復讐
うっすらと目を開けると、そこに見えたのは見知らぬ天井だった。
ガンガンと痛む頭を押さえ、何とか上半身を起こすと、周りを見渡した。
「ここは一体…」
辺りは真っ暗で、今一つ状況が掴めない。
ここはどこだ?俺はなぜこんなところにいるんだ?さっきまで何をしていたっけ…
何も思い出せないまま、ふらつく足を何とか動かして立ち上がり、せめて電気でもつけようとした。
と、ふとカーテンがしっかりと閉められていることに気が付いた。
「遮光カーテンか?こんなものが閉められていたら、そりゃ明かりなんて入ってこないな。」
ふらふらと窓辺に近づき、カーテンを開けた。すると、一気に光が差し込んできた。
「なんだ、今昼か。」
外を眺めると、道を行きかう人たちが見える。自動車や自転車なんかも多く走っている。窓からの景色を見ると、どうやらどこかの2階あたりにいるようだ。
「家から近いところだといいなあ。せっかくの休日なのに。」
ぶつぶつ言いながら、俺はくるりと振り向き、部屋の中に目を向けた。
と、俺は振り向いたこと、また、そもそもカーテンを開けてしまったことを盛大に後悔した。
そこにあったのは、まさに地獄絵図。
床に倒れる、人、人、人。壁や天井にまで飛び散った、血、血、血。
死んでからもうかなり時間が経っているであろう人から、ほとんど時間が経っていないであろう人まで、様々な状態の人がそこら中に転がっていた。
「俺もあの中にいたのか…」
そう思うと、思わず吐き気が込み上げてきて、足元に思い切り胃の中のものを吐きこぼした。その直後、おそらく貧血であるような症状を起こし、俺は再びその場に倒れ伏した。
「あらまあ、よく寝ていること。」
しばらく気絶し、やっと意識が戻ってきたと思った時、そんな言葉が聞こえた。
俺は、この異常な状況でこんなに呑気な喋り方をするその”声”に恐怖を覚え、咄嗟に寝たふりをした。
その声の主は、よた、よた、と少し重い足取りでこちらに近づいてくる。声のトーン、話し方からして、おばあさんだろうか。
「あらあらまあまあ。さて、どうしましょうかねえ。」
優しい話し方とは裏腹に、何か言い知れぬ怖さを感じる。
少し薄目を開けると、おばあさんは、俺の横にぴったりと立ち、丁度目の前にいた人に手を伸ばしていた。
「さあ、”儀式”の時間ですよ。起きてもらいましょうかねえ。」
儀式?儀式って何だ?戸惑う俺の目の前で、おばあさんはその人の口にガムテープを貼り付け、慣れた手つきで手足をロープで縛り上げた。直後、髪を鷲掴みにし、激しく顔を床に叩きつける。
床に叩きつけられたその人は、体をびくんと跳ねさせ、目を見開いた。
今の状況が上手く把握できていないのか、目玉をキョロキョロとさせ、自分を掴むおばあさんを見上げた。
ちらと見た感じ、どうやら女性。年齢は20代前半、俺と同い年くらいか。
ただ、床に叩きつけられたせいか、顔は鼻血に塗れていた。
「あら、おはよう。よく眠れたかしら?」
おばあさんはその顔を覗き込むようにし、にいっと笑った。
口をガムテープで閉じられ、返事ができない女性は、驚きを隠せない表情で目に涙を溜めている。
「あら、今の状況が理解できないのかしら?困ったわねえ。…じゃあ、これに見覚えはある?」
おばあさんが何かを女性に差し出すと、女性は少し反応を見せた。紙…何かの写真だろうか。
「あら、ちゃんと覚えているのね。この前の子はねえ、覚えていないって言うのよ。ひどいでしょう?だからね、”あそこ”に保存してあるの。名前は何て言ったかしら…そうそう、確か、”ケイちゃん”だったかしらあ?」
おばあさんが指さす先は、細長いロッカーだった。よく見ると、時々微かに揺れている。
それを見て、女性の顔色が変わった。真っ青になり、何かを話したそうにしている。
