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残り香

 秋も終わりを迎えた、寒くてよく晴れた日です。村から離れた森の中、ある男の人が大きなたき火の前に立っていました。男の人はたき火の熱に当たろうと手を前に出しています。炎に煽られた風が腕だけでなく全身に当たります。

 眠たげな眼が乾いても、一回も瞬きをせずにずっと炎を見続けているのです。


「不思議な物だよ。本当に不思議な物だよ。悲しくないし涙も出ない。こんなに自分が薄情な奴だとは思ってもみなかった」


 男の人はぽつりと呟きました。誰に聞かせる訳でもありません。自分が思った事がぽろりと零れ落ちた、そんな風な言葉です。

 そして上着のポケットから銀色の小さな水筒を取り出しました。キャップを捻るとブドウの様な匂いが中から溢れ出てきます。わざわざボトルから移し替えて持ってきた、とっておきのお酒です。

 男の人は空を見上げました。たき火の煙が上へ上へと伸びています。綺麗な青空に、二つだけ小さな雲が少し離れて浮かんでいました。二人で居るのに一人ぼっちの気まぐれな雲です。


 男の人はまた、たき火を見つめます。辺りはとても静かです。村の人は皆、彼に気を使ってここには近寄ってきません。彼も元々、一人で静かに過ごすのが好きなので寂しいという事はありませんでした。

 男の人はくいっとお酒を一口飲みます。しかしすぐに飲み込む事はせず、なんとなく口の中で転がしてみて、その味と温度が変わっていくのを楽しんでいます。

 口の中のお酒が生ぬるくなったころに、彼はようやく飲み込みました。そしてふっと笑うと、水筒に残ったのを全部たき火に掛けます。


 お酒が掛かって一瞬だけ火の勢いは弱くなります。するとたき火の中にある大きな箱が、男の人の眼に見えました。いえ、見えましたというのは間違いです。彼は最初から火なんて見ていなかったのです。ずっとその箱を見つめていたのです。


「君は……冷やしたのがあまり好きではなかったが、やっぱり温いのは不味いよ。今確かめた」


 彼はまた呟きました。今度は誰かに聞かせようとしたものです。誰にでしょうか。決まっています。箱にです。正しくは箱の中の人にです。

 彼には一瞬だけ炎の中に、不満そうに眼を細める一人の女の人が見えた気がしました。


「私と君はどんな関係だったんだろうね。家族……と言うには少し違うか。同居人かな?」


 男の人は女の人とどんな関係だったのか、よく分かっていませんでした。二人は一応結婚はしています。女の人が提案したから結婚したのです。しかし二人の仲は夫婦や恋人といった物ではありませんでした。それなりに好きではありますが、友達でもない。そんなへんてこな関係でした。


「私はね。君について何も知らないんだよ。君が昔何をしたのかも知らないし、君の本当の名前すら知らない。君は何も言わない人だったからね」


 男の人は女の人と出会ったときの事を思い返します。彼が彼女に出会ったのは、ちょうど今ぐらいの寒い秋の日でした。




 ある日の夜。男の人、その時はまだ少年でしたが、彼はドアがノックされる音で目が覚めました。

 こんな夜になんだろう。強盗かな。抜き足差し足。静かに玄関に近寄って覗き穴から外を見てみると、ふらふらな汚い恰好の女の子が立っていました。絶対にへたり込まないぞと言わんばかりに両足に力を込めて。

 少年の家の近所では見たことも無い、銀色の髪の毛が神秘的です。泥で汚れていますが優しそうな顔立ちです。

 しかし少年は女の子をお化けみたいだと思いました。眼を離せば消えてしまいそうなのに、でも眼で追わずには居られない。そんな不思議な雰囲気だったからです。


「一体何の用ですか?」


 少年が尋ねると、女の子は驚いた顔をしました。そして口をパクパクさせます。言葉を探しているのでしょうか。そして突然きりっとした顔になります。言葉を見つけたのでしょう。


「あ……この家に一晩だけで良い。泊めて欲しい。あ……です。御礼になんでもする。あ、します」


 少年は女の子を家の中に招き入れました。それが少年の暮らしている家の伝統です。外から来た人を迎え入れる。よく世捨て人が流れつく場所なのです。少年の前の代も。その前の代も。こうやって人を迎え入れてきたのです。少年は自分の番が来たと、なんとなく分かりました。血が繋がってなくてもなんとなく分かるのです。きっと皆似た者同士だったのでしょう。


