場に……? 結構早くに帰ってたよね?」

「実はですね」

 しまこは、にこにこと微笑みながら、一度お手拭きで手を拭くと、黒い革製のビジネスバッグからいくつかチェキを取り出し、あたしに見せる。そこには、他店の制服に身を包んだ少女たちと、鼻の下を伸ばして写真に写るしまこが写っていた。

「メイド喫茶巡りをしていまして。いやぁ、美少女が多くて困っちゃいますね。あ、みくりんさんも、次行った時は一緒に撮ってくださいね。今日は、さっきの眼鏡のお客さんに独占されてて、撮るタイミングがなかったものですから」

 だから、あの時間にウロウロしていたのか。若い女性の趣味にしては変わっているが、おかげで助かった。あたしは「えぇ、ぜひ」と頷いた。

「あ、そうだ……。あのお客さん、お店の人に相談した方がいいのではないですか? 少し、雰囲気が怖かったですよ」

「いいの」

「いいって、どういうことです?」

「そのままの意味よ。ファンはすぐ離れていくから。ああやって、執着して推してくれる客は貴重なの」

「ふぅん」

しまこはラーメンの汁を啜り、ごくりと飲み込む。しまった、ペラペラと話しすぎた。疲れのあまりに油断しすぎていたようだ。恐る恐るしまこを見ると、彼女はいつのまにかラーメンを食べ終わっており、満足そうに、長い息を吐き出した。

「みくりんさんが、そういうのなら」

 そう言って困った笑みを浮かべるしまこ。その笑みに気が付かないふりをして、あたしは「ありがとう」と残りのラーメンを口に運び、飲み込んだ。

「じゃあ、帰りましょう。今日はありがとう」

 そう言って立ち上がるあたしに続いて、しまこが「待ってください」と慌てて立ち上がり、店内に出る。

「じゃあ、あたしあっちだから」

 そう言って、その場を去ろうとすると、しまこは「あの」と声を掛けた。

「お気をつけて、みくりんさん」

「うん」

 あたしは、いつものように微笑むと、しまこに手を振る。しまこは一度会釈すると、にこっと笑って、あたしに背を向けた。あんな面倒なことがあったのだ。もう来ないかもしれない。あたしは彼女の背中を見送ると、アイフォンを開く。一日一回、あたしは公式ブログを更新すると決めている。もうすぐ日付が変わってしまう。家に帰ってからだと間に合わないから、今、更新しないと。あたしは道の端に避けて、ブログを開き、今日のライブのことを中心に更新する。すると、すぐにコメントが付き、一件、二件、三件と増えていく。そっと、コメントを開くと、すぐにのりぽんの名前が現れた。どんどん増えていくコメントに、痛む頭を抑えながら、画面をスクロールしていく。


《メガネ》


 のりぽんの大量のコメントの中に《メガネ》という名前を見つける。いつも、のりぽんのコメントの何人か違う名前はあるが、この名前は初めてだ。

 メガネ、という名前に、しまこの顔が過ぎる。


《今日は楽しい時間をありがとうございました! 他の曲も聴きたいです》

 

 あたしは、そのコメントに《ありがとう! また来てね》と返す。もしかしたら、また来てくれるかもしれない。あたしは嬉しさに似た感情を抱きながら、そっとアイフォンの画面を閉じた。



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