「でね、1つあなたにお願いがあるの。”ケイちゃん”に思い出させる手伝いをしてもらえない?ええ、ええ、簡単なことでしょう。ねえ?”カナエちゃん”。」
おばあさんは相変わらず表面上はにこにことしたまま。
にしても、”ケイちゃん”に”カナエちゃん”?俺は彼女らを知っている。だって…
「小学校4年生の時、4-Cのクラスでとっても仲の良いお友達だったんでしょう?」
俺の小4の時のクラスメートだからだ。
「さあ、こっちこっち。ふふ、これでやっと思い出してもらえるかしらねえ。」
おばあさんは嬉しそうな声とは裏腹に、カナエを無造作に引きずり、ロッカーの前まで連れてきた。
「さあさ、ご対面ですよ。ケイちゃんさん、お元気かしら。」
にこにこしながら、おばあさんはゆっくりとロッカーの扉を開けた。中から、むあっと何とも言えない臭いが立ち込める。
一体、何日ここに閉じ込められていたのであろうか。体を縄でしっかりと縛り付けられ、口にはガムテープが張られ、一切身動きできない状態にされており、体はガリガリに痩せていた。足元には彼女の体内から流れ出したであろう糞尿が溜まっている。
「あらあらまあまあ。この子ったら、24歳にもなってトイレにも1人で行けないのねえ。かわいそうに。」
おばあさんはにやっと笑いながら、ケイに話しかけている。
ケイは泣きそうな顔をしているが、その目から涙が流れることはなかった。おそらく、もう流す涙すら残っていないのだろう。ケイの顔からは、明るくていたずらっ子だった、当時の面影は一切見ることができなかった。
そんなケイの前に、おばあさんはカナエを突き出した。
「ねえ、ケイちゃんさん。ほら、私の孫のことは覚えていなくても、こっちの”カナエちゃん”のことは覚えているんでしょう?ええ、ええ、とても仲の良いお友達だものね。ええ、本当、2人仲良く孫をいじめられるくらいには仲良しでしたものねえ。」
にこにこと笑いながら、しかし目には鋭い光を灯らせながら、おばあさんはケイの前でカナエの体を揺すって見せた。
いじめ?そういえば、当時誰かがいじめられていたような…誰だったかな。そうだ、確か1人をターゲットにしてクラスみんなでいじめていたな。あいつの名前は…と考えを巡らせていると、ケイが少し反応を見せた。
「あら、やっぱり覚えているのね。あらあ、ありがとうございます、カナエちゃんさん。これでようやく、儀式を行うことができます。ああ、ありがたや。ええ、ケイちゃんさんもきっとカナエちゃんさんを見て、当時のことを思い出せるでしょう。ええ、ええ、忘れられるものですか。孫の無念を、晴らしてやらなければ。天国の孫に、せめて天国でくらい、笑ってもらわなければ。」
そう言うと、おばあさんは動けない2人を引きずり、隣の部屋へと運んで行った。
隣の部屋は防音加工でもしているのだろうか。2人が連れて行かれてから、一切の音が聞こえなくなった。
誰も他にいないことを確認した後、俺はそっと立ち上がり、再び周りを見回した。
たくさんの人が倒れているここは、一体どこなのだろうか。
壁に目をやると、そこにはいくつかのロッカーや3段ボックスが置かれていた。また、俺が外を見ていた窓は、どうやらただの窓ではなく、ベランダらしい。それから、物入が大きさの違うものが2つ。
あと分かることと言えば、さっき2人が連れて行かれた扉の向こうにもう1つ部屋があることくらいか。
それから、あのばあさんの話を聞く限り、4-Cの時のいじめがこの状況の発端かもしれない。ということは、あのばあさんの孫を俺らはいじめていたのだろう。
隣の部屋に連れて行かれたあいつらは一体今頃どうなっているのだろう。
「このままここにいると、俺もきっと無事じゃ済まないんだろうな…」
うすうす気が付いていたことだが、口に出すと実感が湧いてくる。
一気に危機感が募り、俺は大慌てでこの部屋を抜け出そうと考えた。だが、一体どこから?