 でも少年は少し慌てていました。ふらふらの女の子を一人で歩かせたのです。ボロボロであちこちに穴が開いた家の廊下を。

 知っている少年が避けたその場所。床が腐ったその場所を女の子は見事に踏み抜きました。振り返った少年が見たのは、ばさあっと広がった銀髪がゆっくりと、腕を広げた女の子の後を追いかけていく場面でした。女の子の汚れの一つに、鼻血が増えた瞬間でした。


 その穴は、少年が別の日に塞ぎましたが、廊下の他の木の色と違って、新しく綺麗に見えます。ですので少女はいつも決まってそれを見るたびに、不機嫌そうに鼻を鳴らすのです。




 そよ風が落ちたばかりの赤い葉を男の人の方に持っていきます。火は随分と小さくなっていました。しかし男の人は寒くありません。何故なら彼女はまだ燃えているからです。


「今、君と出会った時を思い出したよ。あれは最高だった。ああ、そう言えば……君は随分と失礼な人間だった。君は最後まで私のスープを不味いって言ったなあ。君も料理下手だったじゃないか」




 少年は倒れて気絶した少女を客間におぶっていきます。ベッドに降ろした拍子に少女から何本かのナイフが落ちます。少年は驚きました。そして少女をじっと見つめて、言いました。


「まあ。そんなこともあるさ」


 そして少年は台所で夕飯のスープを温め直します。寝ているのできっと上手に呑み込めないだろうと、漏斗も用意します。

 漏斗を少女の口に差し込み、人肌の温かさになったスープを流し込みます。ちゃんと少女の頭を抱えて持ち上げて。

 すると少女は目を覚ました。驚いて暴れて。少年が離れると漏斗をぺっと吐き出してせき込みます。


「不味い。とても不味い。凄く不味い。驚きの不味さだ」


 少女はむせながらそう言うと、少年はほっと溜息をつきます。


「なんだ。案外元気じゃないか」


 少女は少年をじっと見つめます。言いたいことは沢山あるけど、逆に言葉が見つからないといた顔です。とても味わい深い表情だと少年は思いました。


「休んで……胃に物を入れれば少しは元気になる……」

「物だって?」


 少年は聞き返します。そこは料理じゃないかと思ったのです。少女は大きく頭を縦に振りました。山よりも高く、海よりも深い感情がそこに込められています。そしてしみじみと、


「あれは料理じゃない。料理はあんなに苦しい味はしない」


 そう言い切りました。



 朝から燃え続けた火は殆ど消えてしまっています。後には灰が残るだけです。長い木の枝を持った男の人は、その灰を避け始めます。


「そういえば、君は私の事を墓守と呼んだことが有ったね。私達の……僕達の家を見てここは墓守の家だと微笑んだことが有った。裏手に墓地が広がっているからそんな事を言ったのだと思うけど」


 男の人は白っぽい物を見つけると、それを丁寧に白く塗った箱の中に入れていきます。最初は銀色にしたそうですが、なんだか派手な気がしたので白に直したそうです。彼女は派手な物が嫌いだったのです。


「君には前にこの村の伝承を話したことがあったね。覚えていてくれると嬉しいが。……そうだよ。死後、魂は天に昇る時に一部が残滓として現世に留まるんだ。もっとも直ぐに先に行った魂を追いかけて天に昇ってしまうけどね。僕達はそれを『残り香』と呼んでいるんだって。前にそう話した」


 手袋をしていても熱は伝わってきます。それでも熱がることも無く、一つ一つ白い欠片を愛しそうに男の人は拾い上げていきます。そして全て拾い上げると、しゃがんでいた体をうんっと伸ばし、背伸びを一つします。

 そして大事に抱えた白い箱の中身を覗き込んで、またぽつりと言いました。


「君の残り香はどこにあるのだろうね?」


 そうして、たき火の跡だけを残して男の人は去っていきました。秋の森が静かな日常に戻ります。


お読みいただきありがとうございます。

この小説はサークル、『丹尾色クイナ』の企画第一弾として、

童話をリレーしながら書こうという企画によって執筆されたものです。

オープニングとなる第一話は代表作に『魔法少女は世界を喰らう』(http://ncode.syosetu.com/n3014dm/)などのある

カミキさん(http://mypage.syosetu.com/328836/)に書いていただきました!

明日も続けて二話を投稿します。どうぞよろしくお願いします。

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