「そうだ、出口じゃなくてもいい。ベランダがあるじゃないか。」
そう思った俺は、慌ててベランダに向かった。だが…
「あ、開かない。何で、何で!」
カーテンは開くのだが、ベランダへ通じる窓がどれだけ力を入れてもビクともしない。
鍵がかかっているわけではないのに、必死で引っ張ったり、押したり、叩いてみても、手ごたえすらない。
おかしいのはそれだけではない。
ここは最初に気が付いた通り、どこかの建物の2階あたりだ。目の前の道は割と人通りも多い。
「なのに、何で誰もこっちに気が付かないんだよ!?おかしいだろ!」
こちらを向いている人に気が付いてもらおうと、大きく手を振ったり、飛び上がってみたりするが、誰とも目も合わない。建物の中とはいえ、高々2階。通行人から見えない高さ、距離では無いし、こちらはカーテンを全開にしている。だというのに、誰からも気が付いてもらえない。
「くそっ!くそっ!何で、何でだ!」
悔しさから、窓をバンバンと叩きつつ、思わず声に出していた。すると…
「あらあら、活きの良いこと。自分の番まで待てなかったのねえ。ケンゴくん。」
後ろを振り向くと、にこにこと笑う、おばあさんがそこには立っていた。
俺はヒッと声をあげ、その場から飛びのいた。
「あらあら、忘れていたわ。今日はもう1人いたんだったわねえ。さ、こっちにいらっしゃい。」
おばあさんはにこにこと笑いながら、こちらに手を差し伸べてきた。俺はその手を払い、おばあさんを押しのけ、隣の部屋へと向かった。
こちらの部屋には出口は無い。ということは、出口は向こう側にあるはずだ。ばあさんもきっとそっちから来たんだろう。この状況から抜け出すためには、ここから出て助けを呼ぶしかない。
そう思った俺は、隣の部屋へ続く扉を力いっぱい引いた。
が、思ったほど手ごたえも無く、いやにあっさりと扉は開いた。
「まあまあ、飛んで火にいる夏の虫ねえ。ふふ。」
背後から聞こえるおばあさんの声に少しビビりながら、俺は後にも引くことができず、中へと足を踏み入れた。
するとそこにいたのは…
「せ、先生…?」
「ああ、久しぶり。こんな形で再会したくは…なかったな…」
悲しげに笑う、4-Cの時の担任がそこには立っていた。
「せ、先生、ここやばいっすよ。早く逃げましょう?」
俺が声をかけると、先生は困ったように笑った。
「ああ、そうしたいんだ。私も早くこんなとこ出たいんだよ。だからさ、協力してくれないか?」
少し申し訳なさそうな表情をした先生に、なぜか俺は恐ろしいものを感じた。
ここにいる先生は、本当にあの先生か?
鈍感なところがあって、おっちょこちょいで小太りだけど、熱血教師だった、あの先生なのか?
勉強のできない俺にも優しく指導してくれた、あの先生なのか?
不安になった俺は、思わず先生から後ずさった。
「おいおい、何で私から遠ざかるんだ?そんなところにいないで、こっちに来いよ。」
にこっと優しく微笑み、先生は俺に手を差し伸べる。その様が、さっきのおばあさんと重なって見えた。
俺は怖くなり、周りを見回すと、玄関が見えた。
「あ、あそこか!」
玄関に向かって、俺は慌てて走った。その様子を先生はゆっくりと歩きながら見守っている。
ドアノブを掴み、力いっぱい押したり引いたり、ひねったりしてみる。開かない。
今度は体を力いっぱいドアに叩きつける。開かない。ビクともしない。
鍵がかかっていて開かない、という感触ではなく、やはりさっきのベランダの窓のように、開く気配がないといった感じだった。
「くそ、くそっ!」
半泣きになりながらドアと格闘していると、先生に肩をたたかれた。
「そのくらいにしておけ。な。」
先生の目はどこか遠いところを見ているように見えた。
「私も前、試してみたんだ。でも駄目だった。」
試してみた、というのはドアの話か?
「ここはさ、凄い臭いだろう?何だか分かるか?…腐臭だよ。人のな。」
こいつは何を言っている?俺はこの部屋の異様な臭いや状況に、思考回路が全く働かなくなっていた。
それをお構いなしに、先生は勝手に一人で話し続けた。
「しかもな、私の元クラスメートたち、そう、ケンゴ、お前もよく知っている4-Cの奴らだ。みんないい奴だったのに。」
「でもな、人間ってのは残酷な生き物だ。何年もこんなところにいるとな、私もこの状況に慣れてしまった。鼻も、もう馬鹿になって効かないんだ。」
「しかもな、何が一番残酷かって言うとな…」
そこまで言ったところで、背後の扉が開き、おばあさんが入ってきた。
「あら、まだちんたらやってらしたんですか。しょうのないこと。」
おばあさんを見た途端、先生は縮み上がり、俺の背後に隠れたがった。が、俺だってあのおばあさんがヤバいことは知っているので、必死でそれを阻止した。
「ねえ、先生。”約束”は覚えてらっしゃいますよねえ?」
にいいっと笑って、おばあさんは先生に問いかけた。
「は、はいい!も、もち、もちろんでございますです!!」
先生は急に背筋を伸ばし、おかしな敬語で答えた。
「あら、そう。ならいいのよ。じゃあ、手短に済ませてもらえる?”儀式”を早く始めたいのよ。」
「わ、わわ、分かりました!!」
先生はそう言うと、急にこちらを向き、ポケットから何かを取り出した。
「ご、ごめんなあ、ケンゴ。本当にすまんなあ。…私のために死んでくれ。」
取り出したのは、携帯型のナイフだった。
俺は慌てて身をかわすと、先生から距離を取った。
だが、その先にいたのはおばあさん。そりゃそうだ。大して広くもないキッチン付きのリビングで玄関にいる先生から距離を取れば、必然的にさっきの部屋へ続く扉付近にいるおばあさんに近づいてしまう。
しまった!!と思った時にはすでに遅かった。
「うふふ、いらっしゃい。」
バチン!と音が鳴り、体に電気が流れた後、俺は意識を手放した。
「ああ、ああ、また、またやってしまった。」
かつて先生と呼ばれたその男は、床に倒れたかつて生徒だった男を見て呟いた。
手には血に塗れたナイフ。
気絶させたのは確かにおばあさんだが、その後実際に手を下したのは自分だ。その重みに、男はそろそろ耐えられなくなってきていた。
「な、なあ、もういいんじゃないでしょうか。」
「何が、ですか?」
きょとんとした顔でおばあさんが答える。
「もう、もう天国のお孫さん…翔太くんも満足していますよ。もう10年以上も前のことですし。た、確かにいじめが起こったのは良くなかったでしょう。復讐したい気持ちも分かります。しかし…」
胡麻をするように手をもみながら、にこにこと笑って男はおばあさんに必死に伝えた。
が、おばあさんはそれを聞いて、男を侮蔑するような表情で見つめた。
「クラス全員からの集団いじめ、その罪はもうきっちり償われた、と?」
「え、ええ、あれは本当に痛ましい事件でした。しかしもう…」
「事件?あれは事件だったと、先生はそうおっしゃるの?」
「え?ええ、学校ではよく起こるものですから。でも本当に残念な事件だったと…」
「…先生もいじめには加担しておりましたよね。翔ちゃんがいくら嫌だと言っても誰もやめてくれなかった。止める人もいなかった。」
「い、いえ!ですからそれは誤解で…」
「いいえ。音声がきっちり残っております。先生も、翔ちゃんに”親無し子”と言っていた当時の音声がね。」
「あれはじゃれあいと言いますか…」
「その”じゃれあい”で翔ちゃんは死んだんです。先生は、自殺なんて気の弱い弱者がするもんだ、と言って笑ったのでしょう?」
「い、いえ、それは言葉の綾で…」
おばあさんは先生の目を見つめると、1つ大きくため息をついた。
「もう、もういいです。分かりました。」
「そ、それじゃあ!」
「ええ。…先生、今までありがとうございました。さようなら。」
バチン!と音を立てた後、先生はその場に倒れ伏した。
「先生、結局最後まで分かってくださらなかったのね。私の復讐の意味。」
おばあさんはぶつぶつと言いながら、缶に肉片を詰め、洋室にある隠し扉から隣の自分の部屋、201号室へと戻った。
201号室の洋室にある孫、翔太くんのお仏壇の前に缶を備えると、しっかりと手を合わせ、深々と頭を下げた。
「翔ちゃん、今日はね、あなたをロッカーに閉じ込めて笑いものにしたケイちゃんとカナエちゃんと、電話を盗み聞きして親無しだって広めたケンゴくん、それからね、いじめを止めるどころか助長した担任の先生を地獄に送りましたからね。ええ、もう少しですよ。あと9人、あと9人のクラスメートを地獄に送れば、天国にいる翔ちゃんは二度と会わなくて済みますね。手を下してくれた先生は先に始末しちゃいましたけど、大丈夫。事なかれ主義でいじめを黙認していた当時の学年主任を連れてきますからね。ええ、なんにも心配することなんてないんですよ。」
おばあさんはにっこりと微笑むと、ボロボロになった翔太くんの写真を愛おしそうに眺めた。
「ああ、そうだ。202号室のベランダのマジックミラーの様子も見てこなくちゃねえ。ケンゴくんが力任せに叩いていたから、ヒビでも入ってなければいいのだけれど。あと、玄関の扉。瞬間接着剤をつけてあるけれど、もう少し足しておきましょうかねえ。もしも逃げ出されたりしたら、たまったもんじゃないわあ。…まあ、今は”生きている人間”は入れていないし、先にお風呂に入ってから買い物でも済ませますかね。」
そう言うと立ち上がり、お風呂に入り、着替えを済ませ、玄関から外に出た。
階段を使って下に降りると、裏野ハイツを出たところで103号室の奥さんと出会った。
「あら、おばあさん。こんにちは。これからお買い物ですか?」
「ええ、そうよ。今日はねえ、孫の誕生日なの。だから、うんとおいしいものを拵えてやらないと。」
「そうでしたの。あ、今日はあっちのスーパーの方がタイムセールやってますよ。」
「あらま、本当?それは良いことを聞きました。それじゃ、そっちに行くとしましょう。どうも親切にありがとうございます。」
「いえいえ!それではお気をつけて。」
「ええ、そちらこそ。」
おばあさんはにこにことした笑顔で先ほど教わったスーパーへと向かった。
「さて、翔ちゃんの大好物をたくさん拵えてやらないと。肉じゃが、ハンバーグ、豚汁…何から作ろうかしらねえ。」
そこには孫想いの優しいおばあちゃんの姿があった。